業界独り言 VOL175 ソースコードを読もう

通信機メーカーの知人と会食をして情報交換などをしていたのだが、気になる発言などがあった。どうも最近の開発現場ではソフトウェア技術者というものは殆どいないらしくて、ソフトウェア担当という言い方をするらしい。知人達とは開発プラットホームの改善などについて熱く語っていたのだが、どうも矛先を向けてみても中々着地点が見えない理由の一つはそこにありそうな雰囲気がある。分業が進みすぎた弊害なのかだろうか。携帯開発を担当している頂点に位置している通信機メーカーの技術者達が行っていることとはソフトウェアの構造やコードなどについて将来像も含めて考えていくことではないのだろうか。

トップの問題点認識は、熱海の古い増築を重ねた温泉旅館のようなソフトウェア構造を見直すべく、開発組織の見直しをして技術研究部隊と製品開発部隊を統合して製品に密着した実りのある新たな開発プラットホームを興すことを目指しているようだ。PC部隊などとの融合は、大手の通信機メーカーは皆、やっていることなのだがその成果はまちまちであるようだ。闇雲に通信キャリアの提示する製品開発するメーカーもあれば、自律した方針で開発を進めているメーカーもある。エンドユーザーのニーズや動向を把握しつつ限られた条件のなかで挑む人たちのほうが成果が出てきているように映る。自分達の現在の開発プロセスを肯定して、そこからの発想や行動に甘えてしまっている人たちの成果にはエンドユーザーは結局ついて来ないようだ。

オブジェクト指向のソフトウェア開発を追及してシステム開発において効果を出してきた知人のH君は、プラットホーム開発という大きなテーマを会社から預かったようなのだが開発してきたプラットホームのAPI仕様を開発利用する立場として読んでいるソフトウェア担当は殆どいないようなのだ。彼の会社では携帯開発に向けてソフトウェア技術者を結集して各地に分散していたメンバーを一元化して新しいビルに集合を掛けるという最近のいくつかの大会社のスタイルに則って進められているのだが・・・。プラットホーム開発で手がけている部隊と製品開発を手がけている部隊が集まってみても打ち合わせが増えただけで明確なマイグレーションの計画は進まないようなのだ。

意識ある人たちはどこへ行ったのか、携帯業界の不況を煽った人たちはどこかに雲隠れしてしまったようだ。無論開発を担当してきた人たち自身も確信犯といえるような、この状況に向けて突き進んできた節がある。今、ニッチもサッチもいかなくなり、とりあえず外部リソースの切り離しをはじめている。組み込み業界のソフトハウス自体が、メーカー自身のこうした変調に直面するようになり転身を図り始めている。無駄とも思われるような仕事自体は、まずなくなってきた。売れない端末の開発自体が起こらなくなってきたからだろう。他方、売れる端末としての物作りの意識というものもメーカーによっては無くしてしまった様に見えるところもでてきた。会社自体がガケップチに追いやられていることを認識しているメーカーは最後のチャンスに掛けているところもある。「もうキャリアの言いなりにはならない。」最後の商品に掛ける思いは強い。

第三世代の変調と共に、現行世代で起こり始めてきた変化も興味深い。ソフトウェア開発の効率化をモデムとの独立で果たそうとしてきた業界メディアの誘導自体が現実には否定されはじめているからだ。デュアルチップの開発容易性というメディアが焚きつけてきた方向性はメーカー自身の開発力の無さの裏返しでもある。単にJavaが速いだけでお客様が選ぶような甘い時代ではない。根本的な存在意義を求めて第三世代は流離っているようだ。高速性ではなく収容力の向上による廉価の実現ということを謳っているキャリアに元気が出てきているようにも見える。手に届く第三世代を速度競争として捉えて無線LANのような外人選手を引き入れてきた通信キャリアは広告やメディア制御だけでユーザーを制御しようとしているように見えるのだが果たしてそんな状況ではないようだ。

メーカーにいる意識ある技術者は、メーカーの方針とのすれ違いや仲間達の不条理な世界との決別を計り開発方向性をよりよい方向にもっていくべくライセンスベンダーサイドに参加してその仕事の範疇として仲間達を支えようという意識に賛同しはじめた。国内メーカー各社から、ある意味でリエゾンのような雰囲気を醸し出しそうな状況を今ではQuad社内には見ることができる。解き放たれた各メーカーのトップ技術者達は、母体の会社も含めて国内の開発メーカーのためにより完成度の高いソフトウェアを開発提供していくという精神に立ち前向きな仕事を国際的な雰囲気の中で胎動しはじめている。HDRやWCDMAなどの狭間で揺れて飛び出してきた自分もそうした思いに衒いはない。この三年間の中で業界の変調とともに健全な方向性を求めて取り組んできたという自負に過ちは無かったと感じている。

通信キャリアと国を挙げた業界で取り組んできた過ちの歴史には反省もないままに、景気悪化の確信犯達はどこかに責任も取らずに消えていってしまったようだ。拡大しすぎたPDCの開発母体は通信キャリア同士の異なった背景や次代への展開ストーリーの相違により見えている未来をあたかも現在の延長に捉えて来た点がそもそも間違いの始まりのようだ。メーカー自身の意識として特定の通信キャリアへの加担度合いが変調していたとすれば、そのことにより大きな転機が訪れようとしているようだ。あり得ない未来を信じてきたというよりも、自分自身の頭で考えないままに行動してきたのではないかと思う。WCDMAという絵空事のみを信じている人たち、GSMのみでよいと信じている人たち、技術的効率的に優れているからとCDMAだと信じている人たち・・・。それぞれのバランスを取って開発出来るほどにリソースがいる訳ではないのも事実なのだが。

ハイブリッドカーの戦争に大きな歴史上の変革があった。日産がトヨタからの技術導入に踏み切ったのである。好調な日産ではあるが、開発効率を考えてコスト意識も働いた結果だからだろう。自動車業界の人たちのマトモさには、携帯組み込み業界の異常さからみると敬虔な気持ちにさえなってくる。携帯電話は、今ようやくビデオの超量産ラインの発想から離れてDVDなどのセル生産の形態に変容しなければならなくなっているようだ。開発完成度を一気に上げてトップシェアをとるという発想などの優位性を保てるメーカーは技術戦略の智謀に長けた会社があれば達成できるのかもしれない。特定の通信キャリアのみの色眼鏡で見ていると世の中の動静を正しく認識できないままに無為な日々を過ごしてしまうだろう。

自分達のやってきた仕事から撤退すると会社側からいわれた場合に何と思うのだろうか。昨日のプロジェクトXでの東芝青梅のような転身劇を果たせる会社は、NTTドコモペアの会社では無いようにみえる。第三世代WCDMAを離陸させるためのキーパースンとしての役割すらも最近では背負わされているような情勢だ。GSMとCDMA2000との協業も視野に置いた開発もしているし、結果としての応用技術としての802.11なども検討はしている。幾つかの予想を同時に立ててバランスをとりつつそれぞれのストーリー展開が始まることに対応できるようにするというのがQuad社のストーリーである。HDRの推進をしてきた仲間がWCDMAの開発をしているかも知れないのだが、それぞれのサクセスストーリーあるいは撤退ストーリーの検討をしたうえでバランスを取った開発をしているのが現実だ。

今、自分達が置かれている状況を正しく認識している中間管理職の人たちが、業界の今までの経過として慣れてしまった万年多忙という状況での甘えに身をゆだねて自分自身での考えてを持たぬままにきた付けを未来への期待に燃えて業界に入ってきた若い優秀な技術者世代の気持ちを汲まずにいるとしたら大きな不幸がそこにはある。忙殺されるという環境におぼれているということの無意味さを考えずに仕事を惰性でしているのだとすれば、次の変化に対応できなくて淘汰されても致し方ないということだ。「開発プラットホーム論議など意味がない」と何の手も下さないで埋没している会社に未来はない。忙しいながらも地道に張り詰めた弓のごとく精進を積み重ねていくという開発プロセスをキープしつつ結果としてのさまざまな製品が出来上がっていくという形態を打ち立てられた会社もあるのだから。

ソースコードを読むこともしないで通信キャリアと業界に流布された部品メーカーなどの広告情報のみに振り回された自我の無い製品開発をしてきたソフト担当という技術者を擁してきたメーカーには厳しい氷河期の始まりだ。あたりまえのこととして進めてきたソフトウェア技術者は、自分のいる場所を考えて仕事をする時代にはいったようだ。携帯電話をモデムとして捉えたデュアル環境で開発がしたいのならば、むしろカーナビの事業に出て行ってG−BOOKの開発に飛び込んだほうがよほど面白いはずだ。いまや、携帯とカーナビの両方に長けたメーカーは何故かいなくなってしまったようにみえる。無駄に使われた高速道路のように映る第三世代の一部の取り組みは私企業であるドコモの取り組みだから非難がされないようだが、私には業界も含めて確信犯であるとしか思えない。

組み込みという技術から、離れて携帯でもWindowsのような開発に移行しつつある未来に向けて、今なにをチャンスがあれば取り組んでいくのかという意識をもっていなければ前世紀の遺産で食いつなげる時間は殆どないことを認識すべきである。自分の会社の仲間だけを見ていてはいけない。偏光したレンズで世の中をみてもいけない。曇りなき眼で見て、自身の考えの感覚や精度を高めて、世の中への貢献を果たしていかなければ社会の公器を預かった経営責任を自分としても感じていくべきである。色々な取り組みをしている知己たちのギアがまさにいまニュートラルから入ろうとしている瞬間に立ち会おうとしている。

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