業界独り言 VOL183 1xとUMTSの鬩ぎ合い 米国

国内の先発WCDMAキャリアの不振が濃厚になってきた。景気浮揚策としてあるいは、消費高揚刺激策としての位置付けにWCDMAは使えないのだろうか。漸くカバーエリアも広がりを見せてきたし、第二世代であるPDCとの共用など運用面でも実用的になってきたと思えるのにだ。期待の仲間と信じてきた欧州キャリアとの温度差は開くばかりだ。先日、北欧メーカーが続けてUMTS/GSM端末を発表してようやく始まるかの様相を呈してきたのだが内実はどんなものなのか。

あるメーカーの端末は一気にスタンバイ時間を350時間と発表したり結構いいかげんな状況が見えてくる。この数値をまともに捉えて気が滅入るような技術者であるならば、顔を洗って出直してくるのも良いかも知れない。そして、またこの数値を信じて国内に適用しようというキャリアがいるのならば、その方も同類かもしれない。こうしたペーパーマシンの云うことを信じて中々、開発適用に踏み出せないメーカーなどには幻惑のカタログスペックに映るようだ。CDMA端末が増えて景気浮揚になればウェルカムではあるのだが。

欧州キャリアの元気の無さは、元を辿れば機器開発メーカーの規格実現までの誤算により陥ったといえよう。無論元気が無いのは、3G免許を取得してしまったいわば紙くず同然になった権利を行使して赤字経営をしなければならないのかどうかという点に帰着しているようだ。ようやく作れる状況になってきた規格に基づいて相互接続性テストが本格化してきたというのが実情なのだが、世の中の期待は飽和してしまい、一気に詰まってしまったようだ。バブリーな世界平和に帰着している経営バランスが同時多発テロで一気に露呈してしまったからかも知れない。

規格は元々二つのシナリオで出来ていて第三世代という代物には、Quad社との確執が露になった政治的な側面があり、技術的な理由で決まってきたものではない。そうした中で無理に離陸を目指してきた国内キャリアの逼迫状態には、なにか国策の意図もあったのだろうか。今は、デュアルバンド化も達成したので、このまま国内についてはPDCのままで行くという選択が浮上しているのではないかと推察さえするのだが・・・。なぜか出来上がった通信機器を買い上げなければいけないという密約でもあるようでこの国のキャリアの体質はISDNから抜け出せていないようだ。

第三世代端末の達成には、CDMAからの差別化が唯一の着地点だったのだろうか。国内でしか使えないという政治的な状況でのTDMA方式について拘りを持ち国際化できないままに推移してきたのが正直なところだと思う。現実にはGSM方式で世界を席捲されているという現実を直視しないままにグローバル電話を作りたいという理想郷を目指してきた中には結局政治的な背景と技術的な背景の二つが実は双方ともに希薄であったというのが原点だったと思われる。矛盾にみちたままに始まってきたWCDMAにQuad社が参加しているというのも自己主張にも、これはこれで矛盾があるようだ。

実際問題としてQuad社のWCDMAチップの開発リーダーは、WCDMAを糾弾してきたチップのシステムエンジニアが中心になっていると聞く。「悪い点がわかっているからこそ設計が出来るのか・・」という見方にもなってくるのだが、遅々とした状況下から初めて三年ほどで登場したWCDMAのチップセットは規格編纂の遅れや改版などシステム評価の初期段階に浪費している世界の通信業界を、まるで利用するかのような進め方にも映る。マイペースで必要な手順を踏んでいるだけなのだというのがQuad社の考え方である。通信キャリアの政治的な開始時期に間に合わせるのではなくて現実的な相互接続性テストの実施状況などからみた開始時期に適切なソフトウェアとチップをタイムリーに提供していくということである。

なぜWCDMAのリファレンス端末としてQuad社の端末が使われるのかといわれると既にそこに矛盾がある。何故提唱してきたメーカーが選ばれないのか、長年の経験が生かせないのかということに陥ってくる。現時的な商品として(UMTS規格という言い方が適切かどうかは不明だが最近では先陣を切った国内キャリアのそれと分ける意味でもUMTSと呼ぶようにしているらしい)、登場する状況で期待されている内容が不明確だというのも今更なのである。誰も実は高速であっという間に高額なパケットが請求されるようなシステムを望んではいないのだ。キャリアのコスト意識に自社の社員の数などが入っていれば良いのだがそれを是認したシステムなので、安くなることはないようだ。道路公団の手合いと一緒なのだろうか。

たとえば、電話の世界で不思議なのは、トーンダイヤルの料金が追加で課金される現実にもある。交換機の保守要員を減らす意味でもパルスダイヤルをなくしてしまうことへの協力をしているのにも関わらずである。まあ自宅では私自身は国内キャリアの方針実践の伝道者として表彰されてもよいのではないかという状況だと自負しているのだが・・・。ISDNから始まり、当初からダイヤルイン契約を行ってきた。TA交換の歴史も四台目であり、今ではONUまでも導入してADSLは導入しなかったのである。これほど国内キャリアの方針を実践している私などが異質に見えてしまうのはいったい何故だ。FTTHの時代だといって実践利用出来ているのには感謝もしているが、周囲からは何かミスマッチを感じるのである。

話を携帯に戻そう、国内キャリアのプライドだけが横行しているのが現実らしく高々15万台も出ていない不適格な規格の端末と今後出てくるUMTSに準拠した端末との双方を動作させるためにデュアル規格の基地局装置を開発させるのだそうだ。なんと無駄なことか、白旗あげて改宗してしまえばメーカーも気楽なのに意図不明なままに開発リソースが取られていく。バブルの塔の明かりが消えることはなさそうなのだが、もう明かりを供給しているエネルギーが切れているのではないだろうか。国内キャリアの気楽さは、3Gライセンスをただで取得したことに他ならない。仲良くじゃんけんして三分割したようなものだからだ。国はこの点に目をつければ課税対象で莫大な利益で財政が潤うのかも知れなかったのだが・・・。

お気楽なままに始まった、開発は将来の端末買い付けというテーマをベースに各メーカーが手弁当で開発をしてきたのである。今、国内キャリア向けに開発をしてきたメーカー達は完全に死に体となってしまった。まだ不渡り騒ぎまでは起きないものの技術者市場が携帯偏重してきたことは全く停止してしまった。とはいえ、市場に買主がいなくなってしまったかといえば、開発を国内先進キャリアにあわせてこなかったメーカーは、今は上り坂にある。この情勢で国内外に技術者をビジネスクラスで派遣してシステムテストやら製品開発の打ち合わせに飛び交っているくらいだ。

通信規格を変えるということは大変なことなのかも知れないが、市場が出来ていない現在としては、一気に回収してUMTS端末に移行させることが大英断だと思うのだがいかがなものか。敗戦をまた迎えてしまったというような意識に国も含めているのだとすれば、それはそれでA級戦犯をだしていくべきではないだろうか。今、最も合致する最良のありえない理想のストーリーは、第三世代の基地局システムの運営母体を国営化してUMTSのみとして現行の先陣メーカーの不適格な規格のユニットのみをUMTS仕様にして二つの通信キャリアが共用運用するという図式である。完成度の低い欧州機器メーカーの基地局に見切りをつけて国産基地局でUMTS規格を邁進していくことである。

まあ、こんな在り得ないと一笑にふされるかもしれない状況自体が矛盾しているのだから仕方がない。大東亜共栄圏構想のように芽生え始まったIMT2000での戦争は、傍目には終結を迎えているのだが、ポツダム宣言の受諾を受け入れる責任者が出てこないのが問題である。そんな中でQuad社のWCDMA製品が対峙しているのは実はCDMA1xシステムなのである。これこそ矛盾のきわみであろう。お客様からどちらが良いのかとQuad社に問われても最良の盾であり、最良の矛であるという説明しか出来ない。WCDMA+GSMという商品に続けて出てくるのは、CDMA1x+GSMという商品なのである。後者は既に市場が出来上がっている中で世界中どこでも使える正にIMT2000な端末なのである。ライバルは中にありということなのだろうか。

欧州ではGSMの中のアクセスポイントとしてWCDMAがあるという状況が逆に実用的なGSM/WCDMA端末をスタンバイ時間350Hを生み出してきたのだが、国内でのそれは100時間をめぐる攻防で始まり、200時間を越えるものが今後の課題となっていくだろう。逆にGSMで呼び出しだけを行うシステムをPHSの周波数でも使って行うような仕組みを用意するという答すらもあるかも知れない。WCDMAチップ開発メーカーを撤退したあるメーカーがPHSのキャリアを購入したのは、これとは違う理由のようだが・・・。PDCを呼び出し目的だけに使うということを考えようとすると、残念ながら国内でしか活路が無いために開発する意味がないのである。それよりも待ち受け時間の議論自体が意味をなさなくなっている現実に目を向けないキャリア自身の意識改革が最も必要なことなのだと思う。

こんな状況で開発の進行や停止が為されているのだとすれば、利用者の視点は全く不在である。現行方式のままで利用形態の活用拡大に腐心している愛のある人たちの活動はやっぱり凄いことなのかもしれないが、IMT2000の人たちとの共存自体にもう矛盾があるような気がしてならない。自己矛盾を感じて分社させるとかワールドコムのような事件が起こってから国有化するのかという自己申告してはじめていった方が良いと思うのは私だけだろうか。大量ユーザーが路頭に迷うようなことを国が収拾してくれるのだろうか。あるいは強制代執行を行って周波数の巻き上げを行わせてPDCシステムの拡充を行わせるのだろうか。どの方針が現実的なのかどうかは私には判断しかねる。

迫り来る激変の中で、自分自身が何が出来るのかを世界にマッピングしながら考えないと家族を養っていくことすら危ういのではないかと感じるのは私だけなのだろうか。日本で行うべきことの方向性や範囲を明確に認識して自身のスキルマップと照らして拡充していくための動きというものが日本の技術者にも求められ始めているのだ。同じ会社にいつづけようとしても、それは迫ってきているのである。最近の議論でQuad社のサポート技術者として日本語のQ&Aを行うべきかという議論があるのだが、問い合わせを行われるユーザーの技術者の方の今後のスキルも踏まえて英語での質問をまず組み立ててもらい、米国の技術者との間での理解調整に努めるのがベストな解ではないかと考えている。我々は技術者としてという面でいえば公用語としての英語で生活すべきである。

米国に今回来ているのだが、最近Quad社にジョイントした若手技術者がいる。初めての米国本社出勤に際しても、レンタカーを借り出して地図を頼りにホテルにたどり着くまでの道のり自体が最初の壁であり訓練でもある。彼は、実はお客さまにいたエンジニアでサンディエゴでの評判は随一である。彼の名前を知らぬものはいないという事実を彼自身は知らない。行く手で迎えられる握手の嵐に戸惑っているのだろうと思う。私も彼の凄さは、お客さま訪問を通じてよく認識していて「こういった判った開発をしてくれる人はありがたい」と思うことしきりである。そんな彼を迎えることが出来て、三年の間に彼も英語のスキル向上が著しくQuad社のエントランスレベルとして日本事務所で設定した650TOEICというスコアを超えていた。そんな彼が、日々の会議を通じて耳の開くまでこちらに滞在するようだ、彼のこれからを祝したいとも思う。

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