業界独り言 VOL146 無が攻めてくる

懐かしい知人達と、夕食を囲んだ。ひとときの楽しい時間を共有しつつ次代への思いを馳せていた。業界で言われている携帯不況にも関わらず、それでも通信機メーカーにおいては他の分野ではなく、やはり携帯開発に期待を賭けて、それに追われている様子だ。仲間たちの部下を次々と飲み込んでいった開発の大きな流れの様には、果てしない物語ではないが、無が攻めてきているような気がする。スクリーンの墨流しで作成したという漆黒の闇の広がりという映画のシーンが思い浮かぶ。ひょうきんなロックバイターなど達との楽しい果てしない世界が、夢を見ることを失った子供たちにより、無に帰するのは悲しい。夢見る技術者が居ればこそなのだが。開発プロセスの見直しが騒がれてからも五年以上経過してCMMなどの用語も根付いてきたと思われる。渦中の携帯電話の開発は、あふれかえった機能盛り込みで収拾をつけるのが精一杯という会社もあれば、個別の問題毎に解決の目処を待ながらも次の開発をしているという会社もある。後者と前者の相違は技術者のリソースなどにも現れているようだ。プラットホームというものを開発していくという方針を体現している会社では、機能別に担当が動くことはなく機種をまとめるリーダーと機能を開発していく担当により作られていく部品群を纏めていく部隊とで動いているようだ。

手をこまねいているという印象の会社もある。機種をチーム制で担当している会社だ。チームとして一体感を持った開発で鉢巻きをして開発している挙国一致体制ともいえる。といっても最後に残るのはソフトウェアであり部品の評価などは既に終わっているので今更ハード担当のメンバーとして進めるべき事由もないのだが、緊急に向けてのリザーブなのだ。部品の評価をソフトウェアの開発完了まで先送りにしているケースも見られるが部品評価という判断と、システム評価という段階とは明らかに異なるはずだ。部品の問題などは早期に評価完了させないと量産という課題をクリア出来ない。

プラットホーム開発が出来ているという印象の会社がある。実態としては、家電の開発と同じような感じである。それぞれの担当者の仕事は部品の設計と開発であり、機種として仕上げているのは全員という体制ではない。逆にいつでも、どの機種の物であってもその担当者は快くかどうかは別にして問題があれば対応しているという事だ。機種としてのチーム制ではないからだろうか。製品をまとめているのは主要部品であるソフトウェアやチップを一括してトレースしていることにもなる問い合わせ窓口の技術屋である。ある意味カリスマ技術屋として機種開発の全貌を押さえている人物でもある。

この人物に依存しているという見方があれば、CMM的にいえばレベル3にはなれないのかもしれない。しかし、開発のスムースさという点からいえば、今、最もQUAD社の評価の高い会社でもある。このキーパースンは、QUAD社の製品やソフトを熟知して自社カスタマイズの為の的確な質問を自社としての検討案を呈示した上で質問してくるのである。質問精度の高さなどが評価の高い理由でもある。二年ほど前にT社から迎えた同僚も当時、もっともQUAD社から評価の高いユーザーであった。その会社も、その同僚に依存していた部分の改善などからか要素技術別のプラットホームの開発体制に切り替わっている。

名目で体制を次々と変えている会社もあるようだ。トップ方針で次々とプロジェクトの中止や変更などをしている会社もある。さて、開発が遅れている会社に技術力が無いのかというと、そんな事は無く個々の質問内容などを見ていると立派な解析結果まで出された上で確認という意味での質問であったりもする。しかし、質問している時期から考えるともっと早くに気がついて対策していたのではないか。あるいは、仕事の手順として何か誤ってしまった結果先送りにしていたのではないかと思われたりするのである。こうした技術力のある人材を活用していく為にも、この会社のトップ方針がプラットホーム開発体制に移行した事を良しとしていきたいと感じている。

次々とチップを送り出している側として、互換性を維持しつつソフトとハードを機能向上させていくという矛盾の起こりうる世界を暮らしているのだが、BIOSチップセットなどと同様なことが、起きやすいようだ。お客様が使っている上での工夫などについて理解しておかないと、新しい機能との衝突が起きたりして設計変更が生じてしまうのだ。無論出来るだけそうした事が起こらないように配慮をしている積もりでも使い方の応用例について熟知していた上で提供している資料などの間にミスマッチがなければ良いのだが、個々のパートが差分のみを説明するようになっていくと全貌としての差が見えなくなってしまいがちである。

詰まるところ日本のお客様と同様な使いこなしを行えるような電話機への実装確認が必要ということになりそうだ。新しいチップがアナウンスされて晴れて性能向上や機能アップなどが大きく起ころうとしている。しかし、チップ開発と顧客の開発との親和性は、また別次元の難しさがある。日本が、携帯業界としては、ある意味で先行孤立してしまっているのが実情である。欧州などから見れば泳がされているといった状況なのだろう。国内の携帯開発を進めている会社にとっては、個々の機種への機能盛り込みに追われている日常であり機種毎の採算性などの改善などの議論に入る以前なのである。

昨年のソフトウェア問題を経験した幾つかのメーカーでは、慎重な開発を進める中に自身の開発効率の改善という切り口にまで到達しているメーカーは少ないように映る。今流れている仕事を決着するまでは泥縄であっても綯っていくしかないのだろうか。慎重に成りすぎてコスト高になるので撤退しようかという話も最近では出ている様子だ。メーカーのトップ同志で結託して開発合理化しようという話も出ているくらいだ。次代の設計革新に向けた流れと、こうした現状に根差した悲観論との格差は、現実を変えられないという事実の重みなのかもしれない。アーキテクチャーをPCのような形にしていこうといってもブレーキ操作をスタート釦から始めさせたり、暴走したらリセットしてという動作をエンドユーザーに認識してもらうには時間が必要なのかもしれない。

開発効率の追求を果たしていく上では、どのような形で進められるのが理想的なのか効率的なのかを考えた上で実践していくということがトップメーカーには求められているのだろう。個々の開発案件単位で方法論がまちまちだったりするのは共通で使える無線試験装置が無いことだったりするのかもしれないが・・・。WCDMAのチップ開発は殆どテストシナリオをどれだけ考慮して進めていくかという事がポイントとなっているようだ。プロトコルを理解するテストエンジニアがテストシナリオの開発をケース別に構築蓄積している姿の集大成として安定なソフトウェア開発が達成できるのではないだろうか。テストサポートに懸ける技術者の能力と進め方こそが成否を握っているように見える。

提供されたプラットホームを使うという点では、国内トップ同志のJVも弊社のチップも同様なものと映るかもしれない。チップセットとソフトをまずはひな型として受け入れて自分達の手で使ってみて、使い方を認識した上で開発委託を展開していく会社と、そうした作業自体を委ねてしまう会社とがあるようだ。委ねてしまったがゆえに十分なテストが出来ずに進んでいき最終コーナーで躓いてしまう会社もあるし、当初のヒートアップに時間はかかるものの結果としてスムーズに開発が進んでいく会社もある。どちらの選択が正しいのだろうか。携帯伝説が崩れて潤沢な開発投資を割ける状況ではない昨今としては、開発自体も生産ラインからパレット型に変わっていくべきではないだろうか。

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