サンディエゴ通信 VOL19 大阪から米国へ 

発行2003/8/27

大阪市内にある、Quad社大阪オフィスは最近関西地区に増えつつあるお客様対応の拠点として準備されたものだが、このところ毎週新幹線でここに通勤しているようなありさまとなっている。ネットに繋がればどこでもオフィスとはいえ、プリンターやコピー機があるビジネスセンターが必ずしも私たちの要望に適うものも少ない。落ち着ける場所として仕事が出来る事務所があるのは、嬉しいことでもある。環境的に言えば、東京事務所の青山一丁目という場所は食生活的には不満足なエリアである。以前の赤坂見附の事務所近辺にあった庶民的な匂いがなくなり、ちょっとねぇという感じが否めないのだ。そういう点からも、日本一の長さを誇る天神橋筋商店街などに近接する大阪事務所の包容力はたいしたもので、さすがに食い倒れの街「大阪」といえるかも知れない。

サンディエゴ通信のはずが、こんな書き出しで始まる状況は、実は今年の状況を良くあらわしているといえる。3G開発でお客様に詰める仕事が続くのは、お客様の場所に通いつめてコミュニケーションよく開発を進めてもらうために他ならない。電話会議ひとつ取ってみても東京と関西に離れてさらにサンディエゴを繋いで行う開発問い合わせなどは互いの言葉の相違、文化・技術・経験のギャップなどがあり効率よくまわすために仕事の拠点を大阪に移しているとも言える。無論、逆の立場の人もいて大阪に住みながら仕事の拠点を東京に移して働いている仲間もいる。それぞれにビジネス目的が異なるのであるが、東京地区には会員制のビジネスホテルと契約している反面、関西地区ではシティホテルベースで仕事をしたりしているのが異なっている。

高級ホテルの従業員にすっかり顔が売れてしまったりしている状況があまり正しい姿とも思えず、関西圏のきさくな食生活などを満喫するために盆休みにホテルが満室の期間だけは、近くのホテルをいろいろと泊まり歩いたりしていたのである。お客様の要望に応えつつも米国チームの都合や必要性などに応じて都度、サンディエゴに行くというのが基本スタンスではあったのだが、春に離陸した3G端末に続く開発にも大阪での支援作業の勢いが続いていた。最後に一気呵成に仕上げていく上では、互いのコミュニケーションを高めつつ完成度を上げていくという状況にお客様のトップが賛同するようになるのはいつものことである。月曜に大阪入りをして火曜の朝からお客様のオフィスに伺い電話会議に向こうからも参加するというのが最近の技でもあった。こうして土曜まで続き帰るという生活なのであった。

いつでもパスポートを携行することが義務付けられているQuad社では、こうした気さくな大阪生活の渦中でも突然、米国行きになるのは致し方ないことである。ただし今回はハワイでの仕事(?)までも、仄めかされていたのではあったのだが・・・。「わたしリカよ」とおじさんが気味のわるい声で娘の3G携帯を持ち出したCMがあったように、ハワイは重要な拠点なのである。今回の発端は、2G端末サービスが米国の特殊性などが背景となっていることもあり、フィールドテスト会場としてキャリアが選んだのはハワイなのであった。近いということや担当者がハワイに行きたいといったことではなかったようである。ハワイで評価試験を担当することになった担当セクションの課長さんは慣れない海外での試験に一人で指名されて困惑してヘルプを挙げていたものの、「ログ取り依頼をするのみなので同行しても・・・」とつれない回答を会社では行っていた。そして彼の試験結果に基づいて、必要があれば米国にいく事になると言い含められていたのである。

とはいえ、キャンセルすれば良いというようなチケット手配をしてはいたのである。ホテル手配はお客様の分も行う必要があり、会社レートでの安価な特典価格でとまっていただくといったサポートも私たちの仕事でもある。まあ旅行代理店のような雰囲気もしばしばである。現地でのお客様の食事の手配やら週末がかかった場合の観光までも含まれたりするのである。今回のように短い週末にかけての渡航も珍しくはないので、私にとってはのぞみのチケット払い出しとホテルの予約などと同列だったりする。グループセクレタリの派遣社員のお嬢さんなどにも、電話やメールで出先から刻々と変わる状況を伝えて更新を願ったりしているのでもある。テスト機材の確保などが図られそうだという一報が決めてとなって、ソフトウェア試験担当の方がまずは渡米を決断されたので私の支援渡航も決まってしまった。

今回は大阪の出先からの渡航なので、関西空港からのフライトとなりいつものノースウェストが使えずに日本航空を使うことになってしまっていた。騒がしいのん兵衛おじさんたちがくだまくキャバレーのような事態にならなければよいと思いつつ、チケットの送付をホテルのレセプション宛にしてもらっていた。夕刻までには大阪の代理店から時間便で発券されたチケットがホテルに届くことになっていた。キャンセルすることもなく決まってしまった状況からの次の展開は、午前中の米国との電話会議を終えてから翌日フライトすることになっている人たちとのスケジュールやら連絡方法の確認に追われる。初めてサンディエゴにこられる方に会社やホテルへの地図をPDFで送付したり、持っていくハワイでも使える例のリカちゃん電話の番号を教えたりといった具合である。

おしゃれな作りになっているお客様の外部業者を対象にした食堂でランチを取ってから事務所に戻ることにした。大阪地区の夏の日差しは強く戦略もなく歩くのは耐えがたいものがある。どういったルートを辿れば日陰を多く歩くことが確保できるのか考えずに出てしまうと、そんなことを考えるのも嫌になるほどの暑さに参ってしまう。パンチドランカー状態ともいえる麻痺した感覚の組み込み開発エンジニアの日常から考えれば、皆気にせずに暑い日中を避けるのが狙いなのか日がとっぷりと暮れるまで誰も帰ろうという人はいないようだ。まあ、派遣で来ている多くのエンジニアの場合には管理担当の方が日中に顧客先訪問で訪ねてくるのに対応して報告をしたりすることはあるようだ。大通りを避けて裏道を通りながら進んでいくと昔ながらに打ち水をしてくれたりしている商店などがあり助かる。

天神橋筋商店街の近くに位置するオフィスまでは快速電車でものの15分ほどであり、戻った先から出張に必要な後一組程度の着替えの送付依頼を自宅に電話して、宅急便は翌朝にはホテルに届く段取りとなった。10年あまりの出張でガタのきていたスーツケースは、この際処分することにして新しいものを浪速の商店街にて物色することにした。無論、大阪駅前に行けばヨドバシがあるので簡単なのだがそれでは浪速の気分を味わうことも出来ない。長い長い天神橋筋の商店街をずっと歩いて探すことにした。見つからなければ天満駅から大阪まで環状線に乗るというオプションも選べるからだ。幸いにして天神橋筋の四番街まで進むと果して待望のかばん屋さんが何軒か見つかった。丈夫そうなスーツケースをサイズから判断して選んだ、ジャスト一万円の破格値という次第だった。

空のスーツケースをカラカラと転がしながらの試走には天神橋筋のアーケードの舗装はもってこいだった。オフィスまでの二キロ弱の道のりで初期不良は見つかることもなかった。スーツケースには小型のかばんがそのまま押し込めることが出来たのでマイオフィス環境であるDVDやらHDDやら一切合財をカバンに入れた後にそのままスーツケースに入れることになった。大き目のスーツケースに変えた威力は明らかだった。ホテルに戻ると、電話のメッセージランプが点灯していたので、そのままレセプションに急行してチケットをゲットした。中身を確認してから翌日の流れを考えつつ荷造りをはじめた。パスポートはいつも携行しているので問題はなかったし、フライト前に航空会社のキャンペーンをインターネットからチェックするのも欠かさなかった。今回は、残念ながらデラックスなキャンペーンがよく行われるいつもの航空会社ではなかったのだが20000マイルのスペシャルマイレージがつくということだった。

翌日も朝からお客様に訪問するも、同行するはずのお客様自身は、ご自身の出張準備に追われているようで、出社されていなかったり、出社するもお会いできなかったりという次第だった。昨日決まって今日出発という体制が取れるということ自体は、ベンチャー気質の会社であるといえるのだが、目的を考えてもうすこし心に余裕があればと思うのだが、いかがなものか。お客様を交えた米国との電話会議を終えるとまずオフィスに戻り、近くのインドレストランにてお勧めのランチを平らげて暑さに備えて、残った仕事を確認してからホテルに戻り、預けていたスーツケースと届いていた着替えを受け取りロビーにて荷造りを完成させた。見た目にはスマートな荷物ではあるが内容物の重さは隠しようもなく、そのままタクシーで難波の駅に急行するという安直な道を選択してしまった。シャトルバスで大阪に乗り付けて東梅田から谷町線にのり、南森町乗り換えで堺筋線にという選択は、記憶からマスクされてしまっていた。

JRで成田エキスプレスを選択する際には、窓口で領収証をもらうのは躊躇しないのだが、私鉄の安価な特急ラピートのチケットを買うときにはちょっと躊躇してしまうそんな雰囲気の違いがあった。何かいわれたらの説明に控えに切符を携帯のカメラで写しておいた。南海電鉄の駅には、関空建設工事当時の仕事でなんども通っていたことが重いだれるのだが、今ではすっかりリニューアルされて関西空港が本当の意味で機能した際には、発展するだろうという異彩を放っている。残念ながら、関西空港の稼働率の低さはラピートの乗車率でも明らかだった。車両の1/3にも満たない列しか埋まっていないし、無論席はそれ以上に空いている。各個人単位で列が確保されているという余裕が好きだという人には、良い選択枝といえるのだが・・・。ラピートの車体については、丸い窓と併せて鉄分の濃い人には好きな人も多いのかもしれない。

南海電鉄とJRの二系統が乗り入れるという図式は成田空港と同じなのだが、成田以上に関空誘致には地元の期待しているものがあったようだ。そんな風景が泉佐野から分岐していくりんくうタウンなどには見える、鳴り物で作られたらしい建物があまり清掃や整備もされずに稼動していないように見えるさまには敗戦国の風景のようにも見える。爆撃された被災地ではないのだが、雰囲気はそんな感じなのである。この国の政治家たちの考える将来像はバブルのいくすえなど微塵も考えずにいたのだろう。関西空港が期待値通りに働くには観光地としての魅力や日本の物価などいくつもの課題があり、国民総動員でボランティアまで募ったワールドカップが毎日のような状況で続かないと成しえないのだろう。そんな空港駅に到着すると空港ターミナルに向かうまでに私の目をくぎ付けにしたのは足元に広がる無数のヒビである。最初に気が付いたのはスムーズに進まないスーツケースの車輪の動きからだった。本来はスムーズに快適に進むというのが映画のシーンの筈なのだが・・・これはいったいなにを示しているのだろうか。沈下しつつある図式などの思いもあって一気に不安になった。足元など気にせず歩いている人がほとんどなのだが・・・。

ターミナルの国際線に向かうのだが、いまでは国内線のための空港なのではと思えるような印象だ。国際線のフロアにいく長いエスカレータを利用しているのが自分しかいないといった瞬間を感じると、時間の狭間に迷い込んだ印象がある。空港カウンターも利用者が少ないのか、表示があいまいでビジネスチェックインカウンターよりもエコノミーのカウンターが幅を利かせている感じである。関西空港を利用するという視点にたつと、国民は不況の煽りで、諸外国からは物価高を反映してといった図式で格安航空券で旅行するという今風の流れが中心なのだなと思い起こされる。出国管理に入るさいの荷物検査のゾーンにはいると、たった一つ開いている窓口にさらに人気がないので、どこにいってよいのか、戸惑ってしまった。出国管理も窓口はひとつだけで並んでいる人もいなかった。国際空港と冠するには不適切な印象である。この潜在余力を活用していくという戦略がいまの日本にはないようだ。

ミニシャトルにのり、登場ゲートに向かう途中にも未使用のゲートが沢山あるようだ。これを日本の余裕と見るのか、負債と見るのか。日の丸航空のビジネスラウンジにも人はまばらで、華やかさが感じられなかった。溌剌として活気あふれるといった雰囲気が、風景に欠如しているようなのだ。モデムを接続して指定された地区のアクセスポイントに切り替えつつ最後のメール確認や電話連絡を行う、お客様に教えてある会社の携帯電話番号は少なくとも営業時間中には応答しなければならないのだが、緊急要請の高い状況のなかでの電話の意味は、会社の改善指標として理解しているのである。ここで気が付いたのは、ACアダプターをスーツケースに入れてしまっていたことと、PCの電源余力が殆どなかったことである。最後のメールを出したところでPCは果ててしまった。あとは、携帯電話のSMSやEmailで連絡をつけることにした。姪っ子がちょうど自宅に新築表敬訪問してきた由のメールが届いたりしてきたので細君に電話をしたりして過ごしていた。

ゲートから機内への乗り込みには、日の丸航空のビジネスクラスで気になるのは、バーと勘違いしているような輩の中年諸氏なのであるが、幸いにして今回のフライトではそうした光景には出くわさなかった。ビジネスクラスの食事は、どの航空会社でも同等の内容だと私は思っている。とくにどの航空会社がひどいということはないのも、それだけ競争が激しいからなのだろう。日の丸航空の良い点としては、PC用のバッテリーを貸し出してくれることである。申し出ると機種名対応リストを広げて見せてくれて、該当機種にあうものを指定した。PCサイズの薄型外部バッテリーであり、これをDC入力としてPCに接続すると五時間あまりの運用に使うことができた。夜食配布を朝食と誤解したのかおにぎり二つをお願いしたので、実際の朝食のときには、食べる余地はなかった。興味ある夜食などが充実しているなと感じた今回の日の丸航空の食事であった。気になっていた冷やし中華を食べることは忘れていたが・・・。

ロサンゼルスに到着して入国検査のレーンに到着したのだが、列をガイドする明確な指示がなく最終の窓口の表示から外国人のラインを選択した。入国検査の遅さが厳しさの反映なのかどうかは判らないのだが、やたらと時間がかかる人や差し戻しで別の窓口を指示されたりする人もいる。生憎と選択したレーンは外国人対象の端であったので、確認もせずに並んだ輩が、米国籍窓口から隣にいけと飛ばされてくることなどからますます列が進まない状況となっていた。おなじロサンゼルス空港でもノースウェストが到着する側では、こんな経験はなかったのだが・・・。ようやっと到達した段階では、ビジネス三泊というスケジュールの説明のみで気の抜けるほどあっけなく通過することができた。蓄えた髭とパスポート写真の照合にも問題はなかったようだった。荷物を受け取りコネクション便の荷物窓口を探したのだが見当たらず隣接する国内便のところまで転がしていくことにした。真新しいスーツケースの車輪は軽く快調に進めることができた。

予定では、予約が取れているアメリカンイーグルの便には一時間以上あったのだが、長い長い長蛇の列が待ち受けていて、Eチケットでないことから到底乗れそうもない事態であった。結局カウンターに辿り付いたときにもらった便名は一時間あとのフライトだった。スーツケースを預けることが出来たので、手荷物検査での徒労を少しでも減らすことにはなった。中にとぐろを巻いている電線やらPC周辺機器のお店を手荷物検査コーナーで広げる気にはさらさらなれなかったのである。そうでなければ長蛇の列に並ばずに手荷物検査までスーツケースを持ち込むことも出来たのだが・・・。便名と席名とゲートを確認して手荷物検査のレーンにならぶ、レーン入り口で基準もあいまいにレーンの指示がある。指示されたレーンは全員靴を脱ぐコーナーであった。検査機で反応しなくても検査を続けるのだから検査機の意味がないような気もするのだがいかがなものか。アジア人はすべて信用されていないのではないかとさえ感じるのである。

シャトルバスに乗り込みアメリカンイーグル専用のゲートまで移動する。バスの中では日本人の学者らしい風貌の人から声を掛けられた、サンディエゴには学会参加ではじめて来たという。飛行機乗り換えでの不安がうかがえたので、ここからのブンブン飛行機での楽しみを話して気分を軽くしてあげた。フライト時間までは、さらに30分以上あり今回はリカチャン電話を持ち込んでいたので壁のコンセントを探して充電しつつ仲間たちに到着確認を入れた。学会の先生は、チケットに席の指示がないことから不安そうだった。自分のチケットを確認すると確かに席が記載されている。ゲート横のカウンターで確認をとると、席がないということだった。確約は出来ないが乗れそうなのかもといったところだろうか。搭乗時間となり、順次乗り込むことになったのだが、学者先生ともう一人が列から離されて待つことを言い渡されたようだった。安心してタラップを上がっていくと私の座席には誰かが座っている、28件かキャビンアテンダントに話してもらちがあかずいったん戻ってカウンターのレディに問い合わせると確かにあんたの席だといわれる。ほかの全員が乗り終えてから、われわれ三人の処遇が割り付けられて先頭列の席に座ることになった。発券のシステムがおかしいのか、あるいは前の便に乗り遅れた客がいたのかは不明だ。

問題が解決したかとおもうと、搭乗が終えたはずの機内に、今度は航空会社の女性が乗り込んできてひとつ後方の空いていた席に座り込んでしまった。キャビンアテンダントが制止するような雰囲気もあったのだが同じ航空会社の社員ではないのか。もう荷物を載せたんだから、私を下ろすなら荷物も降ろしなさいよといった口調でまくし立てている。キャビンアテンダントを煙に巻くように今度は隣席の客と話し出してしまった。カウンターに立っていた係員のレディもやってきたのだがどうにもこうにもらちがあない。こんなやりとりが始まって時間はずいぶんたっている。さらにもう一人乗り込んできた困惑した風情の航空会社の人はこの便で移動する要員パイロットらしかった。どうもこうした職員の席が空いていることを知っていて乗り込んでわがままをいっているのが後席にいるおばちゃんらしかった。結局、最後に乗り込んできたパイロットの方は操縦室に入り、補助席を中で広げて三人が操縦室に乗り込むことになって解決することになった。いいかげんなシステムで起こるこうした事態を予備の席で解決していこうというのが実情なのだろうか。かの日立のシステムである国鉄の発券システムでの新幹線ダブり発券にも遭遇したことはあったので、まあこんなものかもしれないなあと思いかえしていた。

業界独り言 VOL248 日本発、UMTSの世界初

最近視力の低下・・・いや老化が著しい、また老眼の度が進んだようである。忙しい合間に見つけた日曜の半日を費やして購入してあったアマチュア無線機のキット製作に取り組んだ。最新部品で構築された無線機に搭載される部品の品名を読み取るのは最早ルーペなしでは仕事にならない。パソコンでのソフト開発であれば、おじさんフォントにしたり、大型ディスプレーにするというオプションがあるのだが、組み立て現場ではそうもいかない。アナログ屋さんや無線屋さんといった方たちとの接点を意識する意味でもこうしたキットを通じて感性を近づけておくことは必要なことと認識している。私小説を書き起こすことになった、99年七の月から四年が経過して世の中も変わり、予期したこと予期しなかったことなどの経緯を確認したりするこのごろでもある。

中年となった私自身が相応な年齢になっていることから、いわゆる同期や知己たちが会社での職制から見ると要職についている。そうしたことから、お客様として付き合う責任ある方々との真摯なバトルには、ある意味で仲間あるいは後輩とのやり取りと感じることも少なくない。また現場の方々として付き合う若い技術者との接点が私の感性を維持させてくれているのかもしれない。まあ精神の若さと肉体の若さは別物ではあるが、髪の毛や髭の色はすっかりグレーゾーンに突入している。ロマンスの香りはないにしても、ビジネスの領域では、溌剌としたテーマにしうる部材を預かり多くのお客様の開発を通じて異なったインプリメンテーションという楽しみを同時期に平行して評価できるという、言い表しようのない楽しみに浸かっている時間に続く次のストーリーを用意する必要もありそうだ。

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業界独り言 VOL247 梅雨のようなBon Vacation

世の中が、毎年の繰り返しとなる日本の民族大移動の夏の陣・・・盆休みである。当初の予定は、最高気温更新などが続くであろうこの季節を楽しむことなく、からっとした気候の中で紺青の青空を見上げつつのデバッグ支援をしているはずだった。夜になれば、AOLのページなどからアクセス出来るテレビ東京の動画ニュースなどを見やりつつ渋滞情報を参照しつつというスタイルの一週間のはずだった。第三世代の開発が一段落したお客様の関心事は、欧州展開のための世界対応ということにシフトしていった。本来ならば第三世代が世界対応の筈なのではという突っ込みは無しだ。

実は梅雨明けを聞いたのは、大阪入りしてからのことである。週末を挟んで大阪暮らしを、インドの仲間と過ごしたのは三月に経験して以来のことでもある。ライセンス商売をしているQUAD社としてはお客様が設計するデザインのボディに基本プラットホームとなるチップとソフトを提供してお客様が日本風の携帯電話に必要なアプリケーションを載せて仕上げていくというサイクルである。この春に過ごした二週間あまりの追い込みの仕上げは、こうした活動を加速させてくれた。試験環境である日本でのFTとのサイクルと米国開発陣営とのサイクルが見事にシンクして成果を発揮したのである。

そんな成功体験がお客様にとっては、大きな思い込みとなっていたようだった。季節は移り、春の国内行脚試験から、夏の世界対応となり舞台は国内では何も出来ない事態となっていた。試験装置をフルセットで揃えれば何とかなるだろうという思いも欧州認定取得に必要な測定システムを完全に揃えるまでには至らないのはRF性能評価のシステムとソフトウェア性能追い込みで必要な擬似試験対向装置というものの意識の違いだったかも知れない。世の中が第三世代に傾倒する中で2.5Gの開発というテーマの完成度はイマイチの様相となっているようだ。以外と実の薄い世界だったかも知れない。

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業界独り言 VOL246 今日から出来る国際化

気が付くと大阪で一週間暮らしている。洗濯も溜まり二日分の着替えでは賄えず、急遽細君に送付してもらった。ホテルに洗濯機があるような米国スタイルの大型ホテルが日本に無いのは、なぜなのだろうか。スラックスを洗濯依頼すると1000円かかるのだが、普通のコインランドリーでもあれば400円もあれば、ほかの洗濯も含めてドライヤーまで掛けられるのであるが・・・。ユニクロ衣料だとすると洗うことよりも買い込んだほうが良いような気になってくる。エコロジー的に考えると泊まっている現在のホテル選択が間違っているということになる。米国の仲間といっしょに泊まる必要などを考えると、まあ難しいところである。

せっかく出来上がった新居にゆったりと出来ないのは、仕事柄仕方がないのだろうか。最近は、定時退社よろしく明るいうちに帰るように努めていたのだが・・・。開発渦中のお客様の忙しさと私たちの仕事の忙しさは若干違うのだと思う。私たちも忙しいのではあるが、調整の利く忙しさであり、お客様のサポートをしつつ帰宅してからも仕事が出来るのである。お客様とのタイムラグ、仲間とのタイムラグの二つをバランスよくこなしているつもりだ。梅雨明けの先月末から夏に突入してずっと大阪暮らしを続けている。仲間が大阪入りするのを受けて関西空港からの乗り換え手順を英語と英文URLで指示したりして現地ホテルでの合流をすべく東京を離れたのは先月末のことである。最新リリースが米国では出たこともあり、出荷準備を急いでいるお客様は夏休み前とはいえ土日返上してのポーティング作業が始まる週末でもあった。

南森町の一号線沿いにある大阪のオフィスは、この地区のお客様サポートには必須のインフラである。大阪事務所に詰めるエンジニアの数は、まだ多くはない。言い換えれば地域に根ざしたエンジニアのために興した事務所ともいえる。ともあれ事務所の開所以来、ワイドな展開においての各地域ごとの接続テストなどにはベストマッチしていて大阪地区でのテストにあっては解析データの転送などにADSL接続されたSOHOオフィスは便利に限りである。米国への近さという意味で言えば関西空港から乗り込んでくる仲間もいるので大阪はやはり便利である。デラックスなホテル生活と疲れを癒すマッサージなどを頼んでいると前の会社の大先輩を思いだす。干支が同じ先輩は、熱く未来を語るひとであった。バブル景気だったこともあるのかも知れないが、未来に期待をかけた製品開発に多くの後輩のモチベーションも高く引き込んでいった。

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