業界独り言 VOL121 HugeModelからSmallModelへ 発行2001/8/30

携帯電話は、この冬モデルには10MBを越す事態に突入しそうだ。私のVisorよりも大きなフラッシュサイズである。無論VisorのCPUよりも携帯電話のそれは高速であり、綺麗なカラー液晶がついていたりするし、当然無線部もついている。イヤホンも繋がらないPDAと比べると比較のしようがないほどの格差である。しかし、私がちょっと欲しいと思うソフトを捜してダウンロードするというところで考えるとPDAは良いかも。

さて、携帯用のプラットホームを開発しているメーカーは積極的か受身かで大きな差を生んできた。積極的なメーカーは通信キャリアと組んで共同開発を進めてきた上で、その仕様書の中に彼らのエッセンスをちりばめているのである。4MB足らずのサイズに高機能電話機が出来上がるのには理由があるのだ。受身で開発しているメーカーは当然8MBを越すサイズになっても致し方ないと判断するのだ。

サイズ重視で、compactサイズのフットプリントを考えてシステマティックに考えられる人材というのは稀有なほどCDMAというキーワードのつく携帯電話機は巨大なシステムと化しているようだ。確かに8ビットを越えるような技術者を集めてテストや開発をしているのであればコミュニケーションのボリュームだけで大変なものになってしまう。マスコミを通じてアピールしてきた3Gの方向性としてはEPOCなどに代表されるものを目標にしているようだ。

まあ、それで良いとして出来上がる製品のコストとはいくらなのだろうか。現在のPDCの電話機で3万円ほどあるいはCDMAの電話機で+αといったものが価格の実体なのだが、3Gのそれは一桁違うらしい。今までは、それでも実勢価格として報奨金などの支援があって新製品でも二万円を越す価格には中々ならないのが現実だ。そうして、また流行りに乗せて次々と新製品を繰り出すことで新顧客の開拓よりも他のキャリアからの顧客の巻き取りを行っている。一年以上使いつづけるというよりも、こうした電子機器を中古市場にするでもなく廃棄しながら新製品への移行を是としている。この価格補助の費用は、通信キャリアの経営を圧迫し赤字に追い込んでいる。

第三世代への移行において経営体質を更に悪化させる要因しか見当たらないのが事実でもある。といって流行りの中で実体価格と実勢価格の差異について知ることもなく利用している一般のユーザーにとって販売助成費あるいは報奨金といったものを停止してしまった場合には市場競争の中で出てくるメーカーの実体価格に驚き、第三世代への気持ちも萎縮してしまうだろう。こうしたことが今まさに起きている現実である。これを直視しないで製品開発やキャリアの方針への異は唱えられない。

高速で通信できる動画端末も良いだろうし裕福な人が、これみよがしに携帯テレビ電話を使うかもしれないが、失業率が新聞の紙面を飾っている状況の中でそうした有り得ない未来を描いてどうするのだろうか。ITバブルかも知れないと感じてきたパソコンの機能競走と価格競争の中で遂に日本ゲートウェイが撤退した。どのメーカーも苦境に立っているようだ。経営体質を追及していく中で、これ以上売上が落ち込む場合の選択についても明確な経営方針が考慮してあったということだろう。

撤退するということが、この事例に限らず起こってくるだろう。九月の株暴落と巷で言われていることのカウントダウンが起こっているような気にもなってくる。せめて明るい材料は、有線系のブロードバンド移行については確かなものとして起こってきた実感がある。しかし、第三世代の携帯電話というキーワードは、元々の発端や理由が不明確なままに絵空事だけが走った、昔のニューメディアといわれた三鷹の実験を思い起こさせる。第三世代の携帯電話機とは、今必要なモバイル通信の価格を引き下げることが第一の目的であったことを明確にすることが、このバブルとも不透明な重苦しい空気をクリアにすることではないのか。

そう考えれば、わざわざ高くなる方向の追求ではなくて、実質的な中での機能追及やコスト追求といったことを念頭に始められるのに通信方式や処理機能や何一つ目的に合致した成果も出せないままに始まった首都圏実験の日々。これが発展的解消もなければ、サービス地域の拡大についての指針も明確でないままに、はっきりしないどこかの行政改革のよりも悪い状態で国を挙げてキックオフした試合の前半戦が終わらないのである。だれかがわざと時計を止めているようだ。このままでは疲弊したメーカーの選手達は息も絶え絶えである。

コンパイル一つとってみてもHuge-ModelではなくてSmall-Modelで済むはずの仕様がデラックスな拡大志向に走ってしまう。誰も、鈴をつけたがらないのである。唯一、意識あるキャリアの一部は状況を是認する中で種々の方向を打ち出しはじめている。同期が取れていることを最大限に利用することを特徴とする新たな取り組みは、今までの設置されてきた置局配置などの過去の遺産と戦いはじめている。同期を取らないことを選択した未来への負の遺産よりは明らかに取組みやすいテーマといえる。

コンパクトで小気味よく動作させるといった昔のBYTE世代のTurboPascalなどを思い起こしてみるにつけ、現在の肥大化した携帯電話ソフトウェアの見直しを図る絶好のチャンスだとも、この第三世代での取り組みを考えるべきだともいえる。バランスシートが崩れた今では、そうしたことをする余裕が無いと見る向きもあるかも知れないが、売れない商品の開発にリソースを割くよりはよいとも言える。そうした方向に転位させることは不可能なのだろうか。

チップを作る立場から、第三世代のばら色については必ずしも肯定することもなく真剣に考えているつもりであり、しかし開発すればするほど絵に描いたもちを食べる人は誰も居ないということに漂着してシンプルで小気味の良い端末開発に方向を戻すべきだと痛感している。そんな中で、車中で液晶にヒビの入ったF501Iを恥ずかしげに使っている女性を見つけて気持ちを強くした。必要な機能と価格のバランスシートは確実に存在する。皆の全国中流意識を捨てた真の個人主義への移行が最もこの国を豊かにすることではないだろうか。

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