業界独り言 VOL166 三年坊主の戯言

三年前の今頃は、こそこそとした後ろめたい暮らしをしていた。会社で仕事をしながら次の勤め先に転職面接の為の旅行訪問をしていたのだから致し方ない。そんな思いも感性のなせる技か最近では、仕事さえしていれば会社に対しての忠誠心というような尺度とは相反しないのではないだろうか思うようになってきた。三年間の暮らしで自分自身としての技術者としての考え方とは別に社会人としての考え方として成熟してきたというべきなのかもしれない。ドライという言い方で当てはまるのかどうかは判らない。

初めての転職面接が言葉の問題もある国でのこともあり文化や考え方などが大きく異なった会社への物だったからだ。組み込み業界に長く暮らしてきた技術者として以前の会社で多彩な製品開発に従事してこれた経験は有り難く思っている。会社で与えられたチャンスを活かして頗る楽しい仕事をしてきたとも言えるし、他の携わった人からみれば、そんな私に振り回されてしまった大変な仕事だったと言うかもしれない。以前の会社での技術者としての幸福は、一つの大きな会社の中にうまく自分をマッチさせて仕事を続けてきたということだった。

違う会社を経験したことが無いというと語弊があり、配属と同時に出向を命ぜられたからでもある。自分の会社で働くことが出来たのは実は、入社してから三年目の事であった。一年間の研修生活というものはオイルショックの賜物だったし、その後の通信とコンピュータの会社への出向も社内がそうした方向を向いていない時代の反映であったかも知れない。三年が一つの区切りとしては適当な単位なのかも知れない。学生生活から社会人になり、試験雇用的な出向研修という時代を暮らしてから、本来の会社で社会人としてしていきたい事に取り組むという手順を踏んでいた。

さて、それから20年という組み込みソフトウェア技術者としての暮らしをしてきた訳なのだ。最近でいうソフトウェア技術者気質というべき精神構造に至るような仕事をしてきたのだが、いつしか最近のソフトウェア工学とは相容れないような状況に陥りギルドは消滅してマイスター達は去っていった。教えを請うた先人たちの技術を受け継ぐべき世代は、徒弟制度と時代との不適合を開発を通じて感じとり、また技術者生活としての疲れを感じて自己矛盾を回避すべく去っていった。気がつけばそうした次代の技術者達にソフトウェア開発技術を伝承出来るような状況ではなくなりつつあった。

プロセス改善という時代の切り札的な御加護を頂きながらも実態としての生産製造という会社としての仕組みは、どこかの国の政党と同様な癒着の流れにどっぷりと浸かっていて技術者として納得のいかない状況を構成していた。自己矛盾を抱える会社の開発プロセスを是正することは社長でも出来るような状況ではなくなっていた。自身で進められる範疇で出来ることは自己で合点のいかない方向性の渦中での開発効率の改善にしか映らなかった。自分自身も自己矛盾に遭遇していった訳である。時代の渦中で最高益を上げているという表向きと次代を理解する者として耐えられないものだった。

そんな自己矛盾からの解放を自分自身と出来れば元の会社のプロセス是正の手伝いが出来ればという思いから自己都合退職に踏み切った。ギルドの香りのする米国ベンチャーで出来ることと国内メーカーで出来ないことの差異について検証したいという思いにも駆られて飛び込んだ世界である。言葉の障壁を越えてソフトウェアの開発というスタンスで見ると自分達で進めてきた自立する開発という事を実践している姿がそこにはあった。自己のカテゴリーとしての技術ドメインでの自己確立を目指している姿は、昔のハードウェア指向であった時代の国内メーカーでのそれと同様なものであった。

ソフトウェアとチップを提供して検証した使える技術として提供していくというビジネスモデルは、あのモトローラですら達成しえなかったものであった。かつてモトローラの車載でしか使えない技術を昇華して世界で初めて使える携帯モデルとして使いこなした達成感を共有できた仲間達は、いまや会社としてのビジネスモデル作りが出来ないままに埋没あるいは、違う進路を選んだりしている。でき上がったプラットホームをソフトもハードも製品として使える状態にしていくということは凄いことである。方式特許としてのCDMAを生み出してきた熱い気持ちが脈々と流れているようだ。

DSPやマイコンコアを埋め込みシステムLSIとしてファブレスカンパニーとして商売していくというビジネスモデルには特許の強さ故の仕組みといえる。システム商品の香りがするのはCDMAという通信方式を構成する技術が基地局も含めたものであって最終アプリケーションを提供する立場にまで介在して支援していくというスタンスを取れる仕組みが達成できたことが大きな力となっている。生真面目に取り組まれているある国産メーカーの技術者の言葉を借りれば、「最初に何か動かないという状況で考えることは自分達の今日加えた修正である。」そんな状況にまで分離できるからこそ家電メーカーからの変貌というメーカーすら生まれてきたのだった。

三年前に打ち出したCDMAを自己否定する新しい技術HDRもCDMAと合わせて離陸しようとしている。世紀を越えて実用化に供しようという段階に入りお隣韓国ではすでに身軽な積極的なキャリアが採用している。日本では圧倒的な従来の通信キャリアとの歪な競争がPDCとCDMAの異種間格闘技の如き状況があり、また国際化規格と相いれない電波法制や国内独自仕様などの壁が仇となっている。日本が先進を行っているというスタンスは世界中は醒めた目で見ているだろう。世界に通用する規格での製品ではないからだ。国内のインターネットの最大のプロバイダーが微小コンテンツに特化したものであるというのは可笑しなものである。

コストダウンと自己売り上げの増大という自己矛盾に取り組んでいく流れの中で破綻の匂いがしてくるのは致し方ないことである。ホットスポットとの融合で切り抜けるという戯言を言い出したりというのも妙なものである。第三世代の優位性を否定され始めた昨今としては株価確保の目的での仕方ない常套句になりつつある。何もすることがないと感じている日本のメーカーの方達と中国韓国の方達との差異は、国内用の歪なマーケットを持っていないことが上げられるだろう。ISDNを作り出しIMT2000を生み出してきた成果は、いま何処にも優位性を持ったものとしては捉えられていない。

何か物事が変わろうとするときに、今までの成功事例を踏むでもなく考え方が旧来のままで進む限り結果が良くはならないことは経験してきたことである。放送のデジタル化という話題があった。放送業界のメーカーも放送局も現状のアナログからの移行でしかテーマを捉えてこなかった。デジタル化が達成できたのは入力と出力だけだった。相変わらずのアナログ信号でのシステム構成を否定するところまでは立ち入れなかったのは仕事の利権の所為なのだろうか・・・。スーパーコンピュータで構成するというハリウッド作品のような取り組みとの違いは何処にあるのだろうか。

地上波デジタルが始まるという、需要家の映像端末やチューナーの置換がビジネス目的なのだろうか 。携帯テレビで綺麗な画像が受信できるという。通信のデジタル化に取り組んでいる者としてテレビ受像機という目的としての実現性能には懸念以外の何物もない。ましてや何を見るというのだろうか。アナログで済むコンテンツをわざわざデジタル化して送受信することのメリットを真剣に考えている人がいるのだろうか。無論そうした開発に従事している知己がいる。彼も自己矛盾に陥りながら家電業界からの次の一手を熟慮しつつの仕事をしている様子だ。少なくとも私は、地上波デジタルでアナログなコンテンツを見たくはないし、端末性能や方式から導かれる答えとしてのビデオクリップ放送には賛成である。

あまねく降り注ぐ一方通行のテレビというデータ放送に合うものは短いビデオクリップがタグ付きで放送されてくることであり、このタグを検知して自動的に端末で受信蓄積して見たいコンテンツをタイムシフトして見ることが出来るのが地上波デジタルの真骨頂ではないのか考えているのである。だからこそ地上波デジタルとはシャープの昼休みビデオのようなコンセプトをビデオクリップ拡張したようなものではないかと考えるのである。同様な矛盾を抱えた者は、第三世代携帯でのテレビ電話である。必要性をクリップ以上には感じないのである。テレビ電話で留守番録画が出来るのならば正しい姿だと思うのだがいかがなものか・・・。

矛盾に満ちたまま相変わらず世の中は奈落の底に向かって進んでいるようで、カウントダウンの中で繰り広げられているバベルの塔の惨状は筆舌に尽くしがたい。第三世代という国際統一規格という初めての体験が引き起こす規格認識の差異という問題解決には多くの時間を必要とするだろうし、また国内キャリアのような旧規格のまま突っ走るという事態には基地局間の互換性の壁を各端末で吸収しなければならないといった最悪の事態すら想定される。まだ時代として三月の規格で年末に始められる状況ではないと理解できないのであろうか。

国を挙げて進めてきた第三世代携帯開発による自己矛盾が現在の不況を生み出しているという事実に気が付いていないのだろうか。何を楽しみに暮らしていて何にお金を掛けようとしていて、その掛けたお金が無為に使い尽くされていて結果のない形で費やされているのが実情なのではないだろうか。そうした開発のつけを気が付かない形で国民が負担しているのである。国民一人一人がどういう目的で通信費に費やすのかどうかという基本的な議論が出来ていないのではないだろうか。これから通信メーカーとしての破綻が始まりだしてから、漸く国が責任行動を取り始めるのだろうか。メーカー自身で出来ることも有るのではないだろうか。

いやいや三年坊主の戯言に過ぎない、しかし三年前に知り合ったメーカーの技術者のMさんなどは、すっかりこの三年間で独り立ちして国際感覚も自社のリーダーシップも取られて活躍されてきた。メーカーを見ていくと尻すぼみの中でも自分のテリトリーで頑張っている人や埋没している人やいろいろであるが会社自身を変えてやろうという気持ちの発露が見えてくるMさんを見ていると三年前の自分自身とダブって見えてくるようだ。業界が広がっていくのかあるいは縮退していき自分達の支援先がアジアのメーカーに向かっていくのかはまだまだ不明である。

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