VOL45 衣替え 発行2000/10/02

十月に入り、衣替えの季節となった。弊社では、オフィスの移転も重なり、今日から青山のビルでの生活になった。セキュリティやネットワーク、電話などのインフラが刷新されたために午前中は開梱やら電話機の説明会などでつぶれてしまった。人員の拡張に備えて広い会議室や実験室といったスペースなども用意された。まだ機材の手配搬入はこれからせのところもあるが確保すべき人材のためのブースは用意が出来た。INS1500の回線がこの規模の会社で引かれているのは異様なのかもしれない。少なくとも回線不足になることはなさそうだ。

まだ、ブラインドの工事は出来ていないのでカーテン越しに対応するツインのビルが見える。赤坂御所に隣接するロケーションの眺望は良く、机からは迎賓館が望める。昼食時には、周囲の探索をしてみたが、ビル内のレストランや、おしゃれな町並みに見合った高いランチメニューが周りを取り巻いている。絵画館の通りまでいき北青山アパートの一角の中華料理屋まで足を伸ばした。ここいらでは安い定食にありつけた。北青山アパートも高層住宅に刷新されていて私の記憶のタイムマシンの風景からは時代考証が出来ずにいた。

ネクタイをしめたりしないアメリカンスタイルでいる我々の仲間は青山の風景からは浮いている印象がある。少なくとも赤坂での風景とは異なり、スーツ族が周囲を席捲している。もうワンブロック進めば品川の会社のプレステ開発の部隊がいる地域になるのだが、まだ青山一丁目では伊藤忠やホンダといった堅い会社が多いようだ。ソフトな雰囲気の弊社のような会社はいないようだ。やはりエンジニアには、都心ではなく、もっと開けた風景での環境が良いと思うのだが、エンジニアのみを、移すほどの体制ではない。

明日は、開けた風景の幕張新都心でCEATECが始まる。既に関係者は、今日から行っている。エレショーとコムジャパンとが合同開催になったのがCEATECらしいが、入社以来毎年のように何かしら展示会などに行く中で展示される内容も主旨も対象も変わってきたようにおもう。シーズとニーズとが融合していくさまが、こうした展示会で見つけられたりユーザーの関心などをどのように引こうとしているのかなど勉強になるものである。アメリカのコムデックスなどでは雨後の筍のように色々なベンチャーが小さなブースで出しているので楽しみも多いのだが日本では、そこまではいかないようだ。

ベンチャーといえば、知り合いのデータベース屋さんの消息がインターネットからわかった。日本のパソコンソフト業界に多大な貢献をされた方であり、心配していたが。案ずるには及ばず、元気にしていらっしゃることがわかった。一度お会いしてみたいものだとおもう。初芝通信でのタクシー無線でも、この会社の製品には大変お世話になっている。横浜と三島と西海岸にベンチャーとして開発の本拠を構えて、ビルゲイツから賞賛されるようなウインドウズベースのソフトウェア開発を達成した原点のような人なのだが時代には早すぎたのかもしれない。20年の会社運営をへて事業を閉鎖された。最大の負債者は彼自身であった。そごうの事件などとは異なり、倒産ではなく閉鎖である。

しかし、こうした偉大な人の足跡がC言語やらオブジェクト指向の現在にいたるまでの原動力であったりすることも意外に知られていない。今私たちは、C言語で自由に日本語を操ることが出来るようになったのだが、この方ともう一人の日本のソフトウェア業界を引っ張ったある人物とが規格策定に大きく貢献した事実を私たちは認識すべきである。このお二方ともに初芝通信のある事業部では大変お世話になった時期があり、双方の現在を知る私としては、そうしたことを伝える衝動に駆られるのである。今はサンフランシスコにいるらしい彼と、会えるかもしれないのは楽しみでもある。

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