VOL11 梅雨目前 発行2000/06/04

爽やかな季節に別れを告げて、初夏のような日と曇った雨の日が始まった。まもなく梅雨入りも宣言されるだろう。

仕事は昨年末から続いていてじめっとした感のある仕事にキリがついて、爽やかな状況に転じている。初芝通信の便りも時折届き、今年に入ってからは初芝魂への回顧が始まった印象ですとの朗報を寄せてくれた。ずるずるとした印象の仕事の進め方からきっぱりとした仕事の進め方に転ずるには大きなインパクトもあるだろう。

メリハリの利いた仕事の進め方は、社会貢献という公器の考え方にたてば必要不可欠であるに違いない。初芝時代に外部から指摘された社内通信インフラの整備の遅れはハードウェア的には達成したはずであるが、まだまだ心の事業部制をしいている限りには総合力を生かせるのはお召し列車の仕事のみになってしまうのではないだろうか。

初芝を飛び出して気がついた大きな点は、自分達の拠り所となる技術力の見定めをせずに日々を過ごしている人が多いように思うし、そうした拠り所となる技術の重要性についての認識が甘いのではないだろうかという点である。心の事業部制の壁は、自分自身の技術力を卑下したりすることで起きているのではないのだろうか。

インフラや会社の仕組みは用意できているのだから心のコンテンツをオープンにしていく事で解決を見るのではないかと内心期待している。業界を牽引していく初芝通信の技術者が気概を持たずに仕事を進めていて良いはずがないのである。そうした会社こそが、私の標榜する次世代通信技術の受け皿になってほしい会社なのである。

デュアルマイコンが携帯でも当たり前になろうとしている。こうしたデュアルな環境でのOS制御技術や言語処理の技術などを抜きにしては語れない。一万人近い社員を擁して多額な開発投資を共栄会社という形で使うにせよ、自らが求める技術像があればもっと有意義に使えるはずだと考えてしまうのだ。

自分達の技術で暮らしている現在の会社では、共栄会社という考えは当てはまらない。少なくともソフトウェアにしてもRFやベースバンドの技術は自分達で賄うのである。ベースとなる技術に立脚して整理していくことで徒労のない開発が出来ているのだとおもう。誰かが良く使う台詞だが、「三段の将棋は初段が三人いても勝てない」のである。皆が同じ方向で初段をとっても意味がない。それぞれの分野でスペシャリストを目指すべきなのである。

さあ、私もメリハリの利いたサポートをはじめよう。お客様からの支援要請に対して自分の専門分野を持たずに支援などできるものではない。

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