業界独り言 VOL366 黄金週間を抜けて

五 連休だという、国民の休日は、みどりの日となっていたのは昨年からだというので余り状況認識をしない日々が続いていたということだろう。また、昭和の日と して、旧みどりの日の呼称も変わっていたのだという。メーデーが景気のよいころの象徴だったのだなと思い返す今日この頃でもある。日本という経済が老成化 してきたというか円熟してきたというか労働組合が目指しているものは意味をなさなくなっているのだろう。無論、社員全員が組合員と非組合幹部で構成される 会社では、メーデーという休日が一日増えているので、その意味では労働組合の意義はあるのかも知れない。

会社に入り、メーデーとしてGWの一日を南太田近くの会場で過ごすことが強いられていた時代や、疑問も抱かなくなりお祭りのように参加していた時 代、そして今では南太田の近くに住居は移しても組合という概念のない年俸制の外資生活である。とはいえ国としてメーデーを労働者の日ととらえて休日にして いるインドのような仲間もいる。日本には勤労感謝の日があるので、その点についてはどっこいどっこいだろうが・・・。好天の続く日本の風土においてのひと ときが働き方も含めて問い直す時代になってきたのだろうか。

長い休暇を使って自己啓発に勤しんでいるという人たちがニュースになっている。まあそういう使い方もよいだろう、しかし資格を取ったところで何か役 にたつというのだろうか。好景気で自社ビルを新築して移転したとたんに、親会社というか源流会社の世界恐慌に呑まれて一気に早期退職勧告が派生していると いう会社の話も聞いたりした。ビルを建てると不景気になるというジンクスは未だに破られていないというらしいのだが、ジンクスを破ろうと毎回チャレンジし ているのをよしとすべきだろうか。同期入社のメンバーでも単身赴任生活に終止符を打ちますという連絡がきたというのも、そうした背景があるのが昨今の状況 らしい。

ワークシェアという定義を積極的に活用しているという意味では、会社が応用して適用しているのが、こうした事例なのだろう。一括で定年を下げたりす るのは、平等だろうし、納得してほしいということでもあるだろう。就活としてのリアクションも得られないくらいの不況はオイルショック以来だというのは、 どこかで聞いたことがあるのはデジャブだろうか。自らの身に降りかかってくることでようやく社会認識を持つというのはいつの時代でも一緒なのだろう、とも かく職をもって食べていかねばならない。そのために勉強してきたのは事実なので文句は言えないのである。

内定取り消しが出たくらいで大騒ぎをしているのはおかしな話で、配属が決まったとたんに希望しない職種で自らが結局辞することになることを望んでい たりしていたのだろうか。厳しい現実を認識して新たな機会を探すべきなのだと思うのだが、甘えているように映るのは時代の違いだろうか。去年と同じ入試問 題が提供されたとしたら形だけの試験をしていると認識したりするべきだろうし、今ではそうした行為自体が無駄だとして、もとから割愛される時代になっても いるのだろう。学校訪問で親子で、訪れてきて進学相談するのは、当たり前だとしても就職活動の段階で前述のような事態になったとしても学校の責任追及をす るようなことにはならないことを祈ろう。

今日は、若い仲間の結婚披露宴が催された、式は既に三月に行われていたのだが、米国での家族を交えての挙式と国内の仲間に対しての披露宴はこの良い 季節に持ち越されたのである。久しぶりの結婚式への参加は、上司としての祝辞をトップバッターで読ませていただく光栄までいただくことになった。今回の縁 組自体は、双方の知己同士の結婚式披露宴だったということもあり、縁が続くということを期待してか、花嫁側の参加者は7割を越していた。残りの少ないテー ブルがこちら側だったのだが、そんな中で参加した同僚の女性陣などは肩透かしもよいところだろうし、相手方も同様だったかも知れない。

まったく違う業界の助産師の方たちの七つ以上のテーブルと、携帯電話の技術開発メーカー、OEM、キャリアという彼の友人の席は三つのテーブルで黄 金週間の最後を彩ることになった。考えてみれば、自分の子供位の新郎新婦たちなので、子供がいない自分にしてみれば、姪たちの結婚式がそろそろだと思い知 らされる時期でもあり支援する側としての責任を果たすことを心がけるように強く思うしだいだった。昨年に銀婚式を迎えて思い返す自分たちの四半世紀を考え ると、エールを送りたいのは先輩としての気持ちでもある。人生の新たな展開に乾杯である。

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