業界独り言 VOL281 順風の嵐の中で

順風満帆を通り越した観のある状況が続いている。逆風で苦しんでいる人たちに比べれば羨まれる状況なのかも知れない。しかし、忙しさも大変さもこの上ないのである。突然台風の追い風の中で自転車競技で逃げ切れとは言わないまでも近い状況が起こっているのではないだろうか。Quad社の中でのビジネスも、この五年間の中で大きく様変わりを遂げてきている。よい意味で積極的な展開の中で大きく成功を収め伸びてきているといえるだろう。そうしたベンチャースピリットを失わない社風の中で、安定を求めたりしている人がいるとすると、アゲンストの風になるようだ。会社の方向が変わる中で自分自身も期待されるものに変身していくことが望まれるのはベンチャーの常であろう。寄らば大樹の意識でベンチャーに奉職するのは大きく間違っていることに気がつくことだろう。

会社が成功を収めていく上では、順調に事業を伸ばしていくということが求められるのだが、期待以上の成果が上がってしまった場合には処理しきれなくなるということも起こってくるのである。現在のボトルネックは明らかに、求人活動にありグローバル体制の中でエンジニアとしてのスキルを発揮してユーザーに対してコンサルティング能力を展開していける三河屋の御用聞きになれる人材を集められるかどうかが鍵なのである。コミュニケーションスキルとしては単に英会話能力を要求しているだけではなくて、ごく普通の感性としてのお客様の痒いところに手が届くことが提供できるのかどうかが課題なのだといえる。深い専門と幅広い知識に裏打ちされたコンサルタントをお客様からは期待されているのであり、生きたナレッジベースとしてのQuadの組織を活用していける感性が求められているのである。

とはいえ採用というワークの重要性・難しさについて殊更あげるまでもないのだが、五年間に出会ったいろいろな候補者の中から選択をしてきた中には我々の懐の浅薄さから失ってしまった事例もあげられる。AさんとBくんという二つのアプリケーション技術者の候補者について、一人の採用枠を適用すべく試験や面接を試みてきた。経験豊富なAさんは30代後半という状況の主婦でもあり、初期AMPS携帯電話の組み込みソフト開発の経験を経た上で、いまではシステム開発などの受託をフリーランスでやっておられる優秀なエンジニアである。B君は、まだ20代なりたてのエンジニアであり専門学校でソフトを学びソフトハウスに入り3G開発に明け暮れるメーカーに派遣されて、システムテストの渦中での問題切り分けに奔走してきたというふれこみだった。

人の採用には短期日にその人の性格や能力を見極めるということは大変難しいテーマであり、結果としてうまくいくのはお客様としての長い付き合いやら、同僚としての付き合いなどから得た人脈が最も有効なデータベースとなっている。当時、私と同僚は互いに一人ずつのエンジニアの採用枠をもらい拡大しつつある仕事の中で採用ということを互いにトライしていた。幸いにして私は、知己である仲間が元の会社での処遇などの中で転進の場所を求めている状況を知り、その会社への恩返しも含めて彼の再開発に乗り出して採用を決めることが出来た。OSの開発を進めてきたエンジニアであったが、彼ほどのエンジニアを生かしきれないというのも大会社の余裕といえるところでもあるのだろう。OSからリソースを最大限有効活用するという顧客の立場に変わりマルチメディア技術者としてがんばっているのが彼の実情である。

そんな彼の同期ともいえる時期に採用したのは、B君だった。経験浅いがソフトウェアのコード解析だけのスキルで採用したのは他のスキルは経験値として英会話能力も含めて達しうるものだろうということだった。他方、採用枠に漏れたAさんは、といえば寧ろプロモートした私の責任でもあるのだが、彼女の十年以上前の経験値を持ち出してのAMPS開発に関した質問が突然繰り出されて適切な回答が出せなかったことなどがあげられた。英会話の能力は大卒の彼女と専門学校卒の彼氏の間には大きな開きがあったものの、即戦力で英会話できるのかということについては改善も求められていた。採用枠を持っているのは自分ではなくて残念ながら彼女を採用することは叶わなかった。しかし、B君は忙しくせっつかれている状況に慣れ親しんでしまったせいなのか自分から問題を発見したり、追及したりということは出来ずに半年間で何の進展も見せずに同僚の生産性を下げた挙句にレイオフすることになってしまった。人間という器でのメガネが当時の自分たちの尺度に欠けていたのだと思う。

Quad社にジョイントする仲間が増えてくる中で、問題児となる人材も増えてきている。人材育成という意味において大会社にいる人たちにはある、感性がベンチャーあるいは外資系という中で暮らしてきたエンジニアには共通項という形では育っていないように見受けられる。心配りの足らない世代なのだろうか、しかし世代というには問題児の年齢層も幅広いのである。子供のような応対しか出来ずに、本来の問題解決に漕ぎ着けないでいるのは「自ら考える」というごく当たり前のことが出来ていないことに起因しているようだ。いわれた事しか出来ない、あるいは言われたことが具体的でないと理解が出来ないということのようでもある。世の中がこんな人たちばかりになってしまったのであればいたし方ないのだが・・・。今春に入社したCくんは、とても素直でかっこよくスマートに物事を着実にこなしてくれる人材なのである。まだ30代前半で期待のホープでもある。

彼の入社経緯はといえば、既に入社している優秀な人材でもあるDくんの後輩であり、彼の紹介なのである。Dくん自体も、自身の勤めてきた会社の変調のなかでキャリアパスとしての追求から会社の求人Webに直接申し込んできたのである。やはり人柄などが仕事を進めていく上で、スーパーコンサルティングエンジニアという職業には必須であり中々人脈を生かした求人が出来ればと常々思い続けているのではあるが大変なことでもある。まじめに手を動かしてソースコードを書き、追いかけつつお客様との打ち合わせを推進してきたという、ごく普通の感性のエンジニア像というのがあるのだが、最近はこうした図式に乗らない「easy going」なフリーター的な人材も増えてきているようである。人間常に学んでいくということが当たり前だと思っているのだが、OJTという形で学んで欲しいと十分な期間を与えても無にしてしまうケースもある。Cくんの場合には、デスクトップにUnknown wordというExcelシートへのリンクがあった。目にした知らない用語をメモしているようだ。

初めてのソフトウェアエンジニアとして日本事務所の立ち上げに参加してから、五年が経過した。最近ではRFのエンジニアも雇い入れ、一通一技だという人材もいるのだが実は日本国のそうした資格が、現実にはあまり意味がないということを最近は知るにいたったりもしている。小さなオフィスで二十人足らずだった会社もいまでは三倍以上の広がりとなり、スタンダードエンジニアとしてジョイントした仲間は現在ではサンディエゴ常駐の仕事をしたりしているのでもある。変わり行く会社の中で、自分自身も変わり続けていくことが必要とされる。ようやく、入社当時の希望でもあった、よりアプリケーションに近い仕事をということが会社のロードマップとも合致するようになり、いま自分自身の役職の変更に向けて、後任体制についてエンジニアの採用やらと、履歴書やら面接を繰り返している。先日、長年ラブコールを送ってきたEくんがQuad社にジョイントしてくれた。時代が流れて彼の所属していたソフトハウスも彼抜きで自立できるようになってきたということでもあるだろう。残念ながら、彼は私の後任チームとは異なるジャンルなのだが、同僚にとっては大きな成果となった。

先日、大阪事務所で働いている仲間の知己との面接をサンディエゴと行ったのだが、英会話ならびにプロモーションしたポイントのミスなどから再考を余儀なくされる結果が返ってきた。まずは、自身がよってたつ技術について国際語である英語で話が出来るということが最低条件となるのはいたしかたない。そうしたことに必要なことがTOEICの点だとは思わないので国内での面接に際して英語で技術紹介がともかく出来る程度でなければはじめられないということになるのかも知れない。面接で頭が真っ白になる人もいるのは事実なのだが、そうした人を選択してしまったのは私たちのミスでもある。会社の枠から飛んでしまっているような人材ならば英語の間違いなども気にもせず説明をしてくれるというようなストーリーを期待しているのだが・・・、そんな人材はいなくなってしまったということなのだろうか。

並外れた人材を求めるか、ごく普通の素直な人材を求めるのかという二つに分かれるのだが若手技術者の採用という条件にも最近は近づいてきたのは大所帯になってきたということを現わしている。そんな条件でみると前者に合致しそうなタフな感性を持っているのは、高専卒の武者型のエンジニアに多いように見える。これは最近までの履歴書からの感覚でもある。ただし元々の数が少ない筈の高専卒という条件でみれば極めて信憑性の高い結果でもある。後者に合致するのは、やはり高専卒の学生で国費留学で日本で学んだ東南アジアのエンジニアである。英語と日本語が堪能で、感性もよく鍛えられている。そう考えさせるのは現場からの声なのだが、なぜか当の高専という組織は、国立法人化の流れで大学を目指して変容しようとしているのが情けない限りでもある。自身のよさを失ってまで大学に迎合するような流れで武者型のエンジニアを輩出しなくなるとすれば、国費留学生の制度をより活用していくしかないのかも知れない。幸いにしてフィリピン人の履歴書は達者な日本語で書かれていたし面接の時を今は楽しみにしている。義理の姉がフィリピン人でもあるので、そんな親近感も生まれている。

会社の中の仕事に疑問を感じつつ、キャリアパスを考えるという人は増えているのかも知れない。しかし我々の要望と合致する人には中々出会うことが出来ないでいた。先日Fさんという女性エンジニアとの面接を行うことが出来た。日の丸産業で働くソフトウェアエンジニアでありSEと呼ぶことが相応しいのが現状でもあろう。しかし、現場エンジニアとの接点を管理職として押さえつつ牙をとぐのを怠らないというのがFさんなのである。たまたま自身の知己でもあり、自宅に訪問された際に最近のQuad社の採用状況の話などをしたのがきっかけだともいえるのだが、そうしたケースにいる幾人ものエンジニアの中で面接に積極的に漕ぎ着けたのは彼女が、持っていた英会話能力を活かしたいという思いが大きかったようだ。元気よく対応してもらった面接結果は良好で、さらに彼女には課題を与えて学んでいただき、そのテーマについてレポート提出を提示してきた。先日、この成果も受領して来年度となる10月以降の採用手続きとして検討を進めていく段階に移ろうしている。

やはり一皮はじけてしまった人が、我々の望む人材であり、我々が殻を破る手伝いまでは出来ないのが実情である。Fさんの世代くらいで終わりだとは思いたくないのだが、希少資源である高専卒の卒業名簿でもあたるしかないのだろうか。

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