業界独り言 VOL358 老師とのオフ会の二次会は延期

母校への寄付金払い込み手続きが完了するにいたった。承認をいただき、振込みを実施してい、さらに受領書を発行してもらい、これで確定申告には万全であり、世の中の不透明な不景気風の中で意味不明のメッセージを発信している政治に対して直接的に出来るだけ税金を払いたくないという気運にも合わせて、長年暖めてきたことが始めてみると意外に簡単に実現できた。無論、中学以来の身勝手な付き合いに付き合ってくださっている先輩のおかげであることはいうまでもない。

綺麗なテレビに刷新して、毎日とても綺麗なくっきりとしたスクリーンに地上デジタルの放送が、ハッキリしないニュースをつらつらと流している。すっきりした、溌剌としたニュースでも見たいものだが、綺麗なスクリーンから提供される悲しいあるいは、哀しいニュースの数々には、ますますガッカリしてしまうのである。思い違い殺人といった、ニュースの流れの源流が、ゆとり教育から派生してきたものではないと信じたいのだが、何か自分で手伝えることは無いものだろうかと考えてしまうのは歳の性だろうか。

昨日は、好きなシンガーのライブとオフ会を掛け合わせて、マイコン老師のD氏、同期のM氏と南青山のライブハウスで待ち合わせた。M氏の出向先は、実は自分の勤務先と目と鼻の先で交差点を挟んでの斜向かいの兄弟ビルでもある。以前から、そのことに気が付いていたので、彼に夕飯の誘いなども掛けたことがあったのだが、実のところ彼自身は、そのことが分かっていなかったようだった。以前に、東京の事務所に遊びにきてもらったことがあったのだが、今年からの出向生活では気がつかなかったようだった。

ホンダの本社前で、D氏とは待ち合わせていた。三つボタンの背広族であるD氏と、チノパンとバックパック、雨よけにウィンドブレーカーをひっかけた私には棲んでいる業界のギャップがあらわれている。むろん、Quad社にも背広を着ているメンバーもいるのだが、弾けてしまって転職した流れからか私には背広を着ようという意識が根底からなくなってしまっていた。時差の向こうの対岸にいる仲間たちに比べれば日本の気候に合わせた服装にはしているつもりなのだが、エンジニアとしての仕事着かと言われれば外れているかもしれない。学生時代に二回程寮生活を一年ずつしたことがあるが、後期のときには寮から学校の間の移動にもブレザーを着て意識を高めようとした時期もあったのだが・・・。

そんな話を、前の会社の実習時代の朝会でしたことがある。毎日の朝会で会社の方針ともいえる精神を読み上げてからの訓示ではないが各自が思う所信を述べるというスタイルだった。学校出たてで青いということもあっただろうし、いわゆる日本企業の中での背広族になろうとしていた時期だったので適切だと当時は思っての話だった。衣服をしっかりとすることで生活が締まるというようなことを言わんとしていたのだろう。少し記憶が薄れてはいるのだが・・・。まあ同期の二人も覚えてはしまい。3人が新入社員として暮らしていた30年ほど前の時代に思いを馳せながら1丁目の交差点を背広目指して手を振りつつ向かう。

はたしてホンダの本社前で、D氏と合流して、外苑前の会場まで雨上がりの青山通りを話しながら進む。途中の銀行に立ち寄ろうとしたところ先週で閉店したと書かれていた。景気低迷のあらわれがそんなところにも感じる、統廃合を続けてきた銀行業界ではあるのだが、またこれからさらに加速するのだろうか。インフラとしてはクラウド状態ともいえるコンビニATMがあるので実際のところ困らないのだが、もともと銀行が支店を立ててATMコーナーを作ってきた時代が終わったということでもあるのだろう。

マイコン老師のD氏とは、ライブ会場への道すがらライブハウスの正面にたっている姿から判断できた。こちらは二人で手を振るのだが、背広とバックパッカーの二人組はなかなか認識されなかったようである。60名ほどが待ち受ける、入場待ちの裏口でしばし三人で情報交換のひと時ができた。マイコン老師のD氏は、その卓越したシステム洞察能力を買われて、若手エンジニアの指導を含めて組み込みシステムチップ開発のクライアント側の事業部に請われてきているのである。大企業の中では、技術開発のサイドも、利用するサイドの需給がバランスがとれるというメリットがあり、社内でありながら実は転職と同様な実態がある。

大企業の中での、横串が人脈としてうまく機能する、あるいは会社のインフラとしてe人脈でも用意できれば、こうした大企業の付加価値はより増大するだろう。私の暮らした時代は、そういう視点においてはとても人脈に恵まれて大企業であることをフル活用できたように思うのだが、はたしてそれが通常の会社としての有り様だったのかどうかはわからない。今後のオフ会などを通じて意見交換をしていきたいと思うのである。たかだか20年あまりをエンジニアとして過ごしただけで、社名変更にまでいたる歴史ある大企業のどれほどがわかったのかは不明なのである。

時間になり、ライブ会場には整理番号順に入れたのだがあいにくとチケット購入の遅れからか、最近の団塊世代の熱烈なファンの増大のせいか90番台で確保できたのはライブハウスの奥のソファ席だった。一段高くなっているのでこの会場での雰囲気や音楽を楽しむためには問題はなく、せっかくの3人が離れ離れになることもなく上々の成果だった。会場には立ち見が出るほどの盛況となり、ともあれゆったりとドリンクで乾杯が交わせたのは良かった。今日のDIVAは歌謡フォークの担い手で独自の世界を続けている西島三重子さんである。会場を構成する人たちは、ほとんどが団塊世代の方たちであり、フランスからのお客様もいらっしゃったようだ。

団塊世代の方たちは、ある意味で裕福なセカンドライフを過ごされているのかもしれない。世の中の状況がいつも、その年代にとって落ち着いた形であるというほど日本は、裕福な豊かな国ではないのだが。もしかすると、切り詰めた暮らしをして得られた1,000,000本のバラの世界のような方もいるのかもしれないが。今宵の2時間あまりを、Divaの歌に酔いしれて時間を過ごすのは年に数回の楽しみとして悪くはないと思うのである。若い人たちの遊び方とは違うゆとりのスタイルかも知れない。なかなか始まらない開演までの間は、むしろオフ会としての時間として過ごすことが出来たので後で考えるとよかったかもしれない。

Divaの歌が紡ぎだす世界は、いまどきの曲風とはある意味違うと感じられ、最新曲は、演歌の範疇に分類される悲恋の歌として提供されたようだ。遅れて開演した背景には、いくつかのトラブルやハプニングが含まれていた。なにせ団塊の世代の方々ゆえに体調を崩される方もいらっしゃり途中で貧血で倒れた方などは、自身がリクエストした曲が紹介された段階で倒れてしまったらしく感極まっての影響もあったのかもしれない。ハプニング故に、会場のかたが対応して件の曲は、最後に回されたのだが、リクエストされた方は救急車で移される状況となり寂しさを誘った。二時間ほどの間に、老師はなんどか席を立たれていたのが気にはなっていたのだが、体調が思わしくないようで、終演後の三人での二次会は順延となり急遽、帰宅された。

池上線などの世界は、私たちの入社時期に重なる時代背景でもあり、オフ会の導入部にはマッチすると考えての提案だったのだが、また二次会としてのオフ会を提案して、参加できなかった方も含めて召集することにしたいと思った。食事もとらずに遅くなってしまったのでM氏と閉店間際の居酒屋でそそくさと食事と乾杯を済ませて、またの再会を期すことになった。日曜からは、また米国出張の一週間となり、帰国後の週の後半以降はとても忙しくなりそうなので帰国での休日振り替えでの休暇を設定して12/17水曜に仮設定しようと思う。この日は、将来を担う母校の後輩たちの時間をもらい話をする機会を設定していることもあり、話が膨らむように思うのである。

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