VOL32 二千年夏 発行2000/08/15

 電機労連の方々が休みに入ると我々は少し落ち着いた時間が取れる。こうしたときに進めやすいものは、技術のキャッチアップやスタッフィングである。6デシベル増加に向けて各方面にアンテナをはった。技術屋としての家業選択において過去には英語が出来ないから技術屋になったんですよという御仁もいた。確かにそうした年代の人は英語で躊躇するようだ。技術的に躊躇しないひとが、なぜ英語で引いてしまうのだろうか。忙殺されるスケジュールの隙間を縫って本社メンバーがスタッフィングの面接に立ち寄ってくれた。優秀な技術屋もこうした面接であがったり説明したいことの語彙が不足したり質問が理解できずに苦しんでいる。日本サイドとして、候補者のかたについての面接を経た結果でも一応仲間の増加に対しては特に中核になってほしいメンバーの場合には念をいれることになる。先日、幾つかの行き違いなどから内定しながら辞退された方がいた。優秀な技術屋さんであったがメンタリティとしての面が当面彼の進路について現状維持の道を選択された。義理堅いという特質をもたれている人であった。
 
彼はいわゆる小規模なシステムハウスの技術屋である。前職は初芝系列の会社で通信機器の開発にあたってきたのだが、通信機器普及に伴う低価格化などのなみによる激動から部隊の上司がスピンアウトして起こしたシステムハウスに転籍していたのだった。システムハウスの隆盛は人生といっしょで新たな人材を育成していかないかぎりは仕事内容を変容していくしか生きる道がなくなっていく。良い時期に仕事に恵まれてきた彼らは当時の若手技術者の彼を筆頭にする段階になっていた。考えてみれば彼の上司達の仕事はなくなってしまったのである。仕事を推進していくのは幾つかのキーとなる技術力を持った技術屋であり、付随した古参の管理職がついてまわることになる。こうした彼を引き抜こうとしたわけではなく、解散した会社の技術屋として目をつけて声をかけたら実は技術者はみんな社員ではなかったという実体だったのであった。CDMAの経験を持つ彼にとっては、quad社で働くことが理想的な状況にみえていたから・・・。しかし誤解と混沌の始まりだった。
 
どろどろとした状況の中で彼の会社のボスが乗り込んできた。今となっては彼を手放しては会社としての存亡に繋がるというのだった。実際システムハウスというものはこうしたことを契機にして衰亡してしまうのだろうと思い至った。大会社のなかで飼いならされた覇気のない技術屋もいるかもしれないが、スピンアウトして技術一本で仕事をしてきたシステムハウスの技術屋は良い環境があれば転職しやすいのだろう。これは日本も米国のような状況に近づいているのかもしれない。人をつくることを先に行なう大会社にいた彼は、結局メンタリティから当面は上司達との仕事を続ける道を選択したのである。米国人には理解できない結果かも知れなかった。こうしたことも先の面接に影響している。
 
社会という公器から人を預かっているという・・・ようなフレーズから考えれば活かせていないのであれば自ら訂正すべく飛び出していくのも正しい道だと思うのだがいかがなものだろうか。CDMAのカスタマーであるメーカーの技術者においても同様で、年功序列型の会社の仕組みからある「年齢相応の仕事へ」とか「会社としての方針で注力した分野だから」といった打診が降りかかってくるのは致し方ないのだろう。こうした技術者が逆に弊社の元に飛び込んできたりする幸運もある。この会社では、事態の打開を図るべくそうした意識をもっていそうな技術屋の待遇処遇を変えたようである。昨今は成果連動主義に大会社も変わってきたようで事業部や分社ごとに給与が異なっているらしい。逆に優秀な人材に手厚く保護をという米国のような姿は、電機労連というような枠組みからは逸脱した方向なのかもしれない。
 
スピンアウトしてカスタマーとして多くの技術屋と語りつつの仕事を日常としてきたことから、こうした意識や文化のハザマのなかでも仕事の仕方は確実に変わろうとしていることを感じている。我々が進めていることは特許をベースにした要素技術の一本化による開発効率の改善とサイクルアップというのがあと5年ほどの姿であると認識している。ここに無駄な開発をしなくて済むようにと仕事を集約化しているのであって技術屋を引き抜いて仕事を奪おうとしているのでは決して無い。私も含めてここにいる技術屋は5年ベースに仕事の展望を考えつつの仕事をしているように思う。残りの五年を過ぎた頃には何をしていようかというのが、次の楽しみである。人生は楽しい。限られた人生の中で運命のように会社の中で埋没することを死守しようとしている知り合いもいる。人生の多様性の中で各自の自由なのだが、会社にしても個人にしても相互に不幸なのではないだろうか。ノーといえない技術屋が増加してしまったのだろうか。
 
一度、転職を経験した人はそうした経験から次の転職が起こりやすくなる。転職してきた人材をつなぎとめられないのだとしたら会社としてのシステムに何かひずみが起きていると考えるべきだろう。こうした人材を日常のように輩出している会社では出て行くのも前提としてとらえて人材確保を進めている。辞めると宣言しても居留もしないらしい。仕事を共有した仲間という意識だけらしい。こうした経験を持っている人の周囲はよく留意すべきだ。こうした技術屋さんに人望があった場合には、彼が転職する場合には彼の目から見ても今の職場に魅力が無いということを再確認してしまうことになるからだ。
 
今は一日に二件ほど面接をこなしている。ペーパーで厳選したうえでの取り組みなのだがペーパーでの絞込みも考えものかもしれない。日本に働きに来ている中国人技術者なども応募している。彼らのほうが我々にとっても有用な気がしてきた。日本語を巧みに操り、五年くらいの間に仕事を着々とこなして身につけてスピンアウトしていく・・・そんな姿のほうが健全に思えてきたのである。無論スピンアウトする気概を持つも,会社自身がドラスティックな変貌を続けている現在のQUAD社においてはいつづけることがスピンアウトを続けているほどの意識にもたとえられるかもしれない。
 
会社に育ててもらった恩義を感じている世代はスピンアウトするための呪縛が強いのかもしれない。

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