業界独り言 VOL334 新築そっくりさん

知人であるM氏は、大手電器メーカーでソフトウェア開発を多年に亘って携わってこられた方で、最近ではCMMIなどのソフトウェア品質改善活動などの枠組みを全社的な活動にする事務局などもかって日本あるいはアジアを飛び回っているらしい。大学は、もともと京都大学を出られているのだがあまり京都の町に造詣はなかったらしい。そんなM氏としばらくぶりに食事をしたのは、大阪地区・中国地区への出張が続き大阪泊まりとなることがあったからでもある。彼は、学生時代からいつかはもういちど京都に住みたいという思いを持ってはいたようで、それまで住んでいた奈良の地を離れて最近は京都の北のほうへ居を移したということだった。築70年近い建物の壁や柱などに直しをいれてあるということだった。その家に帰り着くには、出町柳駅から自転車で25分ほどかかるということで健康的な生活でもあるらしい。関西の方ならばご存知のように京都の北というのはだんだん山に向かっていくという地形なので帰りに25分かかる道は行きには15分ほどで済むらしい。

さて耐震偽装などが明らかになっている現在では、中身を見える木造の家をさらに改築してすんでいるというのは賢明な選択でもあろう。建築では設計確認申請という手続きの合理化・簡素化といった観点から強度計算などの仕組みをツールチェーンで提供する枠組みを国の認定で提供するという革新的なことになったのは大規模な地震などを経て建築設計に関しての強度評価ということを国として基準を改定したうえで確認申請をツールで行っていくということになったからでもあるらしい。そうしたことで新たなビジネスが生まれていき、昨日紹介したイーホームズのような民間審査を行うことも出来てきたのだろう。まあ人間が設計している内には感性としての閾値やアナログ的な視点が残るのだが、そうした作業がツール化されてしまうと実態として行っている部分が隠蔽化されてしまい感性が失われてしまうというサイクルに陥るのはいたし方ないことでもあろう。想定しないケースで別の目的で悪意を持った使い方をすることで経済設計ということを評価するような事態はともかくとして、強度不足の感性を持ち得ないということは最近のツールまみれの技術者に共通のことかも知れない。

さてソフトウェア開発の大規模化の流れで、全貌が見えなくなってきたということが最近のソフトウェア開発では共通認識となってきてしまっているようだ。こうしたソフトウェア開発からものづくりの見直しを図って位置から再設計しようなどということを受け入れてくれる幸せな余裕のある、あるいは実際の商品化など念頭にないような仕事など出来ようはずもない。無論、エンジニアの方々はいずれ機会があれば、そうしたことに取り組みたいということも共通認識として持っておられるようである。しかし、そうしたことで得られるメリットと現在のビジネスモデルの中で許容される開発投資のバランスをみれば新築そっくりさんとして手を入れていくということになるのであろう。ただし、丈夫な骨組みで作られたふるい家を新築そっくりさんで変えていくということ、改築改築で出来上がった熱海の楼閣のような状況に手をいれていくということには違いがあるのだと思う。

ソフトウェアの部品を本当の意味でコンポーネントとして独立して開発動作して組み立てあげていくような技術検討をしようという取り組み・・・と書くととても素敵なフレーズに聞こえる。そんな仕事が提供される場所がエンベデッドな世界であるのだろうかと疑問を持つ方も多いだろう。組み込みソフトウェアの世界では、3K産業のような評価位置づけとなっていて工事関係者のような扱いで古いコードの狭間に機能を押し込めることで実現したりといったことになっている。そんな評価しか得られない仕事に費用をかけて再利用しようという取り組みにするよりは、毎回作り直すのだから工賃の安い国に仕事を依頼しようというサイクルに陥ってしまっているのが最近の日本という国の事情でもあるらしい。四半世紀前にコンピュータ最前線で学んだ基本技術の感性をコードレベル、ハードレベルで認識しないままにブラックボックスとしての取り扱いで原理原則を理解しないままに動かすことのみに奔走させて、それ以上評価もしないという流れを断ち切らずに若者の意識を変えようとしても依頼する側の品格が問われているのである。

さて、世の中にはまともなソフトウェアに構造を変えていこうと画策している会社もあるのであり、そんな会社でも戦艦大和のような巨艦ソフトが厳然として存在する中で、どのように新築そっくりさんとして作り変えていくというマイグレーションパスを考えているのである。ローマは一日にしてならずで徐々に移管していくことになるのはいたし方ない。コンポーネント間の独立性を高めていくためにはRTOSしてのプロセスドメインという考え方に基づくプロテクションがかかる仕組みが必要である。ただし、すべてのソフトウェアモジュールの空間が異なるような状況の中ではなかなかマイグレーションパスも思い描けないということにもなる。仮想アドレス空間としては共通のレンジを用いてアドレス範囲で各コンポーネント間が亘っていくデータなどをシェアしていくというのはそうした目的に適ったRTOSだともいえる。とかくソフトウェア開発という本質をあまり考えずにコミュニティとしてのLinuxを利用したいといっただけの話が横行したりしているのは、すでに日本という国が変調している証でもあるだろう。

カーネルという意味だけで言えば、XPだろうがVistaだろうがLinuxだろうが大本にあるところの考え方に差異はない。あるある大辞典ではないにしても、自分たちで手を汚して開発すること、考えることを忘れたメーカーが選択する方策を支えているのは単に高速になったプロセッサに頼っているだけなのだと思う。本当にMIPS/Wに血反吐を吐くほどにがんばってきたメーカーが培ってきた独自のアーキテクチャのDSPなどの歴史も果たして、そのメーカーの現在のエンジニアが意識して理解して次の世代の設計に活かしていこうとしているのかと傍目で見ていても違和感を覚えてしまう。緩慢なる変化には対応できずに衰退していくという図式なのか、突発的な対応によってのみ評価されるという流れの影響なのかはわからない。いろいろなメーカーの方々と仕事をするようになる中でさまざまな組織としてのDNAを感じはするものの、それがその会社のDNAとして脈々と生き続けていくのかどうかは、その会社のプロセスに依存するように思うのである。

よいシステム設計にたった、製品としての基本設計をして、独立性の高いコンポーネントの開発を個別に進めていきダイナミックにコンポーネントを選択して自在にシステム開発をしていける。そんな理想の姿を実現できれば、国内での開発をしたとしても付加価値の高い仕事をしていくことになり3K産業などとは呼ばれない環境を構築できるだろう。まともな仕事の仕方で残業もせずに余裕で仕事をしていけるというのが本来あるべき仕事のスタイルだろう。ゆとりを達成するために必要な基本技術の検討していくだけの余裕が国内のメーカーのビジネスのゆとりとしてないということなのだろうか。液晶やプラズマの新型ラインを設置するために何百億円あるいは一千億円という投資をしていく会社が投資できないとは思わないのであるが・・・。ともあれ、新しいアーキテクチャーへのマイグレーションパスを見出した会社でのソフトウェア開発の挑戦が始まろうとしている。

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