業界独り言 VOL215 Linux携帯の行方

電源ボタンを長く押すと、内部ではshutdownコマンドが発行されます・・・・なわけは無いか。cursesライブラリで画面更新・・・っていうのもなんだかな。マルチメディア処理も含めてアプリケーションプロセッサに潤沢なリソースアサインをして端末のバッテリー持ちは、PDA並で・・・という訳にはいかないしな、やはり頑張らんといかん訳でクロックを下げても動作するような結局はアプリケーションコードの質を上げるしかあるまい。鈍重なコードを書いてしまってリソースを使っているようでは消費電流もおぼつかないのでね。というような会話が始まりそうな時代になってきた。まさか、個人の携帯電話にUnixのような環境が似合うのだろうか・・・という愚問はなしだ。既にシャープのザウルスにはlinuxが搭載されている。状況からだけでいえば、各社が携帯電話の為に開発してきた独自のMiniWindowsのような環境の保守ならびにそこへのアプリケーションの流通性や利便性を考えての対応だろうと思うのである。

知人の知り合いに、Linux環境の構築などに明るいソフトウェア技術者のM嬢がいらっしゃる。メーカーでの研究所の開発研究作業を支援するという職歴を経るなかで独特の技術文化形成を行ってきたようである。Naviの開発などではWindowsが搭載されたりするなかで研究所という機能に求められるものは、新技術の実用化プロトタイプまでの開発というのが最近の流行なのだろうか。彼女もそうした流れの中で、研究所に課せられた課題を主体的に走り回るというソフトウェア開発仕事に没頭しているらしい。予め断っておきたいのだが、彼女は知人の知り合いであって直接の知り合いではないのだ。だから、私がここで書き連ねていることの多くは私の想像の域を出ないのだが、出典となるようなネタは知人経由での情報であったり業界の動きからの類推であったりする。

ソフトウェア開発技術者として、メーカーに出向して仕事をするのは日本では、ごく一般的なことである。一通りの仕事が任されるのかどうかということについては派遣先の文化に依存するようだ。Quad社には基本的にサブコントラクターは居ないので、仲間達と一緒に日本に訪問してお客様の支援をするときに皆が吃驚することのひとつでもある。お客様の仕事の仕方として通信バブルが弾けてからというものの、ソフトウェア開発業界自体は買い手市場に変わってしまったようであり、元気なお客様のもとに集うように変わってきている。業界が減速あるいは失速しているなかで開発費用のデフレーションも始まっているようなのである。アプリケーション開発をしている上での指揮者自体は依頼元の開発技術者であるべきなのだが人材不在なのか、育成教育の不在なのかとんでもない担当者しか居ないケースもあるようだ。

携帯電話のソフトウェア開発の破綻が叫ばれてから久しいが、そうした熱海の旅館の増築から、新築設計のホテルに移行するような動きが出てくるためには何かきっかけが必要なのだろうか。LinuxとTronの二つが日本の組込み業界では持て囃されているようにマスコミは誘導しているようだ。実態としての仕事としては、どちらのOSであろうとも各担当者にしてみればアプリケーション開発でのAPIが異なるだけで、まったく概念の違うというものではない。ただしシステム動作として性能チューニングやデバッグでの勘所といった段になると様相は変わって来るかもしれない。TronであろとうもGCCのライブラリを自前で揃えて自立している人もいるだろうし、そうした細かい挙動についてまでは関わらずツールメーカーにオンブに抱っこしている会社もあるようだ。勘所を大切にしているような風土が会社にあればOS論議などどうでも良いことのはずだ。

実態として出回る端末の開発コストを抑えるためには、出来るだけ介在せずに開発が進むように外注先であるソフトハウスが経験のあるOSやCPUを使うということが横行したりしている。手馴れたCPUを使うことで確かに開発効率はあがるだろうし、バグも減るのだろうという思いがそうさせるのだが・・・。残念ながら、ソフトウェアの開発主体となる人材は次々と移り変わっていくのが実情なのでTronにしたからといって継続的な開発が出来る訳ではない。そうした人材育成や技術蓄積をしていくような仕組みが有用なはずである。こうした視点にたっての改善活動であるCMM活動にまで到達していれば、良いのだがレベル3を超えていくようになっていくまでに至るには日本人という国民性が障壁になっているかも知れない。ともあれ積み上げてきたというべきか、膨れ上がってしまったというべきかソフトウェア構造を一蹴にして再構築するという理由にはLinux適用などはよいテーマかも知れない。

Linuxで開発するということで、改善されることは一体何なのだろうか、フリーな技術ネットワークを用いた開発で何か得られると考えているのだろうか。あるいは、開発成果を共有して世の中に役立てたいという高邁な思想なのだろうか。確かに最近では、共同歩調路線をとりつつ、また通信キャリアからの開発支援金までを貰いうけて膨大な開発費の半額を受け取るといったことまでが行なわれている時代なので開発費用の圧縮という目的でもLinuxで開発するということに意味があるのかも知れない。FOMAの開発費用は一機種80億円であるということは最近のドコモの報道などからも明らかだ。ドコモがキャリアとして用意した400億円という費用が10機種分の開発費用の半額だということからの逆算なのだが・・・果たして事実と符合するのだろうか。UMTSの開発をしているメーカーでは一機種30億円という説もあり、各社の経費費用バランスなどが現れているのかも知れない。

そんな流れの中でLinuxで開発されているらしいという話を聞いたりすると、まともな感性で開発している部隊や機種もあるのだろうと勝手に納得したりもするのだが、果たしてLinuxベースの開発チームの目標開発コストはいかほどなのだろうか。そしてソフトウェアの開発も仮想メモリで動作してカーネル動作まで踏み込んでOSとアプリケーションやモデム処理などが綺麗に分離されてスマートに動作するという時代を見せてくれるのだろうか。端末動作に対してFOMAなどの電池寿命やらサイズやら解決すべきテーマはソフトもハードも山ほどあるだろうから新しい流れとしてのFOMAでこそLinuxベースで今までの構造を刷新する必要が認められることだろう。国策としてQuad社やマイクロソフト社に対抗していく措置として開発投資を注入するといっていた額とは桁外れであり現実的な額として通信キャリアが投じた一石の成果を見ていきたい。

世にも類を見ないトライモードすら視野に入れたドコモの端末戦略には脱帽するしかない。実は難しいのはCDMAよりもTDMAではないのかとすら思っているのが一面あったりもするのだ。それには幾つかの理由があるのだが、それでもCDMAやWCDMA端末開発においてすらソフト開発に問題を起してしまっているメーカーもあるようだ。急激に立ち上がってきたアプリケーション規模と当初の構造とのミスマッチに目を向けずにアプリケーションの流用ということだけに着目してきた結果といえるかもしれない。処理能力を最大限如何なく発揮するために投入してきた技術開発の結果UMTSベースで非同期PPPの実装に成功をしたメーカーもあるくらいだ。アプリ設計のさじ加減をシステム的な視点で把握したシステムエンジニアが、そのメーカーにいるかいないかで結果として魅力的な端末が出来るのかどうかということになるのだろう。

Appsという仕事をしていくと結局のところは、お客様が開発しているシステムの急所を押さえて問題解決をしていくという仕事なのである。大規模なお客様の端末ソフトウェアが振る舞いから見せる情報や動作から内面の問題を抉り出し問題解決にしていくという仕事にはソースコードのサーフィングを行なうようなノリで仕事に当たれる明るさが必要であり、モチベーションが高くなくては様様なレベルのお客様のコードなどと付き合っていくのには経験も忍耐も必要である。そう考えていくと中々Apps技術者という仕事をメーカー内部で働いている人たちの分業体制や管理手法などからみても国内メーカーから探しえないのは致し方ないことなのかもしれない。システムエンジニアの感性を持ちつつソースコードをいつでもサーフィン出来るような人材を育成していけるように各メーカーが成っていくのであれば開発費用の額が三桁億円になったりせずに済むのだろうと勝手に思い込んでいる。

竹槍で戦争する時代は終わっているはずなのだが。未だに精神論が横行する嫌いのある日本には、もう投資対象としてみるべきものはないという見方をするシティバンクなどの動向などが主流になっていくのかもしれない。開発効率を追及していくという姿をせずに性急な開発成果のみを望み効率の悪い開発投資をいがみ合いながら進めていくような時代にはなってほしくないものだ。折角通信キャリアが、景気浮揚策も兼ねて投資するという費用の使い方が今までの延長線であるのならば確信犯のメーカーが自前の効率の悪さを棚に上げて通信キャリアの要望納期にあわせると言う意味の無い進め方に陥ってしまってはいけないはずなのだが。そろそろCMM活動がもっと表立って活動して自分達のペースと開発計画との整合性に言及すべき状況に入っているのではないかと考えるのだがいかがなものだろうか。日本人はクレイジーだと言いながらも懸命に支援している仲間達と疲弊した顔で感性までも擦り切れた感じの日本の技術者達のあいだには更に溝が深まっているようにもみえる。

達成感のある仕事を着実にしていくということが、技術者が伸びていく条件なのだと思うのであるが、いまのメーカーの中には感性が伸びきってしまい使えないゴムになってしまったように見える組織もあるようだ。ようやく探し当てた新しい仲間は現在の仕事を畳むのに懸命になっているのだが、果たしてそうしたことが新しい会社の仲間からみて奇異に見えるのは彼自身が気が付いていないことでもあるのだろう。飛ぶ鳥後を濁さずというような感性をもちながら辞めていくというのはよき時代の古き技術者なのかもしれない。WCDMAの開発に疑問を投げかけて転出した現在の私の技術者人生ではあるものの、実際にはUMTSの開発支援を通じて疑問を投げかけた開発の仕方を改善する策を実践して効率化を果たしたお客さまの実例を通じて世の中に貢献していくべきなのだろうと今は思っているのである。

言語やOSに注目する若手技術者たちの意識を殺がずに彼らの育成を図りつつビジネスの成果を上げていくというそんな舵取りをしていくのがメーカーの管理者の考え率先していく方向なのだとおもう。そんな流れの中でLinuxベースの開発推進をしている技術者達が意識をそがれてモチベーション低下や精神破壊状態に追い込まれているようなメーカーもあるときく。そうした次代の担い手をつぶしてしまったのでは何のために新たな投資を新たな方向の中に投入していくのか意味がなくなってしまうのである。そうした悲鳴を聞いたならただちに駆けつけていくのもCMMな活動の一環であるだろう。水戸のご老公ではないもののCMMの印篭が通用するような状況を経営トップは作る必要があるはずだ。新たな技術の模索を通じて少しずつ正しい方向に替えていくことが出来れば日本にまた投資の目を向けてくれるような時代に戻せるだろう。

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