業界独り言 VOL371 気がつけば北京に

五 年ぶりに中国にいっていました。といっても一週間こっきりです。前の訪問は、オリンピックの前で、電源事情も不安定な今から考えれば一時代前ということな のかも知れません。実際問題当時のレストランで、ランプが暗くなったりするのは日常茶飯事でした。むろんまともなホテルではそんなことはありませんでし た。古いインフラから新しいインフラに切り替わる途上だったからでもあるでしょう。

オリンピック以前の怪しげな北京からは、少しまともな北京の顔になったということかも知れません。人々がごく普通に道に痰を吐いたりしてもいたし、 山ほどの自転車軍団やら、自転車ベースのタクシーもどきのものまでもありました。空港からタクシーにのっても運が悪ければ、北京市内までたどり着かないボ ロボロな内情の車両だったりと所謂パチモンの町でもあったかと思います。

いまや、町は東京以上にカッコイイビルがあふれていて、町ゆく人たちも東京の街中のファッションを追っかけたりしているように映ります。むろん少し 路地を入ると古い昔ながらの食堂があったりもするようですし、屋台で売っているそれは怪しいままです。どんな食道に入ってもメニューに写真が載ったりする ようになったのは国家の大号令なのでしょうし、レシートが必ず発行できるようになったのも国際化の流れでしょうか。以前は、払った額と同額の子供銀行の紙 幣のようなものを渡されて、これが支払ったことの証明だとか言われていましたので大きな変化でしょう。

最終の金曜は、研修も午前でおわり溜まっている仕事のメールや案件処理を進めて、早めに切り上げてマッサージで肩をほぐしてもらおうと思ったのです が、時間がかかり、三時過ぎにようやくランチをホテル内で済ませるあり様でした。また部屋に戻り片付けをすすめてようやく夕方となり、仲間からの電話が 入ってきました。「夕飯はどうなさいますか」とのことで、「ホテルの中か、外かそちらに合わせるよ」と伝えるととどうもランチも外に繰り出していたような 音が聞こえてくる。市内の喧噪と共にラッシュアワーなので、あと20分ほどでロビーであいましょうということになった。

片付けを進めつつ、時間となった。気がつけば催促の電話がかかってきた、もう下に戻ってきているようだ。韓国の購買担当の女性と、日本からの3人の 仲間たちとでどこかに食事と散歩に繰り出すようだった。泊っているホテルは北京の動物園のそばだったが北上して、故宮の北に位置する前海という地区だっ た。実際問題としては、帰国するまでは、はっきりとどこだったのかは不明だった。外国人観光客窓口があったので地図をもらい、湖畔にある、お勧めのレスト ランを教えてもらい、そこに向かう。前海という、湖はボート遊びをするような不忍池みたいな雰囲気だった。

店内には、バドガールならぬ、オリンピックデザインの北京オリンピックガールがいたり、一生懸命数字だけは英語を話す朴訥とした田舎出のウェイトレ スだったりと店内はカオス状態である。雨上がりの屋外の席には、天幕の端からたれるしずくはご愛敬だが気持ちのよいものだった。適当にメニューから中華料 理を選択しビールと超甘いお茶で乾杯を交わした。淵の欠けた土鍋にボールとしてスープがやってきていた。ホタテのスープを頼んだのだが、浮いている実は、 どうみても大根だった。手元のお椀とレンゲは来ていたのだが、お玉はついてこず、レンゲを使ってピストン配送をしていると遅れてお玉がやってきた。野菜炒 めやら、肉まんや、スパイシーなチキンなどでテーブルは賑やかになった。

春巻きがやってきたのだが、気がつくとテーブルには、醤油もラー油も酢もないのである。韓国レディが「Sauce」とアクション付きで声をかけて、 朴訥ガールがなにやら中に向かっていったが、何もも持たずに帰ってきた。オーダーが通ったのかどうかは不明だ。諦めてひとつはそのまま春巻きを頬張った。 しばらくして醤油が充たされた湯呑がオーダーとして到着したのである。まだまだテーブルに小瓶に入ったソースやらを置くと無くなってしまうからなのだろ う。当然、醤油の小皿などもくるばすもなく、各自一つの取り皿に春巻きを置き、箸を使って醤油をつけて食べることにした。

池の周辺は、ボート遊びをしたり、ライブ演奏をする屋形船などが繰り出したりして市民のガス抜きをしているかのようです。横浜黄金町の昔の怪しさに 比べれば健康的な風情かもしれないが、軒をならべる店は、バーなのかカフェなのかあるいはレストランなのか共通するのはどこもバンドや歌姫あるいはイケメ ンたちがこぞって歌いこんでいるのてある。DVDが流れるのではなくライブで運用されているのだ。

市民の人たちの憩いの場というのが正しいのかもしれない。流れている音楽は、欧米のそれというよりは日本で見聞きするようなメロディーの中国語版で ある。フォークのような人もいるし、いまどきの若者のように歌いこんでいたり、いろいろだ。お化粧も含めて、日本の憧れなどがそこにはあるようだ。外国人 相手にカスタマイズされた点が何かと言えば、スターバックスを配置したり、前海公園周辺の街角のVISAの提灯は、少なくとも欧米の常識で立ち入ってくる 観光客を受け入れるための必然だったのでしょう。

怪しげな客引きの女性が付きまとってきたのは、日本人と見抜いた上で狙いを定めての行動のようだった。仲間から少し離れて歩いていたことも影響して いたのだろう。一人でこのあたりを歩いているのは誤解を生むのか、そういう人がメジャーなのかということの裏返しかもしれない。昨年から開発してきたワー ルド対応の電話機が、鳴り、客引きも諦めたようだった。気がつけば、仲間たちとは50メートルくらい離れていた。ライブレストラン地区をはずれると、祭り の様相を呈してきて綿菓子やら土産物やら細工物のデモンストレーションなどアジアを感じさせてくれた夜だった。

業界独り言 VOL370 なんかこの数字に魅かれるな

い まどきの若い人には感慨もないのが、この370ということだろう。小父さんたちの世代でいえば、前世紀のいや全盛期のIBMが誇っていたシステム370が 学校時代を思い返させてくれる。語弊があるかもしれないが、そうした先進のコンピュータを国をあげて追っかけをしていた今でいう中国のような状況が日本に もあった。日立も富士通もそうした中で国産コンピュータを世界のトップに押し上げようと躍起になっていたのだ。実は、昭和52年から、コンピュータメー カーだった富士通に縁あって出向することになった経験があり、システムエンジニアとして当時の内情を垣間見たりもしていた。

当時の富士通は、IBMからスピンアウトしたアムダール博士が興したベンチャーに肩入れして、IBM370の中枢技術を手に入れて互換路線を達成し ようとしていたのだった。実際問題、富士通自身もIBMのカスタマーでありマシンを導入しているのでIBM自身もその範疇でソフトウェアの提供もしなけれ ばならないという状況で、富士通では新しいIBMのソフトウェアの概観から同様な互換性のあるシステムソフトウェアの開発を進めるという仕事の仕方をして いたようだ。聞いた話では、残念ながらもっともよい結果が出るのは、富士通のマシンにIBMのソフトを載せて動かすのがベストだという話だった。さもあり なん。

私は、新入社員の流れで出向して、ミニコンピュータのSE稼業を経験して本職としての派遣元の事業で考えるシステム事業の礎を作るための人的投資で あった。富士通のミニコン事業自体は、業界標準ともいえるDECのPDP8とのパテント係争などがささやかれていたものと、松下が開発してきた独自ミニコ ンとの合弁で生まれ変わろうとしていた矢先でもあった。結局のところ、ミニコンでビジネスにつながることはなく、ツールとしての位置づけでこの後もしばら く使い続けることにはなったが、経験としてのソフトウェアシステム開発の実践はすることが出来た。派遣元に戻るまえにマイコンが市場を席巻してきていたた め8ビットマイコンの世界に引き込まれていったのだった。

初めて見たマイコンの命令は、8080だった。あまり綺麗とは言えないものの単純な処理なのでわかりやすいともいえた。これ以前に超シンプルな命令 のミニコンなどを見たりしていたことも要因かもしれない。命令が16個しかないミニコンはある意味でとてもシンプルなツールだったのかも知れない。 FuseROMライターなども、こうしたミニコンのソフトで開発して出力ポートを使って構成したりもしていたのだが、間違えるとあっというまにチップが焼 けてしまうといった危険な道具でもあった。msのパルスで書きこむ途中でミニコンを止めたりすればそうしたことになるのである。

マイコンの登場は、電気技術者のすべてに波及するようなニューウェーブを引き起こすと考えられ、NECのTK80トレーニングボードをこぞって日本 中のメーカーが購入して貪るように取り組んでいたに相違ない。松下では、ミニコン研修などをしてきたメンバーが講師となってUARTの8251を使ってテ レタイプ社のASR33を接続して入出力のプログラミングを実践して機械語でデバッグするといったメニューをこなしていたのだった。当時のTK80につい ていたメモリ容量は1kバイトだった。でも課題は、キーボードから読み込んだデータをプリンターに出力するというものだったのでタイミングやコントローラ の制御といったものには十分な経験をさせてくれるものだった。

一番下っ端の講師としてピットインにROMデータを焼きこみにばしりで行かされたり、デバッグを先行して実施するのだったが方眼紙に書き出したオシ ロからの波形でみたループで動作させたソフトのデータバス波形から原理を学んだのは血肉となっていまも流れている気がする。学校で教わった最大の武器は、 シンクロスコープでの二現象モニタによる遅延掃引の技であり、当時でも中古だったと思われる岩通のシンクロをじっくり学生時代に触らせてもらえた経験が、 このときは活躍して先見の明のある先生の深謀遠慮に感謝したのである。

十分にな準備期間を与えてもらったというべきか、活躍できるだけの経験素養をたまたま持っていたことはラッキーだったし、回路にも半田付けにも抵抗 がなかったことが新たな道に向かうことになった。先輩社員が、ミニコンを使ってクロスアセンブラを開発していた。最初の版は8080用でアブソリュートア センブラだったのだが、二代目の先輩は、やはりオブジェクトを使ったリンクローダが欠かせないとして、モトローラ6800用のクロスアセンブラをミニコン で開発してくれていた。参考にしているのは、ミニコンのシステムのファイルフォーマットだった。これに互換性を持たせることでツールが活用できるからだっ た。

電波事業部では、マイコンを活用した車載端末を開発して車両位置を検出するシステムを開発してタクシーなどの運用に有効活用するというものを手がけ ていた。そんな端末の開発に8085が適用されて、初代のクロスアセンブラが活躍していた。2代目のクロスアセンブラがターゲットにしているのは自動車電 話に適用するこれからの戦略マイコン6800だった。その源流となっているモデルは松下が心血注いで電電ファミリーに真っ向勝負をしかけて手に入れた自動 車電話の端末だった。マイコンがない時代から開発が行われていたので制御ボードという名前のコンピュータポードは自分たちで構築したRCA4000シリー ズで作ったコンピュータでもあった。

松下は、コンピュータから撤退はしたものの、富士通に売り渡した部隊との連携をとりつつマイコンという戦場で戦略的な開発をしていたのは知られては いないことでもあった。そして松下のオリジナルのコンピュータが3個も搭載されたモデルが初代の商用化した自動車電話TZ801だった。16ビットマイコ ンひとつ、4ビットマイコンがふたつ搭載されたこのモデルは先駆者たちのDNAが色濃く残ったアーキテクチャで構成されていて、正直しばらくソフトウェア の設計資料を読みながらもなかなか理解が難しいものだったが、そこにも深い互換性についての取り組みがなされていたことがわかり、とても良い経験となっ た。

開発された自動車電話を構築するソフトウェアは、開発において用いられてきた自らが定義したマイクロコードをマイコンを使う段階でも適用するという ことだった。言い換えればアーキテクチャを踏襲することでハードウェア設計の範疇として、昔の機械語を中間コードとして実行するインタプリタ構造をとった ということになる。最近のJavaやDalvikの意味とは異なるが解釈系のシステムであることに違いはない。まだまだ性能が十分でない時代ではあったも のの、制御シーケンスなどの要求事項なども、アナログ処理で実現するために、マイコンの命令実行に3-10usくらい要してもなんとか賄えるということ だった。信号シーケンスの速度から言えば150bps位のフレームが処理できればよかったのである。

業界独り言 VOL369 互換性の実現とは

世 の中には、インテルアーキテクチャという大層メジャーなものがデファクトとして君臨している。組み込みでは、ARMやらPICやらといったものがそうした ものに対応しているということだろう。組み込みという視点で考えた場合には、RTOS黎明期ではTRONが、そうした任にあっただろうが、最近ではそんな レベルの組み込みをスクラッチからするというような事態はないようだ。組み込みといいながらも出来合いのボードを持ってきて即アプリを組み込み稼動させて いく・・・とまでは行かないまでも、そうした流れに近いようだ。

組み込みソフトの黎明期から付き合ってきた仲間などは、ソフトハウスとして自立して頑張っているのだが互換性というよりも既存の設計資産を稼動させ るために四苦八苦しているという実情があるということは昨年にもつづったような気がしている。ある意味で気の遠くなるような状況が、要求されて同じものを 作り続けるということの難しさを開発する側としては共有するのだが、依頼する側には一切そうした理解も妥協もないのである。長い商品寿命の製品に同じソフ トや同じプロセッサを適用し続けて行くということは、もはや何も生まず、モチベーションもあがらない仕事となり、ますます組み込み業界に若者が興味を持た なくなってしまう気がする。

では、ソースコードベースでLinuxを活用していけば解決していくのかというと、必ずしもカーネル開発せずに解決できる問題ばかりではないが、取 込んでしまったメーカーは頑なに自分のビルドベースを使い続けていき、世の中の進化と隔絶していくのではないかと心配もしている。APIを決めてプラット ホームを提供していくというスタンスは、Linuxには必ずしも無いが、Linuxの上にそうした環境を構築しようという動きはある。アンドロイドもそう だし、iPhoneだって同じである。敬意をもっていえばマイクロソフトもそうしたことに留意しているのだろう。

さて、先日iPhoneのOSが更新された、新しいUIとして日本語入力などが更新された。メール画面の横入力なども対応できるようになったのだ が、実際のところ新しいメソッドが使えなくなったアプリも幾つかあった。いわゆる作法の悪いアプリには互換性を担保しないというのがスタンスであり、オー プンな世界であるiPhoneのアプリ市場では、当然お客の不満も出てくるのでそうしたアプリが対応しないとなれば駆逐されてしまうのである。良貨は悪貨 を駆逐する・・・の図式になるわけだ。これがオープンマーケットの健全な姿でもある。

組み込みの世界では、必ずしもこうした図式にはならない、バグであったとしても前動いていたアプリが動かなくなることは許容しないといった論理がま かり通るのである。こんな理不尽な世界は、当然先がないと考えるべきだし実際のところそうした流れになってきている。互換性を追求するのは良いことだが、 理不尽なバグ互換性の担保は出来ないのである。こうしたことを要求しつつ、既存の手を入れられないアプリがあるのでバグに手がつけられないといった理不尽 さなどが出てくるとあきれ返ってプレーヤーが退場してしまうのも致し方ない。

プレーヤーが離れて行こうとしている市場で、なおのことバグコンパチブルといったことを声を荒げていう理解のない人たちに手を差し伸べるにはいった い何をすることが必要なのだろうか。OOPなスタイルの世界に踏み込めない、組み込みベースのシーケンス図でのコーディングしか出来ないような人たちと付 き合っていること事態が間違いだといえるのだろう。互換性をきっぱりと捨てて新しい世界に飛び込むことを選ばないと、結局のところなんらの進化も得られな いということに気がつかないのだろうか。

業界独り言 VOL368 使えないものと侮るなかれ

最 近ハマっているのは、SSDである。120GBで3万円ほどで買える物が登場したのだが、ノートにインストールしてみるとこれが使えないものである。イン ストールが極端に遅く、なにがSSDなのかと勘繰ってしまうのだが、こうしたプチフリと称する現象が発生するのは細かいアクセスを期待するWindows の動きなどとメディアからシステムに昇格させて使い込むには性能評価が不足していたということになる。売っているほうも確信犯と思われるのだが、自己責任 であることに違いはない。調査不足でもある。まあ持ち歩きのメディアとして120GBのデバイスHDDを持ち歩く危険性を考えれば安心だし、なにより SATAデバイスであるにも関わらず、USBコネクタもついているのである。

300GBのHDDを携帯していた事態からの改善ではあったのだが、ノートが発熱しなくなったような気がする快感からは逃れられず、結局さらに価格 が倍ほどもするインテルのMLCではあるもののスマートなキャッシュコントローラが搭載されている160GBのドライブを7万円ほどで購入することになっ た。今度は、何のストレスもなくスムーズにシステム移行も完了して、いったいあのSSD騒ぎはなんだったのかということになる。MLCではあるものの小規 模書き込みのベンチマークなどからみても10-15倍ほどの速度が出ているのは素晴らしいものだった。

使えないという最初のドライブは、システムドライブとしてのWindowsのふるまいとの相性でもありシステム性能という観点でファイル領域に使う 限りにおいては、何の支障もなく活躍している。SSDにより発熱はしなくなったというのは若干の嘘があるように思われる。確かにHDDの発熱は格段に減る のだが、今度はIO待ちが減りCPUの負荷は高くなってしまったようにも思われるのだ。使っていて快適なのは、大容量のメールアーカイブを使った outlookな世界が快適になったことである。私の場合には過去の4-5年分の必要なメールは残してあり、サイズとして8GBを超えるのだがこれらの中 の検索が圧倒的に速くなったのである。DB化されたOutlookではあるものの、SEEKの物理速度の改善が飛躍的なシステム性能の向上になったという ことらしい。

SSD化の流れは、マシンの更新よりも、システム性能を向上させる武器になるということである。70,000円の個人投資は、パソコンのリニューア ル以上の性能改善をもたらしてくれて、システム安定化も含めて現状はとても満足している。自宅のデスクトップの最近の問題は、ファンの故障というか騒音の 増大であり、放熱周りのペーストを更新したりと対策をしたのだが、静音で大容量の風量対応が出来るPWMなファンを探し、さらに内蔵の3.5インチの 250GBのHDDも、今度はCORSAIRというメーカーのインテルよりは性能が劣るもののプチフリ知らずという安価なデバイス90000円を投じて改 修した。この組み合わせで、私のQuad COreなデスクトップも静かで快適な環境に変貌した。

チップの歴史も同様に様々な進化を遂げている、5年前ではARM9からARM11に移りつつあったのだが当時の主力はARM9だった。 Clock150MhzのARM9とDSPの組み合わせでテレビ電話を作っていた時代の後追いでベースとしてそうしたものを活用してアジアな人たちが日本 メーカーの下請けで活躍して物づくりを学んでいた時代だった。当時のODMベンダーは、日本のメーカーの不用意な物づくりの展開をチャンスとしてとらえて 着実にものにしていったのである。今では、そうしたベンダーがレファレンスデザインを早期に使いこなすというのは悲しい現実である。

チップセットビジネスの進展において、昨今のアンドロイド事情は、より追い風にも映っているようだ。組み込みの世界の方々もUbuntuにアンドロ イドで実践したいというような流れが出てきているようで、皆さん真剣に手弁当での検討開発が進められているようだ。アグレッシブなこうした草の根の方々と アンドロイドイネーブラーとなるべきキャリアやメーカーの方々の温度差は、まだまだ深いようだが、結局のところいったい幾らでどれだけの期間で仕上がるの かという競争原理において実績を出したところがのし上がってくることに相違はないだろう。システム全体を見渡して端末としての完成度を高められるかどうか については、私自身も興味深々であるし、Quad社が期待もされていることなのだろうけれど・・・。

アンドロイドにうつつを抜かしている人もいるし、地道にローエンドモデルを作り出そうという人もいる。ローエンドをロープライスで開発するために腐 心している人などは潔いともいえるだろう。むろん、ローエンドモデルがイコールシルバーモデルではないだろうし、実際問題、いま一番コンスタントに売れて いるのはシルバーな需要だろう。突出した日本の要求を培ってきた感性を支える人口は激減しつつあり、実際に購買力もあるシルバー世代にとっては尖がった機 能などが役立つのかどうか意味不明だともいえる。10年前に、VAIO-Pがあったら嬉しかったと思うのだが、現在の視力ではこうした細密な画面で利用で きるのは無理だといえる。

シルバー世代が必要とするのは、親身になってコミュニケーションを支えてくれる技術だろうし、そうした技術は4Gになっても何の解決策も提示はして いないのである。速度や通信価格の戦争は終わっていると思うのだが、世の中にはそうした認識がまだまったく無いようにみえる。冒頭のSSDの如き話に似て もいるのだが、5年ほど前に流行の兆しのあった簡単UIの開発ツールなどは、現在のチップ性能の更新などから見直す段階に入ってもいるようだ。ただし世の 中はさらにインターネットベースのAdobeな世界に入ろうとしてしまい、地道に物づくりとしての実現を進めていくことについての話題にはなっていないよ うだ。でも、戦略的に意欲的な割り切りをもって利用するというトップ方針などがあればオセロのコーナーをとるような事態も考えられる。

どんな技術も侮ることなかれ、事情が変われば、判断も反転してくるものなのである。

業界独り言 VOL367 薫風の中のハイキング

御嶽山を越えて日の出山へ行こうということになりました。

ケーブルカーを利用してというコースでしたが、皆さんの足前確認も含めて、歩いて登ることにしました。

こりてしまうような事はないと思いますが・・・果たしてどうでしょうか。

ケーブルカーもありますが、参道にもなっているこの道は資材を運ぶ車が通れるほど整備されています。

御嶽山の山頂には宿坊もあり、バスで降りた多くの人はケーブルカーに向かいましたが静かな森の中をハイキングできるのはとてもよい季節であり天候にも恵まれました。普段のキーボード漬けの生活の人たちにはちょっと足腰にくるのかも知れません。

日の出山ハイキング QuickTimeでどうぞ・・でも大きい

業界独り言 VOL366 黄金週間を抜けて

五 連休だという、国民の休日は、みどりの日となっていたのは昨年からだというので余り状況認識をしない日々が続いていたということだろう。また、昭和の日と して、旧みどりの日の呼称も変わっていたのだという。メーデーが景気のよいころの象徴だったのだなと思い返す今日この頃でもある。日本という経済が老成化 してきたというか円熟してきたというか労働組合が目指しているものは意味をなさなくなっているのだろう。無論、社員全員が組合員と非組合幹部で構成される 会社では、メーデーという休日が一日増えているので、その意味では労働組合の意義はあるのかも知れない。

会社に入り、メーデーとしてGWの一日を南太田近くの会場で過ごすことが強いられていた時代や、疑問も抱かなくなりお祭りのように参加していた時 代、そして今では南太田の近くに住居は移しても組合という概念のない年俸制の外資生活である。とはいえ国としてメーデーを労働者の日ととらえて休日にして いるインドのような仲間もいる。日本には勤労感謝の日があるので、その点についてはどっこいどっこいだろうが・・・。好天の続く日本の風土においてのひと ときが働き方も含めて問い直す時代になってきたのだろうか。

長い休暇を使って自己啓発に勤しんでいるという人たちがニュースになっている。まあそういう使い方もよいだろう、しかし資格を取ったところで何か役 にたつというのだろうか。好景気で自社ビルを新築して移転したとたんに、親会社というか源流会社の世界恐慌に呑まれて一気に早期退職勧告が派生していると いう会社の話も聞いたりした。ビルを建てると不景気になるというジンクスは未だに破られていないというらしいのだが、ジンクスを破ろうと毎回チャレンジし ているのをよしとすべきだろうか。同期入社のメンバーでも単身赴任生活に終止符を打ちますという連絡がきたというのも、そうした背景があるのが昨今の状況 らしい。

ワークシェアという定義を積極的に活用しているという意味では、会社が応用して適用しているのが、こうした事例なのだろう。一括で定年を下げたりす るのは、平等だろうし、納得してほしいということでもあるだろう。就活としてのリアクションも得られないくらいの不況はオイルショック以来だというのは、 どこかで聞いたことがあるのはデジャブだろうか。自らの身に降りかかってくることでようやく社会認識を持つというのはいつの時代でも一緒なのだろう、とも かく職をもって食べていかねばならない。そのために勉強してきたのは事実なので文句は言えないのである。

内定取り消しが出たくらいで大騒ぎをしているのはおかしな話で、配属が決まったとたんに希望しない職種で自らが結局辞することになることを望んでい たりしていたのだろうか。厳しい現実を認識して新たな機会を探すべきなのだと思うのだが、甘えているように映るのは時代の違いだろうか。去年と同じ入試問 題が提供されたとしたら形だけの試験をしていると認識したりするべきだろうし、今ではそうした行為自体が無駄だとして、もとから割愛される時代になっても いるのだろう。学校訪問で親子で、訪れてきて進学相談するのは、当たり前だとしても就職活動の段階で前述のような事態になったとしても学校の責任追及をす るようなことにはならないことを祈ろう。

今日は、若い仲間の結婚披露宴が催された、式は既に三月に行われていたのだが、米国での家族を交えての挙式と国内の仲間に対しての披露宴はこの良い 季節に持ち越されたのである。久しぶりの結婚式への参加は、上司としての祝辞をトップバッターで読ませていただく光栄までいただくことになった。今回の縁 組自体は、双方の知己同士の結婚式披露宴だったということもあり、縁が続くということを期待してか、花嫁側の参加者は7割を越していた。残りの少ないテー ブルがこちら側だったのだが、そんな中で参加した同僚の女性陣などは肩透かしもよいところだろうし、相手方も同様だったかも知れない。

まったく違う業界の助産師の方たちの七つ以上のテーブルと、携帯電話の技術開発メーカー、OEM、キャリアという彼の友人の席は三つのテーブルで黄 金週間の最後を彩ることになった。考えてみれば、自分の子供位の新郎新婦たちなので、子供がいない自分にしてみれば、姪たちの結婚式がそろそろだと思い知 らされる時期でもあり支援する側としての責任を果たすことを心がけるように強く思うしだいだった。昨年に銀婚式を迎えて思い返す自分たちの四半世紀を考え ると、エールを送りたいのは先輩としての気持ちでもある。人生の新たな展開に乾杯である。

業界独り言 VOL365 いやな空気

も うすぐGWだというのに、世の中にはいやな空気が蔓延しているようだ。世の不景気を煽ったともいわれている、携帯電話の助成金のカットも結局のところネッ トブックと共に再登場して人気を博したり、iPhoneの叩き売りを始めたりと動きはあるようだ。だったら何故やめて形を変えたのか、単なる政治家に振り 回されただけなのか・・・。不景気な感じは、町を見ていてもさまざまだが首都圏でも施設としてシャッター通りになったりビルごとつぶれていたりと地方に 限った話ではなくなっている。

高級志向で賑わっていたデパート気どりの駅ナカも、実態としては売れ残りが目立つようになりデパ地下の如き試食販売を始めたりとしているのだが、こ うした新しい施設での閉店などが始まるのも早晩だろう。平日の夜七時を回っていてパン屋のショーケースが在庫であふれていて閑古鳥がなき、今までであれば 整列のためのロープも排除して、店員さんが普段は決して見せたこともない試食を店頭で勧めているのである。なれない手つきとはいえ在庫を抱えて処分するよ りは良いということだろう。

映画館でも同様だ、切り詰めるところで最初に出てくるのは娯楽なのだろうか、以前にもまして閑古鳥がないている。良い映画を楽しみたいので、出来る だけパンフレットも買い、収入源となるだろう店頭売りの菓子も買いと協力しているのだ。月に二度は映画館に足を運んでいるのは多いということか、シネコン になりチケットの売り方も上映時間も最適化されるようになっているのだが、はたしてやっていけているのだろうかと心配になるのが最近の映画館の人の入りで ある。チケットの行列も短くなっている。

いやな空気は、朝の通勤時間にも蔓延している。四月であることからなれぬ学生・社会人が余計にラッシュを煽り、不景気で暗くなり朝から天界に旅立つ 不孝を許せとばかりの日常化した人身事故がつづきますますラッシュを煽っている。鉄道が複雑怪奇な乗り入れを果たしている今では、欧州並みの時刻表運用と なりつつあるようだ。欧米化の達成は、着実に蔓延している。マナーの悪い学生・社会人・子供の親・その子供とそうした連鎖がますますよどんだ空気を作って いる。

明るい話題がないものかと、楽しい映画やキャラの俳優などに目をやるのだが、欽どんの清水由貴子さんが親子心中で自殺をしたという暗いニュースが 入ってきた。明るいキャラで、お母さんを支えてきたということだったのだが、介護に疲れてのことなのか家族の墓前での親子心中とは悲しい。彼女の楽曲は、 iPodに出来るだけ入れている、せめて旅立った彼女を懐かしい曲で見送りたいと思うのである。入社時期の76年が彼女のデビューとは、自分に時代が映る わけでもある。

業界独り言 VOL364 花見の宴

四 月に入り、三寒四温の巡りもあったが桜は満開となった。次代を支えるのは、日本の若者ではないのかもしれないが、そんな雰囲気の国際的な大学でクラスを依 頼されて、仲間に任せることにした。普段の日本語でのサポートとは異なり、英語ベースでの授業では冗談も日本語では言えず、それなりに苦労するとともに真 摯に勉強をしようとしている留学生達の覇気に負けてしまったような一面もあり単なるクラスでは収まりそうもなかった。相互に意義のある経験になると思って いる。 ニュースでは不景気が大行進しているのだが、明るくしようという動きには皆が立ち上がっていないようだ。先述のクラスが行われたのは新潟県の片田舎 というか、角栄先生の成果で出来た新幹線駅の近くということで、よい自然で良い環境に恵まれた場所だった。高邁な思想で創立したのは、経済界の重鎮たちら しく名だたる会社の名前が、施設には冠されている。はたして、そうした気概ある会社の創立者達の覇気が、現在のそうした会社にも残っているのだろうと期待 はするのだが・・・。 参事に昇格したという朗報が、後輩から寄せられた。良い話以外には、会社支給の携帯がなくなるのでメールアドレスならびに連絡先が変わるという案内 も付記されていた。携帯事業がバブルのプロセスだったとすれば、そうした背景を助長していたのは社用携帯ということもあっただろう。最新型の携帯開発を三 連休に向けて必死にサポートしてきた仲間にとっても、そうした携帯を手に入れるのは社用族ではなく、新規の入社記念の個人消費なのかも知れない。少しでも 経済効果に寄与したく、黒いカメラ型世界携帯に切り替えたのはセメテモノ抵抗だ。 忙殺されてきた仕事のステップとして、成果が目に見える形で私の机には携帯が積もっていく。懸命にサポートした初号機などは、あまり活躍する間もな く出張の飛行機で失ってしまった。国内線の飛行機の稼働率の高さに驚きもし、開発での苦労なども思い出されて残念でもあった。会社の社用携帯は、そんな自 分たちの仕事の石碑でもあったかもしれない、携帯開発の技術会社にあってのせめてもの特権だと思っていたのだ。エコロジー的に考えれば買い換えるのは不徳 のいたすところということでもある。 ケータイの進化は、機種移行の際にも実感するし、生活に密着した機能故に手放せないということでもある。さまざまなインフラやサービスに基づいて実 現されているこの端末の周辺を、アルバイトのケータイショップのお姉さんが一時間足らずで移行処置が出来るようになっているのにはある意味で驚かされる。 日本の墓標になってしまったTDMA技術は、PHSも含めてすっかり世界から愛想を尽かされた形であり、GSM+CDMAの携帯などは、その意味では忌み 嫌われるものであるに違いない。そんな携帯を駆って回ることを考えると感慨深いものでもある。 さて、話を花見にもどすと不景気な流れを払しょくしようとして社長に寄付をせびり、周りを焚きつけて花見の宴を催すことにしたのは。影の総理ではな いが、ある意味でフィクサー的な気持ちも手伝っている。新潟の出張の日と重なっていたのは格好の契機となり地酒セットを買い求め、つまみとなるチョコ柿の 種なども買い求めて出張先から靖国神社へ急行した。靖国神社の境内ではまさに日本文化の源となるような宴のDNAが満ちていた。無粋な傾倒した新聞社も政 党もいない、純粋に日本人として桜を愛しての信仰が深まる祭事といえる。 経済戦争の火種は、いくらでもあるし、実際問題今の日本は、またその意味では敗戦国に陥ろうとしている雰囲気だ。国が破たんして、国民が勝手なこと を訴えて憲法に苦情をとなえている。戦争に加担して生活資金を得ているともいえるのだが、生活レベルを国民皆中流意識に押しやってしまった責任が所得倍増 計画の首相だとは思わない。憲法に苦情を唱えているような人たちが適当な自分たちの論理で固められた嘘だらけの米国占領下の戦時作戦のままに萎えた国民に なっているようだ。有事の際には実際問題、なにも出来ないらしいということは、兵器の宅配すら出来ない状況からさみしい限りである。 いっそ、佐川急便の生きのいいお兄さんたちを全員、自衛隊に招へいしたほうが良いとさえおもうのである。戦争のプロというと物騒かも知れないが、有 事に備えるというのは平時にはいつでも行動がとれるということの積み重ねでしかなく、マニュアルで呼んだことしかないといったレベルでは、プログラムを組 んだことはありませんといった中間管理職に最初からなるしかないメーカーの技術者と同じではないのか。 日本が世界に誇れるものは何か、ドラえもんなのか、ドラ焼きなのか。どらえもんの人気は、さることながらドラ焼きについては、国際的にはまだ紹介が 不十分らしい。今は、ようやく柿ピーが日本発の流行最先端になろうとしているらしい、それ以前はポッキーやハイチュウだった。みな生活レベルが高まり美味 しいものがようやく分かるようになってきたのである。まずいものは世界中でまずいと認識されるようになったのは、おいしいものとの比較が出来るようになっ たからでもある。世界中の格差に基づいて搾取しているようなサイクルはもう破たんするしかない。 私は、この会社でのコネクションとコミュニケーションの道具として、いつもキットカットを使ってきた。毎回出張のたびには、やまほどキットカットを 買い入れてもっていくのだ。むろん日本にしかないオリジナルテイストに限る。異文化の接点は、まずこうした味覚であり、そこから話題が広がっていくのであ る。国内にあっては、ドラ焼きや六花亭などの道具立てなのだが、毎日の通勤でも季節に応じたペストリーを求めて遠回りをして会社に向かっている。最近の忙 殺されてきた中では、国内に限らず、お世話になった普段は訪れない地域のインドとアメリカのボルダーには、国内でも好評の五色豆の入った茜丸というドラ焼 きをセットで贈った。評判は、とてもよいようだ。何せ、36度近い気温のインドにはキットカットなど送る余地がないのである。 開発が完了して、三連休にはショップにカメラケータイが並んだからでもある。そんなことは、会社のやるべきことだと喝破する人がいるかもしれない。 昔はそうだったかも知れない、今は、そうした行為もすべてを会社に期待することは出来ないし消費の美学として人の喜ぶ声やメールが見たいというのが私の意 識である。浪費だというかもしれないが、いいじゃないかゴルフに使うでもなく、飲むわけでもないのだから・・・。こうした行為が、日常的に寄付行為として 税制改革されれば、もっとみなさんが使うことになると思うのだが、いかがなものだろうか。 エントロピーを高めるためのよいサイクルを実現するような活動をしなければ、結局のところ社会の公器たるべき事業にはならず、結果として会社として の存続も出来ないということになるのだろう。意識の持ち方次第で、なんらかのプラスの方向にもっていけるはずだと信じたい。まずは自分の出来ることから消 費をプラス方向に変える使い方で増やしていくということが花見の宴で再確認したことでもある。来年も花見が出来るようにありたい。

業界独り言 VOL363 桜、三月、卒業シーズン

月 一連載のプログとなっていて、なんとも情けない限りである。確定申告の処理も出来ないまま、今日まで来てしまった。まだ住民基本台帳カードの有効期限も来 年一月まではあるということだったので良かった。三年ごとに更新が必要などという手続きも結局は役所に行かないと出来ないということなので、なにをもって e-Taxにしたいのかはまだまだ道半ばである。毎年e-taxの手続きをする際には、アップデートがあるから更新しろといってくる。はたしてクライアン トに配布する意味があるソフトなのかどうかも怪しいもので、E-Taxの仕組み自体がSaasに移行すれば、政府もきっと気楽に違いない。

世の中の不景気風に煽られて、ほとんどの携帯業界のアクティビティは枯渇しているか、とどめを刺されていて自立して活動しているチップベンダーなど は数えるほどもないようだ。むろん垂直統合で世の中を席巻しようとしている林檎教に右へならへともいかず、さりとてシアトルマリナーズの動向に振り回され ても結局自分の製品であることを訴えるような力や魅力的な端末というものは、出来てこないのは当然だろう。Linuxのライセンス条件におびえながら、馬 鹿正直にロボットを組み立てる人もいるだろうし、そうした時代を虎視眈眈と狙っているライセンスゴロもいるに違いない。

世の中には、そうしたことも嫌ってか堂々とFreeBSDをベースに携帯開発しようという人もいるようで、誰か正しくスポンサーがつけば良いことが 始まるのかも知れない。アプリケーションマーケットというものが、フリーに開設されることで二十年前にどこかで誰かが唱えたようなSoftwareBus が携帯にも登場するのだろうし、すでに林檎もロボットもそうした流れにある。アイデア一本で開発する人もいるだろうし、3Dゲーム開発のように開発費用を つぎ込まないと出来ないものもある。通信キャリアがお願いをしてコンテンツ開発を委託している時代からすると、面白いゲームがより柔軟で作りやすい環境に 流れていくのは時代の本流だろう。

ケータイプラットホームとしての開発差別化を進めてきた流れからすると、この10年で独自の進化を遂げてしまった日本市場の文化ともいえる資産が有効活用 したいという流れを、もはや支えるだけの原資がお客様からは得られない状況になってしまったのも事実だ。パトロンというか開発主体ともいえる通信キャリア が開発しているグループ、通信キャリアが指導だけをしてメーカーが青息吐息で頑張っているグループ、適当な指示だけをしてオープンだからなんでも持ってこ いという破壊型のキャリアまで色々であり、国策で通信費用が高いからといって端末費用を通信キャリアが補てんしていた仕組みを取っ払った状況ではメーカー が生き残れるはずもない。

圧倒的なシェアで独自の世界を、周囲の競争など目もくれずに開発提供しているような取組のみが結果をだせるのか、あらたなルールを提示するインター ネットアプリベンダーがリセットしてくれるのか色々と展開は期待されているものの国策としてみると無策としか言いようがないようだ。明日のことなど考える 余裕もないというような状況の中で、今日のごはんをどうするのかが課題となっているのが実情なのだとおもう。三月は卒業。入学のシーズンでケータイ業界に とっては、唯一無二ともいえる重要な商戦期である。三連休に弾を出せなければ戦線撤退ともいえる非常事態なのである。

仕事があれば、経験を積んでいくのが今までの仕事のサイクルだったのだが、最近では開発主体となっているのは限られたメーカーのみとなり、また開発 費用も掛けられない状況でワークシェアしているのが風潮だ。ワークシェアとなるとなかなか実際に手を汚す時間がないので結局仕事の精度が下がってしまう。 経験不足のメーカーになってしまっているのが実情である。ソフトウェアの開発主体が、コストダウン追求や忙殺されてきた流れからアウトソーシングしてきた つけがより強調されてしまってメーカーを苦しめている。スキルセットの低下は、危険な兆候であり、日本のメーカーのインデックスは国策でいうところの切り 捨て段階に入ろうとしているのかもしれない。

複雑化したシステムをSIerとしてグーグルやマイクロソフトが製品レベルでのカスタマイズも含めて実現できるのかという点などから考えていくと独 自の文化で粋やこだわりといった感性をソフトウェアのUIなどに設けてきたながれを捨て去るしかなくなっているのだと思う。逆に考えれば、この流れをチャ ンスととらえて一気呵成に整理リニューアルするという流れも当然視野にはあるのだろうが・・・。携帯電話の開発支援をしながら、システムとしてのふるまい を押さえて適切な対応を重ねていくシステムエンジニアが、きわめて欠けているように感じる。電源を切るのにスタートしなければならないような感性に甘んじ るしかなくなるのだろうか。

春の商戦期を越した先には、おそらく協力会社としてのソフトウェアハウスの淘汰が進むだろうし、なにより既に上場企業においては、実質的な定年短縮 がなされているようだ。会社として人財を考える余裕はなく、失血を減らすことにおいて給与バランスの高い経験値の高い人も含めて一律に切り捨てざるを得な い状況に、日本の企業の状態が、従来の形から卒業しようとしているように見える。メールアドレスが変わりましたという案内が届く、でも仕事は変わりませ ん、またさらにメールアドレスが変わりましたでも、仕事は変わりません。といった連絡が届くのは、内実の大変さが隠されているのだ。

どんな仕事の仕方をすると採算ラインに乗るのでしょうか・・・と、問うてみたいものの、問う先自体が会社から切り捨てられそうな状況になっているよ うにも見える。企業の事業を導いていかれる方たちの感性は、古き良き時代のぬるま湯と趣味の世界から抜けられないでいるというようにも見える。感性の違う 人たちの間に立ち入って半年以上サポートに立ちまわってきてようやく卒業できそうな状況になった。しかし、いったいこの半年以上の期間の仕事を通じて、お 客様に置かれても、いったい何を学び、経験を得られるような形になったのか反省するだけの時間はとってもらいたいと思うのである。それこそ「もったいな い」である。

メーカーとしての日本は置いていかれてしまい、台湾・韓国・中国に席巻されるとしても、クールな企画や商品サービスが提供できるような文化を維持で きるような国策は提供してもらいたいと思うのである。でも、もうそんな文化を支えるだけの人材も、国民的な感性もクールジャパンといえるような状況にはな いのかも知れない。輝く瞳の若い世代がエンジニアとして巣立っていくためには必要なことでお手伝いできることに取り組みたいと思うのが最近の私の妄想であ る。

業界独り言 VOL362 怒涛の2009

今 年も、また年頭から徹夜交じりの生活となった。まあ、忙しいという言葉は最近では待望久しい言葉なのかも知れないので使い方には注意が必要なのだろう。忙 しいということは仕事があり、人が働く場があるということでもある。昨今の開発事情などからみれば、素晴らしい機会に遭遇しているとみるべきでもあろう。 むろん、その忙しさの先に何があるのかということを考えてみれば、その忙しさの過ごし方についても何か考えを持って戦略を立てて対応していただくことが必 要なのは言うまでもないのだが・・・。実際問題としての認識をそこまで持たれてはいないように感じるし、業界としての仕事の少なさが結局のところ、携帯を はじめとする組み込み業界のスキルセットまでも貶めているように思えるのが最近の実感でもある。

携帯業界では、iPhoneなどの黒船登場と共に、補助金廃止などの政府政策が功を奏して、通信キャリア頼りでいた日本メーカーの脆さを浮き彫りに してくれて結果として政府がいうところの世界に通用するメーカーに席巻されることになりつつある。果たして政府の考えてきたことが、実情として日本メー カーが享受してきた中での甘い?環境でのみ箱庭でしか暮らしえないという実情を明らかにしてしまうことだったのかどうか・・・。韓国や米国では確かに補助 金などなしに物づくりをしてきたのだが、技術大国日本というものが見本市のようにいろいろな技術を展開してきた背景にこそ、補助金施策がありメーカーが限 られた箱庭の中でも結果を出してきたのが世界を牽引してきた流れなのである。

垂直統合モデルとして、通信キャリアが互いの競争としてサービスを繰り出し、その政策に基づき開発が続けられてきたことにはメリットが多かったこと も事実である。世界経済がシュリンクした流れの中で日本の携帯料金がリーズナブルになったとして、By NIPPONなどとでも保護政策の口火でも自らが切らない限りには、立ち行かないのが実情ではないか。採算割れから撤退するということになるのであれば、 日本のメーカーで立ち残れるメーカーはいないことになる。採算割れの原因がどこかの会社のライセンス費用にあるというような論理に基づいて国をあげて動い ている節もある。

日本の通信キャリアの政策で生き永らえてきたのは、実は日本メーカーのみではなく、チップメーカーにあっても同様な状況があり、国策を追求して耐力 のある物づくりが出来るようにしようとすると、実は育ててきた海外チップメーカーも失うことになり、国策として嫌っている特定のチップメーカーに仕事が 回ってきてしまうという矛盾したサイクルに落ちようという流れもみえる。はたして、日本政府が考える政策とは、正しく日本の実情を認識した上でのものだっ たといえるのかどうかは、きわめて怪しいものである。まあ日本が誇る部分がなくなってしまうわけではないので端末メーカーは全滅したとしても、RFデバイ スなどのメーカーは生き残っていくのだろう。政府が考えていたのはそうしたストーリーだったのかも知れない。

オープンな開発環境が広告産業をベースとする、資本家から生まれてきたのは皮肉な話でもあるのだが、日本政府がやるべき政策がムチだけだったとすれ ば、ある意味で今の首相のキャラと読みでは被ってしまうことにもなる。漫画やアニメに基づく日本の若者文化をリスペクトする海外からの羨望の中で日本とい う世界中が注目する日本が主導できる唯一無二の優位性を捨ててしまうことにつながっている。通信キャリアからの補助金政策の中止でこれから活躍してほしい 時期に端末機メーカーというプレイヤーが不在の状況が起こるのが2009という年になりそうだ。

よい意味でのパトロンとして日本政府が機能してくれれば、よいのだろうがとろんとした雰囲気で昔の無条件降伏となったことに思いをはせているとすれ ば明らかな間違いだし、そんなことを繰り出してきた黒幕のマイクロソフトも戦場から離脱しつつある。それでも、日本メーカーは何を履き違えたのか自らのオ リジナリティを追求するといった活きた形の投資を使うことはなく、MSのリリースが遅れることに一喜一憂することを繰り返して、出来上がった端末のオリジ ナリティの追及といったことについてのケアが出来ないままにいるようだ。

ソフトウェア開発をするという人たちにとっては、端末が開放されることになったアンドロイドの上陸を喜んでいるだろうし、いままでの組み込みソフト 開発のうま味を誤解してきた人たちにとっては3月危機のさなかだろう。今、受注してる仕事を大切にしていただきたいものであるのだが、ここ数年培ってきた プラットホーム開発などの成果が出てきたのか、従前メーカーが行ってきた基礎部分の開発が通信キャリアやソフトメーカーに移管されてしまったことなどの影 響が開発現場に起き始めているのは、まだ日本国政府もご存じないことだろう。ソフト開発のいろはがわからないような人たちが現場で蔓延しはじめているの で、首相が漢字が読めないくらいは大したことではなく思えてしまったりする。

端末ソフトウェアの開発提供をして下支えをするという仕事をしていると、組み込み業界の実情が否応なしに見えてきて、それに対応していくことが迫ら れる。そのことをサポートして解決しないと自分たちのビジネスモデルであるところの端末生産をしていただかないとチップビジネスに繋がらないからである。 助成金がなくなり開発力を高めようとして共通プラットホームを開発してきたこの成果は、不必要な質問が減ることに多大な貢献をみたものの、結果として通信 機メーカーの開発力が低下してしまい、開発現場での基礎知識不足に基づくサポートが増えてしまったような印象がある。深いぃ現代の寓話となってしまいそう な状況である。

日本の文化・感性に基づいて培ってきた日本ケータイは、その本質を誰にも理解されないままに消えて行ってしまいそうな状況にあるといえるのかも知れ ない。こだわりの部分を英語で説明できず、またそこまでの感性を持たない人たちにとっては直す余地も見当たらないということになる。日本政府の人たちが考 えてきた端末助成金の削除で海外に伍する端末づくりをするというメッセージは、日本文化を捨てて、適当な端末を作ることに費やせということなのだろうが、 日本企業が達成していた文化・感性・品質が端末の歴史から失われてしまい、iPodなどのテキトーなレベルの端末で良しとされてしまうのは悲しい。