業界独り言 VOL197 日本語会話の難しさ 米国にて

外資企業にて仕事をしていると、本国との会話ももちろん重要かつ難しいのだが、お客さまとの間の日本語の会話の難しさが、よりフォーカスされるのはいうまでもない。製造メーカーという範疇で似通ってはいるものの、各お客様ごとの文化の相違もあれば、そのメーカーの中での各個人という状況を想い計ることの重要性はいうまでもない。距離と時差と言葉を越えてのサポートという仕事には互いの担当者の背景を知りつつ思いやるといったことに重要視しなければならない。日本という文化の中で、日本のお客さまを対象に暮らしているという条件下での相互の文化の緩衝材になるというのが精神的にタフな仕事であるともいえる。

繊細かつ大胆、用意周到にという一見矛盾した取り組みが時差や距離を埋めていくのである。時差の無い暮らしで仕事をしている人たちにとっては時差の無いリアルタイムな世界での暮らしが身についてしまい、割り込みドリブンな仕事のスタイルが染み付いていて気が付くと、慢性化した残業状態の中で甘んじているようにも見える。落ち着いて仕事をしていくというスタイルは、最近の国際競争の中ではなし得ないテーマなのだろうか。しかし、私達にしてみるとメールや電話あるいは訪問先での会話でも発せられた会話の背景を想い計るといったことが必須なので、一歩引いて落ち着いた対応が必要なのである。

お客様の耳に残っているあるいは、手にあるこちらからの招待などの申し入れなどは期限ぎりぎりまで放置されることもある。といって放置しているわけではなくて内部の進捗などの調整をとっているからだという説もある。こうしたことをお客様との会話で伺いしることが必要なのだが・・・。ある日、突然週末にお客様から参加通知の申し入れが入り慌ててホテルの調整などをとりあたふたしていると実際の訪問先への連絡が手薄だったりもするのだ。お客様と本国チームとの繋ぎ合わせをしていく上ではこうしたインビテーションのやり取りなども案件管理をしておかないととんでもないことが起こりえるのである。

幸いにして勤労感謝とクリスマスの端境とはいえホテルや飛行機の手配などは無事進みはしたのだが、肝心の米国部隊との招待者は別件が入り、引継ぎも不十分なままに別の対応に飛んでいってしまったのだが・・・。期待は予想通りで、To:に入っていないメールを他のメンバーがケアしていることはなかった。気流の関係で早朝に到着してオフィスに向かい遭遇した事実には、突然に映るお客様の訪問と、その事態状況の改善回避には、皆が協力してくれるのはお客様が私達に期待して支援を求めてこられるからに相違ないのである。事前のやりとりでもっと改善できるのは言うまでもないことなのだが。一枚岩になりきるという難しさには私達自身が米国メンバーの気質を理解してかかる必要がある。

お客様自体の中であるコミュニケーション問題が表面化してくることもあり、異なった部署のお客様との電子メールのやり取りにおいては、自分自身が果たせていないのと同様な事態が起こることもままあるようなのでお客様の中でのハイパーリンクな関係を明確に認識したうえでそれぞれのお客様に応じた説明と関連のお客様への何気ないフォローも必要とするのである。無論こうしたことを個別のお客様すべてに果たすわけでは決してない。出来ればそうありたいのだが、限られたリソースで最重要課題となっている案件から順にそうした細かい対応をしていくことは必要なことなのである。

こうした配慮の中で、お客様からの問い合わせなどから内部のコミュニケーション問題が解決をみたりすることが発覚することもあるのでお客様が私達に一枚岩であることを期待するのと同様に、本国にしてみればお客様が一枚岩に見えるように対応していくのが現場サポートの私達の仕事であるともいえる。異なった文化/知識に基づくお客様あるいは仲間達との共通項としての仕事を通じてコンサルティングがうまくいったときの楽しさは格別である。次のリリースを控えている中でのお客様の問い合わせなどには、開発者やテストチームのリソースアサインが難しいので正式なパッチ提供などは出来ない時期が存在する。そんな中でも気になりコードを読み対応策としての可能性が見つかると確認用と前置きをしてコードを出したりするのだが、これがうまく動作した場合もまた格別に嬉しいものである。

オープンソースではないもののお客様との共有環境での一員としていわばプレイングマネージャーとしての側面などがあるのも事実である。単なる管理ならば、我々のビジネスには要らないものである。ソースを紐解き現場での現象と標準とのすり合わせなどから表面化している問題を、インフラ/端末の両面から解決対応していくという仕事は、実は世の中から認知されていない仕事なのかも知れない。一方的に押し付けてきた国内の無線開発の歴史などからもスタンダードと言われるものがバベルの塔の如き状況に陥っている事態をマスメディアが取り上げないのは何か理由があってのことなのだろうか。

3Gには飽き飽きしたのかどうかは不明だが、あえて4Gに邁進していくという姿もある。どのように決着をつけるのかがあいまいなままの3Gからソフト無線機と言われる4Gの議論に終始している姿には、現在のハード重点で開発してきた反省が込められての事であるならば喜ばしいことなのだが。スタンダードが不明確だと認識して構築していくための方法論を提案している姿もあれば、使われ方から想定される達成すべき性能から方法論を限定していくという姿もある。後者が中心となって現在のFOMAを形作り、破綻の元凶になったともいえるのではないだろうか。スペックを脚切りする形で走ることにしたFOMAがスタンダードに立ち戻るときに遭遇している問題は想定されていたことなのだが。

3Gの渦中で暮らしている中で不穏当な発言とも思われるかもしれないのだが、オープンソースとは異なったオープンスペックで立ち行かない元凶について省みることが第一義ではないのだろうか。納期をきることで始まる仕事もあるのだろうけれども実はあまり開発リードしている方々が乗り気ではないのではとさえ映る。こんな背景にはGSMで何が悪いのさという気持ちがどこかにあるのではないだろうか。GSMとのWCDMAの共用モデルを、かのドコモさえもが口に出す今日この頃なのだが、途中で勃発したライセンス費用で煮え湯を飲まされたことを思い返す人たちもいるのではないだろうか。

サブマリン特許ではないかも知れないが、通信機業界のなかで公明正大に最初から吹っかけているという会社のほうがビジネス戦略が建て易くてよいのでないかとさえ最近は歴史を思い返している。アンバランスな開発形態に行き過ぎた業界として、今は淘汰が始まっているのも事実である。先の無い技術として注目もしていなかった技術が逆に日の目をみて、期待に満ちた技術があえない末路をとったりもしている。自分の開発している技術が今は日の目を見ていないからといって悲観せずに基礎からの着実な眼を持ちつつの開発をしていくという健全な研究開発という姿を思い出させてくれる最近のノーベル賞の受賞などの明るい話題に照らされていると思いを強めている技術者のすくなからんことを期待している。

地に付かない言葉を巧みに操って暮らせるような場所は無くなり、地道な人たちの成果を着実に成功させていくエンジェル達こそが望まれている時代でもある。華やかな新しいビルが次々とオープンしていく様をみているとますます危険な状況に近づいている感じている人が何人いるのだろうか。進んでいる工事を止めることもではないままにユーザー不明の第二東名の如き状況だったのだが。お役所仕事と異なり食べていくためには支払うことが出来ない現実は容赦なく襲ってきて、今の段階で携わっている人たちの数の膨大さを縮小することも出来ずにビジネスモデルの変革を迫られているかのようだ。

自分達でフルスクラッチで仕上げていかねばという感性のメーカーの方も、その開発費用のコストパフォーマンスについてようやくメスを入れられる時代に突入することで変化しようとしているらしい。いつかはけんもほろろに冷やかしの如きだったお客様から突然呼び出しが掛かったりもしている。また、開発費用の捻出が出来ずに手をこまねいているというお客様もいるのだが聞いてみると何故こまねいているくらいなら自社内メンバーのみで試行試作評価程度を行わないのだろうかと問うて見るのだが・・・日本語が通じないらしく意味不明な回答しか返ってこない。何もしなくてもその人たちのコストが掛かっているはずなのだから、その範囲で出来ることなど幾らでもあると思うのだが、心に残っている昔のビジネスモデルが一番の障害のようだ。

同じ技術提供をしていても我の強いお客様では中々生かしていただけず却って自身で混乱に陥って問題を引き起こしているお客様もいるようだ。ソースコードの精査をさせていただき見つかった問題は実はお客様内部のコミュニケーションの問題であったようだ。社内の風通しの悪さのままに進んでいると思しき状況で出来上がる端末の性能や機能にはやはり問題が多く残っていて開発効率もままならないというように感じる。ビジネスモデルや開発プロセスをきっちりとシンプルかつスムーズなものにしていくことが実は最も成功のゴールに容易く近づく結局のところ近道であるようだ。遠回りのように感じるこうした活動を評価しない人たちは多いのだがそうした人の持つ心の障害あるいは偏見がもっとも開発を阻害している要因なのだが、このあたりの日本語が最も通じない単語らしく私自身自分の言葉に自信がもてなくなる昨今でもある。

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