業界独り言 VOL353 本質を追いかけてほしい?追いかけたい?

日曜は、朝から母校に出かけた、学園祭であり先輩である教授に会っていくつか相談したいことがあった。大学同様に独立法人化された母校の高専は、まずはインプットとアウトプットに対して成果を出そうとやっきになっている。学園祭は、そうした学校運営の中でも重要な位置づけのイベントといえるだろう。設立の目的自体は、プロフェッショナルエンジニアの育成と輩出であるのだが、最近の学校の流れとしては更に進学したいというニーズに呼応する形で、パイパスする大学のような位置づけにもなっているかも知れない。中学卒業の段階で、エンジニアリングの学習をまとめて行うということに意義深いものはあるのだが、最近の日本での教育指針の幼児化から、そうした意識の高い言い換えれば好奇心にあふれた子供たちというものが育たなくなり大学進学といった動きに流されてしまっているというのが実情だろう。

教える側もメーカー帰りの実力派、そして意識ある学生とのタイマン勝負という図式が、ある意味でバンカラな環境で成果を出してきた時期もあっただろう。大学受験という競争よりも身のある教育をタイムリーに行うということが高邁な設立指針だったのだが、現在の日本という国の状況からすると望み得ないということになるのだろうか。木更津という町並みは、バブル崩壊で崩れさった印象があり、駅前が荒廃している雰囲気するある。かつて中学三年の時に、文化祭を一人で訪ねた際の元気のある町並みは影をひそめて、おしゃれな洋菓子・レストランといったお店も今では和菓子屋として生き延びる程度になっていた。既にいくつもあったデパートは皆撤退していている。バスに茶菓の袋を携えて乗り込むと母親に連れられた中学生といったペアがいくつも乗り込んでいた。

学校に到着すると早速、お世話になってきた古巣の職員の方たちに茶菓配布をすませて、待ち受ける先輩は入試相談コーナーというブースで午前中は待機ということだったので急襲したが、まだ開店間もないからか、先ほどの親子などは登場していなかった。しばらく後輩達への設備寄付などの相談を持ちかけたのが、先日の話いらい色よい返事がもらえていなかった理由、寄贈したい後輩というオブジェクトが最近では滅亡しているということだった。確かに無線部というクラブ活動を当時ささえていた無線通信への畏敬の念などは、昨今のPHS/携帯/インターネットということから子供たちが楽しいということではなくなっているのだろう。
子供たちにとって感動するということが、無くなったのは技術革新の結果なのだろうか。不思議に思うという好奇心の目を削いでしまったのは技術者たちの責任なのだろうか。動物が飼えないからと、アイボやDSでロボット、ソフト相手に楽しんでしまうという時点で戻りようがないのかも知れない。クリスマスには、ディズニーアニメのWALL・Eがやってくる、デフォルメされた未来にへばりつくことを望む子供たちや大人になっているかも知れない現在の親たちや子供たちに警鐘を鳴らしてほしいものである。描かれた近未来の悲しみは、培養されて幼稚化した社会で人類がたちあがれなくなっている状況を示している。

糸電話に感動する前に、コードレス電話で無線電話を日常としてしまう、携帯電話でメールが来るのが日常になりメールの返信が来ないのは仲間はずれの認識となるらしい。アマチュア無線のCQは、Skypeでアカウントを見せている状態に置換されてしまった。途方も無いインフラが湯水のように使える状況になった水道哲学は素晴らしいことかも知れないが、無防備な子供を狼の群れの中に話してしまうようなものだろうし、痴呆化してしまった老人たちに対しても電話を普通に置くことも同様に注意すべき事由となってきているのだと思う。複雑化したインフラの中で正しく認識して生活していくことは不可能なことに近くなっているのだと思う。

さて、文化祭でにぎわう、母校の高専の入試相談コーナーに話を戻そう。二人の男子中学生が入試相談コーナーを訪ねていた、中学生は、校名が名札の位置にあるので明確に把握できる・・・。(地方都市という事情もあるだろうが・・・。)、門前の小僧として耳をそばだてて聞いていると、一人は機械工学科志望で、もう一人は情報工学科の志望らしい。対応している教授は、機械工学科の教授を経て、情報工学科の開設と共に移られたA教授という方だった。高専入試という仕組みでは、志望学科を志望順に記載する必要があり、成績と共に結果に基づいて面談で学科が決まるという仕組みになっている。私自身は、電気工学科・機械工学科と書いたのだろうが、もう40年も前のことなので記憶が定かではない。どうでも良いと思っていることは忘れてしまうのだ。

中学生が知りたいのは、教科内容であるのだが、両学科を経験しているA教授は熱く語りだしてしまって子供たちとの間のギャップが埋まらない。説明をしたあとの子供たちからの質問が無いことが、熱く語るA教授の語りに油を注ぐ形になり収拾がつかなくなっていた。いまどきの子供たちが、高専の入試説明会に来てくれただけでも良しとするところを、A教授の思いは、好奇心に満ち溢れた意識ある子供たちを迎えたいということに期待がいってしまっているようだ。道具としての情報処理を利用する機械工学、情報処理を工学として更にコンピュータの世界で極めようとする流れの差異について、中学生が理解できたとは思えない。A教授が必死に説明しようとしているのは、いったいエンジニアが会社で何を目標に働き、何が競争の原点なのかを必死になっていた。

事業を成していく上では、パテントが技術の評価尺度であり会社の経営自体はそのことによって研究競争が続いていると説明をしているのだ。中学生にとって果たして興味あるいは意識付けとなったのだろうか。本質を追求してもらいたいということから、どの学科を選択しても五年間という期間で学ぶのは自信をつける本質への学び方であるということを必死に説明しようとしている。されど、中学生たちは、どうもこの段階での学科選定が大きく自分自身の進路に響いてくると感じているようで、余計にギャップが広がっている。機械工学科あるいは情報工学科での取り組みとして夢のあるテーマを示すことが少なくとも、意識付けには必要なことなのだが、教授は日ごろの学生に対しての思いが余計に募り、説明が回らないといった印象だ。少なくとも、中学生に伝わったのは判らないことがあったらこの先生に電話をして聞いてみようか・・・ということになったのだと思いたい。

皆、長く会社に勤めていくことで会社での経験をつむことでより知識が深くなるのはいうまでもない。しかし、本質にのっとった形で仕事が出来ているのかどうかという点については会社の経営方針も含めて、社風や先輩達の指導などから外れてしまうことも多いようだ。その会社としてのルーチンワークの中でサバイバルしていくことに長けている人もいるだろうし、それとは外れて評価されずに去っていったりするケースもあるだろう。エンジニアとしての強さは、いずれにしても本質を捉えて仕事を出来ているのかどうかという事に他ならないと思うのだ、現在のような混沌とした世界においては。今の世の中で、日本という国での物価から生産性の低い仕事をする限りは、コストがかかりビジネスを失ってしまうというような考え方は、前者だし、本質を捉えた後者であるならば、より生産性の高い仕方を追求して改革を進めていくことになるだろう。

工学科を目指していく理科系人口が少なくなってしまった実情には、働く環境の問題もあるだろうし、金融工学のように世界を振り回している産み出すということに繋がらないが、お金が手に入るといった社会通念が余計にひずみを生んでいるようだ。世の中にあふれる最新の機材が余計に理科系志向の子供たちの好奇心を奪っているのだとしたら悲しいし、もっと生産的な遊びや経験をするということに社会や学校が仕向けていくべきなのだろう。任天堂やソニーが悪いわけではないが、作り出す快感を体験してもらえるような苦境が必要なのかも知れない。日本が国策で色々打っている道具立てを生かしているのは、アジアの国々の若者たちのような気がしてならない。

何か、こうした若者に夢をもってもらえるような非常勤のクラスでも開発していきたいと思うのである。

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