業界独り言 VOL132 翔んでゆく人々

電機業界で吹き荒れる早期退職制度による、業界の活性化という動きの第一ステージが一段落したようだ。10%を越す人たちの人員削減という会社側のメリットと新たな事業に向けた起業家の登場を助長しているという見方もある。初芝電子において携帯チップの開発を経験していた知人の円川氏が米国駐在の経験を通して新たな自己挑戦に入るという話を聞いたのはもう数ヶ月も前の事だ。

海外経験を積みグローバル化を体験した人たちのその後の生活は、意識改革という点でも大きな差が出てくるようだ。全ての人が翔んでしまうわけではないのだが、ベンチャー精神旺盛な意識でかつグローバルな視点や付き合いを実現して仲間の輪を広げて取組まれていくのに慣れてしまう。そうなると時差の有る本国・本社からの指示や計画が自分で見聞きする情報との差異に思いがいってしまい悩みが鬱積してしまうのかも知れない。

といって残された会社人生という枠で考えて、自分自身の生活が出来れば良いと考え、楽しく過ごせるかどうかという観点で見てみる人も多いだろう。もしそうした観点で限り有る残りの会社人生での過ごし方について大企業病に陥った人たちが意識無く残留しているとすれば無為な方向を自分で見極めることも無いままにいるとしたら現在の破綻した状況でのビジネス維持を進めていくことで傷口はふさがることは無いだろう。

そうした事を感じ取っている技術者であれば、なにか行動を起すはずである。円川氏のように会社を興して大企業で学んだ技術をベースに会社が為しえない機敏な計画や行動とで達成していくという考え方もあるだろう。日本の会社にありがちな会社人間を生み出してきた元凶には価値観を含めた洗脳教育があるかも知れない。会社と契約して活動を続けているのだから否がおうにも影響する。終身雇用制という視点で作られた教育と現在の会社が考えている期待値とは乖離しているようだ。

会社が辞めさせたくない人材が、そうした教育システムで維持できるのが会社の理想であり、辞めさせたい意識の無い人材には会社が冷徹な切り捨てを行うことを認識させたいのだとも思う。いずれにしてもそのような矛盾の有る要望とは離れてむしろ逆の形で先の有る若い人材から離れていくようになってしまうとすれば、それは会社の雰囲気なり社風なりが崩壊を始めていることを示唆しているのかも知れない。

円川氏は、会社への恩義を感じつつも残された技術者人生を最大に楽しみたいというのが希望なのであった。会社に残留することで自分が技術者ではなくなってしまうように感じていたのかもしれない。先日も彼の先輩にあたる同期のメンバーと話をしたときには非常に惜しんでいたのも事実だった。自分達のやりたい仕事を提供している会社と、その仕事の状況とを正しく認識して社会への貢献度を考えているというのが本来あるべき姿だろう。

社会貢献しているとは思えない状況の仕事を会社がしているのであれば、先は無いし自分で進めている仕事への意識も維持出来るはずもない。そうした会社を改革していこうという元気に溢れたメンバーもいるようだ。社長に直訴をしたりして訴えているようだ。早期退職制度の期限も越えて改革に進もうとするこうした優秀な意識ある人材を会社は受け入れていってほしいものだ。破綻した事実を認識せずにお客様からの要望に応える為に開発人材を更にシフトして投入していく姿は傍からみたマスコミでの合併騒動などとはうらはらな姿だろう。

かつて新しいビジネスモデルを描いて転職したことを思い返してみて、そのモデルに行き当たらない場合を幾ばくかは期待していたものだったが。やはり進行していたモデルが期待していた社会貢献は破綻してしまい、そのストーリーに投入されてきた人材リソースや、経営判断に基づいて縮小されていった分野への社会貢献も何も為しえないままにいる。業界に投げかけた無益な競走の結果は自らの業界への投資バランスと技術開発ストーリーを誤った姿に導いただけなのかもしれない。

自分が進めている仕事を正しく認識している技術者であれば、起きている現実を掴み次にやってくるものも予想して行動を起すだろう。飛ばないバンドに夢を映した、この商用サービス。実際に始まっても試験車両を走行させている。これは何を物語っているのだろうか。この商用サービスに続く姿が導く次代の置局配置も含めてシステム設計の目算が狂い始めていることを示唆しているのではないだろうか。

宣伝で描く次代と現実とのギャップが埋まる日々は何時なのだろうか。そうした中で溢れたバンドで繰り返される顧客獲得競走の無意味な姿は既に市場が飽和した事実の中で生き残りを掛けた競走をしているのだが、欧州規格とも外れてしまった現在では国内の特定のキャリアに向かって日銭を回収する以上の目的で投資をしていくメリットは見当たらないのではないだろうか。自力で開発した欧州向けの技術を持ち出して地道に開発していくのが一番の近道だったのではないだろうか。

こうした中で開発に従事している技術者を違うキャリアへの仕事で支援しているのだが、何を目的に技術者人生を送っているのだろうかと思ってしまう人たちに良く出会う。自分の進めている仕事を仕上げる事のみに思いがいっているようだ。必要な人材や技術の目算をした計画を立てて取組んだ開発なのに狂いが生じてしまう。自分達の作り上げているソフトウェアの性能についての厳密な追求などが出来ずに期日までに作り上げる事のみに奔走しているようだ。落ち着いて物事を考える時間も与えられない現実があるのだろう。

今後の技術についての方向を見定める時期に、幾つかの新技術の可能性があったとしても今の延長上に進めていく安直な道を選ばなければならないのにも理由がある。今の技術の延長上であれば自分達の理解の範囲あるいは関連する開発メーカーとの間の合意も取りやすいからでもある。まったく違う技術の導入が一二年以内に出来ると判っていても人は変化を嫌うのだ。安住の路を選択していくことになると会社としては崩壊の路となる。高い技術投資を行って導入してきた米国メーカー自体が変調を来たしている今、同様のシステムを運用しているキャリアの動向を意識しないのは何故なのだろうか。

二年前に元の会社に託してきたつもりの思いも届かないと知った今では、自分の思い描くビジネスモデルを達成するには翔んでいく人たちと共に新たなキャリアビジネスを立ち上げる位にしないとならないのだろうかとも思うのである。有用な人材が市場に出てきた今がチャンスなのかも知れない。幸い投資すべき対象を捜し求めている会社に勤務もしているのだから。意識有る翔んでいく人たちとの繋がりを大切にしていきたいものである。

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