3DCGアニメ ベクシル 2077 日本鎖国

今日は、みなとみらいの109シネマズまで、”ベクシル”を見てきました。意外な話の展開で、夫婦ともども、いつのまにやら3DCGの迷宮に引き込まれていました。人によっては日本を崩壊させることで韓国に媚をうる映画だと評する人もいますが、私にはそうは感じられませんでした。

将来、日本がこのようなハイテクで鎖国するという展開になりうるのかどうかは別ですが、現在の日本を見ていると少し鎖国して自立するくらいの気概があってほしいものだとも思います。

さて、みなとみらいの町並みもだいぶマンションが立ち上がってきていて、今日は新しくできたツタヤでお買い物となりました。

実は、その前にランドマークの有隣堂でも相当のお買い物はしていたはずなのですが、経済貢献につながるのかどうかは不明ですが・・・。

業界独り言 VOL339 次世代の携帯電話に期待するものとは

世の中は、UIの新しい使い勝手や、システムオペレーションの姿をある意味で現状打破する形で紹介することになったiPhoneを大きく取り上げている。最近の携帯端末業界では、打倒iPhoneを旗印に掲げられなければ、何も進まないあるいは始らないといったことがまかり通るようになった。つまらない端末を作りこんでも結局とどのつまり時間と投資の無駄になる徒労に終わるということをトップの方たちが認識しはじめたからに他ならない。まともな意見だと思うし、ビジネスユースあるいはエンタープライズニーズといった言い方で呼ばれる仮想階層に向けての取り組みに、業界として市場性そのものに疑念がわいているのかも知れない。

PCの延長線上以上の期待値しか持てないプラットホームにおいて、各メーカーが差別化を果たすための仕組みを提供しうるのかという問いかけに回答が得られていないということでもあろう。もとより電源を切るためにスタートキーを押すという、坂村先生が特徴的に評する点などが根源なのかも知れない。携帯電話というシステム構築を果たしていくとプラットホームとは離れていわゆるBIOSの世界での機能網羅と自立が求められている点などが、もともと互いを補完しあえていない現実なども見えてくるようだ。そうした観点に立って北欧メーカーがOSメーカーを牛耳って自社専用環境としての追求をしていくのは帰結ということでもあるだろう。

バイナリーアプリケーション実行環境の開発の目的が何であったかといえば、よりリソースを要求しない形でのアプリケーション実現が当初のものだったし、開発していたチームが目指していたものがアプリ環境としての自立した開発を端末環境から独立させたいということでもあった。それらが相俟って良い結果を引き出したのは、PDCとCDMAの競争という意味での戦いでもあった。枯れたPDCと揺籃期のCDMAということでプロセッサに要求されるパワーの差異にはアプリに対しての余力という点で後手に回ってしまうという欠点でもあった。幸いにしてリソース遣いをベースとしてJavaサービスを採用せざるを得ない複合ブラットホームと単一プラットホームの構成を逆手にとってバイナリー実行環境として世に問う事になったのである。

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業界独り言 VOL338 携帯電話プラットホームとは何か

プラットホームを提供する立場で、複数のお客様が必要とする個別環境に向けて個別の形で技術提供をしていくということでは技が足らないのである。マイクロカーネル型のオープンOS、シアトルのベンダーが推進するOS、GPLを標ぼうする草の根OSの三つの異なったプラットホームに応えていくことがテーマとなっているのが携帯業界でのある半導体メーカーでの取り組みである。アプリケーションを搭載するという概念において必要なAPIをアブストラクション定義して構築したバイナリ実行環境も、またプラットホームである。

半導体メーカーとしてDSPなどの個別技術の上に、製品としてのプラットホームを構築していくという考え方に立つと共通化という目的でAPIセットを定義してRTOS機能すらもアブストラクションをかけるという技術によりテクニカルコンポーネントとして異なったプラットホームの上に共通のものとして提供していくことを考えていくというのは自然な仕事の仕方ともいえる。仮想化ではなく、実装としての抽象化が果たされていくということになる。アプリケーション実行環境として提供してきたバイナリ環境も、この考え方にそえばシアトルや草の根OSの上でも動作することになる。

世の中のキャリアには、プラットホームに依存しない抽象化したAPIセットでアプリケーションやサービスを共通化するという考え方を提示する動きもある。キャリア間の駆け引きや歴史もあり、理想とする姿として定義したそうした流れが実現されるのかどうかは、まだわからない。ユーザーにしてみれば、使い勝手の良い夢のある端末が開発提供されるなら、なんでも良いわけで現実的だけれど、つまらないソフトしかないのではプラットホームとしては落第だし、夢のある端末やソフトだけれども開発環境が閉鎖的ではこまるのだということも言われる。

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プロヴァンスの時間の流れは素敵ですね

夏休みの一環として、月曜に映画休日といたしました。細君と朝いちばんの回のシネコン上映にいそいそと出かけたのは暑い時間を避けたいからでもありました。

仕事に憑かれたようなライフスタイルから、美食家としてのたおやかな時間で暮らしてきた人たちとのギャップを感じつつも引き込まれていく事件の渦中で、徐々に馴染んでいき忘れていたものを取り戻していき少年のような気持ちになっていく・・・。素敵な展開です。

そろそろ悠々自適ではなくて、自分の時間の中で暮らしていくことを志向することも探したいと感じている時期でもあり、気を強くさせてもらいました。

業界独り言 VOL337 こんなソフト見たことない、いやかくあるべし

世の中には神様の領域にまで達してしまった人たちがいるもので、ソフトウェア開発もデスマーチどこ吹く風で軽快に忙しくソフトウェア開発を続けている人たちがいるのである。デスマーチでないからといって暇なわけではなく、簡単に有用な仕事が出来るようになるとどんどん仕事が増えてしまうのである。ある意味なんともうらやましい限りではないか、つまらないことにこだわった仕様を達成するためにいじればいじるだけ複雑さが増していきインタフェースの数だけ出荷が遠のいてしまうそんな仕事をしている人たちもいるだろう。納期優先で打ち切ってしまう人もいるかもしれないし、結局出来ないままに税金を無駄遣いしてしまった・・・といった人もいるかも知れない。

さて、私が知る神様の領域を侵犯してしまった人の一人に、Dr.Kがいらっしゃる。いつお会いしても若々しくお話をしていて時間の経過を感じないほどいつも前向きで新鮮なのである。こんな書き方をしているとよほど交流があるのかと誤解されるかもしれないが、一度お会いしてDr.Kの魔力に魅了されてしまったものの実践となる段階にまで至らぬままになってしまったのは私の不徳のいたすところであり、そんな出会いからもう10年近く経ってしまったのである。とことんモジュール化を推進していった挙句に、世の果てだと感ずるところにまで達したらしいそんな感じを当時の私は持っていた。いわゆる孫悟空の世界にも似た。しかし、あれから10年が経ちDr.Kの終わりのない活動の中で、釈迦の手の先にまた世界を見たらしいということなのだ。

私が最初に見たオブジェクト指向の世界といえば、system6に代表されるMacintoshやJstarの世界なのだが、とりわけマックのソフトでの個々のアプリケーション連携が見せてくれた世界は、それまでのDOSの世界でのモノリシックな世界とは異なった柔軟でかつ深淵なものだった。UNIXで学んだシンプルなフィルターの概念とは異なるのだがアップル社で決められたしきたりに基づいて機能的に連携と独立がうまく機能しているように感じたのであった。なにかアイデアを練りたいといった状況において、そうした創作活動を支えてくれる道具としてはスムーズに動く世界がどれほどありがたいものか。私もMacに出会っていなければ、このような人生にはなっていなかっただろう。

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熱海会談ならぬ、強羅合宿

昭和の佳き時代では、電機会社にいると会社の研修とかで篭もって企画を練ったりすることはよくあった。とはいえそんな先輩の流儀に沿った活動が自らの仕事に大きな成果を出したのは平成に入ってのことだった。まだ当時のメーカーとしては上り調子で景気が良かったこともあり、気楽に検討会議に参加という出張伝票が簡単に発行通用していた時代でもあった。こうした余裕が新しい流れを生むというのは、 正しく認識はされていないようだ。経験者が伝えない限り有効性について伝承する術がないかもしれないのだが・・・。そうした経験者に限ってスピンアウトしていってしまうようだし・・・・。

当時、精神矯正教育がなされていた、ある電器メーカーに奉職していた時期には、創業者の歴史として熱海会談という大きなイベントを習っていた。曲がり角に立っていた販売店との関係改善において、販売店主らとの対話会を熱海の旅館で行ったというくだりである。社主が反省の弁を述べた上で共存共栄というスローガンを繰りだし団結を得たというものである。そんな会社のDNAがあったのかどうかは知らなかったのだが、「ちょっとアイデアがあるんだけど識者を集めて議論したいんだけれど・・・」と繰り出してきた仲間のYからの相談を受けて書き出したのは、このアイデアに対する勉強会としての合宿研修だった。当時使いだしたオブジェクト指向の使いやすさにすっかりはまった私の良い教材として、この案内状は作成されて配布がなされた。

熱海合宿で選択されたのは、安い公共教職員組合の温泉宿で会議室を二日間借りるという内容だった。招集したのは、ハード屋、システム屋、企画屋、ソフト屋、数学屋、方式屋いろいろなエンジニアたちだった。私は単なる端末ソフト屋あるいはアイデア屋という位置づけよりは、幹事になっていたようだった。お題は、Yが考え付いたのは当時の米国携帯電話AMPSシステムと共存する小電力のAMPS周波数で動作するコードレス電話システムというアイデアだった。実現性に対しての課題についてシステム面、ハード面、ソフト面、法令面などの議論をするということだった。日々携帯電話のシステムや端末開発に明け暮れている仲間たちにとっては新鮮なアイデアに対していろいろな議論が出来た良いチャンスであり、所属していた通信方式開発室といった組織名の面目躍如といった趣も室長にはあったようだ。

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業界独り言 VOL336 ひとつ携帯UIを体系として書き起こしてみないか

世の中には、センスのよいUIをもつ携帯やらブランドを冠するようなデザイン携帯などまでも登場してきていて、過剰な機能の積み上げ競争で技術者が悦にいっていた時代は終焉した。そうしたことに存在理由を感じていたメーカーは焦りを隠せないのである。どんなデザインのケースの上にでも簡単に体系だった使い勝手のよいUIを構築できるようにならないとやっていけない時代になりつつあるのだ。UIで差別化を果たせると考えるのもある意味過ちなのかも知れない。ただし、そうしたUIがポータブルな状況でどのチップセットにも載せられるのかということはないのかも知れない。

日本にはソフトウェアの天才が輩出している状況がある。たとえばADSLやC言語のマルチバイト化などで名を馳せたソフトバンクのCTOのT氏もいるし、言語Rubyの開発をして世の中に知られているM氏などもいる。さまざまな天才の方たちが業界には、いらっしゃるのだがなぜか端末のソフト開発というキーワードに照らしてみると出来上がってこないのは積み上げすぎてきた歴史が長いからだろうか。複数のアプリケーションが独立したタスクとして動作を終端して互いに影響を与えあって動作するようなモデルが出来上がってしまったのは組み込みの歴史ゆえなのだろうか。

タスクの数だけチームがいて、複数の仕様の間の通信の複雑性が増加して、結果としてバグを消しきれずにというよりも生み出し続けてさえしまう。それは致し方ないことなのだろうか、思いっきり大きなイベントマトリックスを駆使して仕様を明らかにしていくということも必要なことになっている。試験条件ということと、アプリケーションの範囲とは必ずしも一致しないのだが・・・。ユーザーのユースケースとして試験条件には列挙されあてがって実施するということになる。複数の機能動作の相互作用に基づくバグを切り出していくために境界試験やら過負荷試験などのことを実施してUIの試験を達成していくのは大変なことでもある。

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