業界独り言 VOL168 中国に養ってもらう

例年恒例のワイヤレス展示会が、今年も三日間行われた。これが行われるのが梅雨明けだという認識があったりもする。残念ながら、今年は米国での支援出張となり日本には居なかったので四度目の展示会は、説明員作業も含めてパスと相成った。Quad社にジョイントする段階で初めて知りえた業界向けの展示会であったのだが、組み込みを中心に活動してきた今までの業界とは少しずれた印象があった。突出した携帯業界のアンバランスな状況で動いていた事と技術的な流れとのギャップを感じていたからかも知れない。

Quad社での展示会への位置づけは、卓越したアプリケーション文化と数多くの端末メーカーとが織り成す先行技術商品を志向する業界へのソリューション展示であり、大きな市場を抱える中国へのゲートウェイである。中国の通信機メーカーや通信キャリアが実際のアプリケーション文化と各メーカーあるいはソリューションメーカーを求めて来訪するからだ。今年はチップよりもアプリケーション環境にシフトした展示になっていたようだが、もうチップでの展示には余り意味を持たないのも事実だろう。

アプリケーション担当の技術者が、今回の展示会ではQuad社でのヒーローだったようだ。彼は、やはり私と同様に三年前からQuad社にコンサルタントとして登用されたのだった。まだ学生在学中だった彼は、ケイ佐藤と同じ国立大学でマンガを一万冊読破しているというオタク道まっしぐらな青年であった。そんな経歴を買われてか、まだ携帯でアプリがどうこうという時代には程遠く、ようやくi-MODEでネット接続が出来る携帯が出来始めた時代だった。「なにか面白い提案」というものを求めたケイには新鮮に映ったようだった。

アニメな世界やゲームの世界に興じる世代の代表として、彼が提案してきた幾つかの提案などもQuad社で本格的にプラットホーム提供する時代への萌芽といえるだろう。彼が来なければ、バイナリープラットホームなどは起きなかったかも知れない。オタクな彼も、この三年余りの生活ですっかり米国メンバーと英語で話し合い、まともな日本語での会話もお客様との間で交わせるようになり、いまではメディア相手や今回の展示会のような席上ではすっかり伝道者としての重責を果たすまでに成長しているのだった。そんな彼に質問を浴びせ掛ける元気なお客様たちとは・・・実は日本のメーカーやキャリアでは無いのかも知れない。

さて、国内の通信機メーカーやキャリアの元気の無さは限られた牌の取り合いとなってしまった国内携帯事情に拠るものだろう。第三世代としての離陸の危うさなどには眼を覆うものがあるし、アプリケーション競争と端末価格との板ばさみも起きていて八方塞がりという感じもする。元気なのは自由なプラットホームとしての将来に賭けようとしているゲームメーカーやら中国・韓国などの機器メーカーやキャリアだったりするようだ。国内メーカーはユーザーである通信キャリア次第なのである。元気な二番手を標榜するキャリアやオーバーフローした飽和からの転身を図るキャリアあるいは真の国際派を標榜するキャリアなど三者三様で問題だらけだ。

国内のみで生きていくには、各メーカーの第三世代に向けて肥大化してしまった開発組織ならびに経営環境は、それを国内のパイのみで採算をとるような縮小最適化もしくは拡大の二つからの選択しか無くなってしまったようだ。通信キャリアが元気な将来像を提示出来ればよいのだろうが、今までの経験値からか、通信機メーカーの意識は冷めているようだ。そんな中、i-modeなどの焚き付けにより日本メーカーの技術展示会あるいは国を挙げてのショールーム機能はすっかり定着してしまったように映る。アジアに向けたコンセプト提供発信地である日本は、その意味においてはアジアからの羨望の国なのかも知れない。

文化的な戦争というもので見れば、モー娘やらSMAPやらの台頭が同様な感性をもつアジアの若者に組み入れられてしまった成果を戦勝国と呼ぶのかもしれない。韓国などがそうした事を拒んできた歴史を我々が理解しておくべきだ。我々の歴史は、開発競争を産み出して列島改造やらカンバン方式を経て、バブルな時代で破綻した。そして資源のないことを思い返させる愚かな自分たちの猛省を促す事態に陥り、先達たちはNHKのプロジェクトXなどの回想特集番組で回顧する時代に入ってしまった。こうした番組で長年温めてきた平和ぼけさせた若者たちが覚醒するのに効果的とは思えない。

一番に成れない歴史から慣れないバブル期の瞬間のトップランナーでのライフスタイルから、ゆとり生活へのギアダウン選択は失敗し、資源であった学生をお馬鹿にするという愚挙にした。国が滅亡しようかというご時世になっても相変わらず能天気なバブル時代の計画に従い教育のギアダウンを更に推進しようとしている。ギアダウンで産み出された覇気のない日本の技術者たちは、自己確立よりも安定を求めて大企業に集結しているように映る。自己確立のために大学入試が戦場となっている韓国などとは自己意識の覚醒に明らかな差異というよりも優劣が見え隠れする。国策として進めてきた教育施策の目的や成果は、こうした現実だったのだろう。

優秀な先達たちは、これからの工業国としての立ち上がりで華やかな中国に転身して工場の生産技術の向上に貢献しているという人もいるのだ。しかし国内で生産することがなくなってしまった現実を廃墟のような工場跡地で見ることが出来る。白物家電は国内では採算が取れないのである。我々は自分達を自力で養えなくなっているのだ。日本が中国や韓国に与えるものが無くなった時は、工業立国の終焉の時なのだろう。それは何時来るのだろうか。優秀な中国の学生や技術者達を離陸させるような仕組みをうまく構築できた会社には将来があるのかも知れない。そうした事実を認識できないままに中国派遣を左遷と捉えていた人もいるようだが、実際は最重要な人事施策だったのだろう。

若者に目を向けずに、元気な先輩達は・・・と視点を移していくと通信機器業界・コンピュータ・通信回線リセラー・アプリケーションソフトと元気にキャリアアップしている知人である先輩がいる。通信回線リセラーの日本CEOの時代には買収統合という経験も加えて、事業の存続と社員達の去就までのカバーリングまでといったことにも取り組まれてきた人格者でもある。いつも前向きなこの先輩には、またあらたな会社からの経営手腕や実績を買われての仕事が入ってくるようだ。これからは、コンサルティング的なスタンスに移られるかと思いきやコーヒー豆のトップメーカーへの転進と相成ったようだ。

独り言に返事を呉れる数少ない叱咤激励をいただける有り難い先輩である。業界が異なっても、神戸の本社近くでも尋ねることがあれば一度遊びに伺いたいものである。コーヒー豆の生産農園やコーヒー焙煎工場、缶コーヒーの工場もコーヒー豆の販売も喫茶店の開拓なども全方位で進められてきた会社のお話を伺うと同様のことが通信業界で実現できないものかとため息が出てしまう。Quad社の取り組みも一面そういうところがあるかも知れないのだが、残念ながらキャリア事業には加担していない。

下方修正という表現を使われたある通信キャリアの方針は、いわゆる開発メーカーの絞込みでコストダウンを図るというものだった。3GPPの混迷度合いを漸く認識したのだろうか、馬鹿なことである。絞り込まれるとした場合の答えは何か、特定のプラットホームに集中せざるを得ないということである。懸命に通信プロトコルを追いかけてきた技術者諸君が食いはぐれてしまう事態が待っているのだ。アプリに特化したプラットホームを志向するということは通信メーカーでなくとも良いということになるのだろう。あるいはpcのように台湾メーカーがマザーを作成してoemということにしかならないのだろうか。

通信キャリアがそうした発言をしているという事実を知らない技術者は居ないはずなのだが、あい変わらず自前技術と称した開発に従事して安心しきっているような姿があるようだ。偽者技術は要らないと言われていたメーカートップの方も居たようだが、通信キャリアがユーザーである限りはその方に真贋を見極めてもらえたかどうかにかかってくるのである。みずほ銀行の例ではないが、合併の効果は開発投資の削減であることを再認識すべきであり、そうした戦略の中で自身が活躍できる場所があるのかどうかについて思い及んでいないとすれば、それはそれで幸せなことかも知れない。

北欧の圧倒的なシェアを持っているメーカーくらいしか3GPPの開発負担と技術蓄積が出来ないのかも知れない。少なくともスウェーデンの会社ではないようだ。気が付いたら中身はからっぽなプラットホームだったりするのが事実だったりするかも知れない。真贋見極める気持ちが無いと技術者としての将来は無いと感じるのである。真贋が分かった上で、自分は大丈夫と考えていける人はどれほど居るのだろうか。3GPPの技術開発支援に従事しながら、そうした心配をする光景にたくさん出くわしてしまうのだ。まともな意識の仲間を求めてはいるのだが、自分の殻を破るのは容易なことではないらしい。残念なことだ。

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