BSが映らない・・・?

朝から、実家からの電話攻撃があった。先日設置したプラズマテレビのBSが映らないということだった。 地上波デジタルのアンテナ工事を電気店に依頼していたので、その時にでも思っていたらしい。一週間が我慢の限界だったということでもあるらしい。まだ、懸案の電気店からの確認電話も工事の連絡も入っていないということが事実のようだが、困っているらしいので出かけることにした。昨日の台風で影響があったのかとも思ったのだが、わたしが先週訪問した後から直ぐに陥っていたらしい。わたしが知る限りアンテナの受信レベルもそこそこ出ていたのだが・・・。

挨拶もそこそこにテレビを確認するとビデオの電源が切れていた。配線は、アンテナからビデオ経由でテレビに接続されている。すなわち原因は、BSアンテナへの電源供給問題である。まずはBSにチャンネルをするとアンテナを確認してくださいのダイアログが表示された、さらにビデオの電源を入れると元気にBSの番組が映った。後は、まずはビデオの設定を確認することにしたのだが、電源切断後もBS電源を供給するという設定は見つからず、無操作で六時間で電源が切れるという設定のみを解除して自動電源オフにしないといことにした。最近のBSアンテナは各自から付き合わせ供給をするようになっていたらしく、テレビのBS設定もアンテナ電源を供給するという設定にして、ビデオ電源を切断しても受像することを確認した。先週の説明設置した際の確認が不足していたのはわたしの落ち度であった。

あとはつらつらと自宅に向けて戻る渦中でマリナードの30周年記念ライブを思い出した。そう、今日は、あの元気を呉れる阿里耶のライブがあるのだ。新曲のCDを出されているようなのだが、インディーズ歌手なのでなかなかレコード店では買えないのである。以前は、開港記念バザールのイベント会場でのライブで、一枚購入して残りは、ネットで探し出しながらようやくデビューCDなどをゲットしていたのである。時間の記憶は午後二時からだったので、いったんコーヒー屋で30分ほどホットコーヒーを楽しんでから会場であるマリナード広場に向かった。本来の趣旨からいえばマリナードのエクセルシオールで飲むべきだが、出口の前にある160円コーヒーのベローチェで飲んでしまった。後悔はしたものの、マリナードには感謝しながら、会場に向かった。オリジナル以外にも卒業写真を唄ってくれたのだが、彼女声質からすると今回のイベントからの要請としてやむなしか。

 
曲順は
1 車に乗って
2 卒業写真
3 年に1度の片想い
4 ありがとう
5 でも。。。あったまりたいの

最新のアレンジで「でも。。。あったまりたいの」と「年に一度の片思い」の二つのCDをサイン入りで、かつ握手までしていただき購入することが出来た。

早速自宅で細君交えて聴いたはいうまでもない。

台風をかわしながら

昨年に続いて、文化祭で母校を訪問した。ちょっと天候はあやしかったので傘を持ちだしての小旅行である。横浜東口のバスターミナルからは東京湾を挟んでアクアラインを経由するお得な?バス路線である。雨交じりのなかでの旅行は、高速事故の回避で、ルートは横羽線を通って羽田空港を横断するアプローチとなった。生憎と、海ほたるでの停車はないので長い海底トンネルを抜けたとたんに通過していることになる。風景が真っ白に見えるような状況の雨の中で金田海岸を目指して木更津についた。長い不況のトンネルの先が見えないといった風情の木更津の町はかってのにぎわいはない。駅前が特に寂れている感じがするのは悲しいものである。

禊が済んだと思われる、不二家で挨拶の茶菓を買い求めて学校までタクシーを駆るのだが、学校までのルートにもにぎわいが薄いのは致し方ないことだろうか。あいにくの雨の中での文化祭ではあるものの、地元の子供たちなどが遊びにきたりするのは昔と変わらない様子だった。女子学生が普通になったことや、昨今のゴスロリ服装でのメイド喫茶などを女装したと思しき怪しげな美少女たちが徘徊する魔城となっているようでもある。多くの先生は定年を迎えて、数少ない職員の方たちも来年あたりで総入れ替えになってしまうようだった。毎年顔を出しているご利益で、私はすぐに知り合いの職員の方たちと目線が交わすことが出来、しばし挨拶をすることができた。怪しげな美少年たちも当日は年に一度の父兄面接だというのだ。文化祭に両親を伴って中学生が進学相談に来るような時代になっているのは親が子供に対してかまい過ぎるのではないか。

自分で決めた進学が実務重視の高等専門学校であるならば、たとえ中学生であっても自覚の上でなければ無為な時間を過ごすことに他ならない。まあ、こんな過剰な親たちと同世代の先生が中学で教えているのならば致し方ないというべきか。「ガラスのような子供たち」と職員の方たちが評する最近の学生たちは、四年生まで進級すれば、ひと安心だとか。そこに至るまでに自覚して進路の過ちに気付いて親や教師の責任を言いだして去っていくものもあるようだ。そんなに腫れものに触るように育ててきたのだとすれば、可哀そうだけれど世の中に実務重視で巣立っていく高専のDNAを受け継いでいくことはできないのだろう。先輩でもあり、中三の時の文化祭訪問以来の関係をもっている先生を訪ねて一年分の会話をものの十分ほどに凝縮して互いの近況を確認した。

台風の余波で雲行きが怪しくなる中、気がつけば久しぶりに献血可能期間に遭遇した日本赤十字の看板で採血をしてもらい、いつも変わらぬ比重の状況を確認してお勤めを果たしてくることが出来た。さびれた駅前ではあるものの、ゆいいつあいているコーヒーチェーンが辛うじて学生がこの町や駅を利用していることを教えてくれている。バス待ちをしつつ遅めの昼食をとりつつ台風の中を逃げるように帰った。横浜についてニュースを聞くと、アクアラインも封鎖されたと聞いて判断が正しかったことを確認した。

武道館・・・

お気に入りの一人であるBONNIEPINKの初武道館ライブがあった。赤坂BLITZや渋谷AXでのライブにはいったことがあったので、7000人規模までになったファンの厚さも彼女の最近の活動の充実ぶりを示しているのだろう。今回はWOWOWでの収録も行われていたので、来年一月の放映も外せないということになる。ベスト盤が発売されてからのファン層も広がりを見せているようなので、ますます今後の活動は楽しみである。昨年のライブはNHKで放映されていてDVDにも撮っているので帰宅してからも確認でみることになるだろう。SpaceShowerTVで楽しんできた時代は、彼女のデビュー当時ということにもなるので当時から既に12年もたっていることになる。これは、ゆずよりもお姉さんということになる。 最近の忙しさの中でのストレスが解消される癒しの時間を楽しみ、ゆったりとした気分で飯田橋まで散策して、魚角で細君との夕餉となった。ライブグッズは、ツアーアルバムである。

なつかしい歌声が、CDで聴けるとは・・・・

最近の、ちょっと嬉しかった出来事と言えば、金井夕子さんのアナログアルバムがCDでまとめて復刻提供されたことがある。

改めて、すべてiPODに入れて聞きなおしているのだが、やはりいま聞いても新鮮である。とはいえ、実はアナログ盤もヤフオクで収集しなおして、すでに入れていたので、デジタルで再度入れ直したということでもある。尾崎亜美の曲が主体であり、当時アイドルとはいえ少し不満そうなわがままそうな顔立ちも含めてアイドルデビューの中では気になる存在だった。レコードは当時からよく聞いていたとはいえ、ライナーノートを改めて読んでみて込み入った事情もあったことを理解したりも出来た。年齢的には遅いデビュー故の曲調などのコンセプトを考えた上でのアプローチだったようだ。

また、この廃盤復活路線で見つけたものには、堀川まゆみのエルム通りの少女というのがある。松任谷正隆さんのプロデュースなので、私の好きなゆずとも血筋的には遠くなかったのだなとは最近の出来事からだったりもするのだが。まだ、復刻は決定していなくて予約枚数が到達しないと始まらないというのが難点だが、可能性がゼロではない。とはいえ、実は私もこのレコードは一応持っていてiPODには入れているのだ。シティーポップとでも、いうのだろうが当時はモデルとしても活躍していた彼女が出した、このアルバムも当時の私のお気に入りである。興味のある方は、下記のURLで予約をしてほしい。

http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=DYCL000000060

なにしろ殆ど女性歌手のレコードばかり800枚近く保有していた独身時代のものが必ずしも入手出来るわけではないので私自身貴重なCD復刻版で入手できた幸せな歌手のアルバムはほかにもある。フィリップス時代の大橋純子のデビュー当時の二枚のアルバムも私の新入社員時代になんども聞き返していたものである。これも復刻盤として偶然入手できたし、同時期に聴いていたアイドル路線の讃岐裕子のアルバムもCD復刻版を入手できた。好きな人たちから見ると最近のヤフオクでの価格高騰などが頷ける次第でもある。