業界独り言 VOL363 桜、三月、卒業シーズン

月 一連載のプログとなっていて、なんとも情けない限りである。確定申告の処理も出来ないまま、今日まで来てしまった。まだ住民基本台帳カードの有効期限も来 年一月まではあるということだったので良かった。三年ごとに更新が必要などという手続きも結局は役所に行かないと出来ないということなので、なにをもって e-Taxにしたいのかはまだまだ道半ばである。毎年e-taxの手続きをする際には、アップデートがあるから更新しろといってくる。はたしてクライアン トに配布する意味があるソフトなのかどうかも怪しいもので、E-Taxの仕組み自体がSaasに移行すれば、政府もきっと気楽に違いない。

世の中の不景気風に煽られて、ほとんどの携帯業界のアクティビティは枯渇しているか、とどめを刺されていて自立して活動しているチップベンダーなど は数えるほどもないようだ。むろん垂直統合で世の中を席巻しようとしている林檎教に右へならへともいかず、さりとてシアトルマリナーズの動向に振り回され ても結局自分の製品であることを訴えるような力や魅力的な端末というものは、出来てこないのは当然だろう。Linuxのライセンス条件におびえながら、馬 鹿正直にロボットを組み立てる人もいるだろうし、そうした時代を虎視眈眈と狙っているライセンスゴロもいるに違いない。

世の中には、そうしたことも嫌ってか堂々とFreeBSDをベースに携帯開発しようという人もいるようで、誰か正しくスポンサーがつけば良いことが 始まるのかも知れない。アプリケーションマーケットというものが、フリーに開設されることで二十年前にどこかで誰かが唱えたようなSoftwareBus が携帯にも登場するのだろうし、すでに林檎もロボットもそうした流れにある。アイデア一本で開発する人もいるだろうし、3Dゲーム開発のように開発費用を つぎ込まないと出来ないものもある。通信キャリアがお願いをしてコンテンツ開発を委託している時代からすると、面白いゲームがより柔軟で作りやすい環境に 流れていくのは時代の本流だろう。

ケータイプラットホームとしての開発差別化を進めてきた流れからすると、この10年で独自の進化を遂げてしまった日本市場の文化ともいえる資産が有効活用 したいという流れを、もはや支えるだけの原資がお客様からは得られない状況になってしまったのも事実だ。パトロンというか開発主体ともいえる通信キャリア が開発しているグループ、通信キャリアが指導だけをしてメーカーが青息吐息で頑張っているグループ、適当な指示だけをしてオープンだからなんでも持ってこ いという破壊型のキャリアまで色々であり、国策で通信費用が高いからといって端末費用を通信キャリアが補てんしていた仕組みを取っ払った状況ではメーカー が生き残れるはずもない。

圧倒的なシェアで独自の世界を、周囲の競争など目もくれずに開発提供しているような取組のみが結果をだせるのか、あらたなルールを提示するインター ネットアプリベンダーがリセットしてくれるのか色々と展開は期待されているものの国策としてみると無策としか言いようがないようだ。明日のことなど考える 余裕もないというような状況の中で、今日のごはんをどうするのかが課題となっているのが実情なのだとおもう。三月は卒業。入学のシーズンでケータイ業界に とっては、唯一無二ともいえる重要な商戦期である。三連休に弾を出せなければ戦線撤退ともいえる非常事態なのである。

仕事があれば、経験を積んでいくのが今までの仕事のサイクルだったのだが、最近では開発主体となっているのは限られたメーカーのみとなり、また開発 費用も掛けられない状況でワークシェアしているのが風潮だ。ワークシェアとなるとなかなか実際に手を汚す時間がないので結局仕事の精度が下がってしまう。 経験不足のメーカーになってしまっているのが実情である。ソフトウェアの開発主体が、コストダウン追求や忙殺されてきた流れからアウトソーシングしてきた つけがより強調されてしまってメーカーを苦しめている。スキルセットの低下は、危険な兆候であり、日本のメーカーのインデックスは国策でいうところの切り 捨て段階に入ろうとしているのかもしれない。

複雑化したシステムをSIerとしてグーグルやマイクロソフトが製品レベルでのカスタマイズも含めて実現できるのかという点などから考えていくと独 自の文化で粋やこだわりといった感性をソフトウェアのUIなどに設けてきたながれを捨て去るしかなくなっているのだと思う。逆に考えれば、この流れをチャ ンスととらえて一気呵成に整理リニューアルするという流れも当然視野にはあるのだろうが・・・。携帯電話の開発支援をしながら、システムとしてのふるまい を押さえて適切な対応を重ねていくシステムエンジニアが、きわめて欠けているように感じる。電源を切るのにスタートしなければならないような感性に甘んじ るしかなくなるのだろうか。

春の商戦期を越した先には、おそらく協力会社としてのソフトウェアハウスの淘汰が進むだろうし、なにより既に上場企業においては、実質的な定年短縮 がなされているようだ。会社として人財を考える余裕はなく、失血を減らすことにおいて給与バランスの高い経験値の高い人も含めて一律に切り捨てざるを得な い状況に、日本の企業の状態が、従来の形から卒業しようとしているように見える。メールアドレスが変わりましたという案内が届く、でも仕事は変わりませ ん、またさらにメールアドレスが変わりましたでも、仕事は変わりません。といった連絡が届くのは、内実の大変さが隠されているのだ。

どんな仕事の仕方をすると採算ラインに乗るのでしょうか・・・と、問うてみたいものの、問う先自体が会社から切り捨てられそうな状況になっているよ うにも見える。企業の事業を導いていかれる方たちの感性は、古き良き時代のぬるま湯と趣味の世界から抜けられないでいるというようにも見える。感性の違う 人たちの間に立ち入って半年以上サポートに立ちまわってきてようやく卒業できそうな状況になった。しかし、いったいこの半年以上の期間の仕事を通じて、お 客様に置かれても、いったい何を学び、経験を得られるような形になったのか反省するだけの時間はとってもらいたいと思うのである。それこそ「もったいな い」である。

メーカーとしての日本は置いていかれてしまい、台湾・韓国・中国に席巻されるとしても、クールな企画や商品サービスが提供できるような文化を維持で きるような国策は提供してもらいたいと思うのである。でも、もうそんな文化を支えるだけの人材も、国民的な感性もクールジャパンといえるような状況にはな いのかも知れない。輝く瞳の若い世代がエンジニアとして巣立っていくためには必要なことでお手伝いできることに取り組みたいと思うのが最近の私の妄想であ る。

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