業界独り言 VOL161 スペースが無い

携帯電話の各メーカーは、この春にスペースが手狭になったことも手伝い開発拠点を移動している所が多いようだ。知己の会社やお客様でも、そうしたインフラ整備などもあり移動されているようだ。無論限られたスペースで15パズルを解いているような運用をされている会社もある。「組織上は、移動しているのだが物理的には移動していないんです。」と語るお客様もいる。限られたスペースをいかす意味においても、不要な移動費用や看板の更新や名刺の改版なども出来るだけ押さえているのだという状況もあるのかもしれない。

無論、会社再編の流れのなかでの一時的な移動として捉えているのであれば不要な移動費用を捻出する必要も無いわけである。スペースを生み出すために移転するのだというのは自社敷地の再開発なども含めて計画されている勢いのある会社だ。自社ビルを証券化しているのがトレンドだったりする中においては余裕の資産運営とも映る。直線で100メートル以上とれるという廊下が売り物の会社もあるらしい。小学校であれば廊下で50メートル走の記録が男女別々に取れるのかもしれない。スペースが足らなくなった会社では二階にあった長い連絡通路を塞いで部屋や倉庫に使い人の移動は一階からのみとという工夫を凝らした処もある。

スペースが無くなると色々な工夫を考えるもので、箱庭文化と云われる日本人は整理に長けているのかもしれない。狭い国土に生きる者として身につけた技術かもしれない。そうした、海外に展開した工場跡地に開発拠点を移動した会社もある。移転した先の課題としては、残業食の施設が無いというのが課題らしかった。ソフトウェア開発というと残業ありきになっている姿がそこにはあった。こうしたお客様たちなので私自身の勤務時間も残業ではないのだが足を引っ張られる訳ではないが遅くになってしまう。残業という言葉から云えば効率が悪いのだというイメージしかない。会社が、食事を負担するという考え方は西海岸の会社にもあるようだ。この場合には、ランチがデラックスでフリーだという事である。

残念ながら、Quad社のランチはフリーではない。各自にスペースの広い部屋を割り当てるという、エンジニアにとって格別の環境を提供するという考え方は、当初ある意味で辺境の地であったサンディエゴという場所に優秀な人材を集めるための方策であったようだ。このよい慣習は、出先である日本や中国・韓国でも維持されている。気持ちの良い環境で、優れた人材が自分たちのペースで最良の状態で研究開発活動を続けていくのである。CDMAという技術を移動体に展開しチップからのソリューションカンパニーを構築したトップには畏敬の念を素直に表すしかない。Quad社自体は、CDMAのライセンス収入で世界中からの嫌われ者であると同時に世界中の技術者からの垂涎の的でもあるに違いないからだ。

そんなQuad社のビジネスの中で棘の道とも云えるのは、W-CDMAのビジネススペースである。これが理由で業界の歯車が全ておかしくなってしまったと感じている。そんな世の中を携帯バブルに引き入れた原因は、日本自身が技術立国という姿の寿命に達したからだと私自身は推察している。技術立国という歴史を作ってきた狂気を忘れて、結果のみを享受している姿には技術立国という暖簾を維持出来るものではない。W-CDMAという難しいテーマを命題として掲げて今までの世界中の通信不一致を解決するという甘美な理由に酔いしれてしまったのではないか。W-CDMAを開発している北欧メーカーからは、そんな世界を敵に回しているQuad社に向けてビジネスミサイルが飛び込んでくる。W-CDMAが立ち上がらない事までもQuad社のライセンス費用問題としてクレームをつけているのである。

さて立ち行かないと云われている、このビジネスだが、W-CDMAの相互接続性試験が次々と進められている。当然、あれほど名を連ねていた日本メーカーの方々や欧州のメーカーの方々とインフラベンダーとの試験などで巡り会うかと思いきや粛々と交換機ベンダーであるメーカーとの接続テストを進めている。国内でサービスインしているW-CDMA(UMTS準拠)のキャリアでの成果から欧州に攻め込んでいるという風景ではないようだ。華やかに繰り広げられているチップベンダーとプロトコルベンダーとで描かれていた未来はどこに行ってしまったのだろうか。そうしたスペースが見当たらないのが実情である。効率などの追求や新サービスなどへの時代遷移もままならずGSMのままで推移しようとしているのではないかとすら思われる。

W-CDMAというビジネスのボリュームが期待したほどではないというのが最近のメーカートップの方々の認識のようである。しかし、投資・投入してしまったリソースの振り向け先などについて考えあぐねているようだ。日本独自規格となってしまった感のある早期規格に基づく実装で欧州含めた海外に打って出ていけそうもないという実情や、それでも仕様変更として旧規格のまま押し進めるという話などが錯綜している様子が伺える。そんな中でQuad社のW-CDMAチップセットビジネスが時流に乗るかもしれないというおかしな図式がそこにはある。国内メーカー様に向けたサポートは、欧州ベースの最新規格に準拠したキャリアのサービスインに併せて軌道に乗ってきている。W-CDMAによる変調を嫌い、転職した過去などから考えれば可笑しなスペースで仕事をしているとも云えるのだが・・・。

下支えとなるスペースをチップとプロトコルとプラットホームを整備していくというスタンスでの仕事は自分のやっていきたい方向のなかで納得と経験を積みつつ確認してきた。これらを分散したそれぞれの専業メーカーのものを持ち寄り仕上げられるものでないことをCDMAの事例で学び、今またW-CDMAで再認識をした。Quad社のノウハウに基づいて設計された量産チップが国内メーカーの端末に収容されスリムな第三世代携帯電話として仕上がった。Quad社自身が評価用電話機として、作ったシンプルな電話機とは異なりビデオ機能も盛り込み十分な機能も動作している。こうした新しいプラットホームと従来のCDMAやこれからのGSMなどの機能開発などの盛り込みが一つの究極の形として提供していこうという状況を敢えて嫌うという姿は日本メーカーには見られなくなったようだ。

短兵急に、このチップで早期規格に基づいてモノ作りをしたいので協力してほしいという要望を出すような愚かな会社はさすがにいないようだ。シックなデザインでゆっくりと登場する欧州規格のW-CDMAインフラにあわせて製品提供していけるのは、焦燥しきった人達では無いのかもしれない。国内メーカーと西海岸の橋渡しをする機会が増えていく状況自体は、最近の冷めた携帯業界の実情などからすると空席の目立つ飛行機の座席事情とは違和感を感じる。落ち着いて仕事を意識高く続けられるようになってるのかどうか、最近の携帯業界の一面を見ていると不安になってくる。売れている端末と開発している端末の方向性などから、次々と起こる事件が、期待された未来を悉く書き換えているようだ。エンドユーザーのスペースに端末を届けられることを通じてのみ事業は続いていけるのだなと感じる。

お客様の中には開発テーマの絞り込みで活躍できるスペースの無くなっているケースもあるようだ。じっくりと開発に携われるのであれば社員だけで開発していけようし、乱れきったAPIの整備やライブラリのチューニングなどにも時間が割けよう。そうした千客万来のチャンスであるというのが今のメーカーでの状況ではないだろうか。そして、そのことはコストダウンという名の下に一方的な形で開発規模の縮小を協力会社に申し出るのではなくて互いのビジネスモデルを市場の変化にあわせて変えていく手弁当の時期であるはずだ。開発プロセスの見直しをするのも良いだろう。少なくとも今までのソフトウェアの継承をしていけば、次のスペースが見えていくのではないかということはあり得ないと感じる。抜本的な見直しをするために不良債権といえる現在までの集大成を放棄して始める時間として捉えるほうが良いように思える。

プラットホームが整備されつつあるのを見ながら気になってくるのは今までの日本の携帯アプリケーションの有り様であり開発の進め方である。Quad社で提唱してきたアプリケーション環境がキャリアを越えて方式を超えて利用できるような時代が実感を伴って見えてきた。ふと気がつくと、グローバル的な視点で日本の先進と思われた機能が使えていない事実に気がついた。メールが仲間に打てないのである。何が問題かというと「スペース」が打てないのである。電子メールで当たり前の署名機能を設定するとカーソルによるスペース入力が使えないのである。半角スペースを入力するのにはカタカナにしなければならない。そして電子メール本文では半角カタカナは禁止なので半角スペースを入れるという機能がないのである。携帯電話というシステムをユーザーの視点から見ているのかという点について少なくとも日本語ユーザーの視点でしか捉えていないのだなと「スペースが入らない事件」を通じて再認識した。

空いているスペースを認識して、そこにボールをフィードする絶妙のパスを繰り出す中村や中田のような仕事をしていきたいと思う半面。そうしたことを感じてそこに向けて走り込んでいくクレバーな選手が必要であることも事実であり。自分のいる場所にパスを求めて止まっていているようではトラップもおぼつかないのである。自分のほしい場所を以心伝心あるいは共通認識の上から理解して、そこへのフィードが来ると信じて走り込みようやく得点や勝利に繋がるのである。それが出来なければ、携帯のワールドカップに日本が決勝リーグに勝ち進むはずがないのである。重厚長大な仕事に慣れてしまい自分のポジションやフィールド全体の様子を見れなくなっているのであるとすれば、一度離れてみて応援席から全体を見直してみては如何なものだろうか。自分でなければ出来ないスペースがある筈だ。

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