業界独り言 VOL206 夢のシステム作りへ

IPリーチャブルな時代を迎え、「安価なコストでビジネスチャンス拡大がいかようにでも可能」という時代に突入したと見るのは早計なのだろうか。既にアマチュア無線などでは法改正も終えていわゆるインターネットパッチを実現しているようだし、核となる技術はオープンソースの隆盛が、PCハードに限らず組込みLINUXなどまでも実現する状況となり電力問題なども解決を見ていると映るのだがいかがなものか。十数年昔に登場した当時のZ80互換チップセットが産み出した夢のボードが未来の姿を予見させてくれたように、今では自由なソフトとハードでシステム構築が意のままに出来るという時代となっていると思うのだ。人智の及ばぬ状態が大好きなのか、幾種類ものバベルの塔を作りつづけるように見える姿がシステム業界の一部にはまだ見られるようだ、しかし、彼らの言い分はこうだ「いつ無くなるとも知れない部品を使ってシステム開発などは出来ないんだよ」。

自分達の開発した基板を大事に抱え込み、積み上げたソフトウェアを保守していくためのリソースをあてがいそれでもハードを構成する部品の廃止などによる代替品種を捜し求め維持していくというのが長期保守という概念を持つシステムの開発スタイルだ。開発コストと部品コストそして供給責任の面から考えると致し方ないのだろうか。日本人という最も高いコスト部材を使って設計や旧品種の生産維持を続けていくことがコスト高を呼んでいるのではないだろうか。さて、そんな状況とはまったく別の理由から日本国からの要請でオープンソースなシステムにせよという方針などが打ち出されてしまった場合には二の句も無く変えなければならないのだろうか。無論システム商品すべてがオープンソースなOSで構築出来るわけではないだろうが組込み専用のOSとの組み合わせでもって開発が為されるのだろう。

消費電力を抑えるファンレスでシステム構築するために工夫配慮してきた世界に突然ファンやクーラーが必須といった状況に飛び込むわけにも行かないのだろう。家電品への組込みを志向してきたx86互換CPUなどを見ているとそうした状況の掛け橋になってくれそうな気もしてくる。ようやく手元にある台湾製のそうした小型マザーボードなどを見ていると、そんな時代がやってきたなと思わせる。同じ品物を維持していくという考え方には相反するものがあるのかも知れないが、同じ機能をソフトウェアあるいは同一のインタフェースを通じて提供していこうというのがこうしたシステム作りでのポイントだろう。組込みLinuxなる世界も登場し始めてきていて、SDRAMなどの利用をベースにしてコストダウンと高性能の両輪を回そうとしている部分もあるだろう。携帯などでもSDRAMの利用が始まってきた、コストと性能の両面から出てきた話しでもある。Flashの置き換えとしての位置付けともいえる。

組込みRTOSとして、永い歴史と体系を持つ物にはVxWorksやOS9などがある。前者はシスコ社が採用していることから通信キャリアなどからの調達仕様に明記されたりすることも多いようだ。また最近シスコが採用したQNXなども、マルチプロセッササポートの観点などから評価されてきたことでもあるようだ。多重系システムの構築などを考えていく上では、こうしたRTOSの機能だけでは不十分だと考えてきた人たちにとっても朗報といえるのかも知れない。色々な人の経験や開発成果を活かしていくというスタイルはオープンソースの精神でもあろう。引き継がれていくハードウェアの実装をそのままに肯定して、維持のために互換部品や相当品種に替えて行くという仕事のスタイルは時代とミスマッチしているのではないだろうか。無論IBM-PCというオープンソースの下地があったからこそ、ここまでの時代に到達したともいえるのだ。

製造業界の再編の動きの中で、事業部制を敷いてきたメーカーが裾野広がりから重複してきた分野製品を集約して、民生品とシステム品といった形で再度シャッフルし直すような動きもある。やはりカードを切りなおしてみても経営母体が分かれたことが要因なのか、似て非なる同じようなものというのが出てくるのは致し方ないことなのだろうか。オープンソースで開発されてお客様自身が商品の仕様を改変するということは無いにしてもカスタマイズを可能にする長期的な視点にたった商品と部品保有期限までの寿命として捉えている家電製品とは相容れないのだろう。オープンソースを活かしてソースコードの流用は果たしても製品のハード流用までを果たしていくには100万人のSEが必要な時代でないと実現しえないのだろうか。かつてSEを学んだコンピュータ業界のメーカーはハード志向からすっかりソフト志向に移り富士山の裾野にあった工場もソフトの部隊となったようだが、まだまだ家電業界はそこまでのシフトにはなっていないように見える。

社内での転籍などを許容する仕組みが各社に現れていて、不足する人材と余剰感のある部署との間で流通することが始まっているようだ。知人の中にも、組織の当て嵌まらないというよりも個人としての意識志向が、より適合する組織に移動していくという形で移っている人がいる。トップ方針で適切な組織同士を合併させてような会社もあれば、個人レベルで移動するような会社もある。双方を許容していくために会社の一括アドレスに切り替えていくことが全体としての電機業界のようだ。一度割り付けた事業としてのアドレス空間に縛られること無くすることが、個人やその組織の自由な志向を、そうしたアドレスが阻んでいたのだとすれば良い方策といえるだろう。アドレスを外してみても、個人やその組織の意識に自分達を縛る枠があるのだとすれば、どこかの行政改革と同じ温床なのかもしれない。省庁の名前を付け替えてみたりダブった組織をまとめてみても直らない事例は幾らでもある。

新しい技術や仕組みや情勢の変化と自分達の考えるビジネスとの関連に意識を払わずに、暮らしているのだとすれば先人達が、その時代に気づいてきた組織に縛られていることになり現在への適合を払うことなく組織や仕事の維持だけを図るようになってしまうのだろう。クロスバ交換機の保守要員で構成されてきた会社の仕組みに縛られて、電子交換機へのシフトにより効率化がはかられていく時代になってもそうした人員の計画などがないままに膨れ上がった仕組みなども事例のひとつだろう。自分達が世の中に貢献していける価値は何なのだろうと意識を持ち自己否定も辞さないことが必要なのだろう。無保証のインターネットの世界に、無保証の文化としての自立型オープンソースの世界を持ち込みつつある家電業界の動きとは、逆にシステム物をカスタマイズしていく世界を保証の世界の中に求めて保証という名前でWindowsを利用して破綻しているような様に映るのは何か可笑しい。

夢のあるシステム構築をしていく上で、ベンチャーとして自立した形で事業を考え、開発を進めていくという姿が本来あるべき会社の中の意識であり、そうしたことを支えていく組織なのだろうと思う。多様化するニーズに応えようとセル生産に移った家電業界なのだが、なぜだかシステム開発はセル生産に移れず企画した規格に合わせ込もうとして破綻しているように見えるのは可笑しなものである。会社が合併して新しい組織の一員となった、ある知人から相談を受けたのもそうした背景が見え隠れしていた。名前が変わろうとも同じような顔ぶれで名前だけが付け直されただけで過去の柵も残したままに仕事を続けざるを得ない状況から打破できないだろうことを想定した、少し弱気な発言だった。

賢い彼ゆえに悩む板ばさみ状況のようなのだが、自己を捨て、過去を捨てて新たな事業としてスタートするチャンスだと捉えれば、どのような背景でトップが求めているのかを膨らまして考えることこそが現場の役目なのである。彼が仰せつかったある意味で夢のシステムは、既に家電品の一商品として世に出てはいるもののコンシューマー商品としてみても期限に負けて出してしまった商品だと彼自身が言っていたのを思い出す。技術やインフラや世の中のニーズが高まってきたと思えるのに、電機業界の側が萎縮してしまい市場の要望に応えられないで居るように見えるのは私だけだろうか。お金の生きた使い方をしてもらい、プラットホームとしての筋の通った物作りを進めてもらえれば、よい商品やシステムがどんどん出てきそうなものなのだが・・・。家電品のそれぞれが完結した物作りを追求している限りいつまでも混乱が続くような気がしてならないのだが、かといって現状をまったく捨てて始められるメーカーも機会も無いようだ。

そうした流れの中でシステム化を目的としたプラットホーム構築を目指す知人の取り組みは大きな意義のあることの始まりだと思う。技術者として加速度を感じていくのが楽しみだと思うのだが、そうしたことを経験しているもののトップ方針と現場の意識の乖離に悩まされている技術者達も多そうである。最先端の開発の渦中に居ながらも正の加速度を感じることも無いままに悩みを深めている仲間達が居ることも知っている。知人が危惧することも判りはするものの、うまくそうした需給の結界のバランスが崩れる機会をつくりだせるように彼が活躍すればきっと良い結果が出てくるだろうと思う。今までの感性で考えてしまい、うまくいかないことの過程を想像してしまい自らの速度を落としたり判断を誤らせることのないようにエールを贈っているつもりなのだが、果たして彼とめぐり合うよき仲間が、きっと彼の新しい会社には居ると信じている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。