業界独り言 VOL202 最後の詰めで間違える

永い年末出張のあと、永い冬休みを取った。といっても、それぞれ二週間の話しであるのだが・・・。足掛け五年目となる年に入った、以前の会社で発行していた小冊子を思い返してみても5年という響きは永く感じる。気力さえ続けばインターネットベースのメールマガジンは続けやすいものである。毎回印刷費用に悩むことも無いし、たとえレンタルサーバーを借りたにしても毎月わずかな金額である。光ファイバーで接続される時代の入り口に立つと個人でどれほどインターネットを使いきれるのかというアイデア勝負も出てきそうである。既にアマチュア無線ではWiresと称してインターネットを介したなどが許可されているようであり自宅移転に伴いそうしたリピータ局を設置しても面白いかもしれない。IP接続の時代であり山ほどある埋もれたダークファイバーなどを利用すれば何でも出来ると思うのだが使う人間の意識がかび臭い状態に甘んじているように見受けられるこのごろでもある。

さて、電子メールベースの開発支援スタイルからWebベースでの開発支援というスタイルに移行が始まった。以前の電子メールベースでの運用においてバックエンドで利用してきた古いC/Sの開発支援ソフトの構成ではお客さまにまでの提供や性能は出せないという問題があったからでもある。WCDMAのチップビジネスの広がりなどは、製品展開への取り組みとして実需に繋がるものとして期待もしているのだが、支援という面からいえば大拡張ともいえるので、数少ないQuad社のWCDMA開発陣営(とはいってもソフト開発リソースの1/3を投入しているわけだが)の開発エンジニアや試験エンジニアの成果を最大限に活用していくということが必要になってきている。こうした事からも支援システムが公開されてお客さま自身での詳細な入力や分類により適切な技術者への接続が可能になっていくということが目的でもある。

以前の電子メールベースのシステムに比べてお客さま自身のやり取りがより楽になったようでもある。一つには電子メールをハンドリングするシステムが自動化しやすくなった点が挙げられる。さすがに日本語で質問を投入するようなことが回避できるのも日本をアジアの諸国なみの国際意識に高められる効果があるのではないかと感じたりもする。とはいえ、昨年末の状況などを思い返すと携帯ネットワークのテストドメインとなっているような日本でのテストに訪日する仲間などのサポートも一つのテーマとなっていて雪の都内をバンに乗り込み試験チームの指示渉外担当などを行うことも続いている。サポートリソースも限りがあり増加させなければならないと日に日に感じている。バンの助手席でテストチームからの走行に関する指示を通訳して運転手に伝えつつ、飛び込んでくる今までの問い合わせメールや懸案事項のファイルを振動する中でPCのスクリーンを覗いて叩き落している。

千手観音ではないのだが、こうした八面六臂の仕事を期待されているわけではなく不足しているのだ・・・。とはいえ最近の業界での元気の無さとは裏腹に予算が無くて協力会社を雇えなくなったというような状況ではない。予算も有るし何故探せないのだと散々米国からは質問を浴びせられる。たしかに、私は普通だと考える、こうした環境の中で技術者の感性で仕事をしてもらえる技術者に遭遇しないからに他ならない。自立心を失っているとしか思えない技術担当の方々からの申し入れは来るのだが、そうした方には技術者の感性が不足していたりコミュニケーション能力に問題があったりして次の段階に移れないのである。となると答えは自ずと、外資系の技術経験のある方の申し入れに興味が移りようやく北欧系の通信機メーカーの方からの履歴書の中から見落としは無いかと再確認をはじめて一枚の履歴書にたどり着いた。なぜ見落としていたのかあるいは以前は選考に洩れたのか測りかねる内容であった。

国内メーカーで当時先端技術のCDMAの開発に従事して、レイヤ1の開発をしたり標準化活動に参画したりとかかれている。WCDMAのプロトタイプ開発を進めて米国のキャリアとの確認試験や国内キャリアへの試作試験なども実践され技術的にも問題は見受けられないという方だった。その後そのメーカーの開発方針が見えなくなったことなどから転身して外資系通信機メーカーに入り過去の経験などを活かしてチップセットソフトの評価改善などをしていたようだが、国内キャリアからの突出した要求に向けた実現性検討などに身をおき今ではマルチメディア画像処理などのマーケティング的な仕事に移っていたようだった。過去の履歴書の内容から判断して、また現在の仕事についての英語ベースでのプレゼンテーションなどをみても、このまま米国メンバーとの面接に繋げれば即OKと思われた人材であった。あいにくとクリスマス休暇のシーズンと私自身の急な出張などが入り年明けまでに持ち越されてしまっていた。

冬休みの間には、年明け時点での面接候補日程を予めプロポーズしていたために明けた最初の月曜には転職窓口の会社を通じて候補者の都合などから火曜日に来て貰えることが決まった。昨年末のPCクラッシュで彼の履歴書などを失ってしまっていたので、人事部長から再送を受けて米国の仲間にも再度確認の意味で送っておいた。英語会話に問題がなく、四年前のWCDMA/CDMA2000のレイヤ1開発経験をもつ候補者が決まらないはずは無いと確信していた。月曜日に採用部長から「大変だ、ビデオ会議システムが使えないぞ」とシステムの故障を伝えられたのだが、電話会議で十分目的は果せると思うし「彼の実力」ならば障壁にはならないだろうと感じていたので予定通り電話面接として行うことにした。米国の仲間にはビデオ会議システムの故障を伝えて電話面接になることも伝えておき、何時に無く希望に満ちた火曜日の朝を迎えた。その日は定例の時差越えの電話会議で始まり、続いてお客さまとの電話会議が急遽始まり、あっという間に候補者を迎え電話会議の時間となった。

候補者を迎えて、人事部長と面接場となるビデオ会議室に入った。挨拶もそこそこに電話会議の時間になり予め聞いておいた電話番号に懸けると「機能しない電話にかけています」という英語のアナウンスが向こうの交換機から聞こえてきた。面接担当者に電話をすると既に席を離れて会議室に移動している模様だ、自席に戻り端末から彼の携帯の番号をWebのPHで照会して電話すると「まだ電源がはいっていないからだ、ちょっと待て」と言われて電話会議用の特製の蛸のような特製電話だと理解していた。再び会議室に戻り電話をすると同じアナウンスが続き要領を得ないので再度携帯に電話をするとようやく彼がメールを読んでいないことに気が付きビデオ会議用の電話番号を伝えていたことが判明した。こちらの会議室の番号を伝えて掛けてもらうことにした。会議室に戻ると既に米国から電話が入り面接がはじまった。

候補者は、前回持ち込んでいた彼の最近の諸作であるマルチメディア系検討などのレポート資料などを使って自己紹介をしようと考えていたらしかったがビデオ面接での目的は、専門技術と素養の確かさの確認である。無論英語のコミュニケーション能力も同様である。電話の向こうには見知った三人のインド人技術者が待っていて一人はレイヤ1の開発エンジニアであり、一人はUMTSサポートの元締めとなっている米国の私のカウンターパートでありもう一人は最近ジョイントしたばかりでめきめきとUMTSのサポートで成果をあげて中心となっているサポート仲間である。互いの挨拶紹介がすむと技術的な質問に入っていた。もとより英語の会話能力には問題が無い人だったのだが、質問がレイヤ1としての基本項目のいくつかの質問になると彼の顔がこわばって行くのが見て取れた。そう、すっかり忘れていたのだった。記憶を一生懸命手繰り寄せているのが見て取れるのだが生憎と今日の面接は電話面接なので言葉がとぎれたとしか聞こえないのである。

一つの一つの質問に対する明確な回答がないことに業を煮やしたのか英会話に問題があると解釈した米国側から私に通訳するようにという指示がきた。状況を認識している私としては日本語でフォローアップの説明をしてみたのだが技術的にパニックに陥った場合には個人の会話能力がいっきに減退してしまうのだという事実を彼の事例を見て認識した。記憶忘れにより、自らの能力不足の露呈したのでという事実を隠そうとするあまり余計な説明を英語で始めたりする見苦しい状況に陥ってしまった。質問内容を理解せずにコミュニケーション能力にも問題ありと印象付けられてしまったようだ。サポートチームとしての質問に移りC言語としての基礎素養について簡単な質問をいくつかしたところ先ほどの余勢をかってかピントはずれな回答を返してしまった。それでもコミュニケーション能力に難ありとみた米国側は図を書いて説明したうえで回答させろといってきたので、そのとおりにした所、実はそうした内容を理解していないということに気が付いた。

パニックに陥った候補者は、最後に向こうから求められた「Any Question」という質問にだけは「Nothing」と答えて、これについてだけは何か話しをしてほしかったとは思った。米国側での風景が思い浮かぶ私には、この面接はもともとするべきでなかったという英語偏重で飛ばしてしまったこちらでの面接能力の不足を露呈してしまった格好にもなってしまった。国内での面接の際に、「ビデオ面接では貴殿の過去の取り組みのこうした点を聞かれますよ」と聞くべきだったのか、あるいは「レイヤ1開発」という狭い世界でのソフト開発経験を鵜呑みにせずに基本的な質問をいくつか確認の意味でしておくべきだったのかとそれぞれ最後の詰めの甘さが露呈した面接となってしまった。仲間を増やすという取り組みの大変さをいまさらながらに理解を深めている。世の中に向けて、開発支援というお仕事を通して業界に貢献しつつ自分を高めて生きたいという意識の「技術者」が国際感覚で生きていきませんかという問いかけに反響してくることはないのだろうか。

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