お役所回りで・・

久しぶりに休暇をいただき懸案事項の事務処理にあたりました。六月に行った、不動産ローンの後処理は五ヶ月あまりの放置状態でしたので年内に片付けたいということでもありました。折角完済したのですから、自分名義の不動産に抵当権設定がついたままというのは情けないものです。銀行から来ていた完済後の後処理に関しての連絡を再確認して銀行に向かい、必要な通帳と印鑑を持ち込み手続きの書類をゲットしました。後は、法務局で・・・ということでしたが。

法務局は、馬車道の奥に位置していてみなとみらい線で馬車道駅まで向かいます。あいにくと午前の受付は終了しましたということで受付整理番号の20番という番号と受付待ち二人という表示をみて、午後一時からの再開では二番目だなと理解してしばらくは赤レンガ倉庫あたりまで散歩をして時間潰しです。ワールドポーターズで散策して頼まれていたフランスパンをゲットも出来たのでまずまずの展開でもありました。気がつけば万国橋の近くにあった純喫茶も潰れていたりしていろいろ。

法務局は神奈川県庁の第二庁舎にあり、ここの低層ビルは古い体裁のままで一階にある喫茶室も味わい深い佇まいです。食券の販売機で購入するスタイルですが、290円のコーヒーはなかなかのものでした。一時少し前には法務局に再度伺ったのですが既に午後の手続きが始まっているようで気がつけば番号は既に進んでいて25番までいっている様子。なんとマイペースに運用されている部署なのか、まあお役所らしからぬベストエフォートで作業されている姿は良いかも知れません。

持ち込んだ不動産関係の書類を確認していただき、所要の収入印紙の額を承り、反対側の売店で4000円の印紙をゲットして作業依頼の準備が完了する。ここまでの手続きを支援していただいてる方たちの仕事は、実は法務局とは関係のない方のご様子でボランティア?なのでしょうか。出来上がったキットを本来の窓口に持ち込み、引き換え書類をいただき、あとは三日間の待機ということになりました。

ありふれた出来事・・・

ヤフオクで探していた70年代のレコードが手に入った。表題の日暮しというグループのアルバムである。早速、オーディオセットでCDRWに録音してディジタル化を始めている。アナログソースなので物理的に録音時間はかかってしまうのは致し方ない。TEACから出していたオーディオ機器としてのCDレコーダーを使っている。怪しげなのはオーディオ用に著作権費用を払っていることになっているCDRWというメディアである。最近稼動させていなかったので、まずは該当のCDRWがまだ売られているのかということが課題だったが、以前このデッキを買い求めた旧ヤマギワ電気で置いていた。実は録音を始めてから、以前のCDRWも見つけることが出来た。

著作権料を払っていない、通常のCD-RやCDRWでは録音することが出来ないという厄介な政治的な状況下で開発販売されていた機器のようである。実際問題としてCDRWに著作権料を払ってみたところで録音されたPCMデータにはCRRMの鍵がかかるわけでもないので致し方ない。そもそも音源はアナログなのである。著作権協会に支払った費用がどういった形で還流されていくのかはより不可解である。そもそも、こういった機器を使わなければならない事情はディジタルソースとしての入手困難な音源をようやく入手しての話であり、そうした楽曲を提供していた方々が現在活動しているはずもなく、誰のためにお金を払うのかはきわめて不可解である。

私が、お金を支払ってでも聞きたいのはオリジナルを歌っていた方々あるいは楽曲を作られた方々に対してなのである。そんなことを愚痴っても仕方がないのだか、CDRWに落とされたデータは、続いてはサウンド補正処理をPCで施されてスクラッチノイズなどの除去を行い、音量の正規化などを施してから、iTunesなどにかけられてiPodに転送されてようやく私のライブラリとなる。表題の日暮しというグループは、ボーカルが杉村尚美という後にソロでサンセットメモリーなどを歌われた方でもある。「いにしえ」という曲は、コンピレーションアルバムとしてCD化されてはいたのだか、新入社員時代に購入して保有していたころの楽曲を聞きたくて再度入手することにしたのである。

椿山課長の七日間

帰国早々の土曜日であるが、貴重な細君との時間なので浅田次郎の邦画を見る事で意見が合った。社長からの呼び出しでのオフサイトミーティングもあったので、午後の六時の回で現地合流することにした。オフサイトミーティング自体は、横浜の駅前シェラトンで明日から米国に向かう社長とプロダクト担当のお二人をアプリ環境担当のメンバー達を迎えてのブレーンストーミングとなった。いろいろな開発プロジェクトの進行途上の中で、現実の顧客に向けて提案していくという流れをトレースしていく上で適切な提案が出来るのかどうかが課題である。

二時間あまりの会議は、iPodに仕込まれたマイクによりボイスメモ機能も確認することが出来て実際に録音性能も確認することが出来た。これ以上の録音達成には電源が必要だということも認識できた。音声は思いのほかクリアに録音できるようだった。ケーキセットのご利益があったのかどうかは不明だが社長ら二人に米国で訴求していただくことや、国内組みでフォローすべき内容については確認することが出来たので、週末の時間を使ったミーティングの価値はあったということだと思う。ベンチャー気質が残っている点はこうしたことに皆が快く参加してくれることからも確認できる。

ミーティングを終えて、横浜から関内までJRで向かい細君とCメールでコンタクトを入れる。伊勢佐木町で100円ショップでアイデアウォッチングをしているようだった。場所勘があったので、当たりをつけて程なく現地で合流することが出来た。今回の映画館である横浜シネマリンは、数少なくなった伊勢佐木映画街の生き残りである。ニューテアトルとあわせて封切り映画を上映するのはこの二館となった。最近のシネマコンプレックスとは異なり、それぞれ地下のフロアを使った小さなつくりは昭和からの映画館の末裔としてふさわしい佇まいである。とにもかくにも例によって二人で2000円で映画が見られるのだから感謝ものである。

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天候不順につき・・・

何度かに一度は芽を出してくるのが、フライトキャンセルあるいはディレイである。サンディエゴとLos Angelesの間のそれは特に午前中に起きることが多いのだ。くるときは良いのだが帰りは致命線となる。ちなみに今回のフライトでは来るときの便は空いていたにも関わらず、私の荷物は一便遅れていた。これは、何かの積み込み誤りか何か・・・だったろうか。帰りは、11時発のNWのLAX発成田行きに乗ろうと八時前のユナイテッドエキスプレスに乗る予定だった。他のメンバーよりは時間が早いこともあり一人でタクシーで空港に向かった。運転手のお兄ちゃんとは、ロスまでタクシーでいったほうがいいんじゃないの・・・などという話をしていたのだ。

カウンターでチェックインして荷物を預けて、ゆったりとiPodを聞いて待っていたのだが、ユナイテッドのお姉ちゃんがページングを始めた。10時以降のインターナショナルにコネクトする予定の方はバスに乗れという。飛行機が霧でサンディエゴにこれずに引き返したというのである。寝耳に水、帰国組と思しき旅行者がカウンター前に詰め寄っていた。お姉ちゃんいわく8時にバスが来てロスまでハンドルするので10時には到着するので、これが最善だというのである。ちなみにこの報知時刻は、7:30前である。バスへの振り替えチケットを発行してもらい、チェックインカウンターに戻り、荷物を返してもらい、さらにコミューター空港の外でバスを待つのだが、結局きたのは30分遅れで、8:30である。ある意味でこの時点で絶体絶命である。

まあ高速が順調ならばなんとか間に合うかもというのは前回タクシーでいった際に90分ほどで着いた記憶も手伝っている。だが、あれはホテルからではなかったか、いずれにしても一時間無駄に待つという徒労を味わった上では無料のバスに乗ることを選択するしかなく行動力不足の自分を憂う。あきらめてバスに乗り込んでいると、次々と後続のフライトまでもキャンセルになり当初の方針はますます揺らいでいたようだった。いわゆる自分のフライトは切り捨てられた部類に属していたようだ。誰かが「私のフライトは10:20なのよ」と叫んでいた。同類がいるようだ。

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アメリカンな朝飯

ロサンゼルスでの一夜明けて、今回は余裕でホテルのシャトルでノースウェストの待つターミナル2へ向かいました。そうです、昨日のフライトでコネクションに失敗したのです。急遽空港ホテルでの延泊となったわけです。
朝飯は、当然空港ラウンジでコーヒーとクリームチーズ・ベーグルで済ませるわけです。ホテルのデラックスな朝食をとったところで、あとは飛行機ですぐに夕食が待っていますし・・・。まあ、アメリカンなビュッフェスタイルの朝食がデラックスなのかどうかは異論がありそうですが。ホテルによっては例えば台北のハイヤットでは、中華・洋食混在でのビュッフェでしたので、こちらは確かにデラックスだなぁと思いましたが・・・。
十日ほど過ごしたレジデンスインでの作りおきスタイルのそこそこのブレックファストが懐かしく思い出されもします。スクランブルエッグにサルサソースをかけて、青ねぎをトッピングするのですが、これは飽きないものでした。宿泊している日本人が多いことからなのか、早い時間にいくとご飯や味噌汁とうふ、フリカケなどがあり和食?をとることも可能です。茹で卵ではなくて生卵に美味しいのりが欲しい所ではありますが無い物ねだりですね。
さて、ソーセージとワッフルあるいはベーグルとヨーグルトとジュース・コーヒーでアメリカンな朝はスタートするものでした。

ふるさとは春です

♪思い出して、あなたの好きなふるさとの春を

♪雪が溶けて、垣根の上に雀がやってきます
♪膝を抱え座る縁側、うたた寝しそうですね

♪冬の間にかじかんだ、心温めたら
♪遠い町で暮らすあなたに 私は会いに行きたい

♪草のにおい空の青さも、みんなあの日のまま
♪思い出してあなたの好きな、ふるさとの春を

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トンマッコルへようこそ

休日の朝の回の予約を入れて、川崎まで出かけてきた。距離的には遠いのだが、時間的には近いような気がするのは地理的な問題と言えるかもしれない。最寄の京急の駅から出かけるには、ちょっとみなとみらいの109は離れていて、川崎のDICEは近いといえるのだ。まぁ、そんなことはおいておいて何しろ夫婦で出かけると一人1000円という費用で見られるので共通の楽しみと認識される分野の映画の鑑賞にはもってこいということである。

さて、最近我が家では、韓流映画の人気が高いといえるのだが、昨年のバタバタ人が死ぬシーンで始まった宮廷女官チャングムが我が家にとってはマイブームのはじまりだったといえるだろう。以来、ビデオを借りてきたりネットで借りてみたりといった次第である。今回のトンマッコルは会社の同僚から試写会の招待券をもらったりしていたのだが生憎と出張と重なり断念したりしていたので、映画の封切りに合わせて楽しみにしていたものであった。

さて、トンマッコルは、朝鮮戦争当時のファンタジーとして作られています。南北に分断された戦争の中で、まったく戦争が起こっていることなど知らない自給自足で暮らしている平和な村に南北戦争の兵士が迷い込んでしまうことから始まります。連合軍の大尉も出てきますし、 導入部ではチャングムと同様に人が死ぬ死ぬというのは韓国スタイルなのでしょうか。南北の分断された戦いの意義を問うまでもなく、日々の暮らしに十分食足りている人たちは桃源郷のようなものでもあったのでしょう。

武器を介して一触即発のシーンが桃源郷にもたらされますが、風雨の中で何を怒られているのかわからないといった印象の桃源郷の人々を巻き込んでの騒動は次第に桃源郷が毒を抜いてしまうようでした。最後に残されていた唯一の武器だった手りゅう弾が不発・・・と思わせて村の蔵を爆発させて一気にとうもろこしがポップコーンとして開花して降り注ぐシーンから、完璧にファンタジーとしてのペースが始まります。人間食足りてなんぼです。足りないが故に争いが起こり理由をこねくり回していくのでしょう。

何度か見返したい映画です。

業界独り言 VOL329 身体あっての仕事です

父の逝去に接してから、同年代の先生などのことについても気になってきていた。今年は卒業して30年という節目の年でもあったので母校の近くのホテルでクラス会を実施することになっていた。学んだ頃の若い先生方ですら定年の時期を迎えることが続いていたこともあり、担任の先生は既に定年退官されていて、父と同年代でもあった。叙勲の栄誉があったときには担任だったクラスである我々も中心になってお祝いの会を開いたりしてきた。当時は米国出張中であいにくと出席は出来なかったのだが・・・。中年街道真っ最中の我々と付き合うのも大変でしょうが確かに父の年代となるとお加減が悪くてお誘いしても宴会には出席できないという回答だった。今回は楽しみにしていたこともあって、残念でもあった。

高専という学校制度ゆえ学科=クラスで五年間共にしてきた仲間たち結束は固いもので、急遽、低学年の時の担任だった先生をお呼びして結局20人近くが集まった。同窓会便りといったもので名簿作成配布などをしているのはいずこも同じでしょうが何らかの事由で連絡が取れなくなったりるものです。業界が狭いことも手伝ってか、仲間同士が一緒に仕事をしたりという接点があるグループもいるようです、電気工学科という分野だったのはベースとしても実際問題として電力系・弱電系といった仕事だけではなくて、人によっては宗教活動をしているものもいるし大学進学を果たした上で、さらに医学を志して大学に入りなおして眼科医をしているものもいる。まだ友の訃報は聞くことがないのは、ありがたいことでもある。

宴席が時間になると集まってきた仲間なのだが、どうにも顔が一致しないメンバーがいるのである。自分自身もその分類にあるらしく、髭面になっている現状が傍からは想像がつかない様子らしかった。とはいえ最近の仲間との会合には顔を出しているので、そんな仲間には知られていたのだが・・。すっかり髪の色がロマンスグレーとなってしまった仲間などは、先生と見まごうような状況だった。髪の毛を手で翳して隠してみると顔に面影を見出して、声などはまったく変わらない事実に気づくには食事とアルコールが必要だったようだ。互いの異なった歴史の時間を取り払い30年のタイムスリップに至るのには大して時間を要することはなかった。

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