VOL6 2000年4月 発行2000/04/13

すっかり、3月の独り言が抜けてしまった。忙殺の日々であった。残念ながら、体が資本で元気は満面なのだが毎日タクシー会社での送り迎えを続けている。初芝通信のAVMの動作をモニターしているような日々だった。すでに立て替えたタクシー代金は、50万円に届こうとしている。ようやく、そうした生活にも終止符が打たれようとしている、時は春でさわやかな季節である。

新人を迎える季節ではあるが、弊社においてはベンチャーでもありなかなか例年社員を迎えるという季節感はない。たまたま今年は人員増強を図るべく活動を進めているのだが思いのほか米国系の会社への転籍希望の声は出てこないようだ。英語の問題以前に、まだ皆終身雇用が続くという幻想を抱きつつもレイオフのほうが現実感があるのだろうか。倒産とレイオフは明らかに異なりレイオフはある意味において会社の積極的な展開といえる。

社内失業が最近取りざたされる中で日本の製造業においても積極的な人生観をもった後輩が出てくるのではないかと期待もしている。そんな中で、渦中の会社の支援を通じて製造業をはだで感じることができた。空洞化が進むこうした製造業といわれているが実際そうしたことでは物が出来てこないのであってやはり抑えるべき人達はいるのである。

支援している会社に手取り足取りしつつ支援をしていく過程には、商売という側面から致し方ないと思いつつも教えを受けておられる方々のプライドもやはりあり、そうした事を理解しつつのコミュニケーションが求められてきていた。人生の勉強は日々続いてゆくものである。

久しぶりに日本の社員食堂での暮らしをするなかで、水準以上のものが、そこにはあり大阪と横浜で経験してきた会社でのそれと比較しても楽しめる生活であった。立場を逆転したとはいえ対等に話を進められるバックボーンがあり自分自身が会社の代表としての接し方をしていくことを日々責任を感じつつも充実した生活となった。

米国本社との協力を得つつの生活ではあり、技術トップのVPを迎えて一週間みっちり自分自身のOJTも兼ねつつ日本のお客様の設計手法と米国のそれとの差を学びつつ互いに議論していた。気が付くと英語で独り言をしゃべっている自分がいた。横にいるVPとの意識共有をしていく上では英語でしゃべり考えていることが必要なのだったが思いのほかそれは実際問題慣れで解決するのではないかと最近は思っている。

こんな中で支援先のRFエンジニアの方に引き抜きの話が来ていることを伺った。休日を圧して共同作業しているときではあったが私の境遇をしっておられることもあって、悩みを打ち明けられたようだ。確かにRFエンジニアに限らずソフトウェアエンジニアも含めて業界が流動的になっているような面も見聞きする機会が増えている。

物をつくりたいという思いの人にはメーカーという選択肢がベストであろうし、長年そうした中で仕事を進めてきた過程で指導や共通的な先進技術を志向していくことを良しとする人にとってはわが社は悪くない選択肢であると思うのだが、みな人生の一大事ということもあってなかなか実を結ばない。

すこしでも相互のためになるという解の一つは不遇な人事処置を取られた現場の技術屋さんの転職である。cdma業界からの引き抜きはそうしたバックボーンに根ざしている。自分の境遇に不満をもちつつも積極志向をすてない人がわれわれの求めている人材である。わが社に引き抜いた場合には他社も含めて業界の前進につながるという理解をしてくれるというのが最近ようやく迎えたT社からの後輩の事例である。とはいえ「最後まで英語の日常化という観点が大きくのしかかっていた」とは後輩の弁でもある。いっそ大学を向こうですごした学生を最初から狙ったほうがよいのではないかという話もあるが帰国子女といった線もまだ捨てきれないでいる。

境遇や会話能力よりも考え方がしっかりしている人であれば何でも出来るのになぁと技術者から転身して数学の先生になってしまった女性を思い出してみたりする。自分の人生の演出を会社からのシナリオに縛られてしまう人が多いのではないかなと思うのだが、自分自身の8ヶ月前を思い出してみてもなかなか自分の殻をぬけるのは至難の事なのだろうと納得してみたりもしている。

母校を訪問して新世代の学生をベースに話を進めてみるのも一興かとおもうが、そうした事を前の会社でもしていたなと思い出している。「先輩がいたので、この会社に来ま した」と話してくれた後輩に退職の話を切り出すのが苦しかったのを思い出した。しかし、学校訪問の時の自分と今の自分には何の差もなく、このまま自分のシナリオと会社の台本とに大きな開きがあるままに自分自身を偽れないという思いがあったのだ。

忙殺される日々を縫ってほかの人から紹介を受けた候補者の面接をしたりもしてみるがなかなか皆さん。難しいようだ。いっそ自分の見知った人でもって腐っている人がいないかと思うのだが会社も離れてしまうとなかなか話し掛けるのもつらい。いつでも門戸は、開いているのだがと事あるごとに伝えることしかなさそうだ。

たまの休日に祐天寺のカレー屋さんをたずねた。優秀な後輩を思い出しつつはじめて 降り立った祐天寺である。模型が配達してきたカツカレーはまた格別だった。またぞろ気持ちが騒ぎ出してTechnoWaveよろしくウォーキングをはじめた。世田谷線が見たいという細君の希望にそいバスで三軒茶屋まで抜けて住宅地を走った。こうしたところに引っ越すのもよいかなと都心への移転も考えるようになった。

借金返済のカセがなくなると人生自分自身にさらに新たな課題を自由にかけられるようになる。二子玉から等々力渓谷までのつもりが多摩川園まで堤を歩いてしまった。桜が満開だった。いつも街道沿いに見てきた桜を車窓から見るようになった。東横線の高架線計画の完了は今年中なのだろうか。夜桜でなくグランド越しの昼の桜を見たいものだ。

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