業界独り言 VOL210 勤続疲労の行く末は

世の中は、ゆとりを求めて一律な勉強を目指さないことを奨励して自らのゆとりを持たない先生たちにはさらに、子供に対してオーバーワークをしながらゆとりを教えていくという矛盾を課した。そうして制度だけが先行して、時間や単位をすり減らし学校生活の先に待ち受ける社会生活とのギャップは、ある程度は大学受験という課題クリアということで維持しつづけていたようだった。しかし、大学生活にも受け入れがたいような状況の学生を受け入れざるを得ない状況を作り出し大学で補習しなければならない状況だとか。また、大学から社会に巣立っていく場合でも会社側で受け入れがたい状況を作り出して再教育をしているのが現実のようだ。マニュアル社会を標榜した結果なのか、学生たちが勤められる先はマクドナルドかデニーズのようなマニュアル本の徹底している組織にしか入れないようだ。

企業が自らの手で中高一環教育をしていくという姿をみたり、新卒就職不況の背景には働きすぎた過去の日本の高度成長時期からのギアチェンジを教育の手抜きという側面にだけ課したことが大きな要因だったのだろう。イデオロギーばかりにこだわる教育現場に近い人たちにしてみれば若者の意識改革をしたいという戦略もあってのことだったのだろう。目指したい理想の姿を共産主義的な姿に置いている人たちからみた日本の付加価値の低落傾向についての認識のなさが、そもそもの発端だろう。高度成長時代には確かに悪いツケもあっただろうし良い蓄えもあったはずだ。ツケの支払いのみに注目してリラックスした生活を目指した結果は、厳しいとも映る現在に繋がってしまったようにみえる。流れに身を任せるままに暮らせてしまった時代に清貧の思想も何も無く流されてきたものたちが企業の中核になる段階でバブルは破綻してしまった。

無論バブルとは無関係に、海外で学生生活を終えて、そのまま仕事に就いていた技術者たちも居る。最近雑誌で紹介されたQuad社でのT君などは稀なケースといえるのかもしれないが、彼を見ていると「日本の技術者のスキルを貶めているのは会社の組織そのものなのではないか?」という気にすらなってくる。組織の変革を求められているままに変身しきれずにダッチロールしている感のある日本のメーカーの現状で苦しんでいる様と、まだ31歳の彼がディレクターとして製品開発の陣頭指揮をとりつつ技術開発に取り組んでいる様には大きな溝がある。彼を見ていると日本人は捨てたものじゃないということを再認識させてくれる。しかし、現実の日本企業の中で組織の壁に苦しんでいる知人達は、孤軍奮闘して新規事業や技術開発を進めようという自己意識と現実の組織の壁に阻まれて自分自身のモチベーション維持すら困難という状況を甘受している風景に出くわす。

飛び級やゆとりといったことを日本の仕組みに受け容れていくという教育界の取り組みは、歪んだ形で推進されていきそうした教育を経た若者達にとっては住みにくい社会が待ち受けていたようである。やがて社会がそうした変化を受容しないままに、教育との溝が広がり社会慣習に根ざした両親たちからの学生の当事者達の自己意識のないまま趨勢に流されていった。平均点の低下といったことを気にする文化の人たちと飛びぬけた人たちを生み出そうとする試みとの間は乖離していたのだろうか。加工貿易の国としてプロジェクトXな日々を通じて得てきた対価は自己の過剰な評価とともにバブルを引き起こして破綻してしまった。社会の現場は、合理化を迫られる中で繁栄の対価を生み出していった世代の人たちが高年齢にシフトする中で対策も無いままにシュリンクしてしまった。日本の「売り」についての議論がないままに自分達の世界だけで生きていけないほどの物価を招いたのは価値観や道徳といった大切なものについての意識欠如の結果ともいえる。

心豊かに暮らすことを選べずに、シュリンクしていく中での仕事に埋没していく技術者は勤続疲労を起こしてしまっているようだ。3Cの時代を生き抜いてきた親達の世代から引き継がれたものは、誰もが平等に暮らせるという社会主義だったのだろうか、同期入社の人たちが職場に関わらず同一の賃金体系であったという異様な世界はようやく終焉を迎えることになり毎年のお決まりのようなベースアップという事態も無くなり社会は健全化しつつある。組合は雇用を守るという大前提にたち返り自分達の付加価値についての議論を会社側から提示されようやく自分達の要求内容の矛盾について考えるようになってきた。横並びという文化が終戦により引き起こされてきたのだとすれば、ある意味でやっと日本という国が資本主義に向けた一皮剥ける時代になったというべきかもしれない。「となりの会社がいくらのベースアップだからうちの会社も・・・」といったようなことが自分達の付加価値と給与対価のミスマッチを引き起こしてきた。そして、高収益のトヨタ自身がベア凍結といった事態などを提示したことを「横並び文化」の人たちはようやく認識して、いまやっとバランスが正しく動こうとしているようだ。

鋼の焼入れや、焼きなましといった事を学んで実践してきたプロジェクトXの匠たちが去就する中で社会は、日本の付加価値についての歴史的な事実から進めていくべき現実との間の施策について無為に過ごしてきたようにしか見えない。先達の生み出した成果や文化は、時代背景に根ざしたものであり変容させていくべきものであるということを歴史から学んでいないかのようだ。自己確立の出来ないままに国を超えた競争社会とのギャップに晒されてあたふたと技術追求といったことの手を緩めていった中にはハード中心の加工貿易時代の意識の甘さが残っているように思える。世の中はメカトロニクスのビデオの時代からDVDの時代に突入していて後追いで追いつけるものいないという時代に入っているのだ。メカトロニクスの精度追求といった日本のお家芸が評価される時代からだれでも馬鹿チョンにプラモデルのようになってしまったパソコンのような時代になり先端を走りつづけなければ撤退するしかない時代といえる。

若い経営者を輩出して変身できるような社会でなければ、会社ごと破滅してもおかしくないのが今の日本なのである。今、こうした時代背景を正しく認識しての仕事が出来ている会社としてキャノンの戦略は興味深いものである。生産コストの中国に伍して戦える生産技術を作るというトップ方針が明確に日本人としての付加価値追求を示しているといえるのだ。量産からカスタマイズの世界に向かう中でソフトウェアを主戦場に移した通信業界にあって高い日本のコスト体質の中で世界標準の通信方式の開発を日本語ベースで土木工事の如く進めていくというような非現実を直視しないでおけるはずはない。超カスタマイズの世界に向けて平均点向上ではなく、一握りの天才達の成果が存分に発揮されることでソフトウェア開発や製品企画といったものからの抜本的な改善が求められるのである。今、日本が目指している通信機業界は平均点向上といった教育ママと同じような感性で誰もが得点を取れるような製品づくりといえる。競争している現場での差別化において横並びの意識が残っている限り破綻は目前といえる。

明確なメッセージを伝えられる製品づくりという方法論に入れずに、多機能踏襲の護送船団方式の開発成果を毎回後生大事にしているメーカーがあった。変革の世代を超えるためなのか、今年一年間は充電の年と定めたらしくまさにゆとりを正しく実践して変革しようとしている真剣さが見られる。仕事を通じて変革しようとしている野心的なメーカーもある、気風の良いフィーチャーで超カスタマイズ志向を目指すというメーカーはまさに真剣勝負でガケップチでの意地をみせての取り組みである。最先端を進んでいくものしか残れないと言う論に立てば、後者のメーカーでなければ先は無いようにも見えるのだがいかがなものだろうか。後世の歴史がきっと教えてくれるのだろうか。現在世の中に登場している製品の中にも顧客にとって受け容れられる製品価値と開発費用というパフォーマンス解析をしてみると面白い結果が出てくるのではないかと思う。開発費用を分担するような施策をしたからといって解決できるものではないと思うのだがいかがなものか。

勤続疲労に到達した仲間の取りうる進路としては、次の夢に進むという人や戦場を変えて同じ夢に進むという人もいる。高専の同期で入社した仲間の一人は割と早い段階で技術者として考えていた仕事の流れと会社の事業観との間で勤続疲労を起こして、エンジニアから本屋のおやじになったものがいる。彼は、戦略を立てつつ変革する今の厳しい本屋という業界にあって頑張っていることで人生としての加速度を楽しんでいる様子だ。モチベーションの維持には、其の人が加速度を感じつつ生活が出来るのかどうかと言う点がある。単に仕事の納期を短くするという意味での加速度ではない。計画だてた戦略の中で着々と加速度を上げていくといったようなものである。世の中の変化を読み取り先を洞察しながら長期計画は変えて行くべきであり、もし開発計画自体がそうした変更に対応できないのであれば、その業界へのその会社の適応力がないということだから撤退すべきなのである。

一人また通信機業界から仲間が迎えられそうな状況になった。世界標準という条件下で取り組んでいくというスタイルにQuad社自体は、とてもマッチしているから彼にとってもモチベーション維持のための加速度を感じつつの技術者人生を楽しんでもらえると思っている。彼は、もとはお客様なのであるが、通信機業界の開発実情から自力開発の路を諦めてチップベンダーとの協業を模索しつづけてきたのだが、経営環境の悪化などから協業した上での開発費用までも出せない状況に陥り撤退するようになったらしい。商品開発リーダーとしてオペレータや標準化会議などに参加しつつ進めてきた彼にとってプレイングマネージャーとして同様な状況の日本のお客様の支援を行うという仕事は技術者としての加速度維持を続けられると語ってくれた。残された各自の技術者人生を大切にしていけるのかどうかという点はキャノンのような技術者としての加速度維持を続けられるような経営方針如何によって日本メーカーでも達成できるものなのだと思う。

Quad社自身も自己変革を続けているのが売りの会社である。そうし中で、自己の活躍場所を求めて社内で移籍していく人、あるいは起業としていく人と様々である。みな目指すところは、家族との生活のための自己の技術者人生であるというベースに立脚している。なかなか、日本メーカーの技術者の人たちとの感性とは異なっている。当て嵌まらない人は去っていくのも現実である、トップを走りつづけていく会社に加速度を感じていけるためには、トップの技術力が必要であり、また仕事を通じて技術力は高まっていくものである。現場をたえずサポートしていくという仕事は、出荷した製品の青写真やソースコードをお客様のニーズに合わせながら先人を切って確認開発しているような仕事なのである。世界標準の仕事をしていく上で時差をこえて世界各地で行われているテストやユーザーとのコミュニケーションの輪に参加していくためにはコミュニケーションは不可欠であるが。毎週海外映画を見ているような技術屋には釈迦に説法かもしれない。

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