業界独り言 VOL164 ホームサーバーの道その二

ホームサーバー構築運営の上の課題の一つは、障害モードへの対応と維持運営ではないかと考えている。実際ホームサーバーを商品としていち早くアナウンスした大手家電メーカーの意欲的な商品などは実際に起こる停電や改造などによる不具合を想定して非インテルCPUの搭載で低消費電力を実現したLinuxベースの物を出している。この商品では乾電池によるシャットダウン処理の保証などがなされている。家電商品としての戦略的な位置づけもありシンプルな外観で設定などはPC側でのWebベースで行うような作りは最近のルータなどと同じである。

仲々実商品の波にお目にかかれないセットトップボックスという幻想は、デジタルBSやら110度あるいは、地上波デジタルなどというインフラのリニューアルに基づいて官民の利権せめぎ合いという中で進められている。 オープンソースな形で登場してきたホームサーバーという商品との違和感を感じる。ブロードバンド時代に合わせた商品としてインターネット接続型監視カメラなども登場してQuad社でもオタクなメンバーが自宅に設置したりしている。こうした商品との違和感を感じるのは110度CS対応の新サービスep端末である。ハードディスクレコーダ的な意味もありインターネット接続のゲートウェイとしての意義もありそうな端末である。

ep端末としての不思議の一つは、世間をドライブ出来ていないのにサービス開始している点である。やつぎばやにBSデジタルから110度と打ち出してきたことも原因かも知れない。EPG等との連携を真摯に考えていったらEPは良い選択なのかもしれない。しかし、そこにどんなコンテンツがあるというのだろうか。自宅を例にとって見れば、今一番人気で細君が見ているのは昼の連ドラである真珠婦人である。菊池寛の小説からのテレビ化らしいが東海テレビのこの番組は若い人にえらい人気らしい。細君が若いかどうかという突っ込みは別にして・・・。お気に入りの俳優がきっかけで、そこにはまりこんでいったらしい。ファン同士の意見共有はインターネットの掲示板なのである。

東海テレビでは、毎回次回のあらすじの導入部について公開しているらしくこうしたスタイルもネット型の視聴者心理を掴んでいるものといえるかも知れない。セットトップボックスというものとホームサーバーという間にはレディメードのサービスだけなのかカスタマイズが可能なのかとどうかという点が、私には感じられる。人によっては個人の趣味の範囲を探索する式神を発するようなGoogle的なロボット検索をしてくれるようなサーバーを必要とするのではないか。こうした個人的な情報交換自体をセキュアな形で実現したいと感じているかもしれない。ましてやADSLや光ファイバーが設置されてブロードバンド花盛りのご時世に登場したEP端末にはなぜモデムしかついていないのだろうか。

デバッグ用にきっと付けていたに違いないイーサネットインタフェースを、そのまま残していたら、どれほど良かったのかわからない。各社ともにブロードバンドビジネスを手がけている部門を擁しているはずで、ある会社はONUすらOEMで納入していたりするかと思われるのに、硬直化した商品化戦略には眼を覆うばかりである。無論110度CS自体を懐疑的に捉えていたのであれば、それなりの商品を企画台数だけ生産納入するという戦略であるのかもしれない。私には、ほしかったホームゲートウェイ装置がある。それは、国内PCメーカーが開発したイーサネットインタフェース搭載のHDD録画装置である。これは、大々的に宣伝した割に市場から消え去ってしまった不思議な端末装置でもある。

ホームページには、部品が入手困難になったために生産中止に入ったということだったが実際問題市場に流通したとは思えないのが実情である。MPEG2のHDD録画は当たり前としてブロードバンド経由で録画予約やホームでのMPEGファイルサーバーとしての利用も出来たようなのだ。こんな至便な機能のサーバーが出てこない理由として考えられるのは・・・デジタルコピー問題があるのではないかと勝手に類推している。闇に葬り去られたのではないか。考えてみれば闇のソフトのMXの対極に立つ画像のハードであるともいえるからだ。しかし、そうしたことを個人的な間柄で先ほどの東海テレビのような人気番組のファン同士が行ってしまう時代に突入しているのは事実なのである。

ハードディスク録画装置として、パソコンを売りたいと考えている人たちが未完成品の烙印を押されているWindowsマシンを日常マシンとして販売していく姿を受け入れたりするのはテレビ受像装置を開発してきた人たちにとっては考えられないことなのかも知れない。一年たって壊れたりするのが当たり前のAVメーカーであれば華やかにスクロールするコンテンツリストを見つつ選択して再生するという姿を見せるのもよいだろう。硬いメーカーはテレビに映し出されたUIベースがGUIへの進化を見せつつ自前のOSでもの作りをしたりしている。堅牢なもの作りも結構だ。しかし頑固な商品仕様の稚拙なEP端末を出しているメーカーとHDDレコーダーとして似て非なるものを互いに出してしまっていることに疑問はもっていないのだろうか。

EP端末に裏基板としてイーサネットインタフェースを取り付けたりして怪しげな裏ROMとセットという商売をはじめる者が、すくなくとも隣国にはいるように思われる。すでにそうした似たような夢の端末を開発生産している国も太平洋の向こうにはあるようだ。DVDプレーヤがリージョン指定を持っていても再生する機械が相互にインターネットで接続される時代にどんな意味を残しているのは不明である。またCMが入っているような怪しげなコンテンツがVideoCDに焼かれて安価に出回ったりする現実にも目を向ける必要があろう。双方向性で新たな時代に入るという時代にISDNよりも低速なモデムを搭載して使い方も明確に訴えることの出来ない端末を官民一体で開発しているさまには幻滅を感じてしまう。

次に控えているのは地上波デジタルでの端末巻取りビジネスだという。世の中は、早期退職やリストラで職を失う時代に突入しているというのにだ。テレビを設計する人間が自身が振りまくノイズに関心を持たなくなりデジタル放送のみがキレイに映ればよいと考えたような最新型のデジタルテレビ。見たいアナログコンテンツを最も綺麗に見る方法は接続されたビデオデッキのチューナーを利用してみることだったりする。技術者の感性がデジタル化の煽りで麻痺してしまったのだろうか。電話機開発をしている業界に限らず日本の設計現場からは、真のアナログ技術者をリストラしてしまったように見える。アナログの魂を持たないデジタル機器であるならば、早晩端末メーカーとしてのブランドは崩壊するだろう。

さて、ホームサーバーとしてのHDDレコーダ兼サーバーという禁断の香りのシステム導入については、最も頻繁に使うユーザーの視点から見送ることにした。代わりにDVDとHDDレコーダーの機能をもつ複合機を導入することにした。40GBという容量で十分と考える私は、17時間分の高画質録画のタイムマシンとDVD-Rの組み合わせにコンテンツ移行を進めようとしている。ノイズをばら撒くデジタルテレビのメーカーからは二度とAV機器を買うことはないだろう。まずはノイズの発生源であるこのテレビの後ろに位置していたテレビ信号の分配器をシールドの効く金属ケースのものに変えることで現状はかなり改善されたのである。

こうした現象の折に、もっとも影響が出るのは有料放送であるNHKになっているのは合点が行かない。高い受信料を文句もいわずに払いつづけている我々を無視して勝手なデジタル化などの技術志向に引き込んでいる源流がNHKにあるならば、この官僚たちに鉄槌を加えてやりたい。CSデジタル放送は、合併によりコンテンツ集約が図れてよい図式になったと感じている。いまさらかも知れないが、ようやく番組がこなれてきたのではないかという思いもある。そうした事を無視して次々と開発を続けているさまは、土地開発をしている悪徳デベロッパーと何ら変わらないのではないかとさえ感じてしまう。

優良なコンテンツを持ちつつ育成するのに失敗した放送局もあるようだ。過激な競争にのみ走った挙句に安全性を無視した番組作りとなったのは、昔もあったヤラセなどの社風などがあるのかも知れない。せっかく楽しみとなっていた番組が、そうした社風の悪しきあおりで崩壊してしまったのではないだろうか。子供の日に赤坂まで見に行った特別なミュージカルは、そうした中での健全な番組であったと思うのに来年は見ることが出来ないと思われる。結局そうした放送局の社風が源流にあるならば、良いコンテンツは根付かないのかも知れない。

端末メーカーとして良い商品企画の製品を出していくという開発のプロセスも、そうした健全な社風というものが無いとすればブランド神話を崩すようなことに容易に陥ってしまうだろう。実際、私はそうした懲りたブランドをいくつか持っている。そうした関連部門にも、同様な雰囲気を感じてしまったりもするのだ。こだわりを持つ技術屋気質のエンジニアという人種が居なくなってしまい、世の中は原理のわからないでいるデジタル技術屋と称する輩が増えすぎているように見える。こんなメーカーと付き合うようになってしまった官僚たちとの組み合わせがデススパイラルを回している元凶なのかもしれない。

見方を変えれば、自分たちが頑張れば世の中を変えていける源流になれるのではないかと素直に思うのだが、リストラ流行の昨今、そうした会社に反発するような元気のある人間はめっきり見えなくなってしまった。本来必要なそうした人間が活躍せずにデススパイラルであっても忠実に仕事としてこなしてゆく者達が会社と社会を回しているのかもしれない。技術を愛するということを忘れてしまった仕事からは、意図せずにブラックホールのようなデススパイラルを止められずに吸い込まれているのかも知れない。まず自分の仕事から変えていけばよい筈なのだが・・・。

まだ期待をもっているブランドが私にはある。そのメーカーがLinuxベースのホームサーバーを商品化したのである。これからこのメーカーがどのようにメーカーとしてこれからの家庭や社会を捉えていくのかという期待が私にはある。その答えは彼らがこれから繰り出してくる商品化戦略の中にこそ見出されると信じているのである。技術者のこだわりが製品から見えるような商品、一社会人としてしっかり根ざした技術者が繰り出すこだわりを期待しているのである。信じられないものには世の中のスタンダードにさえダウトを宣言できるこだわりがほしい。

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