業界独り言 VOL364 花見の宴

四 月に入り、三寒四温の巡りもあったが桜は満開となった。次代を支えるのは、日本の若者ではないのかもしれないが、そんな雰囲気の国際的な大学でクラスを依 頼されて、仲間に任せることにした。普段の日本語でのサポートとは異なり、英語ベースでの授業では冗談も日本語では言えず、それなりに苦労するとともに真 摯に勉強をしようとしている留学生達の覇気に負けてしまったような一面もあり単なるクラスでは収まりそうもなかった。相互に意義のある経験になると思って いる。 ニュースでは不景気が大行進しているのだが、明るくしようという動きには皆が立ち上がっていないようだ。先述のクラスが行われたのは新潟県の片田舎 というか、角栄先生の成果で出来た新幹線駅の近くということで、よい自然で良い環境に恵まれた場所だった。高邁な思想で創立したのは、経済界の重鎮たちら しく名だたる会社の名前が、施設には冠されている。はたして、そうした気概ある会社の創立者達の覇気が、現在のそうした会社にも残っているのだろうと期待 はするのだが・・・。 参事に昇格したという朗報が、後輩から寄せられた。良い話以外には、会社支給の携帯がなくなるのでメールアドレスならびに連絡先が変わるという案内 も付記されていた。携帯事業がバブルのプロセスだったとすれば、そうした背景を助長していたのは社用携帯ということもあっただろう。最新型の携帯開発を三 連休に向けて必死にサポートしてきた仲間にとっても、そうした携帯を手に入れるのは社用族ではなく、新規の入社記念の個人消費なのかも知れない。少しでも 経済効果に寄与したく、黒いカメラ型世界携帯に切り替えたのはセメテモノ抵抗だ。 忙殺されてきた仕事のステップとして、成果が目に見える形で私の机には携帯が積もっていく。懸命にサポートした初号機などは、あまり活躍する間もな く出張の飛行機で失ってしまった。国内線の飛行機の稼働率の高さに驚きもし、開発での苦労なども思い出されて残念でもあった。会社の社用携帯は、そんな自 分たちの仕事の石碑でもあったかもしれない、携帯開発の技術会社にあってのせめてもの特権だと思っていたのだ。エコロジー的に考えれば買い換えるのは不徳 のいたすところということでもある。 ケータイの進化は、機種移行の際にも実感するし、生活に密着した機能故に手放せないということでもある。さまざまなインフラやサービスに基づいて実 現されているこの端末の周辺を、アルバイトのケータイショップのお姉さんが一時間足らずで移行処置が出来るようになっているのにはある意味で驚かされる。 日本の墓標になってしまったTDMA技術は、PHSも含めてすっかり世界から愛想を尽かされた形であり、GSM+CDMAの携帯などは、その意味では忌み 嫌われるものであるに違いない。そんな携帯を駆って回ることを考えると感慨深いものでもある。 さて、話を花見にもどすと不景気な流れを払しょくしようとして社長に寄付をせびり、周りを焚きつけて花見の宴を催すことにしたのは。影の総理ではな いが、ある意味でフィクサー的な気持ちも手伝っている。新潟の出張の日と重なっていたのは格好の契機となり地酒セットを買い求め、つまみとなるチョコ柿の 種なども買い求めて出張先から靖国神社へ急行した。靖国神社の境内ではまさに日本文化の源となるような宴のDNAが満ちていた。無粋な傾倒した新聞社も政 党もいない、純粋に日本人として桜を愛しての信仰が深まる祭事といえる。 経済戦争の火種は、いくらでもあるし、実際問題今の日本は、またその意味では敗戦国に陥ろうとしている雰囲気だ。国が破たんして、国民が勝手なこと を訴えて憲法に苦情をとなえている。戦争に加担して生活資金を得ているともいえるのだが、生活レベルを国民皆中流意識に押しやってしまった責任が所得倍増 計画の首相だとは思わない。憲法に苦情を唱えているような人たちが適当な自分たちの論理で固められた嘘だらけの米国占領下の戦時作戦のままに萎えた国民に なっているようだ。有事の際には実際問題、なにも出来ないらしいということは、兵器の宅配すら出来ない状況からさみしい限りである。 いっそ、佐川急便の生きのいいお兄さんたちを全員、自衛隊に招へいしたほうが良いとさえおもうのである。戦争のプロというと物騒かも知れないが、有 事に備えるというのは平時にはいつでも行動がとれるということの積み重ねでしかなく、マニュアルで呼んだことしかないといったレベルでは、プログラムを組 んだことはありませんといった中間管理職に最初からなるしかないメーカーの技術者と同じではないのか。 日本が世界に誇れるものは何か、ドラえもんなのか、ドラ焼きなのか。どらえもんの人気は、さることながらドラ焼きについては、国際的にはまだ紹介が 不十分らしい。今は、ようやく柿ピーが日本発の流行最先端になろうとしているらしい、それ以前はポッキーやハイチュウだった。みな生活レベルが高まり美味 しいものがようやく分かるようになってきたのである。まずいものは世界中でまずいと認識されるようになったのは、おいしいものとの比較が出来るようになっ たからでもある。世界中の格差に基づいて搾取しているようなサイクルはもう破たんするしかない。 私は、この会社でのコネクションとコミュニケーションの道具として、いつもキットカットを使ってきた。毎回出張のたびには、やまほどキットカットを 買い入れてもっていくのだ。むろん日本にしかないオリジナルテイストに限る。異文化の接点は、まずこうした味覚であり、そこから話題が広がっていくのであ る。国内にあっては、ドラ焼きや六花亭などの道具立てなのだが、毎日の通勤でも季節に応じたペストリーを求めて遠回りをして会社に向かっている。最近の忙 殺されてきた中では、国内に限らず、お世話になった普段は訪れない地域のインドとアメリカのボルダーには、国内でも好評の五色豆の入った茜丸というドラ焼 きをセットで贈った。評判は、とてもよいようだ。何せ、36度近い気温のインドにはキットカットなど送る余地がないのである。 開発が完了して、三連休にはショップにカメラケータイが並んだからでもある。そんなことは、会社のやるべきことだと喝破する人がいるかもしれない。 昔はそうだったかも知れない、今は、そうした行為もすべてを会社に期待することは出来ないし消費の美学として人の喜ぶ声やメールが見たいというのが私の意 識である。浪費だというかもしれないが、いいじゃないかゴルフに使うでもなく、飲むわけでもないのだから・・・。こうした行為が、日常的に寄付行為として 税制改革されれば、もっとみなさんが使うことになると思うのだが、いかがなものだろうか。 エントロピーを高めるためのよいサイクルを実現するような活動をしなければ、結局のところ社会の公器たるべき事業にはならず、結果として会社として の存続も出来ないということになるのだろう。意識の持ち方次第で、なんらかのプラスの方向にもっていけるはずだと信じたい。まずは自分の出来ることから消 費をプラス方向に変える使い方で増やしていくということが花見の宴で再確認したことでもある。来年も花見が出来るようにありたい。

業界独り言 VOL363 桜、三月、卒業シーズン

月 一連載のプログとなっていて、なんとも情けない限りである。確定申告の処理も出来ないまま、今日まで来てしまった。まだ住民基本台帳カードの有効期限も来 年一月まではあるということだったので良かった。三年ごとに更新が必要などという手続きも結局は役所に行かないと出来ないということなので、なにをもって e-Taxにしたいのかはまだまだ道半ばである。毎年e-taxの手続きをする際には、アップデートがあるから更新しろといってくる。はたしてクライアン トに配布する意味があるソフトなのかどうかも怪しいもので、E-Taxの仕組み自体がSaasに移行すれば、政府もきっと気楽に違いない。

世の中の不景気風に煽られて、ほとんどの携帯業界のアクティビティは枯渇しているか、とどめを刺されていて自立して活動しているチップベンダーなど は数えるほどもないようだ。むろん垂直統合で世の中を席巻しようとしている林檎教に右へならへともいかず、さりとてシアトルマリナーズの動向に振り回され ても結局自分の製品であることを訴えるような力や魅力的な端末というものは、出来てこないのは当然だろう。Linuxのライセンス条件におびえながら、馬 鹿正直にロボットを組み立てる人もいるだろうし、そうした時代を虎視眈眈と狙っているライセンスゴロもいるに違いない。

世の中には、そうしたことも嫌ってか堂々とFreeBSDをベースに携帯開発しようという人もいるようで、誰か正しくスポンサーがつけば良いことが 始まるのかも知れない。アプリケーションマーケットというものが、フリーに開設されることで二十年前にどこかで誰かが唱えたようなSoftwareBus が携帯にも登場するのだろうし、すでに林檎もロボットもそうした流れにある。アイデア一本で開発する人もいるだろうし、3Dゲーム開発のように開発費用を つぎ込まないと出来ないものもある。通信キャリアがお願いをしてコンテンツ開発を委託している時代からすると、面白いゲームがより柔軟で作りやすい環境に 流れていくのは時代の本流だろう。

ケータイプラットホームとしての開発差別化を進めてきた流れからすると、この10年で独自の進化を遂げてしまった日本市場の文化ともいえる資産が有効活用 したいという流れを、もはや支えるだけの原資がお客様からは得られない状況になってしまったのも事実だ。パトロンというか開発主体ともいえる通信キャリア が開発しているグループ、通信キャリアが指導だけをしてメーカーが青息吐息で頑張っているグループ、適当な指示だけをしてオープンだからなんでも持ってこ いという破壊型のキャリアまで色々であり、国策で通信費用が高いからといって端末費用を通信キャリアが補てんしていた仕組みを取っ払った状況ではメーカー が生き残れるはずもない。

圧倒的なシェアで独自の世界を、周囲の競争など目もくれずに開発提供しているような取組のみが結果をだせるのか、あらたなルールを提示するインター ネットアプリベンダーがリセットしてくれるのか色々と展開は期待されているものの国策としてみると無策としか言いようがないようだ。明日のことなど考える 余裕もないというような状況の中で、今日のごはんをどうするのかが課題となっているのが実情なのだとおもう。三月は卒業。入学のシーズンでケータイ業界に とっては、唯一無二ともいえる重要な商戦期である。三連休に弾を出せなければ戦線撤退ともいえる非常事態なのである。

仕事があれば、経験を積んでいくのが今までの仕事のサイクルだったのだが、最近では開発主体となっているのは限られたメーカーのみとなり、また開発 費用も掛けられない状況でワークシェアしているのが風潮だ。ワークシェアとなるとなかなか実際に手を汚す時間がないので結局仕事の精度が下がってしまう。 経験不足のメーカーになってしまっているのが実情である。ソフトウェアの開発主体が、コストダウン追求や忙殺されてきた流れからアウトソーシングしてきた つけがより強調されてしまってメーカーを苦しめている。スキルセットの低下は、危険な兆候であり、日本のメーカーのインデックスは国策でいうところの切り 捨て段階に入ろうとしているのかもしれない。

複雑化したシステムをSIerとしてグーグルやマイクロソフトが製品レベルでのカスタマイズも含めて実現できるのかという点などから考えていくと独 自の文化で粋やこだわりといった感性をソフトウェアのUIなどに設けてきたながれを捨て去るしかなくなっているのだと思う。逆に考えれば、この流れをチャ ンスととらえて一気呵成に整理リニューアルするという流れも当然視野にはあるのだろうが・・・。携帯電話の開発支援をしながら、システムとしてのふるまい を押さえて適切な対応を重ねていくシステムエンジニアが、きわめて欠けているように感じる。電源を切るのにスタートしなければならないような感性に甘んじ るしかなくなるのだろうか。

春の商戦期を越した先には、おそらく協力会社としてのソフトウェアハウスの淘汰が進むだろうし、なにより既に上場企業においては、実質的な定年短縮 がなされているようだ。会社として人財を考える余裕はなく、失血を減らすことにおいて給与バランスの高い経験値の高い人も含めて一律に切り捨てざるを得な い状況に、日本の企業の状態が、従来の形から卒業しようとしているように見える。メールアドレスが変わりましたという案内が届く、でも仕事は変わりませ ん、またさらにメールアドレスが変わりましたでも、仕事は変わりません。といった連絡が届くのは、内実の大変さが隠されているのだ。

どんな仕事の仕方をすると採算ラインに乗るのでしょうか・・・と、問うてみたいものの、問う先自体が会社から切り捨てられそうな状況になっているよ うにも見える。企業の事業を導いていかれる方たちの感性は、古き良き時代のぬるま湯と趣味の世界から抜けられないでいるというようにも見える。感性の違う 人たちの間に立ち入って半年以上サポートに立ちまわってきてようやく卒業できそうな状況になった。しかし、いったいこの半年以上の期間の仕事を通じて、お 客様に置かれても、いったい何を学び、経験を得られるような形になったのか反省するだけの時間はとってもらいたいと思うのである。それこそ「もったいな い」である。

メーカーとしての日本は置いていかれてしまい、台湾・韓国・中国に席巻されるとしても、クールな企画や商品サービスが提供できるような文化を維持で きるような国策は提供してもらいたいと思うのである。でも、もうそんな文化を支えるだけの人材も、国民的な感性もクールジャパンといえるような状況にはな いのかも知れない。輝く瞳の若い世代がエンジニアとして巣立っていくためには必要なことでお手伝いできることに取り組みたいと思うのが最近の私の妄想であ る。

業界独り言 VOL362 怒涛の2009

今 年も、また年頭から徹夜交じりの生活となった。まあ、忙しいという言葉は最近では待望久しい言葉なのかも知れないので使い方には注意が必要なのだろう。忙 しいということは仕事があり、人が働く場があるということでもある。昨今の開発事情などからみれば、素晴らしい機会に遭遇しているとみるべきでもあろう。 むろん、その忙しさの先に何があるのかということを考えてみれば、その忙しさの過ごし方についても何か考えを持って戦略を立てて対応していただくことが必 要なのは言うまでもないのだが・・・。実際問題としての認識をそこまで持たれてはいないように感じるし、業界としての仕事の少なさが結局のところ、携帯を はじめとする組み込み業界のスキルセットまでも貶めているように思えるのが最近の実感でもある。

携帯業界では、iPhoneなどの黒船登場と共に、補助金廃止などの政府政策が功を奏して、通信キャリア頼りでいた日本メーカーの脆さを浮き彫りに してくれて結果として政府がいうところの世界に通用するメーカーに席巻されることになりつつある。果たして政府の考えてきたことが、実情として日本メー カーが享受してきた中での甘い?環境でのみ箱庭でしか暮らしえないという実情を明らかにしてしまうことだったのかどうか・・・。韓国や米国では確かに補助 金などなしに物づくりをしてきたのだが、技術大国日本というものが見本市のようにいろいろな技術を展開してきた背景にこそ、補助金施策がありメーカーが限 られた箱庭の中でも結果を出してきたのが世界を牽引してきた流れなのである。

垂直統合モデルとして、通信キャリアが互いの競争としてサービスを繰り出し、その政策に基づき開発が続けられてきたことにはメリットが多かったこと も事実である。世界経済がシュリンクした流れの中で日本の携帯料金がリーズナブルになったとして、By NIPPONなどとでも保護政策の口火でも自らが切らない限りには、立ち行かないのが実情ではないか。採算割れから撤退するということになるのであれば、 日本のメーカーで立ち残れるメーカーはいないことになる。採算割れの原因がどこかの会社のライセンス費用にあるというような論理に基づいて国をあげて動い ている節もある。

日本の通信キャリアの政策で生き永らえてきたのは、実は日本メーカーのみではなく、チップメーカーにあっても同様な状況があり、国策を追求して耐力 のある物づくりが出来るようにしようとすると、実は育ててきた海外チップメーカーも失うことになり、国策として嫌っている特定のチップメーカーに仕事が 回ってきてしまうという矛盾したサイクルに落ちようという流れもみえる。はたして、日本政府が考える政策とは、正しく日本の実情を認識した上でのものだっ たといえるのかどうかは、きわめて怪しいものである。まあ日本が誇る部分がなくなってしまうわけではないので端末メーカーは全滅したとしても、RFデバイ スなどのメーカーは生き残っていくのだろう。政府が考えていたのはそうしたストーリーだったのかも知れない。

オープンな開発環境が広告産業をベースとする、資本家から生まれてきたのは皮肉な話でもあるのだが、日本政府がやるべき政策がムチだけだったとすれ ば、ある意味で今の首相のキャラと読みでは被ってしまうことにもなる。漫画やアニメに基づく日本の若者文化をリスペクトする海外からの羨望の中で日本とい う世界中が注目する日本が主導できる唯一無二の優位性を捨ててしまうことにつながっている。通信キャリアからの補助金政策の中止でこれから活躍してほしい 時期に端末機メーカーというプレイヤーが不在の状況が起こるのが2009という年になりそうだ。

よい意味でのパトロンとして日本政府が機能してくれれば、よいのだろうがとろんとした雰囲気で昔の無条件降伏となったことに思いをはせているとすれ ば明らかな間違いだし、そんなことを繰り出してきた黒幕のマイクロソフトも戦場から離脱しつつある。それでも、日本メーカーは何を履き違えたのか自らのオ リジナリティを追求するといった活きた形の投資を使うことはなく、MSのリリースが遅れることに一喜一憂することを繰り返して、出来上がった端末のオリジ ナリティの追及といったことについてのケアが出来ないままにいるようだ。

ソフトウェア開発をするという人たちにとっては、端末が開放されることになったアンドロイドの上陸を喜んでいるだろうし、いままでの組み込みソフト 開発のうま味を誤解してきた人たちにとっては3月危機のさなかだろう。今、受注してる仕事を大切にしていただきたいものであるのだが、ここ数年培ってきた プラットホーム開発などの成果が出てきたのか、従前メーカーが行ってきた基礎部分の開発が通信キャリアやソフトメーカーに移管されてしまったことなどの影 響が開発現場に起き始めているのは、まだ日本国政府もご存じないことだろう。ソフト開発のいろはがわからないような人たちが現場で蔓延しはじめているの で、首相が漢字が読めないくらいは大したことではなく思えてしまったりする。

端末ソフトウェアの開発提供をして下支えをするという仕事をしていると、組み込み業界の実情が否応なしに見えてきて、それに対応していくことが迫ら れる。そのことをサポートして解決しないと自分たちのビジネスモデルであるところの端末生産をしていただかないとチップビジネスに繋がらないからである。 助成金がなくなり開発力を高めようとして共通プラットホームを開発してきたこの成果は、不必要な質問が減ることに多大な貢献をみたものの、結果として通信 機メーカーの開発力が低下してしまい、開発現場での基礎知識不足に基づくサポートが増えてしまったような印象がある。深いぃ現代の寓話となってしまいそう な状況である。

日本の文化・感性に基づいて培ってきた日本ケータイは、その本質を誰にも理解されないままに消えて行ってしまいそうな状況にあるといえるのかも知れ ない。こだわりの部分を英語で説明できず、またそこまでの感性を持たない人たちにとっては直す余地も見当たらないということになる。日本政府の人たちが考 えてきた端末助成金の削除で海外に伍する端末づくりをするというメッセージは、日本文化を捨てて、適当な端末を作ることに費やせということなのだろうが、 日本企業が達成していた文化・感性・品質が端末の歴史から失われてしまい、iPodなどのテキトーなレベルの端末で良しとされてしまうのは悲しい。

業界独り言 VOL361 何を新年に思うか

か つてないような世界同時不況の中の歳末・年明けとなった。今年は、きっと公務員を始まりとするワークシェアにでもなるか、卒業しても就職先のない学生が、 ずるずると進学するといったような状況にでもなるのだろう。右も左もマスターやドクターだらけになっても結局のところ仕事がないのであれば、この国にいる 必要がなくなりそうだ。自分たちの生活レベルの切り下げを受け入れられるような状況にするためにもセーフティネットを張り巡らす必要があるのだろう。携帯 業界のソフトウェア開発会社も破たん撤退が音を立てている。あと半年もすると、派遣社員でない人たちのレイオフというよりも会社倒産が続いてしまうのは致 し方ない。

土建業界のような図式で人足を販売してきたような状況の会社は当然のこととして、業界のデファクトとしてスイートパッケージだとタカを括っている人 たちもロボットの登場で追いやられてしまう。アイデア一本で、ぷよぷよで財をなしたような時代に戻りそうな予感もある。クラウドの時代の中で、4Gに向け て加速する一方であり、従来の図式で開発してきた組み込みの世界に終焉が訪れるのか新たなアーキテクチャで刷新される時代に入りつつある。この予感を感じ 取れない人や会社は世代交代に呑まれていくのは世の常としていたしかたない。

自らの手を汚さずに、仮想空間の世界を使って実世界のシミュレーションをしてスパゲッティをスマートに食べたいという人がいるようだ。仮想マシンの うたい文句に踊らされて、最先端のチップセットで複合で動作している込み入ったシステム環境が仮想マシンで再現できると信じているのであるのなら、私が暮 らしてきた30年間の世界の中の仮想空間の章をその人物を称えることで引退することにしよう。先日、母校で若い学生に問うたテーマに仮数で二桁程度しか取 れない計算尺で世の中を操ってきた時代の産業立国日本というものがあったが、位どりも出来ないでこうしたソフトウェア開発に坐しているのだとすると日本の 将来は真っ暗である。

シミュレーションで出来ることは、ある。それは確かに存在する。しかし、実マシンでの挙動のふるまいの範囲に踏み込まずに最適化もなさないままに道具とし てのプロセッサモデルを複数持ちだして、共同運行してマルチプロセッサをダイナミッククロックで動作させたいということをこともなげにおっしゃるのには反 論する気すら失せたのである。まあ、そうしてデバッグ検知したい内容はといえば、自分たちの開発したソフトウェアのメモリーリークにもとずくシステム不穏 動作をいち早く検知したいのだという。このギャップはいったい誰が責任をとって教えてくれるのだろうか。

今の世の中の主流としては、ユーザーモードに移行してアプリケーション同士が干渉し合わずにバグがあれば、アプリがしんでしまうというiPhone やノキアな世界か、仮想マシンでもともとアプリを開発動作させるというイケメンロボットの世界かということになっている。ワンチップでプリサイスに積み上 げた箱根細工の世界で世の中を驚かせてきたバイナリ環境もあるのだが、見た目に走って中身を顧みないままでは、結果として花開かずに却って無駄足を踏んで しまい、いつまでもソフトウェアが安定しないという最近の世の中の状況では許されないものになっていはしないだろうか。

そんな開発スタイルを変えずに唯我独尊で、シミュレーション環境として精緻な検知機構を設けて解決したいというのは虫がよすぎるというよりも、先の 計算尺でいうところの指数計算が出来ない性能予測が出来ないということを端的に表していると思う。なかなか見つからないバグを予兆で捕まえたいというので あるが、はたして見過ごしてきたバグが発生するまでに様々なケースの試験を実機で行うような開発スタイルでは、いくらツールがあってもその20db以上の 時間を費やしてようやく検知に至るというくらいのギャップをご理解いただくべきなのだが。

実機とシミュレータのうまい連携というものがあるのかも知れない。そのことは、私の30年あまりのソフトウェア開発の総決算としてアイデアを追いか けるべきテーマであるのだが。はたして、このお客様が、知り合いの出来あいの道具を、そのEDAベンダーを垂らしこんでみたところで自らが設計するでもな い大規模なシステムLSIに対して適用するための足がかりにすらならない。まあ、少しでも前向きにとらえて自らの中に昇華して解決策にしていくにしても、 まずは正しい開発方法論にかじ取りをすることを始めないとワークシェアするにしても、もとよりそんな無駄な仕事に開発をすること自体が間違っているという ことになるだろう。

LTEや4Gを目前にしてあと2年ほどで、必要な基盤ソフトウェア環境の刷新が必要ならば取り組む良い時期である。今までのような馬鹿話や力ずくで 解決できる時代はなくなってしまった。つくづくソフトウェアエンジニアにとっては良い時代が到来したといえる。右から左に仕様書でものづくりをしているよ うな時代ではなくなった。さて、そんな時代に陥っていることを若い学生は知るべきだろうし、教える先生方も認識を改めてもらう必要があるのは当然である。

業界独り言 VOL360 輝く若い瞳の前で

前 々から話をしていた、若い学生の前で、これまでのエンジニアライフを語ってみたいというチャンスが訪れた。母校で教鞭をとっておられる先輩との話が実った 経過でもある。予算消化の観点から来年一月までに適用できなければならないというお役所的な事情もあったようなのだが、こちらも年越しのクリスマス休暇と お客様のサポートのピークなどから出来れば、出張明けの代休日程とを掛け合わせることで、ようやく一日を作り出せることになった。土曜帰国で日曜着という ケースについては、会社として代休取得が認められるのである。

さて、学校からの要請内容は、企業で働く人から有益な話をしてもらうということがコンセプトでの一クラスらしく実質的に30分ほどなのだという。エ ンジニアを目指して?高校ではなく高等専門学校に入学してきた?一年生に・・・・、どんな話があうのだろうか。この不況の現状でエンジニアとしての将来に ついて不安視してしまったりしているのではないか、あるいは高専卒としての就職自体に不安を感じているのかなどなど、悩みは尽きないのである。自分自身を ケースにおいてみた場合には実際の就職時期は超氷河期だったし、そんな中で様々な経験をしつつも好奇心ひとつで何とか楽しく暮らしてきたという自負があっ た。

はたして、いまどきの学生の意識が同様なものであるのかも不明なのだが、海外出張の直前に日程が固まり、帰りのフライトで内容でも組み立てようかと 安易に考えていた。ネタ自体は、この会社での10年ほどのグローバルでの活動や、まえの会社での23年ほどの様々な組み込みエンジニアとしての活動などい くらでもあるし、実際問題として業界独り言自身もそうした性格のコンテンツともいえて、バックナンバーも大分たまっている。インパクトを与えた形で話をす るというのなら、30分では足りるはずもないのだが。やさしい会話をする気もサラサラないのでまずは資料はすべて英語で書くことにした。

おそらく先生からは、やめてくれとか、居眠りを助長するようなことになるとか色々言われるのかもしれない。だが、もうそんな時代ではないのである。 英語で話すといっているのではないのだ、日本語で説明しようと考えているのだが、なにせ彼らが巣立っていく時代に日本語のみでエンジニアの仕事が賄える時 代では、とうていないことを明白なのである。少なくともそんなインパクトはもってもらいたいのである。今、たまたま在籍しているQuad社での仕事につい て語ってみたところで、その段階で先生との間のギャップも広がるだけなのだと思う。

さて、出張先でまずは、会社紹介ではないのだが、一応せっかくの出張なので会社のグッズコーナーで学生の人数分のお土産を手当した。40名はいない だろうと勝手に踏んで、ボールペンとシャープのセットを40セット、あとは先生へのお土産を買い求めた。いちおう人数確認をしようとメールを投げたのだ が、時は金曜、日本は土曜で先生からの返事を得ることが出来なかった。とりあえず、成田空港からお土産は先生宛てに宅急便送付して水曜の際に使うのでとい うことをメールで伝えた。帰国後に確認できたのは43名在籍で、1名休学中ということだった。

二つ不足してしまう。先生へのお土産を優先グッズとして何かの景品にすればよいというのがとりあえずの回答だった。あとはなにか、会社の中で Give a wayでも探すことにした。月曜、火曜の仕事をこなす中で、会長からはペン付きライトをゲットして、さらに使っていなかった会社ブランドのリュックとノー トケースを見つけてなんとか準備は完了した。説明するのは水曜の第二時限のクラスということで横浜からは東京湾アクアラインの高速バスで向かい、先生に向 こうのバスターミナルで拾ってもらうことにした。生意気な後輩とはいえ、一応は、学外からの講師という扱いのようだ。

さて、会社の対外説明用のパワーポイントと、自前のパワーポイントの二つを用意した。二〇一一年の先に巣立っていく学生達とは、現在の4G開発の先 に出てくる有用なエンジニアであるはずなので、その時代までに時代が変わってしまうことも十分に認識してもらうことが必要だし、その時々の技術を学んでい くことの刺激を楽しんでもらいたいからに他ならない。パワーポイント以外に持ち込んだものは、実は電卓であり、いまではiPodのアプリとして使うあるい は日常は使わなくなってしまったものという意味でiPod Touchも携えた。先生に伺い計算尺もお借りした。

私が一年生の頃に使ったのは計算尺であり、五年の時に使ったのはHPの電卓であり、いまは、iPodの世界あるいは、Excelの世界ということで もある。自分の紹介をしつつ組み込みエンジニアとしての仕事を楽しみが伝わるように話をしたつもりだったのだが、まあ若い学生の中で目を輝かせて聞いてく れたのは10名ほどだったようである。先生によれば、英語の説明がだめだとか、最初に会社の3G By何某の写真を見せなかったからだとか自分たちの現状との接点が見いだせなかったからという意見も拝聴した。たしかにそうかも知れない、そうした点につ いては改善をしてまた機会があれば取り組んでみたいし感謝している。

私自身は、この短いプレゼンテーションというか講義でとっても疲弊してしまったのである。なぜか理由はわからないが、若いエンジニアの卵とのタイマ ンを果たし結果なのかも知れないし、たまたま出張帰りでの時差疲れからなのかも知れない。学生達は、すくなくともこの私からのメッセージに対しての質問を いくつかはしてくれたし、レポート提出を必要とする形式のクラスだったらしく、ぜひ先生からアウトラインでも反応を伺いたいものだと思っている。次回の可 能性は、もう少し高学年のクラスに対して、講堂を使ってやりたいということらしく、またもう少し準備をしておきたいと思っている。

業界独り言 VOL359 肩に力で、空回り

米国で、いつもの一週間コースの出張があった。日曜フライト・土曜帰国で、日曜帰着のパターンである。時差と食事のギャップでバランスを崩しがちで、体調維持に関しては、気を配ることがとりわけ必要だ。アメリカンな連中と同様の食事をしてしまったら、過剰な果物採取となり、この点についてはとりわけ注意されたので、今回の出張では朝食のフルーツは一切摂らなかった。とはいえ、ヨーグルトに入っている果物くらいが辛うじて取り込まれたものとなる。

空転している感のある、日本国内向け端末開発の実情の中で、なんとか元気を出して頑張ってほしいという期待もあり、トラの子ともいえるキャリア・メーカーとの米国での会議なのだ。とりわけ開発ボリュームとの予算調整が念頭にあるのが最近の日本の開発事情で、ソリューションプロバイダーとしての Quad社として単純に改善解決策を提示しても取りつく島もないということになる。徐々に改善していくことしか出来ない状況では、衰退していく流れを止めることは出来ないのではないかという漠然とした不安がある。

世の中は、オープン化の声が強くなり、すでにロボット化計画の中での商品も登場してきたし、林檎農家からは、通信販売のキャンペーンが強く打ち出されていて電話に限らずPDAの範疇でもゲーム端末としての位置づけを強くして暇つぶしマシンとしての地位向上を宣伝している。クールなゲームが簡単に購入できるという仕組みは、ある意味でニンテンドーも達成していないモデルであり、危険な香りすらある。あくまでもCPRMやカートリッジでの仕組みに拘っている日本では相容れないということなのだろうか。

Quad社内でもロボット開発の匠たちが、多くの開発メーカーのサポート支援に乗り出している。いままでの携帯電話の開発メーカー支援とは大分趣を異にしているようだ。ARM7で始めた携帯電話の先進ソリューション提供・サポートビジネスも、ARM9でバイナリーの花が満開となり、ARM11との協調でオープン化に漕ぎつけた。いま、まさに鉄腕アトムがサソリと戦おうとしている状況になり違うフィールドが見えてきている。最前線でサポートをしているメンバーにとっては、新たな顧客の期待値や広がりを感じ取り始めている。

気軽に、Have a KitKatと言いながら、あらかじめ頂いていた課題を、それぞれの担当エンジニアチームに振り分けつつ確認準備するというのが最近のスタイルだ。私をキットカット小父さんとして認識しているのかも知れないが。とりわけ日本のオリジナルフレーバーの威力はすごいものである。ただ甘いだけのアメリカンなスイーツとは一線をひくのである。ときおり持ち込まれるひと箱のキットカットは、私と彼らの間の会話のきっかけであり接点でもある。今回の出張では、お汁粉キットカットと、ホワイトチョコキットカットでトランクがあふれかえっていた。

肩に力を入れずに進めようというコンセプトは重要で良いアイデアが出るのも事実であり、顧客を交えた濃いミーティングとフォローアップの中で再認識した課題は、Xmas休暇のあとに繋がるテーマとなり、年越しでの再開ということになった。年越しの間に進めなければならないテーマは別に片付けるものが山積している。クロックアップして対応できないお客様が悲鳴を上げつつも開発に邁進していただかなければならないのは、いたしかたなく。せめても時差のブロード対応でケアを抜けなく進めていく必要がある。

国内の携帯開発の仕組みに軋みが生じて、少しずつ変革しようとしているのが最近の動向であり、プラットホームとして選定してきた流れの見直しや、あるいはキャリア自身が課してきた仕様の見直しという流れになったのは必然ともいえる。面白いのは、キャリア内部での端末施策自身が衝突したり矛盾を生じてきていて、変革への呼び水にもなりかかっていることだろう。携帯の売り上げ自体は、良く分からない国策という名のもとに再構築を余儀なくされたのもよい契機だったといえるだろう。各メーカーが勝手に自前主義で構築するような時代は終焉を迎えた。

こうした仕組みにどっぷりと漬かってきたソフトウェア開発業界自体は、ある意味で将来認識が不足していたということも言えるだろうし、自らが主体となった開発というスタイルでなかったことが、自立を求められる時代には重い足かせとなってしまったようだ。メーカーが自らの自前主義の御旗のもとに作り上げてきた自社開発リソースとしての専業ソフトハウスの行方は、暗礁に乗り上げてしまっている。足切りとして取り扱われる限りには、実力が試される状況の中で本当の意味で良いサイクルが回り始めればよいのだと思う。

日本という国が世界中に売り込める付加価値について、日本のメーカーや技術者が再認識することが大切だと思う。どの国内メーカーも生き残りに必死な状況なのだが、国中の携帯の総生産を積み上げても世界の一翼に連ねる状況ではなく極端に高級化してしまった端末機能が世界の趨勢からは外れてしまってきている。むしろ尖がった機能の一つ一つをより楽しく見せるという意味においては、アプリケーション主体のプラットホームが成功を収めつつある。複数の機能を同時に動かしたいといったことに指向した流れで向かったものと相反する動きがそこにはありそうだ。

日本という国が持つ、インフラや文化でこそ、こうした新しいクールな環境やサービスを謳歌する一大テーマパークのように、することで観光立国も、サービス立国もオタク文化立国も含めて輸出すべきさまざまなコンテンツを抱えているのだが、楽しさを最大限に活用するという流れにならずに、無理をしてコテコテに合わせようという流れでは、かつての猿真似と呼ばれるような印象のものしか出来ないということに陥ってしまうだけだ。割り切りとバランスで尖がったクールな端末やサービスを提供していく、今までのサービスとの互換性などに縛られてしまう限りは世界遺産に登録することしか出来ないといえる。

日本の組み込み産業が空転することなく、新しい方向性に基づいた事業の流れに乗り、いろいろな取り組みが相互作用を果たして、結果として富国論につながるようなストーリーを政治が誘導していく必要があるのだと思う。日本がCDMAで敗れたのは、それ以前の国策の差なのだと思う。クラウドの流れを組み込みのサイドとしてどのように活用していくのか、光ファイバーで国中を結んでいる国情を活用したサービスと4Gへのつながりが考えられなければ、このまま日本の立ち位置は無くなってしまうだけなのだと思う。

業界独り言 VOL358 老師とのオフ会の二次会は延期

母校への寄付金払い込み手続きが完了するにいたった。承認をいただき、振込みを実施してい、さらに受領書を発行してもらい、これで確定申告には万全であり、世の中の不透明な不景気風の中で意味不明のメッセージを発信している政治に対して直接的に出来るだけ税金を払いたくないという気運にも合わせて、長年暖めてきたことが始めてみると意外に簡単に実現できた。無論、中学以来の身勝手な付き合いに付き合ってくださっている先輩のおかげであることはいうまでもない。

綺麗なテレビに刷新して、毎日とても綺麗なくっきりとしたスクリーンに地上デジタルの放送が、ハッキリしないニュースをつらつらと流している。すっきりした、溌剌としたニュースでも見たいものだが、綺麗なスクリーンから提供される悲しいあるいは、哀しいニュースの数々には、ますますガッカリしてしまうのである。思い違い殺人といった、ニュースの流れの源流が、ゆとり教育から派生してきたものではないと信じたいのだが、何か自分で手伝えることは無いものだろうかと考えてしまうのは歳の性だろうか。

昨日は、好きなシンガーのライブとオフ会を掛け合わせて、マイコン老師のD氏、同期のM氏と南青山のライブハウスで待ち合わせた。M氏の出向先は、実は自分の勤務先と目と鼻の先で交差点を挟んでの斜向かいの兄弟ビルでもある。以前から、そのことに気が付いていたので、彼に夕飯の誘いなども掛けたことがあったのだが、実のところ彼自身は、そのことが分かっていなかったようだった。以前に、東京の事務所に遊びにきてもらったことがあったのだが、今年からの出向生活では気がつかなかったようだった。 続きを読む

業界独り言 VOL357 マイコン老師達とオフ会へ

オフ会と称して、同期の仲間や、一緒に仕事をしてきた仲間と語らうことは業界が違えても意味のあることだと思う。無論経験を共有してきた時間に基づく相互理解や互いへの信頼がベースとなっての話ゆえに、会わない時間が経過しても人生の味わいも追加されて円熟した味わいになってきての意見交換になるからでもある。20世紀に入社して、産業コンピュータの産声と共に歩き出して、いまでは家電品自体がマイコンなしでは語れない21世紀に突入した。

未だに鉄腕アトムも御茶ノ水博士も現れないが、確かにロボットもコンピュータも登場してきているのだが何か時代を牽引していくものが見つからないように感じる。社会人生活としての所謂、会社員としての暮らしが出来るのも後少しであり、同期入社の仲間もそれぞれ会社での役割を担って後輩の育成や、業界活動に身を費やしている。現場でソースコードを追い求め続けるあるいはチップセット開発を続けていくというのは日本では何故か順繰りに若手に回していくサイクルが不文律としてあるようだ。

会社生活を続けていく限りにおいては、それは会社との契約でもあり、気に食わないのであれば契約更新をせずに自ら条件のあう仕事に移るか、もしくは事業を興すというオプション選択ということになる。こうしたサイクルは実は米国であっても日本であっても同様で五年くらいの周期で自らが変えていくのが米国で、日本でのそれは、五年周期ぐらいで次々と会社の中での役目を変えていく必要に迫られるということになる。

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まぼろしの邪馬台国

久しぶりに一人で映画を楽しんできた、同書を書き起こした盲目の文学者である宮崎康平氏と、その妻和子さんの夫婦の物語である。時代背景も何も知らずに映画を鑑賞させていただくことになった不届きな状況ではあったものの。ロマンを追いかける魅力ある夫婦像を謳いあげる映画には、すっかり堪能させてもらった。

私にとっては、まだ見ぬ地である、島原ではあるものの次第に康平の追い求める原風景としての邪馬台国が被るようになり輝きが増してきたように感じ、一度訪れてみたい風景になりました。九州にはロマンを追い求める人が集まるのでしょうか。私の旧友にも、ロマンを追い求める夫婦が福岡にいますし、土地柄のせいなのか、風土がそう人に影響を与えるのか。

戦後復興の渦中での島原鉄道の前向きな経営が、その島原での天災に遭遇するまでの、豪放磊落なさまと、天災で受けた神託に基づく邪馬台国へのあくなき探究活動が社主を追放されても、彼のよき友人の助力と献身的な妻和子のサポートで成しえたのは、素晴らしい夫婦愛での二人三脚の賜物だろう。

業界独り言 VOL356 未来に何を託す

新総理が迷走しているようだ、珍回答をしたり聴衆を間違っての演説など嘆かわしい状態だ。一昨日は、ふるさとを題材にした古地図をベースにした痕跡探しといった番組を楽しみにしていたところ、大事件のスクープとして厚生事務次官殺人事件が出頭したことからキャンセルとなった。工学部中退の40台半ばの犯人の実像が描き出す、いろいろな意味での最近の日本の実情が見せるものはさみしい内容である。ヒステリックにそうした内容を追いかけることに終始するのもいかがなものだろう。

こんな現代という状況では、政治が何をしてくれるのか、何を期待してよいのかも不明で自らの判断で期待できるところに寄付をしたり活動をしていったりということが必要なのだと思う。政治への物言いをして税金の使途に文句を言うよりも、寄付をして期待する場所にふるさと納税的に運用したいのは道理ではないだろうか。先日の文化祭での母校訪問で、自身が思い描いていた最近の学生の志向している状況に対峙している先生を埋めるものとして幾許かの材料購入費などの基金があればと思い寄付を申し出た。

当初は、無線機材などの寄贈を考えていたのは以前から先生とも話をしてきた中で、アマチュア無線とネットの融合という意味で後輩の無線部員たちの活性化を図りたいというものだったのだが、活性化以前に無線部員という実態が電子工作同好会のように変貌しているということでいわゆる昔の電波少年といった趣きの子供たちはいないということのようで、まれにいるそうした子供達を捕まえて活性化するということ自体が無体な考えだったようだ。

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