業界独り言 VOL265 怒れるH氏は・・・

去る大晦日には、本来であれば伊勢佐木町の松坂屋前のテレビ中継現場に居たかったのだが、当日は時間的な余裕もなくなり、続く展開となるゆずの年越しライブ会場に地下鉄で急行していた。駅に向かう途中で妹からSMSが届き「もしかして今マツザカヤでの合唱に混じっているとかしてない?」とは私のことをよく知る身内ゆえの内容だった。そんなメールを確認しつつ桜木町から細君とデートもどきでみなとみらいの会場に歩をすすめた。横浜港の淵にたつ会場には所謂ゆずっこと称するファンの集団が終結していた。すでに開場時間も過ぎているものの隊列の収拾などに追われていてまだ入れそうも無いくらい長い列となっていたので星空を見上げつつ行く年の風景の一つとして二人で見ていた。ようやく会場に入るとすでに大合唱が始まっているのは「ゆず」のコンサートならではの風景でもあった。幸い席が探しやすく座りやすい位置にあったのでそうした若い仲間の輪に加わり三時間近いコンサートという名前の立ちんぼ状態の疲れも忘れて没頭してしまいました。

デビューして六年あまりで、初めての紅白出場を実現したばかりの二人だけによる初めての年越しカウントダウンコンサートということでもあり、二時間ほどのライブを経て2003年を送り出すことに成功した。新年のカウントダウンをコンサート会場で迎えることが出来たのも2003年を無事やり過ごしたことの証にもなった。新年を迎えて最初の挨拶は会場のファンやゆず達とのものであり余韻残るままに新年の伊勢佐木界隈の街を帰りは歩きとおして自宅に戻った。みなとみらいから桜木町を抜けていく町並みに元気があるとはちょっといえないのが昨今の情勢だろうか。来月には地下鉄となる「みなとみらい線」が開通して、由緒ある桜木町の風景から東横線のホームが消え去ることになっている。みなとみらい地区の勢いもどこかに消えた印象があり、果たして開通する電車に期待が掛かっているという割には、みなとみらいにあるデパート自体が持ちこたえられずにシュリンクしているような状況である。

通勤電車で逢う知人のH氏は、みなとみらい線の延長線上にある本牧に住んでいるのだが、今回の東横桜木町の消滅には通勤ルートの改悪になると怒っていたようだった。本来であれば喜ぶべきと思っていたのに意外な反応だったのを覚えている。聞くところによると、みなとみらい線の延伸については、周辺住民が反対しているらしく実現が難しいらしい。電車が通るということは経済活性策の一つになると思っていたので、こちらについても意外だった。当面延伸する予定はないらしく、やはり経済活動のキーワードにもなる駅名でひと悶着していた「元町・中華街」という駅が終点になるようだ。二つの地名をつないで駅名にするのはよくある話だ、大阪の例などでは太子橋と今市による「たいしばしいまいち」などというのを思い出すが、頑なこの近辺の二つの地区をもつ、この駅では名前はつながらないらしい。

怒れるH氏は、他にもいる米国やアジア地区での仕事を生業にしてGSM携帯を各地で契約しているH氏の場合には最近ようやく出てきたグローバル対応が可能なGSMにも対応できるWCDMA端末をみてもようやく国内のキャリアでも使えるこの端末を購入して利用契約をしようかという気になったのだが・・・。実際に端末を確認してみると、GSM携帯での当然ともいえるSIMカード差し替えが出来ないのである。正確に言えば物理的な差し替えは出来るのだが運用という面でいうと購入した先のキャリアのSIMしか使えないように出来ているのである。端末契約時に支払う端末費用がキャリアからの割戻しなどでかなり割り引かれている日本の実情からいえば、しかたのないところであろう。しかしH氏のようにSIMによるキャリア選択の自由を謳歌しているGSMの文化の人たちにとっては「なんじゃこりゃー」と怒られるところとなる。どのSIMも自由に使えるような時代に、到達すれば3Gもたいしたものだといえるのだが・・・。

怒れるH氏は、さらに身近にもいたようで新たに付き合い始めた通信キャリア殿の「驕れる文化」に怒り心頭のようである。フラットレートな時代を目指すために国内、米国、欧州半導体会社などを亘ってきたH氏にとっては西海岸の文化ともいえるQuad社にマッチしてワークしていたのだが・・・。新たなお付き合いとなる通信キャリアの方をつれて、米国サイドとのミーティングをすることになり先方のセクレタリから宿泊先の手配についての依頼が届いたのだが、絶句していたのだった。担当者と部長クラスとが訪問するに際して会社としての宿泊料金の上限を提示された上で、担当者と部長の泊まる部屋には差をつけてほしいというのである。差額をもてということを暗にいっているのか、いつもとまるホテルを思い浮かべても差異が明確になるほどのクラスの上限の額でもなし、つまらないことで気をもませる文化に合わないのである。そんなH氏に掛かってきた電話は、年末ごろから始まるという新しいテーマのインフラメーカーの担当者であった。「いちどお目通りを・・・」というのだが、まだチップが出てくるのも秋以降の話なのに、今はまだ一月なのである。H氏の怒りはこうした、なにかぬるまったい日本の風土に対してなのかもしれない。

携帯電話の開発の事情にどっぷりと使っていた知人のKさんは、最近では少し仕事を変えてもらい納得のいく仕事を出来るようにしてもらい元気であるらしい・・・。優秀なソフトウェアエンジニアである彼らしい暮らしを取り戻し始めているようだった。次のステージを考えての暮らしぶりには、このままではいけないという不安を払布したいという気持ちもあるようで、ある意味こうした時代の中でゆとりの暮らしを謳歌しているようにも映る。納得する技術者としての仕事を仕上げつつ、次代の自身のあるべき姿を捉えてチャージアップにも努めているようだった。最近の携帯電話業界で勤める技術者としては珍しく幸せな暮らしをしているようにも見える。会社を挙げて猪突猛進しているような中ではたとえ早く仕事があがっても中々帰る雰囲気にしてもらえないような文化の中で埋没しないでいることの強さを彼には見つけることが出来た。頑張ってほしいものである、クレバーな仕事の成果を通じて仲間や、その会社に貢献したいというのが彼のスタイルなのだ。この気概にはエールを送りたいのである。

おおもう一人仕事に怒れるHくんが居た、彼も携帯電話の開発やらシステム開発やら多岐にわたる仕事を経験してきている優秀なエンジニアである。会社の方針のままに集約や転属などを経験してきた彼も、K氏のように自我に目覚めて目指すゴールを探しに場所を画策して別の職場に引っ張ってもらうという積極策などを駆使してきたのだ。そんな彼も、ようやく仕事に怒ることから、自我を生かせなかったという意味で最近では、いままで悩みつつ過ごしてきた過去の自分に怒りの矛先を変えたようだ。東医研さんなどの言葉を借りれば「逝ってよし」というエールが聞こえてきそうなくらいの決意をしたようだ。辞意を固めた上で覚めた目で見直しつつ自己のチャージアップを図りつつ桜の季節に羽ばたくというような展開になるのだろうか。仲間との結束を絆として与えられた仕事の範疇を出来る限り前向きな仕事として自己実現に近づけようという知己のKくんなどとは対極のようにも映る。しかし、どちらも前向きに頑張っているという意味で私はエールを送りたいのである。

開発現場での怒れるパワーをエネルギーに変換して進む人。視点を移して怒ることもなく気持ちよく暮らそうとしている人、自分の窮状を仲間との結束で打破しようとして声援のみを求める人もいる。何かを犠牲にして生活を送っていることに気づき、すこしトップギアで引っ張ることからはなれて自身を大切に考えつつ仕事をするようになった人など、知己たちの戦いぶりも少しずつ変容してきたようである。世の中の情勢からみるとMade In Japanの意義が薄れていくなかで自己を如何に生かすのかということを考えたほうがよい時期になってきたとも思う。組込みという世界で日本が積み上げてきた文化を自身で崩壊させること無く、世界の仲間達にうまく広げていけるようにすることが出来れば日本の将来も描けるように思うのだが・・・。「コスト追求の観点からのみにアウトソースしてきた流れの中で、実は組込みの文化自体を日本は既に失ってしまったのではないのですかね」という、軽やかに笑うH君の声が聞こえてきたような気がした。

色々な切り口を見せるQuad社の日本チームもこの三年余りで三倍ほどの陣容となった。多様な切り口のメンバーが増えているのも事実で、弁の立つ女性もいれば、オタク道まっしぐらな青年もいる。ユニークなメンバー達ではあるが、なかなか一同に会して話す機会もないのでオフサイト研修と称して温泉のある健康保険組合の施設に集合を掛けたりもしている。研修の目的さえ達すれば、会社が費用補填するというのだから、腰を持ち上げていただき僅かな半日をオフサイトで過ごしてコミュニケーションを図るのはよい方策でもある。最近ジョイントしたS君というのは東京の大手ソフトハウスの出身者であり、彼は大手端末メーカーに半年あまり出張勤務をしたりする勤務形態などを経験したりして仲間のM君が前職時代に仕事を一緒にしたりしていたらしい。レジメで申し込まれてきた内容からM君が「彼ならCDMAの開発経験もあり、即稼動できますし大丈夫ですよ」と太鼓判を押してくれて決まったのだった。身近な仲間からの推薦は強力である。そんなS君もジョイントして三時間あまりの研修を終えて温泉を浴びつつの懇親会の宴となった。

ベンチャーとして超フラットな組織として変容しつつ市場の動きに対応して変化してきたQuad社であるのだが、さらに変化しつづけていくための課題を各自が感じる課題として思うのは「これは出来ない」と引いて考えてしまうことのようだ。ベンチャーだからこそ変化していく世界に対応していくために自分達の仕事の範囲やビジネスモデルの変化などに対応していくことが望まれるのだ。そんな日本オフィスの牽引役としてリーディングしているケイ佐藤などは、まさにタフなネゴシエーターとしてリーダーシップを発揮してさまざまなメンバーコンビなどを編み出して新たな展開に対応させて実を結ばせつつある。多様な顔を持つQuad社をお客様から捉えていく際に一枚岩に見せることなどは難しいことではあるのだが、そうした結果に向けて実を結ばせていくための道筋を示すことが大切であり、どこかで諦めてしまうといったことがベンチャーとしてのQuad社の崩壊へ繋がることとなるのだろう。ベンチャーとは変化していくさまを表すのだと思う。

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