VOL17 インタビューの日々 発行2000/06/24

夏に入るのかと思い込んだ金曜日、また梅雨であることを思い返される天気になった。いつもより早くに会社に向かい大門で途中下車をした。ベーグルを買い求めるためである。ここのベーグルは中々良い。昼食をベーグルにしてみるためである。半年ほどの缶詰暮らしで体重が増えたことを気にしてのことである。幕張のお客様のサポートを確認しつつ、午前中にアポの入ったSONYの候補者との時間を気にしていた。サポートチームはフロアとして独立していて今年に入ってからは昨年からの3db強化もあって賑やかになっている。またソフトウェアの支援体制としてさらに6dbの増加をしていくには賑やかから騒々しさには変えたくないものだと、ある会社を思い出していた。

支援部隊としてのスキルはソフトやハードと限定されるものではない。総合的なシステムとして稼動しているCDMAのハンドセットを仕上げているお客様からの問い合わせには当然自分の得意でない分野も含めて広く考えて誰に聞くべきか、何を聞き出すべきかを考えつつのメールや電話の対応を進めていくことが必要である。入り口が騒がしいと思ったら朝からキャリアとやっていた電話会議が終わったようだった。幕張のキャリアとはなにか違うもたついた点が、このキャリアの良くない点であり二番手の烙印が中々消えないのだろう。社名を変えれば直るのだろうか?米国サイドで対応していた面々の顔や日本サイドでそれを危惧していたメンバーの両方の困惑の顔が思い浮かんでいた。会議は簡潔的確に意見をだしあうものなのてあるがずるずるとした印象で終わったようだ。こうしたキャリアの育成も含めて我々の仕事なのだろうと思う。どこかの会社でどこかの団体相手に行なわれていた悪い事例を思い出していた。

そうこうしているうちに品川の会社の候補者から電話が入った近くまでついた様子だった。最近品川の会社に転職したやつからの紹介である。品川の会社で10年以上仕事をしてきたツワモノらしい。品川の会社では10年の間に50%は転職してさるのが社風らしい。彼らは社に貢献するとかいった文化や精神はなく、まったくの個人の思いのみで仕事に就いているというのが初芝と大きく異なる点のようだった。要素技術を志向しつつもの作りに励んできたという候補者とひとしきり話をした。初芝時代を思い返しつつ、前職での話をすると彼はQuad社にしようか初芝にしようか悩んでいるようだった。表面からみる華やかさの品川の会社とは好対照の初芝ではあるが携帯というジャンルで特化してその頂点からほかの事業全てを引っ張っているというのが彼の初芝の印象らしく高速化時代をにらんで携帯を中心とする要素技術の世界に飛び込もうか悩んでいる様子だった。初芝は、現在社を挙げてWCDMAを推進しており求人活動も積極
的なはずだった。

品川の会社でワイドの開発をしているA氏は周囲の人的環境のひどさに閉口しつつも技術的な自分としての目標を目指して仕事完遂までは会社に留まりたいと話していた。きっと彼もQuadで欲しい人材の一人である。システムの要所を押さえられる数少ない技術屋である。そんな彼の紹介であり,実際この候補者とも意見の位相にずれはなかった。数多く品川の会社の中枢プロジェクトを任されているが人的環境のひどさなどから参っているというのが彼の状況に見受けられた。年度末までの仕事でキリをつけて移ることが出来ればというのが彼の希望だった。我々はすぐにでもきてほしいところであり彼のパーソナリティや能力の印象などからまずは保留して継続していきたいという感触をえた。

支援技術者という仕事が、東川が初芝から移籍してきて要素技術を提供支援していくという東川の初芝での思いと符合をしたんだという話をしたところ意を強くしてくれた。彼を紹介してくれたメンバーも含めて来年に向けて拡充していく姿が思い浮かんでいた。彼も初芝にいたとしたら、かつて東川が執筆していたTechPaperに投稿などもしてくれたであろう。要素技術で支援していくには、それを売っていくことが必要だと初芝時代に提言していたのだが、実際に商売としているQuad社に来てそれを実践している自分に気がついた。技術者のための技術者という支援技術者の仕事の妙味は中々わかってもらえないのだろう・・・

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