VOL46 展示会へ足を伸ばして 発行2000/10/3

二十世紀を締めくくろうとする展示会で見せてもらえる二十一世紀への布石については大変期待もしている。かつて子供の頃に考えていたほどには、技術は進歩しなかったようにも思えるし進歩した割にはだらしない政治体制などについてもがっかりもする。教育問題について、子供の頃には、やいのやいの言っていた割に結果として出来てきた世界は非常に教育結果に根ざした歪んだ価値観の世界になってしまった。ストに明け暮れる感じのあった昔の先生方が1番育成しなかったのは、実は次代の先生ではなかったのか。

いくら技術を発達させてみても、使う側のレベルが低ければだらしない限りである。そうした部分は世紀末と評せられる日本のいやな面である。何のために勉強するのかという根源的な問いかけに答えずに良い高校良い大学良い会社・・・と明け暮れてきた子供たちは、やんだままに無邪気な子供を監禁したり、日常的な危険性も顧みずに施工や作業をさせたりしている。マニュアル世代を逆手にとって怪しげな宗教を始めてしまえば、もろくも精神世界が崩壊してしまう現実も見てきた。

技術開発に加担する中で、取り組んできた数々の仕事についてそうしたメジャーで計ってみると必ずしも自分自身の現在の価値観から外れている仕事もあったように思い返している。自分自身の価値観自体がエゴイズムなのかも知れないのだが青臭いといわれるかも知れない部分を持ちつつ仕事をしてきた。やはり仕事は自己追求の場であった(私にとっては)。多くの人との出会いの中で学び考え議論をして切磋琢磨する共通の目標や意識付けが仕事であったのだ。

意識の持ちようで如何様にでもそうした価値観に照らしても矛盾を生じないように出来るのかも知れないのだが、世紀末の様相の街中での風景を見ていると何か自分で出来ることとの関連付けを探してしまうのだ。今自分のやっている仕事とのリンクが張れなければ、その仕事について考え直すというのが私の正直な想いでもある。西海岸に今はいらっしゃる私の尊敬する先輩Kさんのホームページに書かれていた彼の想いを読み取りつつ同様な意識を共有していることに気が付いた。是非、訪問した折にはあって話をしたいと考えている。実は、私の文体や考えは彼との出会いで大きく影響を受けているのである。

さて、幕張まで足を伸ばしつつ、CEATECに臨んだ。スケジュールは初芝通信の有名人でもある「サンダル原人」さんと合わせておいた。同じような感性を持つサンダル原人さんと私はハードとソフトの違いはあるものの大同小異の価値観で話が楽しいからだ。最近、綱島での座席がなくなってしまった嘆くサンダル原人さんとは見学途上で遭遇した。再開を確認して会場内を回った。部品などに関するエレショーの雰囲気も併せ持つはずなのだが、今ひとつ活況を呈していなかったように感じた。狂気に満ちたようないくつかのブースはあったのだが、正常な意識というよりもマインドコントロールされているといった印象をもった。

技術者にとっての夢の提供や手応えを共有する場では、なくなってしまったようだ。京葉線で向かう途上で、Kさんのホームページを印刷して読んで居たりしたのも影響していたかもしれなかった。Kさんのサイトの内容は意識ある人ならば読むべきだと思う。皆で渡れば怖くないといった風潮が業界にとって正帰還されて発振しているのではないかと感じることも多かった。冗談のような現実かも知れないのだが本来の目的を見失っているような点が見受けられた。目的に照らして考えるということがなくなり、間違っても全員が間違っているのだからいいじゃないかというのが最近の風潮なのだと理解した。正常な意識の人間の行動が狂気に満ちたものとして映ったり扱われたりするのは、魔女狩りのように排除しようとする流れなのかもしれない。

幕張の会場では、初芝通信の自称サンダル原人さんと出会い、久しぶりの会話をしつつ横浜まで戻って食事を挟みつつ盛り上がった。初芝通信きってのハード屋さんなのだが、二人の共通点はお節介な点である。こうしたお節介をするような精神構造の人間も希少価値の時代なのである。お節介という言葉を言い換えれば後進の育成である。そうした気持ちに余裕のある姿を先輩から学んだ私たちも、そうした感性の後進の育成が出来ずにいるなぁと話をした。教育のベースの異なる人たちへ、意識に根ざしたような気持ちというものは伝えようがないのかもしれない。

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