業界独り言 VOL320 パソコン通信の終焉から

三月末で、ニフティサーブが終了となった。かつては日経MIXや電機メーカー中心のネットも存在していたが、いまとなっては最後の牙城として残っていたのはFUJITSUと日商岩井で始められたNIFTYのみとなっていた。パソコン通信の時代から始まった電子メールは、センター集中型のシステムとして大小の規模の差はあれ、電子フォーラムなども運用されたりしてきた。 パソコン通信の始まりは、当時の端末事情も反映してかワープロ通信なる言葉も生まれたり、端末としての通信ワープロなる通信モデム搭載の機種も時代を反映して登場したりもしていた。事務処理のアウトソーシングなども兼ねた電子データの交換手段としての通信方法論であったりもしていた。DOSマシン上で動作する同時に複数の通信回線をサポートするためのソフトウェアや複数のモデムを収容するためのシリアルカードなども登場していたのを思い返す。

ソフトウェア開発環境に登場した、UNIXマシンなどの登場や普及が始まった時代背景などとのマッチングもあったからだといえるだろう。もともと自社サポートネットワークとしての位置づけなどもNECや富士通といったコンピュータメーカーの背景にはあったのだろう。パソコン通信をベースとしてドキュメントの配信やらソフトウェアコンポーネントの配信なども可能になったのは1980年代の半ばからだっただろうか。モデム搭載の富士通の 通信ワープロOASYSなどが登場したり、通信機能が使いこなせそうな持ち歩ける98LTなどが登場したりして機動力が増したと感じた。当時は、開発環境としてのDOSではなくて、TERM環境を通して会社のUNIXマシンが呼び出せるようになったと感じたりしたことでもあったからでもある。当時のパソコン通信を使ったのは電子会議などの仕組みを利用して同志を探したりすることが目的であったかも知れない。

そんな時代から20年あまりが経過して最古参のNIFTYサーブもベースとなったCompuServe自体が既に終焉している中で 、孤軍奮闘してインターネットの時代としてのWebベースのシステム運用と共に旧来のモデムで接続するパソコン通信システムとを一体化して運用してきた。通信ワープロなる言葉が生まれたり、携帯型PDAのようなものもそうしたインフラをベースにして新規事業を模索したり需要を喚起したりしてきた。ADSLが普及してインターネットが過去の負債のようなISDNインフラを否定して単なる電線レンタル事業に貶めたりしたような印象もある。最近ではISDNのTAなどを買い求めようとしても黄ばんだ箱の商品しかないような印象がある。ISDNの開発に敬意を払い、2B機能をフルに活用してアナログFAXとアナログ電話を相変わらず利用しているのは何か間違っているかも知れない。

アマチュア無線を使い、見知らぬ人と無線通信をするということを夢見てきた子供時代を思い返し、初めて買った50MHzバンドのトランシーバーで体験した夏のEスポ伝播で突然開けた遠い地方の人たちの声を聞き感激して会話をした時代とは何だったのか。国際電話が高価な時代にアマチュア無線を使い電話をすることは不安定ながらも有用な方法であり、ベトナム戦争などに駆り出されていた時代の米軍の兵士たちが軍のクラブ局の無線機を電話線に接続して本国の家族たちと会話をしたりしていた状況もあっただろう。かつては電話線への接続を既得権益として保護してきた国の政策もあった流れで もあった。ともあれ、そうした時代で成長してきた自分達にとっては、世界中の人々と通話するということが当時の東京オリンピックなどの影響も含めてすばらしい事としてインプリントされてしまったのである。

電話は、携帯電話あるいはPHSに進化を遂げて、どこでも通話が出来るようになった。アマチュア無線のある意味での優位性はなくなったかのようだ。無料で通話が出来るかどうかという点についても、あまねく広がったインターネット環境の上でSkypeなどによりだれとでも無料で通話出来る仕組みが提供されるようになった。FAXからEmailに変わり、写真でも音楽でも添付して送付が出来るようになった、アマチュア無線で低速スキャンでのテレビなどを楽しんできた人などにとっては高速回線で接続されるインターネットの時代に通信するということのみに注目して、わざわざ低速な環境で過去の遺産を楽しんでいるかのごとくに捉えられるのは心外だろう。もとよりアマチュア無線とは、自己の啓発のために無線通信機器の技術向上のために実験や実践が行える業務を指しているのであるからだ。

とはいえ、レディメードの機器が、デジタル化の進展や最新の無線技術を適用した流れである意味で車並みの価格にまで到達した無線機器として登場したのはおかしなものでもある。アマチュア無線を楽しんで育ったきた年代の人たちがリタイアをし始めてのんびりとした老後の生活の中で余裕ある金銭的事情から購入欲を喚起させるというものであるのだろう。とはいえ、そうした機器を使ったとしても趣味としての意義として何を見出すのかが課題であろう、見知らぬ人と話を楽しむという高みの感性は、世の中に存在しない風潮にも思えてくるのである。知らない人と話をしてはあぶない・・・など最近の子供たちが携帯電話のメールやBlogでの痴話話のモツレで中学生が殺されてしまったりする時代の中においてはマッピングしようもない気になってくる。飛行機の中で放映される青い山脈などのビデオを見ていると異次元の世界にしかみえてこない。

Skypeを設定しておくと、アマチュア無線さながらに「友達になってください・・・」といった匿名性の環境の上でのチャット要請があやしげな国家ファイヤーウォールを越えて来たりする。これを見て、アマチュア無線のCQを想起したりしたものの実のところ相手は自分の書いてあるプロフィールを調べて呼びかけてきているのであり、実際はCQを出しているのは自分自身であり、接続要請を受け入れる設定になっている自分の問題でもある。Skypeを電話だと思っている人がいたら、よく考えた上で設定して運用してもらいたいものである。違った人が土足で自宅に上がりこんでしまうといった印象を与える事態に遭遇するかも知れないのである。秘匿性 をベースにしてある意味で自由に通信してきたパソコン通信の時代の掲示板での書き込みなどから、日常化してきた中での同様の結果については必ずしも受け入れられない感性があるのだろう。知らない人に電話をかけて何を話すのということで結ばれてしまうと何も始まらないのである。

マニア同士のある意味で秘匿性をベースにしたうえでも感性を共有する中で許容しあってきた流れでの、こうした不特定の人たちの間の通信が、最近のインターネットでの掲示板での所謂「荒らし」やら、といった相互を許容できない感性のやからが増えてきたのは教育あるいは躾の問題であるのか・・・。互いを許容尊重しない中でのぶつかり合いはある意味仕方がないところでもあるのだが、さらに悪用することでプロとしての暴力団のような形で振込み詐欺のような形でメールや電話が飛び交うようになっているのが昨今の状況でもある。意識を共有するスキームは進化してソースコードを共有して同時進行で開発評価をシェアしあうような枠組みにまで到達もしているものの、互いの真贋を見極めることが出来そうな形態には、あとソーシャルインフォメーションサービス(SIS)などになってしまうのかも知れない。まあ、この独り言の運営自体も一見さんを受け付けないといったことから、SISに近いものなのかも知れない。

しかし自由に書き込みをしてもらおうと、掲示板を立てておくと、勝手にロボットが調べにきて余計なことを書き込むような仕組みを提供開発するような輩も出て来ているようなので、インターネットとしての治安はかなり悪化していると考えるのがベストなのだと思う。気軽に、Blogを立ち上げたりするなかで子供が日記の延長で自分の世界を書きながら未発達なままでのコミュニケーションツールとして公開してしまうことで危険な状況に陥ってしまうのは親の責任以外の何物でもない。便利な道具は両刃の刃であり、仕組みを認識しないままで使用し続けることは許容されないということのようだ。結局の方策は、接続される方々をアカウントで縛る以外には方策はなく、更にはIPアドレスでの縛りもしていく必要がありそうだ。DBベースで構築していた掲示板ゆえに直接攻撃されたりもしていたようで、スクリプトの書き換えなども余儀なくされたという顛末だ。

携帯電話の登場により、簡単に誰でも移動先あるい移動中での通信が出来るようになった今となっては、移動中で通信をするということの目的のみを求めていた人たちの興味の対象からはアマチュア無線は対象から外れてしまったのだろう。映画の「時の香り」ではパソコン通信と同じような意味合いが四半世紀を越える形で綴られていた。そんなパソコン通信も終焉となる中でP2Pとも言える形のアマチュア無線はある意味で生き残っているのである。ある意味でサーバーサービスであったパソコン通信はネットワークの変貌の中で消え行くのはインフラの性格上仕方がないことなのだろう。大量なモデムプールがなくなり、アナログの世界でのP2Pとして残されたアマチュア無線を楽しんでいくことには物づくりとはいえないまでも回路図を紐解きながらメンテナンスをしつつ動かしていくという趣味の世界でもある。そんな枠組みがOpenSourceでシステム構築を自ら行っている姿にマップできるのかも知れない。

携帯電話の枠組みには、なかなかオープンな仕組みが設定できない、無論携帯Javaがあるさという人もいるのだろう。限られた資源の中でインフラを共同利用するという枠組みに余裕がないというのが根本的な理由である。自由に使わせるには限りがあるということでもある。法外な通信料金にならないようにするという枠組みもあれば、法外に使いすぎることが出来ないような仕組みも設けられている。ホットスポットでの無線LANサービスほど遍く潤沢に享受するということにはならないのである。そんな無線LANと携帯電話のコンビネーションが取りざたされてきた流れにもいよいよ本格的な応用の兆しが出てきているようだ。何かオープンな仕組みを提供するということに対してOpenSourceなOSを使いましたでは答えにならないし、面白いことが出来る仕組みを考えて且つ、ビジネスに繋がるようなことを思い描きたいと思うのである。気軽な世界の構築を提案しようとしてもシリアスな現在の開発行軍に参加している方たちからの反応を求めるのは場違いな印象がある。パソコン通信の時代に思いを馳せつつ、新たな世界を思い描いていく、自由闊達な若者を期待するのだ。

 

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