業界独り言 VOL256 自由な風土のもたらすもの

メーリングリストを始めて四年が経過してようやく通算で9ビットの領域に突入することになる。知己たちの中には、メーリングリストの本文までは不要な人も多いのだろう、ある意味で私からのライブ信号あるいはハートビート信号のようなものであると思っているらしい。気にかかるテーマにメールを呉れる人もいれば、掲示板への書き込みで新たなテーマを呉れる人もいる。毎日の日課のようにメーリングリストとは関係なくバックナンバーのページをアクセスしている人もいるようだ。ちなみに私は自分のサイトのアクセスログを確認するのが日課になっている。メーリングリストへの反応を知るのによい方法だと考えているからでもある。長すぎるといわれたメール解消策として先頭のさわりというか起承転結でいうところの起の部分で引っかかってくれれば後半にというのが現在の独り言のシステムでもある。

めでたく来月から一人、わたしの知己が支援技術者としてチームに参画することになった。同様な時期を過ごしてきた彼には感性を同じくするものとして、このジョイントに歓迎のエールを送りたい。アナログ屋あるいはデジタル屋と分類するだけでは不十分なシステム屋の屋号を最近は掲げている知人のK君がいる。もとよりデジタル無線というものを標榜してきた彼にとっては両輪が回らなければ解決できないというのが実情なのだろう。そんなK君も最近ではチップを同時に複数任されていて自分の仕事は、IC開発屋だと称しているらしい。地道に開発してきたチップセットをまとめると一大事業になるのではないかと私は高く評価しているのだが、彼の壮大なプランを理解して支援している彼のチームにもエールを送りたいのである。こうした彼の思いを正しくトップが把握していれば良いのだが、互いに誤解していた上で、たまたま動いているケースでなければ良いと願うものでもある。

メーリングリスト開設までの過程からいえば、昔のミニコミ誌の創刊からの流れと同じような感覚であり開発現場の底流に流れる横たわっている共通的な問題点に対しての問題提起であり、自分としての考えを訴える場所でもあった。そんな小冊子が続いたのは、あるビッグプロジェクトの予算の影で共通要素開発といった切り口の自身の仕事の広告や情報収集といった面が強かったかもしれない。当然、プロジェクト解散後の状況でいえばわざわざ印刷してまでも配布するといったミニコミ誌が果たせる理由について自身としても確保することが出来ずに中断をしてしまうにいたった。転機を迎えることになった要因を外部に求めてしまえば神戸の大震災を挙げてしまうかもしれないのだが、もとより自分の率いていた当時のプロジェクトの凍結といった事態が自身としての余裕がなくなってしまったからかも知れない。こうした事態を迎えてさらに強く生きられずに殻にこもってしまったというべきだろう。

ベンチャーのようにシャカリキになって大企業の中を横断的に積極的に駈け回った発端は、自由な雰囲気の当時のプロジェクト運営だったろう。新たなビジネスを創生するための基礎技術であり実際の仕事への結びつけも含めて大企業にあるまじき雰囲気で開発が積極的に進められていたのは求心力のあるリーダーの元での仕事だったからだろう。そうしたリーダーの影響を受けて構成員は発奮して自分の持分を存分に仕事しようというやる気を引き起こさせてくれたのだと思う。そうしたキャラクタを買ってくれてか別のリーダーのもとで進めようとしたプロジェクトにリーダーとして引き抜かれた仕事には、夢を描きすぎた結果の凍結といった事態になってしまったのは、つづく世代を発奮育成させることが出来なかったことも要因のひとつだろう。デジタル化を進めていく上でプラットホーム論議がRTOSのみで終わりがちな時代にあってスクリプトの話を持ち出すには風呂敷が当時の会社には大きすぎたのかもしれない。

おおかれ少なかれエンジニアの中には、成功や失敗を繰り返して成長していくものだと思うのだが、とかく国内の製造業のソフトウェア技術者という職能にあっては長く技術専攻で仕事をしていくという場所がないのも事実である。挑戦できる機会が限られてしまい、いつものになるとも判らないあまた多数の開発テーマなどを研究させることには最近の国内メーカーは関心が乏しいのが現実である。技術者が考えを暖めつつチャレンジできるのは与えられた製品開発の中に徐々に埋め込んで実装実現していくことぐらいが関の山であるらしい。上司との間でそうした問題意識が共有できていれば継続的な形で仕事も進められようものなので、さきに紹介したシステム屋の彼などは恵まれた環境にいるといえるだろう。まあ彼自身はソフトウェア技術者という分野ではないのだが課長という職責を与えられてもプレイングマネージャーを貫こうとしているのは清々しく映る。

今のベンチャーに転職したという自己認識は、自由な風土にあると感じているし、前の会社でもある意味でベンチャー部門に所属していたのではと思っていたぐらい自由な雰囲気だった時期がある。無論大企業病が蔓延するなかで、いかにリーダーが腐心して部下達にベンチャー風土を実現しようと努力していたのだろうかと気がつくのはそうしたリーダーから離れてからなのである。また逆に自分自身がベンチャーの風土を実現しようと腐心して活動を起こしつつあるなかで、型にはめようとする会社の人事方針などがすりあわなくなったのも事実かも知れない。21世紀を迎える中で日本の製造業も年功序列を廃し変身したようなので、これからの若者達にとって良い環境になることを期待したいものである。会社に残り達観あるいは諦観して暮らしていくという道が閉ざされてしまったらしい現在とは異なり、当時の自分としては何か出来ないかと模索していくなかで結果として転職する羽目に陥ってしまったのである。

有数の企業が崩壊していくのを目の当たりにしていると、それまでの歴史も積み上げもあっというまになくなってしまうもののようだ。かつて、その会社のようになりたいと目指していた二つの目指す目標となる会社が前の会社にはあった。どちらの会社も現在では状態がおかしくなってしまい、そのどちらも陥った理由は同様なソフトウェア開発の破綻が契機だということなのだが、自由とは程遠いらしい、その会社の雰囲気が現在の会社で仕事をする中で判ってきた。自由な雰囲気を支えるために必要なリソースをアロケーションすること、またそうしたテーマとビジネスを舵取りしつつ続けていくことなどがベンチャー気風を支えていくために必要なことだろう。多くのベンチャーが起業して実践する過程でビジネスモデルを達成できずに当初確保した資金切れで破綻してしまうのは無理からぬことである。ベンチャーの雰囲気を継続していけることの凄さには、成功するためのビジネス戦略としての優位なパテントなどがベースにあるのがQuad社が続く理由でもあろう。

知己を通じて、Q社の社史が知りたいと申し出てきたひとが現れた。「半導体メーカーとしてのQ社の強さの秘密」といったイメージで弊社を見ているのだとすれば何か場違いな印象は拭えないだった。しかし、考えてみれば自身としての理解整理の意味でもこの申し入れを受けて対応することで得るものがあるとも思われた。流動的でフラットな組織あるいはメールをベースにしたITによるワーキングスタイルが時差のあるアジア地区のお客様にミートしているともいえるし、自身で経験してきたことも含めて話をすればよいように思えたので受けることにした。しかし、実は整理した社史がないらしいという興味深い事実もあるようで、ローカル社長の講演資料などをベースにした上で進めることになりそうだ。そういった意味においても大会社とはいいがたい会社である。社長室などが編纂していくだろう社史がないのはベンチャーの証明かも知れない。

最近ある興味深いデータが出てきたのは、仕事がうまく回る要因が、この自由な風土に根ざしているという事実である。社史の整理がてら見直してきた資料は、作成してきたカタログやお客様向けのニュースレターなどであるが、ロードマップの変遷や組織変革などがダイナミックに動いてきた経過がわかる。保守的な人は、はずれていき前向きな人は登用されて伸びていくのも明確である。失敗の歴史もそうした中には見え隠れするのだが、失敗するくらいの投資がなくては成功はおぼつかないのも事実であり、失敗となった開発成果の回収についての腐心のほどは後年実用化する技術の中で再会したりもしている。自由な風土で働く人々の前向きな積極性が、結果としてお客様を通じたビジネスを捕えて、それを支援していくことで開発が成功していくという図式ともいえる。パテントが柱ともいわれがちなQ社ではあるが、開発支援を積極果敢にこなしていくという姿は、なぜか脚光を浴びないのは組み込みの性なのだろうか。

高いかも知れないロイヤリティーを要求していくビジネススタイルは、無償サポートのなかでお客様も巻き込んだフィードフォワードあるいはフィードバックを実際の市場での確認試験を通じて実証されたソリューションを提供していくということが、実は最も大きなアドバンテージなのではないかと感じるようになってきた。最近は、世の中のご両親たちも小言をいわないお坊ちゃま、お嬢様を育てる風潮になってきていて高ビーなお客様が増えているようにも映る。そんな中でお客様に対しても、対等にアセスメントとして回答をするという風土が無償サポートを通じて、限りあるリソースの中で最良の結果を導いていくためにお客様自身を納得させて導いていくといった仕事になっているように思える。高いライセンスだといわれるライセンス費用を払わずに自社開発した場合を考えていただくのが論理ではあるのだが、ノーチョイスのCDMAではなかなかご理解いただけないのかもしれない。私自身がサポートをしているUMTSサイドの実情からいえば、まさにチップベンダーとしての競争の場であり、お客様自身がようやく重い首を縦に振り始めるようだ。

自由な風土が、CDMA陣営の先鋒である会社の中で起こった、反対側のUMTSの開発というプロジェクトを許容して、ビジネスモデルでぶつかり合う競合キャリアなどとの関係なども含めて、ここまでニュートラルに進めてくることが出来るまでの歴史は書ききれる範囲を超してしまう。まあ、想像していただくしかないだろう。UMTSの開発にアロケートされてきた人材が拡大してきた背景には、開発実績やビジネスに裏打ちされてきたからであり闇雲にここまで走ってきたからではないのである。地道に開発を続けて、全世界に試験場所を求めて端末を自ら持ち込み実証試験を果たしてくるなかで、自由な風土でない会社で進められてきたある意味で傲慢な標準規格というオプションだらけの世界を繋いで来くることが出来たのは必然だったのかも知れない。気がつけばトップランナーとして各通信キャリアからレファレンス端末として利用されるまでにいたっているのは、1999年春のNHKの番組を回想しつつ興味深いものである。

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