VOL78 誤解と納得のなかで 発行2001/2/7

メーリングリストの運営に切り替えてから実は、一切メールが配送されていないという恥ずかしい事態を経験した。気づくまでには、私自身は、レスがないなあという思いであり。配送している同僚も新環境に慣れるのに時間がかかっているからかなというような誤解をしていた。会社の中ではこうした私的MLを運営していることは明らかにしていないのである。会社のためにしているわけでもなく業界の動向のなかでふと漏らしたい独り言なのである。

独り言に対するレスが無くても普通なのであるがため息を漏らすときには、同僚がいるのは心強いものである。読者の中には、「ああ最近こなくなったわね、新年から配送リストから削除されたのかしら」と、納得して意気消沈している人も居たらしい。誤解と納得で相互のフェーズが埋まっていたのだった。たまたま、こうした状況を打破したのは年賀状メールが種々の事情で遅れた若手技術者からの便りだった。一時的独身同士でもあったので食事でもしようかというのが実は真相であった。

お客様の忙しさとサンディエゴの忙しさの相互のおすそ分けをもらいつつの忙しさがありつつも時間的には余裕が出てきてもいるので、考える時間としての独り言を認める時間は大切にしたいと考えている。コミュニケーションのベースにあるものが変わらずにあればいつしか誤解と納得が解消されるものだと勝手に解釈している。コミュニケーションをプラスの目的で捉えている限りには何かの事由により解決されるのだと思う。

反面教師として社内のなかのコミュニケーションでうまくいっていない人たちも見つけることができた。彼のスタンスは、会社としての拡大路線に反対しているのでプラス指向で捉えないことが起きやすいのである。こうした人の行動が引き起こす問題は、引き起こした本人の意識とはかけ離れた問題を引き起こしてしまうことに陥る。当然、本人にそうした意識はない。会社全体の意識を高めていくことに取り組んでいくことはどうしても必要なものであろう。会社が安定期に差し掛かってくるときにこうした問題が露見してくるのだと思う。

私自身は、まだまだベンチャーな気持ちで過ごしているし、そうした気持ちを共有しているケイ佐藤らとのコンビネーションを支えようと努力している。個々の位置付けや組織は異なるものの私自身の理解やスタンスについては臆するところ無くいつでも発言するようにしている。素直な自分の気持ちを説明していくための論理立てた説明・解説を英語で行う事も発生するのだが、私の表現力不足で悪化することが無ければとは思うのだが・・・・。プラス指向の気概があれば、不思議と先方も聴こうとしてくれると感じている。

起こっている現実の動きを全体としてプラスにしようと考えているのだが、マイナス指向あるいは現状肯定型の人たちから見ると「リスクを背負うことはない」という通り一遍の姿を見せられてしまいベンチャのQuad社にジョイントした私の気概をそぐための神様からの課題提示であると最近は自身に言い聞かせている。哲学の領域からこうした考えの人たちをも味方につけることをテーマとしている。この携帯業界を変えようとしている私たちにとっては、トップレベルの異才と取り組みが求められている。

誰か、私達の○-MODE事件の主人公になろうという人はいないだろうか。

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