業界独り言 VOL170 昨日・明日・未来

あたふたと西へ東へと移動しているのだが、明日の予測のつかない生活だ。割り込み駆動だと誰かが云う、そうかも知れない。イベント駆動のウィンドウズの時代だから致し方ないかも知れない。地道にコマンドラインでmakeをかっちり積み上げて出来る仕事はなくなってしまったとは思えないのだが。ちまちまとコーディングシートと紫煙の中で頭を掻いていた時代はどこへやら。ペットボトルで皆がお茶を飲みつつメールとチャットで開発という風景だ。

明日や来週のことを想定して計画的に動こうと思ってみても、出来上がってくるリリースやらお客様で発生する色々な事象を捉えて解決する策にはならなかったりする。結局イベント駆動型のRADな対応が、やはり流行なのだろうか。下手な予測は外れて、結果は良い方向に向かったりするのだからまだ良いのだが。悪いほうへ悪いほうへと予測する癖が、最近は悉く外れてしまったりする。やはり技術力とヒューマンネットの会社だからなのだろうか。

用心のために、解決を見ない場合の予防として、米国持込という展開を想定して周りを押えてみたりしたものの。予想外の完成度で順調に稼動してしまったりするのにはいささか拍子抜けしたりしつつも改めて開発チームの強固さを逞しく感じる。実際のところマイペースで開発が許される、あるいは世の中の他の開発ペースの実情から見た上でペースを掴んでいると考えられているメーカーはフィンランドの会社とQuad社くらいの様子だ。

基地局開発の迷走状態は、3GPP自身がGSMベースの欧州展開に立っているからに他ならない中国でも安価なGSMがシェア高い為に、これらとの親和性を求められつつという3GPPが引く手あまたに成るのかもしれない。国内メーカーが通信キャリアと開発した早期仕様に基づくシステムを中国に展開したいというのとは意味が異なりここにも迷走が生まれる要因となっている。国内通信キャリアが国際規格への転向を余儀なくされた周囲状況に呼応しようとしているようだ。

そんな海外状況と国内に広がる一億総ブロードバンド展示会時代とからは、ますますギャップが生じている。CDMA陣営が繰り出してきたCDMA2000を周波数定義の話で蒸し返している点などは子供じみた話である。トラフィック競争という意味では逆に羨ましいのか第三世代としての究極形態に向かうCDMA陣営のCDMA-1xEV/DOを、意味もなく喝破する目的で無線LANとの共存を画策しているようだ。背景にはFOMAで拡大する筈だったARPUの低下が原因と見られる。

拙宅も含めて世の中は無線LANが流行っている。ホットスポットでのアクセスをシームレスに実現させることでDoPaなどのシステムと連携させてユーザーに高速パケットを体験させつつサービスエリア範囲でのお零れをもらう算段なのだろうか。電池寿命の問題も無線LANとの共同戦線であればパソコンからの持ち出しになって考える必要が無くなるということもあるかも知れない。

384Kbpsの高速移動ブロードバンドアクセスポイントとして、サービス開始したJR東日本の成田エキスプレスなどの無線LANサービスなどの補完以外にはあまり使い道が見つからないようにも見える。いづれにしても高速パケットサービスを実現した場合の通信コストからみて普及が見込めないと思うのだが世の中からの審判はどのように下るのだろうか。ドーバー海峡で通信不能に陥ったミッションインポッシブルのような状況で使うとでもいうのだろうか。

以前ビジネス用無線端末の開発において、WANアクセスとしてビジネス用のMCAシステムを 用いて安価な端末群としてはPHSを利用するシステム検討をしたことがある。そういった匂いが異種通信網をカバーする通信機器には見え隠れする。昔あったPxPのシステムは当時狭かったPHSのエリアを着信群としてポケベル網を利用するというものであった。最近、鷹山が始めようとしている物は更に無線LANを組み合わせてIP電話も含めてカバーさせようとしている。W-CDMAのビジネスを深く追求してきた彼らが選んだのは本当に無線LANなのだろうか。

5MHzの帯域幅を使い、高度な制御をして通話回線としてのトラフィック改善にのみ費やそうとしている様に加えてデータ帯域については無線LANを担ぎ出して分担してブロードバンドイメージと局所的な高速化のみを達成することで目を外らせようとしているのだろうか。帯域を有効活用して通話とデータ通信とに特化させる他の通信キャリアでの戦略の広域通信に向けた戦略とを比較すると地に足がついていない感が否めない。W-CDMAの行く手には更にGSMとのトリプルモードモデルでも作るしかなくなってきているような気持ちにさえなってくる。

無線LANとセルラーとの共用というビジネスモデルは、やはりよく判らないデータモデムあるいはLANアダプターがセルラーモデムを兼用するというのならば判るのだが、それはPCMCIAであっても端末の形にはならないはずだ。似たような周波数と技術のBluetoothとの共存などは携帯としては有りうるのだが・・・。無体な要求ばかりをメーカーに突きつけていく通信キャリアに将来が在るとは考えにくいし、メーカーの技術者のモチベーションが維持できるようにも思えない。

端末機器メーカーにとって拡販に繋がらない、通信方式の機器開発などに費やされてしまった開発投資などは持ち出しで作らされた道路開発のようなものになっているようだ。自動車が走らない道路は採算が取れるはずもない。電話とメールと写真と位置特定あとは、暇つぶしというのが携帯の位置づけであって、買い換え戦略の範疇でユーザーが支払える対価が増える余地は見当たらない。多数が収用出来るようになるというのは通信キャリアの言い分であってユーザーのスタンスではない。従来の方式からかけ離れたコストや性能劣化などが起こるので在れば存在意義が見当たらないのである。

どこかの政治家の利権騒動と同様な現実がそこにはあるようだ。ユーザー負担に転ずる不利益は、ユーザー自身が選択の余地があるという点がせめてもの自由社会の救いでもある。ユーザーに選択の余地がある割りには、メーカーに選択の余地がないと考えるのはいかがなものだろうか。メーカーと通信キャリアの癒着は過去のしがらみから見ても道路公団などと同じような図式なのだろう。高速道路の仕組みが良くならないのと同じ縮図がそこにはあるらしい。ユーザーが転じた場合のストーリーは、どんな意外な結末が待っているのだろうか。

八方美人的に取り組んできた通信機器メーカーが通信キャリアの絞り込みを果たそうとするときが近づいてきたらしい。通信キャリアからの通信機器メーカーの絞り込みも始まっている。双方の言い分は開発費用の削減と効率化である。通信キャリアが提示する仕様と、それに従って開発納入するというビジネスモデルの終焉でもあるのかも知れない。そうした動きが見られてきた通信キャリアにこそ未来はあるのかも知れない。

ゲートウェイビジネスの曲がり角は、アプリケーションの増加と共にやってきた。安易な解決策で解決できないほどの段階は明日を描けなくなり、未来へのメッセージには、ますます到達しなくなっているようだ。IP通話やチャットが開く未来は、携帯で果たすべきなのか街角ホットスポットが解決するのか。通信キャリアの子会社すらも親会社を見限り始めた昨今、これからの昨日までのしがらみや、予定された明日の見直しなどあまり計画にこだわる時代には成っていないというのがよく分かってきた現実でもある。

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