業界独り言 VOL145 光ファイバーがやってきた

週末の出張帰国で月曜である本日は代休となっている。本日は光ファイバー工事があるので自宅待機である。朝の9時にNTT東日本の担当者がやってきた。室内の電話線の引き込み口をまずは確認して内部が配管を通していることを確認していた。通りの電柱には中継箱があるようです。外部の引き込み口からワイヤーでガイドして入れる算段であるらしい。ONUの設置場所を確認してから引き込み作業を開始した。家の外に梯子をかけて、ワイヤーガイド付きの光ファイバーを送り込んでいった。

思ったよりも簡単に室内の電話の引き込み口から青い光ファイバーの線が出てきた。電話線コンセントの口を少し切り欠いて引き込み完了である。ガイドのワイヤー部を折り曲げて引き抜き防止のためストラップで止めていた。2メートル弱引き出したファイバーの先端を裂いていき中から細いファイバーが登場してきた。端面を綺麗にカットするための道具を用意してゴソゴソと圧接作業を始めていた。藤倉の銘が入っている道具達である。今は、溶接しなくて良くなったので楽になったそうだ。

どこかのメーカーが作ったと思しきONUの箱から出てきたのはDSUとほぼ同一容量のサイズに見えるものだった。無論無骨なDSUよりは薄くなっている。その会社の期待の星となる製品は昨年の10月製造という表示が入っている。我が家のDSUは初代の物らしく取りつけにきたNTTの工事担当も「そういえば古い型ですよね。」「設置したときには、コンビニ始めるんですかといわれましたけれどね。今となっては番号振り分けもしているので、ADSLに戻りたくはないので光を待っていたんですよ。」「ADSLはISDNと相性がありますからね」

取り出されていたONUに加工したファイバーを慎重に取りつけている。取りつけ金具を壁に取りつけるのだが合板なのでネジが効かないので苦労している。中で傘の開くタイプのアンカーがいるかと聞くとそれには及ばないとのことでセルフタップの別のネジで対応していた。内部の設定スイッチを念入りに確認していた。光量を計る測定器に接続して局舎との接続を確認するとLoの表示となり局側の設定がおかしいらしいことが判明した。屋外の工事と屋内の工事との二人で進めてきた作業チームとしては一旦中断して局舎に行き設定することが必要らしかった。

「又、昼過ぎに来ますから」と言われたのだが休憩用に用意していた珈琲だけ呑んでいただき一旦戻っていった。別の部屋に避難していた細君に状況説明をして、昼から再開すると伝えると他の家事にかかれないというブーイングとなった。しばらくすると玄関のベルが鳴り局に居た他のメンバーと連絡が取れたので再開するという。光量を計ると今度の表示はHiと表示されて早速ラップトップを接続してフレッツ網との伝送テストを実施する。計測結果は、27Mbpsである。10Mbpsを越えてくれたのでまずは安心である。実際に地域IP網のトラフィックもあるので100Mbpsを出せることはないのだろう。

ONUにカバーをつけて金具に取りつけると、何だか妙である。NTTのロゴやリンク表示のランプの文字が天地反転しているのである。ケーブルの引出口などはDSUと同じく下向きに出るし引き回しの上で問題はないのであるが、文字は逆なのである。どこの工場で作成したものかは判らないが、自分たちの判断でOEM先としても仕様を作成したキャリアとの間でどちらかが修正すべき事由であったと思われる。工事で行ってくれるのはONUの確認とONUの設置までなので後の仕上げはユーザーの仕事である。光ファイバーの引き回しをあまり室内で行うのは危険なのでDSUと隣接した処につけてもらっていた。工事完了のサインはした物の、逆さになったNTTのロゴは情けないものである。

工事完了で細君が戻ってきて説明をすると、「これは製品とはいえないわよ」と厳しい指摘である。工場の方々もご存じであるとは思うのだが最近は、まともな神経で検査や仕様を受け入れたりはしていないようだ。宙に浮いたONUの電源アダプターや、これによりふさがれてしまったコンセントの対応、更には現在のFLETS-ISDNのルーター地点までのLANケーブル工事などが残った課題である。工事材料のリストを作り上大岡のヨドバシカメラまで買い出しにゆく。電源アダプター処理用のマジックテープやら工事用のスリムなLANケーブル、収まりのよい電源コンセント、ブロードバンドルーター用の局所延長変換ケーブルなどは近くではすまないからだった。

買い物に出て行く途中で上を見上げると我が家に向けて青いファイバーが伸びている。近くの電柱の上で新たな箱が用意されていてここで一度接続しなおしているようだった。この近くで光に加入する人はここから分岐していくのかもしれない。鎌倉街道につづく道の途中を見上げているとNTTパーソナルと書かれたPHSの基地局が引っかかっていたりと色々である。しばらくすると、この青いファイバー配線がメジャーになっていくのだろうか。

一時間ほどかかって、必要なケーブルや材料が揃い、配線工事の開始である。ISDNの配線に添って薄いLANケーブルを隠れるように止めていく。ルーター設置点までLANケーブルが伸びると新型の高速ブロードバンドルーターの設定である。この種の機材は、Webブラウザで設定するのが最近のお決まりなのでIEでお決まりのプライベートアドレスを設定すると設定画面が出てくる。こうした機能の走りとなるものをLAN接続のネットカメラの開発チームは実装していた。簡単なHTTPサーバーは組み込む時代であり予見していたのだろう。当たり前のごとく自分達で実装していた仲間が懐かしく思い起こされる。

さて、あらかじめBフレッツ用に申し込んでおいたASAHI-NETからのアカウント通知の葉書を手元において設定していく。PPPoEの設定のところでサービス名というものがよく判らなかった。ASAHI-NETの葉書には特に記述がなかった。接続確認すると繋がらない。何か間違えたかなと見返すとアカウントのドメイン名が間違っていた。これを訂正すると何ごとも無かったかのようにすっと接続された。100Mbpsとは行かないまでも、ISDNのベースに慣れていた自分には新鮮な感動を与えてくれる速度である。

続いて、新型ルーターの機能に伴いアドレス割りつけ方法を変えていく。MACアドレス別で固定割りつけするサーバーや無線LANのアクセスポイントなどは固定化するのだが従来のルーターではMACからの払出機能がなかったために個別の機器毎に設定していたので再設定が必要になった。全てがDHCPとなりMACアドレスを認識して固定アドレスを払い出すというのが混乱を避けるよい方法であるかもしれない。Linuxマシンなどに組み込まれたLANカードのMACアドレスを読み出すのはどうしたものかと思い出しているとifconfigで表示されたのを思い出して実施する。アクセスポイントは個別にUSBで接続して固定設定をDHCPに切り替えた。

嫁さんのパソコンで動作を確認してもらい、無線LANが動作していること。速度が改善されることなどを確認した。二人のパソコンが同時にアクセスしてもそれぞれが2Mbps程度の速度で動作できるのは、やはり高速ルーターと光ファイバーの性能からだろう。有線LANで接続されているデスクトップからは20Mbps以上の速度が出るサイトもある。これで自宅サーバーの公開も秒読みである。固定アドレスの払出をしてくれるプロバイダで安価でそこそこのバックボーン接続速度という点でASAHI-NETはこれから混んでくる可能性もある。Linuxマシンがサーバー設定にしていないこともあり、アイドル時にスリープしてしまうのが現在の設定では課題だ。まあ、あした以降の課題としよう。Linuxの環境もデスクトップとしての完成度が上がったことの裏返しでもあるのだから。

これで通勤しなくて良いようにするのが次の課題であり、そうなると通勤時間と定期費用などから9000円のBフレッツの費用は破格なものであると思うのである。VPNを通して米国本社にアクセスすると東京事務所よりも快適なのである。なにが目的で会社に行くのかといえば、お客様によいサポートを提供するのが目的であるのだからだ。会社での肩書きやら会社としての設備にこだわっている変な慣習とは隔絶している。私たちは広いオフィスよりものんびりとした場所でじっくりと仕事ができるようにしたいと考えている。国際電話もIPで出来てしまうしカメラも繋がるだろうから、早晩都内への通勤を無くしたい物だ。

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