サンディエゴ通信 VOL6 安っぽいJALにがっかり 

2001/6/3

今年に入って三度目の訪問をすることに急遽なった。スケジュールが近づくと明らかになり、突然のように降りかかってくる出張要請は本社であり仲間からの要請なので絶対なのである。とはいえ、久しぶりに週末を挟む形の出張だ。また、出張初日はメモリアルデーである。日曜日にフライトすれば、日曜と月曜はまるまる休めることになる。

降って沸いた出張だが、日曜フライトにして。成田からサンフランシスコ経由サクラメントで、さらにロス経由でサンディエゴというコースにした。実姉がサクラメントに居るのでよっていくことにした。土日が挟まるのでここで往復するという選択もあるが、飛行機代は二倍かかる。サクラメントからロサンゼルスまでのフライトを自腹で払うことで話がついた。

いつもノースウェストで飛んでいたのだが、最近はJALが安くなったので変えてみてはという会社側の申し出があり、今回変えてみることにした。ビジネスだから大差ないと思っていたのだ。ノースウェストではTCATの閉鎖などがあったがJALではその心配もないということも背景にはあった。SEASONというビジネスクラスの広告は見たことはあった。

例によって3日分の着替えとスペアのチノパンをいれて読みたい本と仕事の道具というセットをでっち上げて日曜に出発することにした。PCバッグとコンパクトスーツケースあとはザックである。基本的にいつものユニクロスタイルであること違いはない。ライフスタイルとしては、質素を目指しているので収入が割れるような要素はなく、絡まれる要素も少ない。

商店会の花鉢引換券を持った嫁さんと途中まで出かけて地下鉄駅のところで別れた。日常の風景になりきっている。さすがに自宅から成田に行くときには横浜から成田エキスプレスを選択する。地下鉄からJRに乗り換えるには日曜の雑踏を掻き分ける必要がある。買い物客でごった返しているなかをみどりの窓口に進む。

カウンターは二つオープンしていたが狭い中で荷物を持っている私はかなりの厄介物である。荷物が邪魔にならないように奥の方にさけて荷物を配置したうえで近いほうのカウンターの列に並ぶ。幸い、列は次の番だったが、列車の旅が確定していない方がカウンターとのやり取りを続けていて中々結審しないのがたまに傷だった。

窓際の席だった。最後部の車両でもあった。乗り込口の見計らいが悪く荷物を載せた側とは反対の位置の席だった。とりあえず買い込んだシューマイ弁当を昼食代わりに食べた後、屑処理で立ったついでに荷物を移動させて近い乗り口の棚にスーツケースを移した。テーブルにパソコン用のCD-R装置を乗せてMP3を聞いている間に成田目前で電池が切れてしまった。

充電という行為をしないかぎりはアダプターを挿していても充電されないらしい。ちなみに充電中は当然だが動作しない。電池の特性からは、そうなのかもしれないが使い勝手からみると・・・。まあ確認不足の自分に諦めてフライト中のCDリスニングはキャンセルになった。スーツに入れるべき状況に代わった。

気が付くと成田の駅につき、そこから空港までの単線でありながらデラックスな作りかけの新幹線でも走りそうな状況の線路を進む。単線の中を進むとほどなく第二空港駅に到着した。今回は日本航空なので第二ターミナルなのである。ホームにおりるとはじめてそのホームがJRとして一つしかないことに気が付いた。たしかに単線だったのだ。

前回のノースとは異なり日本航空のビジネスカウンターは閑散としていた。荷物の行き先をサクラメントと告げて受け取ってもらった。日本語でカウンター処理が出来るのはメリットだったかも知れない。一応、マイレッジカードの手続き用紙を受け取り移動する。日曜日というせいもあってか時期も悪いのか出国手続きはガラガラだった。

桜というラウンジを見つけて入ろうとすると、違うサクラのラウンジだといわれた。同じ名前をラウンジにはつけて欲しくないものだ。ターミナルを結ぶコミュータで目指すターミナルに到着した。ラウンジでの状況はノースと比べても少し見劣りはしていたが、こんなものだったかと納得しビールを飲みつつ、マイレッジの書き込みをして搭乗開始の時間を待った。

時間になり、カードを台紙から外して機械に読み込ませて登録を行い、申し込み用紙は搭乗窓口に預けて乗り込んだ。通された席は、ノースに慣れた私にとっては椅子の幅を除いてはほとんどエコノミーのような印象を受けた。荷物を棚に載せたりする間に誰も背広を預かったりするような光景にはでくわさなかった。ウェルカムドリンクはジュースとカクテルからの二者択一である。ぞろっと並んでいる盆から取らされる。新聞を配りに来て違うと思ったのはスポーツ新聞はどうかという点くらいだった。

ノースでは、お客の名前を確認されて担当者が名乗る。というのが普通なのだが、そうしたことはJALではない。必要なものがあれば籠から歯磨きやスリッパを受け取る。合理化されたという印象と安直という感覚しか伝わってこなかった。こうしたことに気を配らないのは国際線といいながら社員ではなくてアウトソーシングしているのではないかと感じた。

食事も含めてよい印象もないままにサンフランシスコについた。ビジネスからエコノミーの近くにランクダウンされた印象だけが残った。さすがに椅子の幅は違うが前との距離や、アテンダントの心遣いが感じられない今回のビジネスクラスについてはがっかりした。サンフランからはサンディエゴ行きと同じミニ飛行機なのである意味で安心していた。

入国審査も出国審査同様にすいていてすぐに終えた。サンディエゴのホテルに滞在する旨を伝えて今日一日サクラメントに泊まることの細かい説明まではしなかった。ただし、これからサンディエゴに向かうということだけは伝えた。嘘ではない、明日には向かうからだ。荷物を受け取ると、また国内便の荷物として預けなおす。終着地はサクラメントと書いてある。

サンフランシスコ空港からは、フォンカードを使って電話を姉にいれた。ミニ飛行機の時刻が変更になっていたので到着予定時刻を伝えておいた。空港内のコーナーで饂飩があったのでそれをオーダーし昼食代わりにした。サクラメントはカリフォルニアの州都であり平野の真っ只中にある。近くには川があるが、変化はあまりない地形である。

ミニ飛行機で到着した空港で、少し荷物が届くのかびくつきながら待っていると遠くに実姉が到着したのが見て取れた。カウンターに掛け合ったりしているのだが、こちらに振り向くのを待ち手振りで知らせた。荷物も無事到着して、久しぶりのサクラメント空港から実姉の車で家に向かった。ただちに実姉の運転で現実に引き戻された。方向音痴なのである。

車が選んだ道は、逆方向に向かっていた。シアトルでも目指しているような方向だった。ハイウェイの最初の出口でおりて地図を開いているのだが・・・地図をめくって現在地の確認に務めていた。とりあえず現在地が確認できてきた道の戻り方を確認して戻ることにしたのだが、それだけならば地図を開くことは無かったような気もしている。

サクラメントは今、少し暑いらしく100度を越すらしい。といっても華氏なので実際には37度といったところだろうか。また日本でのそれとは乾燥の度合いが異なるので不快指数といった尺度を表示することはないようだ。また同時期のサンディエゴでは68度くらいで日本流にいえば20度くらいだ。曇っていることも手伝っているかもしれない。

サクラメントのダウンタウンを越えて少し、レノの方向に向かったところに家はあった。部屋数も十分にある平屋の家である。まだ義兄はサッカーの試合から帰ってきていなかったので姪や甥たちと挨拶しつつ、テーブルに残されていた素麺を少しお相伴した。義兄はボランティアでサッカーの審判をしていて週末は試合に借り出されている。週の間の仕事は教師だ。

ここから、デイビスの病院まで産科の看護婦・助産婦として通勤している姉の収入と義兄の教師の収入とで三人の子供達が教育してきたのはたいしたものである。母と同様に尊敬している次第である。心豊かな生活をしている姉の家で夕食はバーベキューとなった。広い庭のテーブルで食する食事は何物にも変えがたいだろう。日本ではそうした状況にはなりにくいのはなぜだろうか。

長男は秋から大学進学が決まっていて、今は大学生活に向けてアルバイトをしている。大学は建築学を志向するらしく大変らしい。奨学金の申請をしたのだが、姉さんの給与では不可といわれたらしい。義兄と姉の収入を足した場合には奨学金の対象からは外れてしまうらしい。もっと貧しい人もいるということだ。米国での看護婦の地位や給与は高いらしい。

食事を終えて、暗くなってはいたが近くにあるミニゴルフをしにいくことになった。コースがあるらしく遊園地のようになっているらしい。甥二人は難しいコースを選び、残った私達は優しいコースを回った。義兄はこまめにスコアをつけつつ、パターゴルフを楽しんだ。最後のホールはクリアすると料金が無料という仕組みだったが、みなクリアできなかった。

実姉の家のパソコンで日本語のメールやワープロが動作するようにというのが姉の要請でもあったので夜はPCの設定を行い、パーティションを切り直して半分に英語環境を残して、残りに日本語ウインドウズ2000を導入した。アップグレードでない正式版を買い求めてきたものを一式置いてきた。プリンタから日本語が正しく印刷できて、メールが出来て、元の環境も動作していることを確認してから休んだ。

翌朝は、姉の運転で義兄とサクラメントに向かい、今度はジェットでロサンゼルスを目指した。ジェットのフライトスケジュールは大幅にずれ込みサンディエゴでのコネクトに支障がでそうな状況になっていた。支障が出ているのはユナイテッドのコンピュータがダウンしているのも理由の一つだった。マニュアルで手書き発券しているスタイルは初めてだった。

当然、席は自由に座っていくのだが、窓側から詰めて座っていかなければならない。こうしたあたりまえのことがスムーズに出来ている様には感心した。日本ではこうした状況では、収拾がつかなくなりそうな気がする。平等に暮らすことになれているこの国の人たちの感性には学ぶものが多い。私が座った席は通路側で窓側には日系の女性が荷物を隔てて座ってた。

多分、知り合いが来るだろうから先に席確保をしているのだろうと思っていると、あとから若い女性がやってきてまさにその通りだった。ラッキーだったかも知れない。ベルトを締めて90分のフライトの間には話をしつつ、親子の様なこの二人組みは実は英語学校のクラスメイトらしいことなどが判ってきた。彼女らは日本にこれから別々に一時帰国で向かうらしい。

フライトが遅れていることは、到着段階になっても同様で本来のスケジュールでは15分ほどの時間しかなかった。同じユナイテッドだったのでまだターミナル移動が無いのが幸いだった。ミニ飛行機の搭乗カウンターでチェックインをすると幸運にも飛行機が遅れていた。しかしすぐに乗り込むことになり自分の荷物が正しく同乗できるのかどうかが気がかりだった。

ロスからサンディエゴまでは海岸沿いの上空を飛んでいく45分程度のフライトである。一杯のジュースとスナックをつまむと着いてしまう。しかし雲の上を飛んでいるなかで下降が、始まり雲間に下りていくとそこにはサンディエゴの市内を飛んでいた。軍港を一望しつつ、飛行場に着陸する。空港で半ば諦めてまっているとあにはからんやひょっこり何事も無かったかのように手書きの札がついた、荷物はしっかりと出てきていた。ユナイテッドは大したものかも知れない。

タクシーでホテルに向かい、早速ホテルではメール環境の確認などを行う、既に日本は火曜日の朝に入ろうとしている。同行の仲間も着いているはずなので食事をどうしようかと思いおりていくと、同僚も含めて日本から来ていただいたお客様の一行と同じホテルだったらしく現地営業や日本からのメンバーとも併せての食事をすることになり郊外の日本人の居酒屋に行くことになった。メニューが日本語でしかないという普通の居酒屋である。日本の居酒屋チェーンと違うのは、メニューに写真が無いことだろうか。

サンディエゴでは実は海産物が結構豊富で、日本人の好きなウニなどは日本に輸出しているほどらしく新鮮で安くて美味しい。ここのメニューにはほうれん草のウニ炒めがお勧めとしてのっていた。ウニを焼くなんてっと思う方もいるかも知れないが、中々美味しいものでした。結局この週はお客様との接待が続き次の週末までは食費はかからなかった。

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