業界独り言 VOL335 効率化とゆとりは共存するのか?

いわゆるニッパチの季節ではあるが、最近ではチョコレート業界の後押しも功を奏して景気はいかがなものかと思う、今日この頃でもある。節分の売り上げも単なる豆だけではなく太巻きのメニューも加えたり、月間のアイテムとしてイチゴの季節であると訴えたりと情報操作に奔走しているようだ。さらに最近では放送業界の番組なども通じて人心を惑わせるという技までも繰り出されているということなのだが、さてポリフェノールは無罪だったのだろうか。衛生管理という基本中の基本をなおざりにしてきた会社だったのかと思わせる驚愕の事実などが明らかになったりして「見る」チョコレート効果はマイナスになっているのかも知れない。

端末開発という仕事を進めている流れの中で、遭遇してきたコストが合わないという現実を直視しているメーカーが多いのは事実だろう。また、そうした中でコストダウンを進めようと苦心惨憺しているのも事実だ。開発コストダウンで下請け叩きをしても始まらないのだが、結局仕事が回らなくなってきたところから切り捨ててというよりもプロジェクト自身が切り捨てられたりしている惨状ともいえるだろう。複数のキャリアにうまく自社のデザインをフィットさせようとしている会社もある。キャリアの仕様など鼻にもかけずにマイペースにものづくりにまい進しているメーカーなどは国内のメーカーではない。国内キャリアの複雑高度な端末仕様がクールな文化だという意見もあるのだが、クールな文化として感じ取る以前にビジネスとして始まらなければ話にならないのでもある。

ひとつの方策が最近二番煎じまで登場してきたキャリア自身によるデザインの推進である、国策として単にRUIMの互換性が課題だといっている脳天気な政府もいるのだがキャリア同士のサービスの競争を続けてきた流れに目を瞑って話をしても意味がない。懸命に国の援助も受けずに自らの投資を行いコストダウンにまい進しようとしているのである。サービスを競争させる中で端末の差別化でなくサーバーとしての差別化に走れというのなら、まだ納得がいくのだがそんな視点があるわけでもないし、P2Pで様々なサービスを実現していくことこそが時代の流れとも思えるのに、サービスと端末価格のバランスをうまく実現させようとしているキャリアの努力などを理解しないままの無策な政府提案だといえる。

結局、余計な仕事をしないで共通仕様の端末ベースをうまく作り出した上で、各通信キャリア同士の仕様競争と、端末メーカー同士の競争とを実現していくうえにはリーズナブルな方策のように見える。問題は、端末開発経験というものを本当の意味で通信キャリアが体験する中で遭遇する困難をいかに乗り越えるのかという点になると思われる。通信キャリアの実力が問われるということでもあり、また利権うごめく中での物づくりの上でIPを尊重しあいながらプラットホームとして完成させていくという仕事には多くの課題が横たわっているといえる。 同床異夢とまではいかないまでも、メーカーは異なるキャリアに対応を同様にしたいものであり・・・・。

今の仕事と、これからの仕事・・・そんな掛け声をかけながら方向を精査しながらの開発スタイルという本来の姿としてギアが入り始めてきた。とかく今の話を追いかけすぎだった時代から考えるとゆとりといえるだろうし、そうした中で効率化を果たして生きたいという思いにも注力することになる。責任分解点を明確にしようということも新しい流れだ、自分の領域を確保しながらインタフェースを明確にして境界面を厳然とOSと構造で分離した形にするというになる。下手にやると、どこかのPDA用のOSのような顛末になってしまう。モジュール化した強固なコンポーネントで構造を作りこむことで、Openなインタフェースな世界を構築することが望まれている。適当なソースコードを開示して適当に修正を許容するような姿ではなくIPを担保したうえでインタフェースがオープンな世界ということになる。

なにぶんにも開発費用を捻出できるのはビジネスモデルを確立している人だけであり、そうした人たちが無為な金遣いをしないことが、ゆとりを生み出す効率化につながる仕事のスタートだと思うのだが、とかく現状肯定に走ってしまいがちな狭い視点の業界経営陣が多いことが課題なのだろう。政府を使って馬鹿な政策を振り回させることで、自分たちのことにプラスにつながると考えているのだろうか。そんなおろかな幻想を政府に抱くことがすでに間違っていると思われる。さあ地道にまっとうな仕事をしようや。しかし地道な仕事をしていても後ろ指はおろかスケープゴートにされてしまうような現実の政府や官僚の中で、がんばっている藤田東吾さんのようなまともな感性をみなで共有したいものである。

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