業界独り言 VOL224 好奇心は推進力 発行2003/4/28

B型の技術者だけではないだろうが、ソフトウェア技術者の方には好奇心を持ち続けてほしいものである。最近の雑誌SoftwarePeopleの二号で特集に組まれていた「ソフトウェア開発で伸びる人、伸びない人」という項でも書かれている。カスタマーから降りてくる仕様に基づいての仕事しかしないという選択しかないという状況もあるのかもしれないが、上司も含めた経験のない仕事を受注するということには、そうしたビジネスモデルでは到達しえないはずである。ソフトウェア開発に従事する人たちが頭が固くてどうするのか・・・という思いは最近では通用しないのだろうか。柔軟にいろいろな答えがあるのはハードもソフトも同様であるはずで、その中でカスタマーニーズに照らしたシステム設計開発を通じて実装していくということになっている。

我が家は、現在自宅を新築建築中である。ようやく手に入れた土地に合わせて建てるためには、注文住宅で、作るしかなくシンプルを目指した設計を設計士の方と進めてきたのであるが、プランニング段階では、3DプランナーといったPCソフトで内部の配置などを構造を無視してつくりあげた。これは、いわゆるカスタマーの仕様ということになる。設計士の方が、これの仕様に基づきいろいろな工法や部材の選択などをして設計図を仕上げていく。設計図面には、こうした設計士の方の思想がびっしりと書き込まれていくのである。こうした設計図面に基づいて、工事を実施施工する建築業者との現場の打ち合わせなどを通じて具現化していき最終的に建築物となっていく。リソースである建築費用や、現場の諸条件といったものをクリアしつつということになる。

住居の設計というものにおいては、土地の状況といったものに根ざした工法上の制限といったものや設置する家具なども大きく影響する。細君が選択したシンプルなシンクは、ステンレスの一枚もので溶接されての仕上がりは長手方向で3m弱といったものであり、組み立て済みの形での搬入とするということらしかった。土地から制限された条項はなにかというといわゆる旗のような形の土地で入り口のアプローチ部分の幅や長さ、またその道路との接合部までの上り坂などといったものが影響する。横浜の谷戸に位置する地形からは隣接する段差の住宅などとの条件から1階部分についてはRC造りあるいは擁壁の設置などが要求された。コンクリートの打ちっ放しが出来るということから二もなくRC造りの1階に木造の二階が載るという混構造という工法になった。しっかりとしたコンクリートの1階は細君の要望から旗竿部分のアプローチから玄関が直には見えないようにした。

あたかも要塞のようなRC構造の1階部分が立ち上がってくるまでには、いつもは造成地での建売件名ばかりを行っていると見られた業者の不慣れなどからか結構時間がかかった。本来ならもう引越ししている時期なのだが・・・。1階が立ち上がり二階部分の木造工事が始まり大工などが立ち入るようになる。異なった業者が専門毎に担当して仕上げていくさまはソフトウェア開発と同じといえる。中に組み入れる機材や家具などの工事イメージを工程とすり合わせつつという姿が現場でおき始めてから問題が表面化した。二階の壁を作る前に、完成済みの大きなシンクを搬入しなければならないという。長手方向の長さと溶接組み立て済みという状況から住宅奥に位置する台所に設置するためには二階に引き上げてから吹き抜けを通じて1階に下ろす以外にないのだという。シンクの発注については取り付けるカランの選択などを進めていた矢先だった。この時シンクの前にカランをつけるという図面が実際には細君の要望とずれていたのに気が付いた。

互いに話のベースとしていた設計図面をそれぞれが異なった視点や思い込みで見ていたので気が付かなかったのである。細君はといえば、シンクメーカーのサンプル図面で紹介されていた事例がカスタム仕様の横付きのカランとなっていたので妙に気に入っていたのであり、通常のスタイルでの前設置のカランとして考えていた設計士の方の考えとは相反していたのである。シンプルな姿を追求するあまり昔の小学校で使ったような十字の2ハンドルタイプを要望していた細君は、実際の横設置での使い勝手には思いがいたっていなかったようだ。設計士の方はといえば、2ハンドルを要求されているのだから横設置であるはずはないと考えていたようだった。そうした接点となる設計図面であったのだが、考え直しを要求されたのは工事の進捗の観点からだった。

設計士の方の視点でいえば、隣地の端を通してもらい裏庭に下ろせば通るはずだということで、既に考慮済みであった。工程を束ねている建築取りまとめ役の方との役割分担が不明確だったというのが事の発端のようだ。設計士の方は顧客ニーズを着実に吸い上げるために苦慮されているということが、よくわかり自分の理解の範囲で着実に工事を進めるという段取りも技術も把握されているのだった。注文住宅の設計としての設計士の方の仕事は、工事監理業務も含まれてということになるのはこうした背景に基づくのだろう。既成のプレハブやモデル住宅を設置するだけといった形の仕事とは異なり現場に脚を運び、実際の工事の方たちとコンタクトをしてという仕事の進め方をしていくさまはデザイナーであると共にSEでもあるといえる。こうしたプロジェクトを成功に導くのは、きめ細かな心配りなのだろうし、その源泉は仕事への飽くなき好奇心といえるのかも知れない。

自宅建設という限られた予算範囲での仕事を発注するという一大プロジェクトは、個人で幾度も出来ることではない。開発発注元への報告の仕方や問題点のフィードバックなどがスムーズに行われないということは、禍根を残すものである。ユーザー担当を行う営業マンがユーザーに対して現場で起こっている不具合を包み隠そうとするのは何れの業界でも同様なのだろう。最終的にツケを払わせられるのはユーザーなのに、表面上の問題のみを隠して納品すれば良しという仕事の仕方では、その不動産業者に対しての信頼は崩れてしまうのだ。個人であれば二度と発注することもないのだから問題は泣き寝入りになってしまうものだったのかもしれない。今は、個人情報発信の恐ろしい時代であり、ある意味で世の中は二チャンネル化してしまったのかもしれない。それでも情報に疎い人を相手に商売が続くのかもしれない。正直なクイックな対応が続く業者であれば、同じ問題でも違った対応や結果になることが理解されていないのも何処の業界でも同じことのようだ。

自宅の建設ということには売却という話も付いて回るのは、潤沢な資産家ではないので致し方ないことである。自宅が売れる前提で話を進めていくという上には勝算のある価格付けということが必要となる。こんな世の中なので、買った価格の半値といった事態も珍しくはない。当然まだ残存ローンの額よりも高く売れない人には取り組めないことにもなる。資産売却した上で借金が残ってしまうのでは売却の意味がないのである。我が家の事例はといえば、もともと新築ではない中古住宅を買い求めていたことや、それでも悪徳業者と知らずに購入して高く買わされたとはいえ、半額程度で売却したとしても残存ローンとの差額は十二分にある。ただし、銀行の土地評価額などから言えば、自己資金がある程度なければ、その価格では買えないという事情もあるようだ。転職で発生した退職金で払い込んだこともあわせて評価すれば先の見えない暮らしとも言えるのだが・・・。

オープンハウスという形で中身をライブで公開して売るということが不動産では可能となる。こんなことがソフトウェアの世界でも可能なら面白いことが出来るかも知れないのだが・・・。違法なステ看を立てての案内表示など、日本には違法をベースとして組み立てられている業種は、実は多いのかもしれない。オープンハウスの日時に飛び込みで見に来られる方は実は殆どいない。というのも、最近の相場では新築マンションなどでも破格のものが目立っているからなのかもしれない。不動産ネットワークや住宅情報などの雑誌に掲載されて内見にくるということがどちらかというとオープンハウスよりも成功率が高いというのが中古住宅の特性なのかも知れない。内見に来て、良い印象をもたれるような状況であった場合には、買主を探してきた不動産業者がローン組みなどを検討した結果を待つことになる。今までに中々決まらなかった背景には、気に入られるものの売却がうまくいかないといった方が殆どのようだ。

まあ、ユニークな家族の方にでも安く売ることが出来れば幸いである。住宅情報などの雑誌に載せるのには、いろいろな改修履歴なども含めて掲載することが必要らしい。といってもFTTH接続済みといった項目は意味がないようだ。まあ、意味のあることといえば、宅内LAN配線済みのほうが意味あるようだ。ADSLの利用のほうが一般的だろうし、購入する方がFTTHを契約しない場合には、NTTは無償で回線撤収に来るそうだから不思議なものだ。放置しておけば良さそうな物なのに・・・。まあ戸建で生活していくという上には、個人で修繕計画を立ててことに他ならないので、そうした経過を記載することは必要なことなのだろう。ダウンタウンの狭い土地での暮らし方という話を望む人が現れるのを期待することにしている。駐車場を期待するような人たちには適合しないことは確かである。家族が自転車ライフをするのならばOKである。

人生を暮らしていく時間を、有効活用していくために目標を持つことは良いことだろうし。無論、精神的な意識として持てば何処でも住めば都ともいえる。健康な状態であれば、暮らしやすいと思っていた自宅の階段が椎間板を痛めた細君には辛くて這って歩くような事態に遭遇した。そんな事が契機となり、自分たちのこれからの暮らしを見据えた小さな家が欲しいというのは贅沢なことではないと思うのだ。まあ、最近の住宅事情でいえばサザエさんの時代の平屋の住宅を建てることはとんでもない贅沢なことなのかも知れないが・・・。階段がないという選択がないとしても緩やかな階段という選択はなんとか通すことが出来そうだった。破格の条件で見つけた近隣の土地物件にめぐり合い始まった、こうした個人プロジェクトも最終コーナーに近づきつつある。実は最終コーナーを抜けると、また長い長い人生のマラソンが始まるのであるが・・・。

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