VOL73 愛よりも楽しい何か 発行2001/1/20

愛を取り巻く環境は世界に到達しようとしている。日本の茶道の奥義を駆使して野点で楽しむ新しいスタイルを確立したからだ。この新しい野点では、実際には大塚ベバレッジのJava TEAが使われている点が新しい。何処でも座り込むという最近の若手の心を野点で掴めるのかどうかは、野点での演目に大きく影響するだろう。

愛を説く宣教師達は、愛のスタイルとして野点での新茶道を急展開しようとしている。若者は愛を求めているのかどうかは別だが、愛あるものとの以心伝心が速いと言う特徴から愛を求めているようだ。ビジネスで野心をあおるもの達は、愛を肴に宴会や祭りが開かれることを想定してそうした会場への的屋としての参画を求めている。最新の技術で自宅からそうした祭りや宴会会場とをオンラインで接続できることが一つの売りでもあるからだ。料金回収も愛により容易であることも理由なのかも知れない。

愛の無い人たちは、JavaTEAではなく欧州のスタイルに嵌っていた。紅茶の嗜みである。文句の多い欧州を中心にしておけば間違いがないという考え方だったのかも知れない。北欧には愛の無い姿も一般的なものだったかも知れない。世界に通用するというものとしてうまく離陸したものは中々ない。技術的に優れているからといって通用しなかった技術は幾つもの事例をしっているからだ。

さて、愛を標榜する宣教師たちは、お茶を極めるアプリケーションとしての新茶道に走ろうとしている。当然、決めた野点の流儀を見事にこなす茶道の大家を認定した。多くの流儀が増えることは望まないからでもある。もとより、この宣教師達のお茶の流儀を書き上げたのも認定された大家であったのもスピードある展開を考えての取り組みでもあっただろう。この大家は日本中のお客様の相手ではっちゃきになっている。この茶道教室の処理能力が、そのまま会員増加に繋がるからでもある。

この茶道の大家の方は社交的な方なので、特に表立って愛を標榜する宣教師達との関係はなく、自動車や電車の方たちともお付き合いを全方位的に行っている。しかし、最大の会員数を誇る愛の宣教師達との付き合いを優先するのは致し方ない。無論、愛の無い人たちも英国流の紅茶の作法に走っていたことを反省しつつ紅茶好きな方への影響も考慮した形で両方に矛盾の無い野点の仕方を考えているようだった。愛の宣教師達に賛同するコンテンツも含めて利用したいというのが彼らの考えでもあり、愛と野点はやり物の一環として二番手戦略での追従作戦を展開することになったようだ。

当然紅茶以外にも歌劇の経験をもつ愛の無い人たちは社名にも冠された愛の文字を愛を標榜する宣教師達を抜き去るべくあらたなフィーチャリングをしての取り組みとして差別化をしようとしている。しかし、茶道の本家で規定した範囲を逸脱することは望まないのが二番手戦略という文化から打破できないのである。けっして1番になることは出来ないのが悲しい性でもある。

言葉の壁もありいつも愛を標榜する宣教師達が日本を中心として顧客を確保してきたのとは対照的に愛の無い人たちでは英語圏文化を共通の姿として考えてきたのだったが・・・適用した技術をドライブしているユーザーのフィーバーが不足していたのか時代に取り残された印象が色あせたものとなってきた。共通のものを考える姿と、在りたい自分を追及する姿とでは流行の震源地を変える事はできない。

さて愛の無い人たちが、紅茶を嗜みとして選び、通信先進の技術を選択した割にはそうした先進性を生かせずに愛を標榜する宣教師達に押されてしまっている背景には社名の圧迫があったのかも知れない。三人寄れば文殊の知恵のはずなのだが、三人の賢者ということではないようだ。技術提供をしている立場から見れば、何が楽しいことなのかという観点の研究が必要だと認識してきた。

何処でもお茶会が開けるためには、愛を標榜する宣教師達の社名に関されたメッセージを実現する革新的なフィーチャを開発したのは実際には愛の無い人たちに技術提供をしている会社である。愛を標榜する宣教師達が嫌った占星術の技術を嫌ったのは中国大陸などへの展開も含めて4000年の四柱推命の国に海外製の占星術などを持ち込むことは出来ないと思ったからなのだろう。誰でもコミュニケーションを弾ませるものとして双方の立場を迅速かつ正確に知りうることは必要な技術なのだが・・・先進性の重要性を認識しない風土はいたしかたない。

愛の無い人たちでは革新的な変化を嫌う体質があるようだ。役員が50人もいるそうなのでこのグループのリストラが必要なことは明白だ。しかし、硬直したグループに賛意を唱えて参加している会員達がこのデパートに商品を提供して在庫一掃キャンペーンばかりが目に付くのは新製品テーマ設定などが二番手戦略以上のことがないからであろう。こうした在庫問題が続く限りはこのデパート閉鎖するしかないだろう。

大株主から見れば、倒産した上で責任追及をして会社更生をするしかないと考えているのだろうか。確かに合併した膿をだすのに痛みは伴うのだろうが・・・。このデパートの出入り業者にしてみれば、商売の方法も規制されて値段も含めて不満だらけであろう。デパートのキャンペーン方針に則らない製品が出せないのはどうしようもない。そうしたキャンペーン方針自体が競争相手の二番煎じであるかぎりは何らの進展も期待できないのである。

では出入り業者は泣き寝入りなのだろうか。愛よりも楽しい何かがあれば、もっと早くに自由に楽しい商品を開発することが出来るはずなのだが・・・。大店舗には、外圧で立ち向かうしかないのだろうか。自分達の希望する商品開発の自由解放へのストライキがあっても良いはずなのだが・・・販売するビジネスモデルがそこには横たわっているからだ。しかし、現在のデパートが提供する範囲のみで出来る楽しい何かがあるのではないだろうか。

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