業界独り言 VOL227 柱の疵は、一昨年の・・・

夢を追いかける人たちが創り上げた、世界初の第三世代携帯システムは、今年になって続く規格への切替対応を表明した。溢れる国内ニーズに支えられて順風満帆の旅立ちとなるはずだったのだが・・・、自身が提案するアプリケーションが携帯という枠を利用したビジネスモデルとして好調であることから、コンテンツ商売に切り替わってしまったような観すらある。もとより溢れるニーズを救ったのは、低速化パケットアプリケーション達だった。また、これにより通信システム自身の延命が続いたのでもある。地域的な塗り分け対応なども含めて見事なまでに現状の周波数枠に多くのニーズを収容したさまはたいしたものでもある。ニーズが技術を先導していくというのは確かなことで1.5Gと800MHzの双方に対応する国内特有の高周波部品なども速やかに開発されてきた。柱に記された一昨年の世界初のサービス開始という技術栄誉を讃えつつ実需に対応してきたビジネスモデルはたいしたものである。

続く規格への対応を表明したからといって、続く規格が標榜する2Gシステムとの異種間格闘技ともいえるコンプレスモードでのハンドオーバーを駆使してPDCシステムとハンドオーバーするということはなさそうである。議論好きの欧州人種が提案検討開発してきたコンプレスモードによるハンドオーバーをするよりも2Gのチップセットと3Gのチップセットを併設するほうが簡易な実装ですむからでもあろう。あるいは、GSMとUMTSとPDCの三つをカバーさせる端末を開発するやもしれない。3Gへの周波数移行をユーザーニーズへの新アプリケーションによる啓蒙を通じて必然のごとくビデオカメラやデジカメといった機能までも携帯電話の価格範囲で実現させてしまうという猛烈な姿は、携帯電話による五徳ナイフで他の業界を切り裂いているということかも知れない。五徳ナイフというよりは肥後の守に近いのでそれほど怪我人が出るとは思えないのも事実ではあるが・・・。

しかしこうした五徳ナイフのような端末を競って開発している現在のビジネスを斜に構えてみてみると、通信キャリアしか企画を暖められなくなってしまっているのではないかという気がしてならない。日本メーカーの懐深さといった研究開発といった落ち着いたスタンスで開発をしていくというスタイルは、現在では出来なくなってしまったらしい。器用に短期間に纏め上げる技術というか手際よさのみが評価されるような時代になってしまったらしい。手近にある様々な技術を料理できるという姿はたいしたものであるかも知れないが個々の味付けを一流品として使いこなしていくには経験が必要なはずであり、コンシューマ市場での味付けは使いやすさだろうし完成度としての安定性もそうだろう。研究所の人たちの基礎研究に価値を見出さず短期的な製品群のプロトタイプまでを仕上げることのみに注力している様は、やはり不自然である。研究する人たち同士が議論する土壌を確保しながらお互いの技術があいまって、結果として新たな技術の種が芽生えてくるものだろう。

ユーザーに夢を与える商品がテレビ電話だったのであれば、64K接続が可能なPHSの開発はとても大きな意義があったはずで、そうした端末も世に送り出されてきた。なぜか普及しないテレビ電話という分野は有線電話、PHSと続いていつも高速化の理由付けにだけ登場してくるのだが、後が続かない。仕事をしていく上で互い時間調整をした上で用いるテレビ会議は必要なものである。双方が予定して使うものがビジュアルコミュニケーションの使い方なのではないだろうか。電車の中で人目を気にせず化粧する娘たちも、テレビ電話の前には化粧をしてから電話をとるのだろうか。老人ケアで代行して買出しにいった人たちが発注元の老人による商品の目利きをテレビ電話でお願いするといった姿が期待されるのだろうか。最近のリメイクされた映画でいえば、スパイアイのような機能があれば、こうした老人たちの代わりに買い物に行くことが可能になるのだろうけれど・・・。

目が輝いているね・・・と思わせる人たちに出逢うとほっとするこのごろでもある。輝いている人たちは、その人自身がチャンスの渦中にいることを認識して最大限自身の伸張を図ろうとしているのが判る。輝かせている人たちの多くは、なぜか現在のビジネスでのお客様であり、逆にお客様は疲れている印象が多い。第三世代の仕事を通じて、目を輝いている人たちの会社自身はシステムハウスあるいはソフトハウスとして飛躍を遂げてきたからでもあろう。開発渦中で先陣を切ってきた会社での開発風土は、なにかギスギスした上で余裕がなくなってしまったからなのか互いに語らう場も少ないらしい。切磋琢磨という言葉など何処か異国の言葉に映るようだ。開発の牽引役を一極集中にしている会社もあるらしいが会社の風土として達成していかなければ、いくらスーパーエンジニアあるいはカリスマエンジニアだとしてもその任を全うすることなど出来はしないだろう。

一足先に引退してしまった感のある、コンサルティングを中心としたサポート業務も取り組み始めて早四年になる。オリンピックで言えば次の大会が始まることになる。40代から50代に突入しつつあるこの時期に感じていることは、やはり次世代の端末ではなくて人材の育成をしたいという気持ちが強くなっている。こどもを持たない自分自身の私生活という面から照らしてみると自分自身の落とし子といえるのは技術者として産み落としてきた製品群であろうし、ソフトウェア技術者としていえば取り組んで考えてきたことや、将来に向けて考えていることを伝えつつ、次世代の人材に力をつけていってほしいと思うのである。どうやって自分自身ではなくて、全体としてやっていけるようになるかその為にどれだけのアイデアを自分自身が繰り出して貢献できるのかということが、いま次のストーリーを考えつつ暮らしている最近の私の近況であるといえる。そうした視点から見れば、独り言や掲示板の運用などもその一環だといえる。

凍てついたような組織の中にある人材の森の中から、燃えそうな良い枝を捜してきて火を熾したいのである。昨日、「弟子二号」と自称する知己から懐かしいメールが届いた。彼には、いつも独り言は送付していたのだが後半Web化を契機に読みたい人だけアカウント申請をしてね・・・というメッセージが、やはり彼にも伝わっていなかったようだった。前の号で試みた「独り言送付パートに補足説明で書く」という手法で私にメールを出して、ようやく入り口に辿り着くことができたようだ。彼は、コンパイラ開発の時代をリアルタイムに共有しつつ一緒に物づくりをしてきた戦友でもある。シングルスタックで並行処理が記述できるRTOSの開発をしたりしてきた時代でもあった。時代的に言えば、やっている技術内容が正しく理解されない時代だったとも言える。反面、考えればパイオニアになれる楽しい時代だったとも言える、ソフトウェア技術者としての技量を示す方法論としては国民機をいかに活用したソフトウェアやツールを開発しうるのかといった時代でもあった。彼の気持ちには、果たして当時の熾火が残っているのだろうか。

若手を育てるという仕事の仕方でいえば、私と一緒に仕事をしてきた「弟子二号君」などは、育てられたというよりは、「困った担当の仕事についてしまったな」といった感想を言われるのではないかと思う。相手の理解に立ち噛み砕いて説明するなどということを一切してきた記憶はないからだ。多分、意味不明な私からのメッセージに翻弄されつつとにかく仕事を進めてきたというのが実情だったのではないかと考えている。こうした時代と前後して一度だけ仕事でご一緒したHさんという方がいる。オンラインリアルタイムを生き抜いてきた根っからのソフトウェア技術者の方である、家電メーカーと見られがちだった会社が熾したソフトウェア開発の新会社という構想に賛同して、熱い気持ちを持たれて参加されてきた創世記の時代の人でもある。仕事の上では、あまり接点がないままに暮らしてきたのだが、逢うと意識させる方であった。最近独り言のMLに入っていただくことになったのは類は類を呼ぶという公式から導かれての結果だった。

コンピュータメーカーでOSやアプリやツール自身を開発してきたという自負のHさんが、今は携帯開発などに携わるソフトウェア開発会社の中で教育という分野で後進育成ということに尽力されていらっしゃる。この会社に最近出向された意識のある技術者のNさんとの接点からリンクリストが形成されてきたのだった。国際派かどうかという点でいえば、コンピュータメーカーとして外資の元で仕事をされてきたこうした方たちの後進のソフトウェア技術者たちが国際派として育成できないはずは無かったのだが・・・。実際に会社草創期に取り組まれた電子交換機の開発などで大きな実績を上げられた背景にはこうした方たちの大きな力支えがあったからに相違ないのである。組み込みという仕事をエンジニアリングとして評価されうる形にしていかなければ、拡大してきた業界自体を昔の徒弟制度でしか伝えられない状況に戻してしまうのかも知れない。伝えたいことがあるからと始まったミニコミ誌による小集団活動、これは、独り言の前身となっていた。このミニコミ誌の目的は、それ自身の発展的解消による廃止だった。

今、柱の疵の一つとして私が自身の記憶のなかに残る、ミニコミ誌活動は、発展的解消として読者の方に伝わったのかどうかは今ひとつ自信がないのである。なぜ自信が持てないのかといえば、発展的といえる文化醸成が会社に広がっていかなかったように思われるからである。まあ、短い会社生活の中での限られた機会をうまく楽しく生きられたかということが最近では重要なことであると考えるに至っているので気にはしていない。前向きに意識を持って与えられた仕事に意義を見出して取り組めれば幸せなことだろう。今、また昔のミニコミ誌のような活気が掲示板などを通じて感じられそうな感触もみえてきたのではあるが、気がかりな次世代の人材への火熾しが、なかなか煮え切らない人なのか環境なのか夜遅くまでこのWebサイトを見に来るような姿を目にしていると、どうやって次の励ましなのか指導なのかを与えて行けばいいのか悩む。七夕ころに予定している新居が出来たら知己達を招き勉強会でも開ければよいなと思うこのごろである。

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