業界独り言 VOL282 人は自らを変えることが出来るのか

長年のラブコールに応えてくれて、とある端末メーカーのエンジニアのA君が、インタビューの要請に応えてオフィスを訪ねてくれた。平日の昼間に年休を取得した上で、インタビューに臨む姿は真面目な気持ちに違いない。家族を支えるものとして生半可な気持ちで臨めないだろうし、また家族の同意を得た上で臨んでいるとすれば、彼の悩みは深いのだろう。忙しい中で休暇取得までして大変な決断を迫ってしまったのかという思いとは異なり、彼自身は現在では家族のための生活として自身の生活を見直しているということだった。とはいえ、国内の端末メーカーにあり、3G草創においては試作機開発やらスタンダードにも深くかかわり開発してきたという彼のような人材が、ヒマをつけやすいという事態は端末メーカーとしての余裕というべきなのだろうか。

メーカーの3σからはみだしてしまった観のあるエンジニアとして、自らの為に会社をうまく使いこなしてきたという感覚のあるA君は、自らの志向と会社の指向とをうまく調整して活躍してきたエンジニアだと思う。肥大化する標準化動向の中で、プロトコル開発の渦中にあっては象を弄るごときエンジニアとは一線を画しているように見えた。そういう思いに到達した彼が次の命題として捉えてきたのはプロトコルをスタンダードからオブジェクト指向的な考え方に基づいたオブジェクト生成を行い見通しの良いキャリア毎の差異などにも柔軟に対応していける、夢のプロトコルスタックの開発だったらしい。ある意味通信端末業界での青色LEDの開発に匹敵することだともいえるのだろう。そんな技術者の知的好奇心を充足せしめると共にビジネスに直結する形で達成感を与えうるメーカーはどこかにないのだろうか。

時代は日の丸プロトコルの開発を死守すべしといっていた90年代からみれば、いかにビジネスを達成すべきかというようになり、ソフト開発のバベルの時代を越える中で変質してきたようだ。重い足枷となりいくら効率を打ち上げてみても近道をしようとしても中々到達しない世界にいるのは釈迦の掌ということのようにも見える。多くの神々達の戦いも、生きることに宗旨替えする流れの中で無為なることに到達したということなのだろうか。WinWinというような時代を瞬間生きてきた人たちがギアを外してしまったのか、なかなか組み立てなおすということに至らない。疑心暗鬼な周囲の諸国家との関係やら、高邁な理想やら効率のみで導けない方程式がそこには横たわっている。ある意味で、そうした状況の中で夢の青色プロトコルスタックを開発してこれた彼は幸せなのかも知れない。しかしビジネス着地こそが会社の果たすべき道だとすれば、そこに行き着けないのではと彼が感じとる状況には将来が描けないということなのだろう。

ちいさなベンチャーとして始まったQuad社の歴史は、彼の社会人生活と同期生という見方も出来る。まだ二十年に満たない社会人生活も会社の歴史と比較をするのが彼の今夜の家族との会話になるのかも知れない。しかし、大企業の技術者として暮らしている現在の彼の殻をやぶって、歴史の浅いベンチャーの中で仕事をするということについては家族の方も彼のなかに流れる熱き想いを感じてくれるに違いない。そう、今彼は会社を選ぶ側に回り、自分を生かす主体が自らにあるスタイルでの仕事に入ろうしているのでもある。日本的な湿気のあるような会社生活ではないのかも知れないが、日本の会社が目指している米国的な会社スタイルとも相容れない雰囲気があるのはQuad社の不思議なところでもある。私自身は、ベンチャースピリットのある仕事を求めて移ってきたというのが正直なところでもある。前向きに暮らして生きたいという想いをもつ人たちにもっと集ってもらいたいと思うのである。

A君の面接を通して、彼に自分と同質なものを感じたのは、かつての自分を重ね合わせてみてしまったからなのかもしれない。かつてプロトコル開発というには稚拙な時代に私が取り組んだことはといえば、当時のアセンブラベースのシステム開発にへき易して到達すべしとして捉えていたコンパイラーベースへの移行であった。そしてそれを自らの強い熱意で期待を超える成果としてアセンブラ以上の性能を実現して実用化に達することが出来た。そんな時代の中で彼のようにアセンブラで苦労していた開発をする気に掛けていた元の愛する同僚たちのいる職場があり、まさに1986年というのはそんな時代だった。そんな愛する仲間の為を思って開発に注力していたコンパイラは不純な理由だったのかもしれない。当時は、端末開発に向けてソフトウェア開発という仕事の黎明期の中で女性活躍の陰で頑張るお姉さまエンジニアたちに可愛がられて育てられていたエンジニアなどが彼の時代のエンジニアなのかもしれない。

そんな旧き記憶を呼び戻しつつ、次の時代に向けて考えていた90年代後半の自身の覚醒などを思い返すと現在の仕事などを予見していたのだろうかと合点がいった。大企業の中ではベンチャースピリッツ溢れる仕事に恵まれるという幸せで暮らしてきた自身が、殻をやぶってしまったことは自由に裁量を与えてくれて開発に取り組ませてくれた先輩上司のお陰でもある。未だに教えを請う先輩は、溌剌と後身の育成に取り組まれているのである。彼も会社生活としての成人を迎えようとしている中で、大きな挑戦というのが自身を変えて新しい目標に挑戦できるのかということでもある。彼同様にQuad社自身も20年という成人に向けて殻をさらに破るということが必要なのだとも思う。今、ブロードバンド接続の中でグローバルな仕事環境の中で仲間達の時差を越えて開発をしているという自分自身を思うに、私自身が昔、まさに考えていた仕事の流れの中に今があるということも再認識してしまった。

私が、捜し求めているのは私自身の変革に必要な後任であり、摩訶不思議な縁により行ってきたモデムの世界の開発支援に必要な、これからのコンパスを持っている人物である。そうした目的に沿ってみると、A君の青色プロトコルスタックの開発などはQuad社の羅針盤になるかもしれないのである。そんな強い思いを彼が抱いてくれるようになれれば、きっと彼が思い悩むことへの私からのカウンタープロポーザルになるのではないかと思っているのである。なにしろ私の予見は今まで悉く当たってきたという見方もできるので、この予感も正しいのではないかと確信してもいるのだが果たしていかなものになるのだろうか。五年間という雇用期間サイクルが一巡するなかで私が考えてきたアプリケーションを主体とする時代に遭遇しつつQuad社自身も大きな変容を遂げてきている。きっと創業20年の頃には更に変身しなければならないのだろう、そんな時代に向けても核となるモデム技術者としてのA君のような自身に羅針盤を持つ人は大歓迎なのである。

会社生活に違和感のあるエンジニアは、少なくないのかもしれない。A君のように自己分析をして次なる施策を考えて行動をしている姿を見ていると変態を遂げようとしている渦中なのだとも思う。どんな艶やかな転身をするのかは不明だが、自信みなぎる明るいA君に会えるのではないかと期待もしているのである。技術を理解する仲間のなかで、時期をもとめ周到に実用化していくという仕事がかつての日本企業の良い点だったのだが、最近では直近のことに気を取られたり意味の無い開発投資とは名ばかりのアウトソーシングとしてのソフトウェア開発消費に充てられてしまっていることでA君のような優秀なエンジニアのモチベーションを亡くし暗いという印象を与えてしまうような情況に陥らせてしまっているのではないだろうか。A君がQuad社に来るとは限らないし、今の会社で青色プロトコルスタックアーキテクチャを開発するもよしである。私が予感する次の姿は、まだ此処には書かないで置こう。

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