業界独り言 VOL250 Mさんへの畏敬の念

私のこの会社での最初のサンディエゴへのフライトだった1999/9/11から四年が経過した。五年がワンセットといわれるのが、この会社でもある。チップとプロトコルセットの提供という状況で始まった、チップセットビジネスは大きく様変わりしてアプリ屋さんが花咲く時代に入ってきた。はみ出し三号と自嘲的に自らを呼ぶT君などは、お客様支援の中でこれからの時代の中で活躍をしていくエンジニアである。ケータイ開発という業界で仕事をしていると色々なエンジニアの集大成として製品開発が進んでいくのがよくわかる。企画や開発管理を中心としたいわゆるメーカーの技術者の方たちと、ある意味で支援技術者の我々はオーバーラップした仕事範囲となる。彼らがメーカーとして実装していく上での担当エンジニアの方たちへの開発委託を行い、発生した疑問や課題を会社としての我々にぶつけてくる。ソースコードやドキュメントを広げつつお客様の質問を正しく把握して回答や回答を出せる技術者へのナビゲートを行うということになる。

何らかの得意ジャンルがあり、こうした組み込みソフトウェアへの基礎素養がある人材であればキャッチアップしつつサポートという仕事は達成しうるのだ。こう確信していたのでT君の伸長は計画通りであった、また時期を同じくして採用した若手候補技術者のT2君については、ある意味でいまどき技術者の姿を垣間見たようで残念な結果となった。半年あまりの試用期間の中で外資という枠での言葉の壁が立ちはだかり彼はキャッチアップすることも出来ずに去っていくことになった。基礎素養があれば、若さは可能性だと考えてきた私達の世代は取り合えない姿があるように見える。若手技術者との間にある四半世紀あまりのギャップをこちらからの感性だけで推し量るのには無理があるらしい、ソフトウェアからのソースコードのトレーシング能力を買ったのが彼の採用だった。ソフトウェア派遣技術者として基地局システムの開発に実際に従事してきた中で培ったものなのかも知れない。納期までにともかくソフトウェアを動作させるという最近の風潮の中で彼はそうした力を蓄え、そうした仕事に辟易し転進したかったようだった。

もう一人の組み込みソフトやシステム開発を長年やってきた独立した女性エンジニアのMさんとの比較結果だけで選んでしまい、彼の一番突出していた部分のみを評価してしまい、彼が備えているべき事由については若さという期待値にのみ頼ってしまったのが我々の落ち度だったといえる。また我々が保有してきた長い経験という中から持っている部分についてはMさんに期待しなかった色眼鏡があったのかもしれない。Mさんをよく知るものとして、彼女の才長けた頭脳や感性により彼女が最初に手がけた当初の第一世代のAMPS電話機の開発経験などのすごさを最近のチップセットベースでの開発の仕方での経験などから推し量られようもなかった。また、彼女の経験としてのある意味で彼女の技術者経験のかなり昔の段階での内容に踏み込んでシステム動作などを問いかけてみたからといって10年以上も昔の仕事のシステム仕様などをすらすらと答えられると考えるのはお門違いだったといえる。彼女を推薦して面接を受けさせてみたものの、裏目に出てしまい採用とは関係ないでしゃばりの好きな人物などが余計なことをいい彼の判断などもあわせてT2君を採用し、彼女を採用できなかったあとにはT2君の上司となった同僚には試練の半年というオプションが付き彼自身の仕事をより悪化させてしまった。

視点を変えて、我々の会社を志向しようとした彼らの立場で少し考え直すと我々が見過ごした何かを見出すことが出来るのかも知れないと考えてみた。あくまでも私という色眼鏡でみた私のフィクションである。T2君は、専門学校でソフトウェアを学び、日の丸電気系列の仕事を派遣技術者として行ってきた若手ソフト技術者であった。いわゆる大学受験を選ばずに専門学校という私学の中でソフトウェアを学び、日の丸電気系列のソフトハウスに就職して実務を通じて開発を学んでいった。最新技術であるfoma基地局システムの開発という命題を通じて仕事をしているものの自らがシステム設計したものではなく、出来上がろうとしているシステムが動作しないでいる状況下でバグとりという視点で仕様書と動作とソースをミクロに捉えた仕事をしてきたようである。結果としてソースコードを追求する技術は高まりシステム検査という視点でいえばソフトウェア検査部門であればミートするはずだ。3GPP準拠の製品開発はしているものの、英語のドキュメントに手を触れるでもなく検査仕様書に落とされた中での当該システムの設計シーケンス通りに動いているのかということでしか視点がなかったようだ。ちゃんとした仕様書からの開発を一連で行ってみたいという思いに彼自身は駆られていたのではないだろうか。しかし、そうした纏まった仕事の経験を積むという仕事がなしえないほどに蟻地獄の状況だったと推察する開発現場に辟易もしていたのだろう。ここにいては自分の思う仕事にありつくことは出来ない。

主婦でもあるシステムハウスでアルバイト受注などをしていた女性エンジニアMさんの場合は、どうだったのか。Mさんは花の大学生活を暮らして大手電機メーカーに技術者として採用されて当初から自動車電話システムであったAMPSシステムの開発渦中に投入されて開発環境や先端技術者の洗礼を受けた。しかし、彼女からの時代から始まった「初めてのC」については知ってしまった花も恥らう乙女エンジニアは、軽やかにロジカルなコードを一気に書き上げてこうした組み込み開発現場に光を放ったのである。当時の彼女らが用いた開発環境とはUNIXであり、先達が使っていたアセンブラベースでミニコンなどで開発してきた状況から比べればパチンコで月ロケットと勝負するくらいの差異があった。そんなネアンデルタールからクロマニヨンへの変遷となったのが彼女らのいわゆる「テクノアマゾネス」の時代であった。彼女らを得るまでの時期に採用された女性技術者たちがある程度職場に先鞭をつけてきたことや、新入社員が多数集団研修を社内でまるで女子大のような雰囲気で行ったことなどから、新しいコミューンがクロマニヨンである彼女らからもたらされたといえる。まったく新たな課題に向けて取り組める力が彼女らのポテンシャルであり、論理立てて設計された彼女の成果は一年かけて開発していた試験システム用のスクリプト開発システムを一ヶ月たらずでC言語で開発してしまったことなどがある。このM女史の成果には、ネアンデルタールな男性エンジニアからはM効果などと呼び「時代が変わったよなぁ、いやんなっちゃうな」などと影でメガネを拭くような光景を引き起こしていた。

当時の組み込み状況を救済するだろうC言語のポテンシャルへの期待は、M効果と含めて特別プロジェクトとして先進の若手技術者を米国に派遣してベンチャー技術会社と取り組んでいた時期とがオーバーラップして高揚していた。今でこそ携帯電話端末のためのソフトウェア開発会社となっている会社があるのだが、当時はその端末開発のチームは二名ほどで社員技術者に混じって開発の一部を担っている状況だった。ネアンデルタールであった私は、彼女らの仕事の先達ではあったものの一年ほど前に転籍してシステム開発のエンジニアを志向していた。クロマニヨンの時代に生きるべく彼女らの導入教育クラスの傍らに席を借りて、旧石器時代からの脱却をはかるべくC言語をいかに適用するか、UNIXをいかに利用していくということに腐心していた。花の女子大生に紛れ込んだ場違いなオジサンということになる。ジョブセキュリティを脅かされてなるものぞという不安に駆られていたともいえた当時毎日がUNIXの道具つくりというような日々でUNIX端末室での同窓生活を一ヶ月あまり彼女らと過ごしたことがあった。M女史の成果に触発されて私は、8ビットマイコンのアセンブラ技術の成果を謳いあげる意味もあって繰り出したカウンターパンチが当時のCクロスコンパイラー開発だった。

我々も触発されるような部分があるような人材であり、前向きな人材であるということが私の彼女に対しての評価だったので支援技術者として我々の幅を広げる意味においても彼女のような人材を取るべしというのが私の思いではあったのだが、あいにくと持っている採用枠を私はT君で使ってしまい、もうひとつの枠を決めるのは同僚だったからだ。長年の経験豊富な優秀なソフトウェア技術者という看板自体が驚きであり、逆にいえば彼らが考える枠からは並外れていたといえるだろう。ほぼ同世代という雇う側の同僚にしてみれば扱いにくいという思いがあったかも知れない。私からのラブコールがあったとはいえ、小学生の子供をもつ彼女が、もう一度大学時代の英語に夏休みをかけて取り組み面接に乗り込んできたのは前向きな彼女らしさがあふれていた輝いている瞬間だったと思い返している。我々は、短期的な尺度のみで成果を求めようとするものの、スキルある人材求めますといった部分についてはエンジニア育成道場となっているような大手メーカーの研鑽を積んだ彼女らを評価も出来ないという中でもう少し大きな眼を持ちモチベーションを高くした生活を送れるような人材を得ていくべきだと反省している。

T2君の採用で懲りてしまった純若手技術者の採用という反省にたち、もう少し経験がありかつある程度の英語が出来るという条件としてTOEICスコアの提示などについての箍をはずせないでいるのが我々の実情なのだ。いま、少し状況が変わりつつあるなかで我々の求める人材の方向性が、お客様の求められている方向性とあっているのか・・・という自身の問い直しを始めている。我々が提供している部分の完成度を高めていくということは無論必要であるものの、モデムや呼処理といった部分は全体の10%以下というのがお客様のソフトウェア開発の現状である。無論我々のチップを使わない場合のお客様の比率は知るまでもないが、開発費用で漏れ聞くところのお客様の開発費用などとの比較であれぱ確かに自分達の仕事の意義を理解しえる。お客様の立場で必要となる部分が、よりアプリケーションになってきているのは間違いなくUMTSの開発向けにLinux別チップ路線など消し飛んだというメーカートップもいるほどである。厳しい競争の中で日本で生まれ育った携帯開発技術が変容して醗酵しているようにも見える。このアルコールに麻痺して淘汰されようとしているのが日本の実情だとすれば、これを打破していくことこそ日本の技術者が取り組んでいくべきテーマだと私は感じているのである。

いま、ある意味で矛盾する二兎の技術を追いかけているなかで、出くわした技術テーマが、なぜか日本こそが取り組むべきテーマだと思うのは私だけなのだろうか。今また地動説とも取られかねない暴言を吐きそうな私の素直な気持ちでいえば、携帯電話でたどり着く技術は坂村先生の取り組んできたテーマなのではないかと思うのである。経験豊富な先輩からのアドバイスには、今の技術トレンドの流れにのりつつ仕事を得て、その中で本流の技術の追求をしていくのが技術者としての姿でしょうという言葉もあった。カーネルと通信プロトコルとしてアプリケーションの実現といった異なった技術追求を同一チップの上で行っていくということの先進性は、まだ多くの方には理解されていないように見える。彼らの論拠は、開発費用のリダクションこそがテーマでありハードウェアのコストなど小さなものだというのだ。違った技術を実現する必要があるなかで本当に携帯電話を作るためのOSはどうあるべきなのかという議論追求をしているメーカーは、なぜか坂村先生に注目しているのである。高いライセンス費用を払っている割には、要求が甘いと言われ続けてきた日本メーカーの中から我々に強いメッセージを伝えてくるメーカーが出てくるのは、これからのようだ。

こんな楽しい仕事をしていくということを、伝えたいのに理解されないのはすでにさらに世代が代わっていてクロマニヨンの次の現代人に移り変わっているからなのだろうか。日本という社会が変容して醗酵というよりも腐敗が始まっているのは、日々起こる社会現象や事件などからも明らかなようだ。次代を支えるソフトウェア開発が破綻しようとしているのは、いままさに開発費用の観点からバベルの崩壊が始まろうとしている。このままでは日本人のソフトウェア技術者は携帯電話開発では食べていけなくなる。もう少し分かりやすくいうと価格破壊でソフトウェア開発会社の中間詐取ビジネスが破綻しようとしている。コストダウンの追及で開発した成果を流用できないような現在のビジネスモデルは来年には通用しないといえる。こんな爆弾発言をしても通信メーカーのトップ位にしか理解されないかもしれない。今日の仕事は明日も続くなんて時代の終焉である。自分達がやっている仕事の成果が実際の製品として社会にどれほど役立っているのかというフィードバックループを失ってきた結果が、これから始まる大破綻の理由であると信じる。次代を生き抜くということの大変さを今の仕事の流れの中で見失ってしまっていては生きていけない。「毒食らわば皿まで」と最近断言した通信メーカーのトップがいる、日の丸社会の変革はこうした発言に続く動きに注目すべきだ。

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