VOL79 シンプルな感動で目を回せ 発行2001/2/8

iアプリが始まっている。電車でも黒赤緑の紙袋を抱えながら、説明書を読み耽る光景が増えている。コマーシャルも始まっていて、よく目を凝らしてみると実はFというマークが目に入る。なぜPではないのかと勘ぐってしまった。それなりに理由はあるのだろうと思う。ただし、電車でみる光景はPマークの取設を読んでいるように見える。続けて出てくる機種は、さらに改善されてくるに違いないと思う。

自分で作ったアプリを携帯で動かすことが出来るのはある意味で凄いことだと思う。歴史に残すべき事由だと思う。ハッカーたちが腕を競って楽しいアプリを競争して作るという世界になるのかどうかは別問題ではあるが、DIYの雰囲気を醸し出すということも手伝ってJavaの搭載は新たな文化を生み出すと感じる。ソフトウェアのプロの方たちがこうした世界であまりにも足枷が重いなかで性能のバラツキも含めての市場がどうなっていくのかは想像に難くは無い。

最近、ケイ佐藤が楽しそうにしているのだ。一つはお茶を濁さぬ戦略の萌芽が見えてきたかららしい。彼はVisorを使ってその楽しさを伝道者として伝え歩いているようだ。確かに、彼のVisorに組み込まれたアプリケーションを見ると目を回すのだ。16MHzのモトローラで出来ることが実はとても判りやすい楽しさで正に目を回すこと請け合いなのだ。

世の中の携帯での開発ベースはすでに腕自慢の世界に移行しているのは確かなので職人技に拘ってコストを抑えるという16ビットな戦略をとれるのはブランドを確立したメーカー以外は中々とれないのも事実である。苦心惨憺してゲームを動かしたりしている光景と楽しそうなケイ佐藤のVisorの風景にはギャップがあるのだ。

お茶を濁して懐かしのゲームを楽しむのもよいのだろうが、ケータイならではのアウトドアと、ネットを一体化した健康に留意したゲームなどはコンビニデートを楽しんでいるカップルをピンポンの世界からリアルワールドに有益情報を仮想的にマッピングする技術などで、まさに目を回すことが出来るようだ。こうした世界をいち早く体感している彼は、この楽しさを伝えたくてたまらない様子である。

VisorにもJavaTeaを楽しむことは出来るのだが、このレベルよりも高速に待ち受け状態であればcdmaでのJavaも動くらしいことは判ってきた。Visorで目を回す楽しさは当然、Nativeで動作しているものであり、ケイ佐藤が言わんとしていることも実は現状のチップで実現できるらしいというのが彼の笑いが止まらない理由なのである。

私は、この楽しさを伝えられるのは実はアンアンあるいはピアといった雑誌で日常的にタイアップしていくものなのだろうと考えている。そうして、最近コンビニで人気の懸賞雑誌もなくなってしまいねない可能性がそこにはあり、日常の散歩そのもので毎日得した気分になってしまいかねないとさえ考えているのだ。卓球カップルもよいが、私は自分自身の趣味でもある発見の多い散歩の世界をお勧めする。

Gooの音も出ないくらい楽しい世界が起こるかもしれない。実世界にマッピングしたサービスは想像だにしない新たな世界を見せてくれるかもしれない。まだ見てはいないのだが、アヴァロンがそうしたものに近いのかも知れないなと勝手に思ったりもしている。基礎技術を押さえることで、健全な世界で楽しめるという文化創生が出来れば、最近のコミュニケーション能力の低下したアンビリーバボーな世界から脱皮出来はしないかと勝手に思いをめぐらしている。

どらえもんポケットの楽しさを是非享受してもらいたいものと、ゆったりとお茶を飲みつつ独り言を話しているのだ。私達は楽しい世界を、地元に根ざして構築できるに違いないと確信している。地下鉄で暗くメールを読み書きするのも良いだろうが、明るい太陽の元で友達と語らう楽しさを、未知なる町を探索する散歩の楽しみを、あるいは突然梨元さんになってしまう楽しさも考えると眠れなくなってしまいかねないのだ。

あまりにも楽しいので、何かデメリットが発生するに違いないと考え始めた。そしてデメリットを生じる人を味方につけて、その人たちがメリットを享受できるようなモデルをすることで確実にしていくことが、そのための策であると考えている。良い案でも、こうした配慮をしないとデメリットを生じる人たちの手で潰されてしまうことも考えなければならないからだ。

ケイ佐藤が伝道者として説くさまに対して、「あまりに面白すぎるので今の製品が売れなくなってしまうのでしばらく手をつけないようにしましょう。」というひとが居たという事実を私は、業界の病巣のようにも感じている。

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