WANTED、WALL-E そして日焼けしそうな秋の日差しと秋風

三連休なのだが、大人の事情でどたばたと過ごして、成田からポートランドに向かっている。
早く着くことで定評のあるノースウェストだったのだが、またまた会社の都合で次回は使えなくなりそうである。
昨今の燃油代の加算などによる運賃体系の混乱などから、いまでは国内航空会社を使っての渡航がもっとも高くなっているという事情は世の中での開発費高騰などと同様な理由なのかどうかは知る由も無い。結果として同一系統のアジア地区の航空会社への切り替えが発生するのも已む無しといえる。率先垂範という意味において、こうした人事規定の施行に際しては、人心掌握をされる方々におかれては最新の留意をすべきである。国内航空便に比べて、米国ノースは割安になっていたとはいえ、手配の直後に施行発表された方針を照会したのは当然のことでもある。

人事の許可も得て、既に手配済みの航空券に関しては、適用しないという明確な方針が出て、以降の手配においては東南アジア地区の指定航空会社を第一優先として、手配が叶わない場合には、外国航空会社から順に割安な航空会社を順に検索して、手配をすることというお達しであり、最高額となるJAL/ANAを選択するということに関して命を懸けてきたような輩においてはあきらめきれない事情となったのは、昨今の状況では贅沢以外の何者でもない。なにせここまでの議論はエコノミーではなくてビジネスクラスでの料金比較と適用においての議論だったからなのだ。

限られた10時間足らずの時間を、ホステスまがいのサービスをしつこく飲み放題のバーにでもいったかのような癒しの時間として誤解する輩などにおいても同様な天誅が下っても差し支えないと感じている。仕事で到着して直ちに着任できるということを目的として、そうした便宜を図ってくれる会社は国内メーカーでは既に途絶していようなので、ありがたいということで感謝の気持ちを忘れることは無く仕事にまい進すべきなのである。さっさと食事を出して、ただちに睡眠をとるのか。あるいは残っている資料を作成するためにpc電源を提供してくれた上で周囲の騒音を軽減してくれる機材を提供するのもアリではある。

最近Quad社では、国内映画を英語字幕つきで国際便の中で見るのがはやっているらしい。普段の日本語使いが、どのような形で英語を適用するのかという意味でよい勉強になるということなのだ。無論字幕なしで、英語版の映画を見るという学習方法もあるだろう。前向きな人生を送ろうという元気かつ積極的なエンジニアが在籍していることは、誇りであるともいえる。そんな中で、サスペンス物、米国社会を痛烈に風刺したアニメなどを今回は見ることが出来て、それにより時差ボケモードのタイムドリフトを最小限に抑えようという努力をしてみた。利いたかどうかは、定かではないが無理に起きていることで、なんとかポートランドでの長い待ち時間も含めて同期がとれたようにおもう。

ポートランド空港での乗り換えは、これから始まろうとしている新しい仕事の予感をさせてくれたものかも知れない。長い乗り換えでアラスカ航空でサンディエゴに向かうポイントではあるが、最近では、開発拠点のひとつとして、仲間の接点が増えそうな状況でもある。21世紀を迎えても、そんなにたいしたことないじゃないかと思う反面、ネットベースでの機能などに限るとかなり便利になっている部分もある。そうした便利な機構を果す技術を提供したいと思う流れとしてQuad社が取り組むモデム以外のチップセット技術をしたたかに利用しようとするベンチャーが増えてきたことは、頼もしいと感じるのである。無論、自前の技術のユーザーであるキャリアが開発到達しようとしている流れがそうした一角を占めればという気持ちもあるのだが、それは別の話題かも知れない。

気合を入れて開発をしてほしいと思うのだが、大人の事情が許さないというケースも最近では見え隠れするお客様が出てきた。なんだか日本の事情は心もとないと感じもするし、そうした日本のお客様を支えている自分たちの存在意義が薄れてしまうことには危機感を持って取り組んで欲しいものである。ひとごとのような気持ちで仕事をしている仲間がいたりはしないと願っているのだが、大きな会社になればなるほど仕方が無いサイクルかも知れない。そんな中で冷徹ともいえるレイオフなどが出てきた際には、自分たちのそうした弱さを垣間見せてしまうことにも遭遇する。

お上の指示に逆らって叛旗を翻してみても、結局のところ何らかの別の悪弊を産み出してしまい、そんな影響を蒙ったりするのは私の責任なのだろうか。いい人を気取るわけではないが、毅然と反論するということを起こすことが必要な時期もある。他人の人事に口出しをすることではないのだが、人の褌で勝手なことを推進するような状況には気持ちが逆撫でされてしまうのは仕方がない。結局のところのそうした不始末を収拾することに奔走するのは、被害を受けた側であることに納得は出来ないもののお客様に対しての責任を果すことについての責任感の無さが見えてくる人と共感も協力も出来ないというサイクルに陥ってくる。

表面上の冷徹な決断のように見える決定にあっても、実際に思慮深い方針で提示された内容が、何故か判断とは違う形で現場にとどいていたりする。誰が何処で歪ませたのかはなぞである。いずれにしても誰が何の仕事をしているのかという認識が実務と乖離していたという事実を、収拾作業の中で発見したりすると、疲れが余計に増えてしまうのである。名刺のタイトルをそのままに期待値と作業があるのではないかという、ごく単純な事実に気がつくと、他にもそうした見えない仕事をしている人においては、同様な事態が起きてしまうのかも知れないのである。四季を越えて、毎日の日差しで日焼けをしてしまいそうな、過ごしやすそうな季節の中でウェットな日本での想いが通じないのは致し方ないのかも知れない。そして夜風はとっても冷たいのである。

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