VOL18 学校はいま 発行2000/06/23

梅雨のさなかではあったが、母校を訪れた。赤坂から京葉線の乗り換えはいつものことながら良い運動になる。時刻表の8分ほどのマージンも実際はほとんどないような状況の距離である。学校を出てから四半世紀近いのでアクセス方法も多様になってきた。既に特急は京葉線に移ってしまったし、アクアラインでのバスも便利である。子供が少なくなってきた時代に、高専というものがどうなっていくのか、昨年の転職事件以来訪問していなかったこともあって訪問することにした。半日のデイオフを電子メールで事務所とメンバーにメールは投げていた。出先であっても急用があればcdmaにメールが入るのだ。東京駅からビューわかしおは雨の中を、ディズニーランドを横目に抜けていく。平日の雨という状況でも駐車場は一杯だった。家族旅行の風情のボックス席が空いていたので混ぜてもらいメールを確認しつつコーヒーを飲んでいた。

高専という学校が,現在のシステムアーキテクトを目指している時代で、どう機能していくのか気になるところである。電気が好きで入学してくるといった時代を東川は過ごしてきていたが、いまも同様なのだろうか。日常にケータイやピッチを利用しているような中でどんな意識が学生に生まれているのだろうか。高専は中学に続いて専門教育を大学レベルで実践し実習などを中心とした実戦力を養わせることが設立の主旨であったはずなのだ。確かに旧式の二現象のオシロで学んだことは、役に立ち会社生活でのそれにおいてどんな環境でも計測解析を出来るようになっていた。会社生活の中で研究職としての配属はありえないというのが当時の会社での考えでもあった。受験勉強というレース経験を持たない高専卒のメンバーの評価としてはしかたのないことであったろう。思い返すうちに蘇我に到着して、内房線の快速に乗り換えた。内房線の快速電車の停車駅の数は、やはり沿線の発展を映して増えていた。木更津に到着して茶菓を買い求めてタクシーに乗った。田舎だった木更津の町も大分変わっていた。校内に入っていくと来る度に建物が増えているような気がしていた。

一昨年訪れた折には、初芝通信のリクルータとして、翌年には木更津高専からの要請で先輩として社会人生活についてのパネラーとして意見を述べたりしていた。四半世紀前との差は訪問すると明確で、女子学生が一般化していることである。今年からは女子寮まで出来たそうである。機会均等という観点からもこうしたインフラ整備は良いことだとおもった。女子学生が増え始めたことは知っていたが女子寮まではなかった。かつて、初芝に入った頃に技術者として女性が入学したころに顕在化した。初芝としては、女性社員の定義を親元から通勤できる範囲として捉えていたことだったのである。女性の初芝進出は、およそ20年ほど前に私の後輩として入社したことではじまり、やがて初芝にも他社並に女子寮が出来るようになった。訪問すべき先生は、電気工学科と電子制御工学科に今は分かれている。かつては、電気工学科しかなかった分類が情報・電気・制御とに増設されている。高電圧から電子回路までの広範囲を学ぶことに無理はあったのだと思う。

二学年上の先輩が、今年は電気工学科の5学年を担当している。茶菓を持ち訪ねたが、まだ授業の時間なのか不在だった。メールで訪問の確認をしていたので到着を示す茶菓を置いて他の先生を訪ねた。四半世紀を経てまだ教鞭をとっておられるのは入学当時に講師として入られたばかりの先生でもあり、日産でロータリーエンジンの研究開発部門にいたという現場の方を迎えることが高専としての方向とあいまって、より勉学への意識も高まったように当時を思い返していた。この先生は、電子制御工学科が出来た際に移籍していた。先生の部屋を訪ねる高専の今後についてのお話を聞いた。やはり学生が減っていることがベースにあり、国立高専自体も民営化の方向に向かっているようだった。民営化以前に専攻という制度の設置を巡って揺れているそうだ。高専は5年間という期間で大学並みで実践主体という教育をすることが特徴だった。しかし、昨今は進学希望が増えて、技術科学大学という高専・工業高校の卒業生を対象にした大学・大学院という制度で設置されて運用されてきた。一昨年からVAXのシミュレータ開発を依頼してきた先生は初芝から母校に戻った先生であった。隣接する松江高専にはやはり初芝をさり教鞭をとっている先生がいた。松江高専にはすでに専攻科が出来ていたと話をうかがっていた。そう考えると木更津のそれは遅れをとっていた。

高専という形態にこだわった教育をしているという・・ことを貫いているのであれば設置をしなくても良いのだろうが,実際民営化などを見てきた際に通常のケータイのスペック判断などと同様に学校としてのスペックに必要欠くべからざるものになってしまったようだ。では簡単に専攻科を設置すればよいのだろうかというと、そこに驚くべき日本の教育の錆びきった現状があった。木更津が遅れた理由の一つには専攻科の設置には教授陣の半数以上が博士号をもっていることが必要条件なのだそうだ。実践教育主体となっている高専が大学を標榜するということ自体が矛盾していることなのかもしれない。今年そうした条件をクリアできたために予算申請の時期にあわせて申請書類をまとめているのだそうだ。どういった教育プログラムをするのかというのが文部省に向けた鍵なのである。しかし、別の障壁が大きいのだそうだ。現在日本には、文部省管轄外の大学が存在している。防衛大学校などいくつかの学校が該当するのだがこうした大学(?)にも修士課程があるのだが、こうした学校の教育を判定する機構として学位授与機構というものが出来ているらしく、ここで教育プログラムを運営する教育陣の各人毎の内申書を添付してこれを学位授与機構で検定するのだそうだ。この内申書には、先生が研究しているテーマや論文の履歴など詳細に記載する必要があるのだそうだ。さて、そうして作成された内申書を検定するのは実は、学位授与機構なのではなくてここから依頼されたその分野の大学の先生なのだそうだ。たしかに論理的にはそうだが、この国の仕組みというのは錆付いたものであり、このまま運営できるものではないと感じた。

さて、そうした背景をきいた上で、先輩にあって話しをした。先生として今年の入学した学生に対して,将来の希望をきいたそうだ。女子学生が多くなったこともあるのだろうが、「花屋をやりたい」「レストランをやりたい」「・・・」といった話を聞いて悩んでいるそうだ。こうした学生も進路指導の先生から指導をうけたのであり、進路指導の先生自体の進路指導もしなければならないのだろう。中学の先生自体は、中学生の個人の希望を聞くよりも合格率を上げることのみに費やしているような話を聞き仕方がないのかもしれないと話していた。このような学校の状況で専攻科という仕組みを用意してもどうなるのだろうか。そういえば専攻科自体は、クラスから1割しか進めないということであり、二年間という期間であるそうだ。で・・・・学位が取れるかというと、ご賢察の通り「学位授与機構」の試験があるようだ。さて、このような中で出てくる学位の意義は、私自身はわからないが研究職につきたいのであれば日本以外の会社に進んだほうが自由で良いのではないかというのが私の感触である。入学試験のみに力を入れている日本の学校の仕組みは、実はそれ以外にもこんなに病んでいたのだ。

システムアーキテクトを求めるこの時代に、私自身は専攻科という仕組みは受け入れたいのだ。広く知識を求める中で深く専攻した部分とを併せ持つことが私たちが求めている技術者の姿なのだ・・・。自分達で、どうやって教育していくのかということが実際のところ鍵なのだろう。

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