業界独り言 VOL313 スクリプトからラブコール

ワイヤレスな世界に身を投じる羽目になった契機が何だったのかと思い起こすと、10年あまり昔を思い起こす。当時何をしていたかというと組み込みCコンパイラを10年あまり楽しんだ挙句に先の世界に向けてスクリプトやらシミュレータやらの仮想的な世界に足を踏み入れ始めていた。携帯電話というよりは、トランクドという最近ではかえって最新アプリケーションとなってきたPTTサービスの端末作りをしながらPTTからの革新を目指していた。PHSの手伝いを終えて、元の職制でのPTT無線機のデジタル化の流れを率いていた。ソフトウェアのベースとなっているチップセットは市販の慣れ親しんだ他社製マイコンであり、何故か他社にもない高性能なシミュレータを開発して開発に勤しんでいた。シミュレータの機能は自分たちが必要としているものを盛り込んでいたし、16ビットマイコンの性能は当時の処理要件を十分に満たしていた。

アナログなシステムの開発の時代は自身の若き時代にアセンブラで対応してきたことを思い出させもするし、4ビットマイコンで高級言語で挑戦して失敗もして、それを契機に他社製8ビットマイコン用の高性能Cコンパイラを開発して応用商品などを手がけてきたりした。そういった意味で自分自身の技術者人生の中での大きな位置づけであったと思い返しもしている。アナログからデジタルに移行する流れで、自動車電話から業務用電話と移って来た自身としては、デジタル化の奔流に入ったのはNTTのデジタルムーバに向けた基地局システム提案やらパーソナルハンディホンでの提案開発活動が実務としての接点となった。無線機ソフトウェアの開発というには、OSや開発環境などに重きを置いてきたこともあり、プロトコルの開発に関しては若手にすっかり任せて、PHSの実務開発の流れにおいてはすっかり開発環境に嵌っていた。

実機以上に精密な測定が出来るというコンセプトを正面切って対応して実装開発してくれた仲間の成果を活かしてトータルの開発効率を向上させるという観点に推移した。コマンドを自動化したり、結果を判断するスクリプト機能を動かすことを始めていた。いわゆるUNIXの世界でのツールチェーンであり、またツール連携でもあった。シミュレータが動作する中での外界とのインタフェースを持たせるための機能としてプロセス間通信を行いつつPerlなどとの連携にも走っていた。気がつけば、開発成果を日経の雑誌に掲載したりすることも行い、外部や内部セミナーとしての紹介なども実践した。開発で実用化した技術自体は実践現場で活用してなんぼの話であり、PCUNIXの到来を探りながら開発環境自身をPCUnixとHP/SUNなどのEWSとの連携で高効率に動作させようといった実用化もしていた。スクリプトだけで幾らでも応用が出来たのである。

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業界独り言 VOL312 DoCoDeMo 3GPP

いよいよ、新周波数帯の提供が始まり新たな国内キャリアの登場とつながるストーリーが始まった。もとよりMNPが解禁となる事態を控えている状況も含めて、各通信キャリアを取り巻く状況は、思っている以上に厳しく、また斬新に変化を遂げようとしているようだ。通信ベンチャーが端末作りに登場することもあるだろうし、端末メーカー自身も特定の通信キャリアにのみ操を捧げる妾商売のような体制を安穏と続けられる状況などは描けない様子である。いまや誰でも3GPP端末の開発を手がける状況になってきているともいえるのである。通信プラットホームを提供しているチップセットベンダーの成果が徐々に実りの時代を迎えつつあるという状況に推移してきているからでもある。中国や台湾勢のデザインハウスが通信プラットホームベンダーの環境を用いて、国内の新キャリアに向けて開発協力を見据えた活動が始まりつつあるようだ。こんな状況を想定してかローエンド3GPP携帯を二年前から着手してきた端末メーカーもある。

とはいえ二年前に作ったコンセプトが、今日に通用するのかという最近登場した、その端末のできばえからも古臭さを感じさせるような点はない。国内キャリアに打って出るといいったコンセプトに向けて同時期に投入された他のメーカーの実装からも戦略の差異やアプローチの差が窺えもする。国内の開発競争に投入して残り少ないリソースのアサインを悩むよりは、プラットホームも替えて設計も替えてという博打とも取れるような決断をされた背景にこそ深い悩みがあったのだろう。当然、そうした博打の結果が出るまでの過程で起こる様々な出来事をいかにして解決して対応してきたかというのは、現在では相当価値あるその会社のノウハウでもある。また、その会社の決断によりビジネスモデルに弾みがつき技術力を高めた中国の設計会社では2Gのみならず3GPPにも対応が出来るということで週単位で担当営業マンが往復するような状況にもなったと聞く。開発費用の捻出に走ることよりも、市場の見極めと徹底したコンセプトを新たな枠組みで挑戦して結果としての開発費用をも抑えることに成功しそうな勢いでもある。

誰もが3GPP端末を開発出来るような状況自体は、Quad社のような相互接続性テストに精力的にリソースを傾けつつ整備をしてくるようなチップベンダーの取り組みで解決出来るものでもある。しかしながら、国内キャリアなどの高機能化してなおかつ日々進化していくような端末仕様に合致するスペックの商品を開発していくのは大変なことでもあり、この辺りこそが国内メーカーの生きる道とも言われているのでもある。ハイエンド端末の仕様に対応していく流れから離れてオリジナリティのある端末仕様を逆に提案していくような動きが出てきたことは成熟してきたことの現れともいえるのたろう。通信業界のリストラクチャリングの流れで、新興キャリアでは端末メーカーに対してキャリアとしての端末仕様を特に提示するスタンスを取らないところまでも出てきている。開発資金の提供までして、整備されたプラットホームのご利益を期待する流れの成果も確かに出始めているのも事実らしい。プラットホーム開発した端末メーカー以上の出来栄えで応用製品開発に成功した別の端末メーカーなどが、その成果でもあるらしい。

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業界独り言 VOL311 仕事の妙味

Quad社には、色々な経歴の人たちが集まっている。顧客先からのエンジニアが特に多いし、また様々な経験を積まれているかたもいる。今年からジョイントしたK君は、国内端末メーカー二社の経験を持っていて最初の職種はCDMA端末設計のハードウェアのエンジニアであった。ソフトウェアエンジニアを志向したものの会社の人事処遇が適わず転職したのだという。しかし、二社目の会社でそうした要望を転職での希望を述べたのだが、ハードウェアエンジニアからのソフトウェアエンジニアとしての転身のステップとしてのシステムエンジニアとしての処遇となったらしい。3GPPを紐解き、仕様理解からの端末モデムシステムのアーキテクチャ開発などのシステム設計に従事してきたのだという。しかし、そうした処遇からの次の段階であるソフトウェアエンジニアへのステップには中々進めないでいたようだ。なぜこんなことを知っているのかといえば、彼の前の二つの会社を担当している弊社の営業マンが共通の人物だったからでもある。えてして部品メーカーの営業マンは、訪問している会社の人事情報などの動向などについては詳しく察知しているものであるからかも知れない。

転職後のK君が、Quad社に転職が決まるまでにも、またいろいろな経緯があった。彼がやって行きたいという仕事と彼自身が現在保有している技術のマッチングが合わない故にQuad社でのソフトウェア技術者として、即戦力として働いてほしいという要件とあわなかったからでもある。そんな彼がQuad社に転職してきたのは彼が保有している現在の標準化活動技術者としてのスキルが認められて、Quad社の日本での標準化活動のメンバーとしてサンディエゴからの逆指名があったからでもある。彼の足跡は、実際の標準化委員会の参加活動を通してQuad社のメンバーに認識評価されてきたということがきっかけである。Quad社という組織の中での標準化委員としての活動は、多くのOEMカスタマーを支えるチップセット開発のベースでもあり昨今のOEMメーカーが参加する委員会活動のアクティビティよりも積極的なものであるらしい。そんな彼が、Quad社に入ってデメリットもあったらしい何しろ途中入社などに手厚い待遇を示す国内メーカーでの転職経験をした彼にとっては住宅手当などの処遇がなくなってしまい実質の収入は下がってしまったというのだ。ともあれ半年毎に給与見直しを行っていくQuad社の仕組みがおそらく彼の仕事成果を収入に反映して良い成果を得ているのだろうと思うのだが・・・

個々の採用条件などがベースとなって構成される各人の給与額などは実際の所、いびつになっているケースもあるのだろうが、半年毎の成果見直しにより伸び悩むのか急速に改善していくのかは個人の資質であり仕事の成果によるものである。横並びの給与が当たり前のように考えてきた時代を生きてきた者としては、自己の仕事成果を見てくれた成果としての給与システムには満足できるだろう。そんなK君が、いま光っているのである。もとよりスタンダードエンジニアとして活躍をしている彼なのだが、今回は彼の最初の会社に対して3GPPのトレーニングをするという状況に陥っているのである。従来は、C2Kしか開発してこなかった会社が3GPPにも登場してくる背景には、通信キャリアからの特色ある端末への期待もあるし、Quad社の提供するプラットホームの精度やチップソフトウェアの横展開といった期待がOEMメーカーにはあるからだ。ある意味で、K君が元の仲間たちに対して恩返しをしているようにも映るのだが、互いのビジネスベースでの偶然でもある。転職することで義理を欠くといった気持ちが日本の技術者に強いのは、その実として自分自身が提供しているスキルが不十分だからと考える傾向があり、自分自身の成長を妨げているからと考えるような世界の風潮からいうと子供じみた感性ともいえる。互いのプロ技術を発揮して仕事を推進する場所が会社という舞台なのである。

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業界独り言 VOL310 アーキテクチャの進展

昨年末に国内メーカーから迎えたエンジニアM君は、日系ハーフの米国籍で、特徴のある流暢な日本語とネイティブな米語を扱うバイリンガルである。昨年の前半は、お客様として何度か米国にも来訪していただき当時のQuad社が考える次世代UIという名前の技術を適用したUI作りを試行していただくプロジェクトの中心でもあった。とはいえ、当時の状況で考えれば、UI技術への踏み込みが十分でない状況のQuad社での助走期間の技術提供だったともいえる。国内メーカーの中で一般通念として普及してきたUI開発の流れはWidgetベースのUI部品を駆使したものに推移しておりそうした流れにいた国内メーカーがQuad社の呼びかけに応じたのは、自社技術とQuad社技術の双方の視点にたち先を見越して研究を進めていくためのものであったかも知れない。Quad社が提唱するバイナリ実行環境がゲームアプリだけでなく一般のUIを含めたベース環境に移っていくであろうことを察知した先進メーカーに違いはなかった。並行して開発が進められていた国内キャリア主導のキャリア仕様を満たすプラットホームエンジンの開発というテーマなどと合わせて、当時はQuad社の中では将来技術の協奏曲となっていた。

M君が、端末UIの開発エンジニアとしてバイナリー環境を詳しく理解していく流れにのり商品開発を達成していく中で、国内メーカーでの仕事よりもQuad社でのビジネスに魅力を感じたのは、理解した技術を幅広く実践して伝えていくことにあったようだ。開発していくベースを広げたいということが背景にはあったのだろう、年末にジョイントしてからQuad社が暖めていたUI技術の進展にはベースとしてのWidgetを自社昇華した上でUIプレイヤーという新しいレイヤーを提唱しているベンチャーを吸収することでもあった。2.5Gの肥大化するUI開発の流れにあった欧州地区の事情に応じて3GUI技術としてXMLベースのUIを開発してきたベンチャーにとっては各キャリア毎のUI差異を吸収しうることを当初の目的としつつも、Quad社が提唱するアプリケーション全体に向けたアプローチに繋がる流れに共感を覚えたのでもあろう。もう一歩踏み込んだ形でのアプローチとしてバイナリ環境の上にUI開発環境として構築していくことになったのは大きな流れとなった。M君は、さっそくこの新XMLベースのUIプレイヤー実用化の先鋒となるユーザーサポートの渦中でエバンジェリスト兼サポーターとなり実用化を達成することになった。昨年来の流れであるところの各通信キャリアに対応するアプリケーション制御といった切り口にも繋がる形になっていくことは次の進展となるのだろう。

端末開発費用という観点で見た場合に、なかなかやりたいテーマを続けていくことが出来ないというジレンマもM君にはあったのかも知れない。事実、端末メーカーでの開発内容自体はかなり変わってきているのも実情だ。大規模化する開発規模の流れの中で端末一社でそうした負担をしていくことが出来ないというのは、高機能イケイケ路線で進んできた国内メーカーや国内キャリア事情の曲がり角というべきかも知れない。3G端末の離陸は、国内第二位のキャリアとそれ以外のキャリアとの競争に基づいてドライブされてきた。そうした中で、ビジネスモデルの異なる通信キャリアに向けた端末作りの条件をクリアするための模索が各メーカーで続けられてきた。第一位のキャリアのみに物づくりしているメーカーもあれば、一様に提供しようとしているメーカーもある。実際に現時点で同時に既存の三つのキャリアに端末提供が果たせているメーカーは居ない。それだけ3Gに推移してからの要求されるアプリケーションやキャリアスペックを満たすためのアーキテクチャ条件が難しいということでもある。無論、通信キャリア自身もそうしたことを理解した上でプラットホーム整備と銘打った開発や開発費用提供あるいは仕様開発といったことを進めてきていたのである。

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業界独り言 VOL309 マイクロカーネルはマルチOSの夢をみるか

仮想OSといえば、VMwareのようなPC環境で複数OSをインストールして同時にLinuxやXPあるいはBTRONを動作させるといったものが思い浮かぶだろうか。仮想マシン環境の提供が出来れば、さまざまなOSをインストールすることが出来るようになる。複数のOSをインストールしなければならないのは事務用のアプリケーション環境としてのWindowsが蔓延る中で致し方ない状況の技術者の方たちの状況や、デザイナーの方たちのマッキントッシュ環境でのWindowsアプリの必要性などが背景だった。ちょっと似て非なるケースとして携帯電話で最近起こり始めた状況には、通信キャリアが提唱するプラットホーム環境に向けてチップセットベンダーが工夫提供するなかで、高機能OSと呼ばれるLinuxやらSymbian、WindowsCEとチップメーカーが保有するプロトコルスタックとの融合で派生してきている。組み込み端末の中で更にオーバーヘッドを生じさせるような仕組みの投入が必要なのかという意見もあるだろうし、アプリとサービスは分離された実装をすべきであり当然の帰結と結ぶ方もいるだろう。いままで議論にも上がらなかった背景には、チップセット実装としてワンチップに実装することが常識として想定されてこなかったからでもある。

チップとしてワンパッケージかどうかという問題であれば、現在のMCP技術などを駆使してパッケージにスタックして実装することも可能である。個々のチップセットの開発事情を無視してインテグレートして製品として仕上げていく困難さは益々難しくなっていき多額の投資をその過程で必要としてきている。GSMのコアとWCDMAのコアをとりあえず繋ぐというような実装でIPの再利用という形のみでワイヤリングしてチップにすれば完成するというようなものであれば、苦労はないのであるが、システムインテグレータとしての責任を負える技術を持てるのかどうかは課題だろう。最近ではリコンフィギュアブルなハードウェアの登場だとかソフトウェア無線だとか色々な騒音の中で個々の技術を押さえて本当の意味で実装できるメーカーがどれほど居るのかは甚だ疑問である。個々の技術のアイデアをメーカーに提案して端末メーカーの責任でそれらの技術を昇華させていくといったストーリーは現実問題として機能しなくなり、そうした仮定に基づいて進めていく仕事の過程で気づく問題点の中でプロジェクトが頓挫破綻に流されているようだ。落ち着いて基礎研究などするゆとりはないということだろうか。

周囲のこうした状況を反面教師としているのか、まったく気にもしていないのかは別にしてマイクロカーネルをベースにしたシステムコンフィギュアラブルなベースシステムに切り替える取り組みもワンチップ大関の次の流れとして業界に大きなインパクトを与えている。無論、先に述べたような業界事情の中で本質を正しく認識されているのかどうかは甚だ疑問であり、実際に商用化した実績を通じてそれはまた徐々に広がりを見せていくに違いない。ARM9ワンチップでLinuxとシステムとしての無線プロトコルが端末として実用化出来るのだろうか・・・という問いかけでもある。Linuxのみでシステム構築されてきた方々ならぱご存知のようにアプリプロセッサに実装して専用化していく流れでようやく一世代前の端末レベルに追いつこうかというもっさりとした状況でもある。当然、通信キャリアの方々やOEMメーカーの技術トップの方々に対して行うプレゼンテーションに対しても冷ややかな反応であることも否めない。とはいえ、そうした実装成果を商用化していこうというOEMユーザーが居るということであり、実際の彼らの端末が世の中に登場することで、ようやく認知されるということかも知れない。

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業界独り言 VOL308 気がつけば仲間が

「月一連載ですか?」と仲間にチャカされた。確かに月一になってしまうこともままあるのだが、一ヶ月以上あけると心配メールやら飲み会しましょうメールやらが届き始めるのである。どうも私の独り言は、そうした人たちのガス抜きになっているようで、月一以上に間をあけると耐え切れなくなってしまう人がいるらしい。Quadジャパンという組織にジョイントしてはや六年余りとなりいまや80名を超える組織となってきた。当初のこじんまりしたビルでは収まりがつかないくらいの仕事を抱えている状況を見れば必然といえるのだろう。なかよくCDMA陣営のことだけしている時代は終わりを告げて3G開発を掲げる全てのキャリアやお客様にソリューションを提供することになっている。昔では考えられなかったような状況で、近在の三つのキャリアやそれ以外のキャリア候補生などにも顔をだすようになっている。一つの御題が出来てコンセプトが固まると、そのテーマを一様に説明に出向き噛んで含んで説明するのが最近の忙しさの主因でもある。伝道者という言い方が正しいかも知れない、またお客様のフィードバックを感度よく拾い出すというミッションでもある。

いろいろなメーカーや経験を持つ仲間たちで構成されるQUADジャパンの組織にひときわ、熱き想いを語る仲間として前職場での卒業生がいる。いまではその数は会社の構成の二割に達する勢いを見せている。IEEEのフェローの称号を冠する大先輩がいたり、気がつけば知己が社長を務めている現在は六年前からの計画通りであり、昨年暮れに北京で久しぶりに再会した先輩もまた加わることになった。大きな流れを感じたり不思議に思い返したりしながらまだ転職前のコンサルタントとして中国に訪問していた、その先輩と食事を北京で共にしたりしていた。その時の夕食のメンバーはといえばソフトウェア業界の重鎮ともいえる開発会社の気鋭のリーダーや計測器メーカーの方たちだったりもする。3G市場を活性化させんとする同士達の集いだったりもする。先輩自身も長らく欧米での開発拠点を率いて現地開発拠点としての取りまとめを推進してきたものの3Gに推移して以来の開発の重圧をこなしていく流れの中で現地と本国である日本との間の乖離に苦労を重ねてきた経験があった。そういった乖離の理由の一つに現地で起こっている事情や今までの開発スタイルが3G移行に伴いミスマッチしてきたことが挙げられるのだろう。

結局、開発計画の矛先が二転三転する中でなかなか着陸することに繋がる前に開発が中断するということが多発してしまうのは、過去のその会社としての成功経験が尾を引いているからだろうか。現地に任しきれずに開発計画を次々と変えていくことを続けて業界一開発プラットホームの多さを記録したりしていた。長く一つのことを続けていくということを達成できないのには何か別の本質的なDNAが欠けているからなのかも知れない。新たなことにアグレッシブに取り組んでいくということと完成にまで漕ぎ着けるために頑張っていくということの両輪を回していくことがなかなか出来ない事情がある。また開発がスムーズに達成したとして、その商品がヒットするのかどうかは別の課題でもある。苦労をして開発を続けてきた技術者のチームにとって経営方針の篩いにかけられて方針変更での中退などを余儀なくされることでモチベーションの維持が出来なくなってしまうのは残念なことでもある。国内市場にのみ頼っての商品化しか出来ないのであれば、海外市場についての体制維持が覚束なくなるのはいたし方ないことでもある。3G開発という業界を飲み込んでしまった開発のバブルの後始末に突入しはじめる状況になった業界としては、未だ慣性モーメントとして旧来のビジネススタイルで開発費用の拠出を通信キャリアからの提供を受ける形での寄生生活が染み付いてしまっている。

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