業界独り言 VOL286 匠の技にも限界がある

組み込み業界以外にも匠の技が多くあるのは日本の特質だったかもしれない。以前、欧州で列車の正面衝突が起こった際の事故原因を確認したところ、時刻表どおりに走ったら必然の衝突だったというオチだった。日本の列車ダイヤの正確性は、世界に誇るものであったらしい。最近の列車ダイヤ改正で、定期券でグリーン車に乗れるようになった。この一環でSUICA内部にグリーン券情報が書き込まれるサービスが始まったりとデジタルデバイトを進めているのが見て取れる。便利とは裏腹に、合理化でのコストアップを棚に上げて車内改札の料金アップをそれとなく始めてみたりといった状況である。確かに車内改札で1000円で駅で購入すれば750円なのだからお得だといえるだろうし、以前の方法論でいえば定期券の場合には切符も買いなおす必要があったのだから安くなったという意見もあるのだろう。

他方混乱している実状もあり、SUICAを個人用のIDとは考えずに財布だと思っている人たちにとってはSUICA専用のグリーン券購入機という端末がホームにあるのだが、これでは二人分のグリーン券を購入することは出来ない。便利そうで不便な機械を設置しておいて、デジタルデバイドされた人たちには、高い車内改札を選らばせるか、いったん改札を出てもらい切符を買いなおさせるのである。便利な仕組みであるのだが、融通の利かないシステムを構築してしまっているのが現実である。もっともスマートなシステムのユースケースに合う人であれば、SUICA定期で通勤していて疲れた帰宅ではゆっくりとグリーン車で座って帰るという選択をホームで行い、余分なチケットも発行されずに降車駅までの区間情報つきのグリーンデータが書き込まれたSUICA定期を見つけたグリーンの座席の上部のマークにかざすと降車駅までの間は改札無用のランプが点灯するのである。

こんな便利なシステムを導入しているのがJR東日本の最新車両なのだが、匠の技を駆使した最新車両とそのサービスを堪能できるのは、やはり匠の技で組み込まれたダイヤの間隙と貨物線の活用という大技で実現した湘南新宿ラインという形態になるのだ。幾つかの沿線を束ねて接続しているのが湘南新宿ラインの実体なので、昨今の不透明な世情や不順な天候などとが相俟って中々安定な運営が適わないという事実もある。二つの異なる系統のラインを結ぶのは所謂埼京線と東京メトロライナーが走る旧貨物線であり、宇都宮線と高崎線、そして東海道線と横須賀線という多様なラインを結んで実現しているのである。これだけ異なったラインが重畳して運営しているさまは緻密に組まれたダイヤの魔術師の成果といえるだろうし、人身事故や天候の影響を受けやすいのも事実である。現在の日本の不安定な世情で毎日のように人身事故が続いているような状況ではまともな運転は望めそうも無いのである。

ぎりぎりのスケジュールで組まれたダイヤで運転している状況で必要なことの一つには、突発事故などへの対応能力も求められている筈なのだが・・・。実態としては、平身低頭謝るホームでの顧客渉外担当と、謝る理由を新たに生み出す混乱した情報を撒き散らす運営だったりもする。なにかの事故で始まったダイヤの乱れに対して、どうも線路を借用して運用していると映るのは湘南新宿ラインになるようだ。「次の大船行きは、新宿を出ました」「いや、次に到着するのは新木場行きです。」「大船行きは池袋に到着しました」「大崎行きが池袋を出ました」・・・「大船行きは、池袋で止まっております」「湘南新宿ラインの運行は本日は見込めません」などといったい何が起きているのか判らないという状況で30分以上ホームに待たされているのである。事の起こりは、何だったのかは別にして何故このように運行できなくなるのかはシステムが出来ていないということなのだろう。折角買ったグリーン券情報が無駄になりはするものの走りそうも無いのであきらめた。

湘南新宿ラインに限らずギリギリで運営しているのは、端末メーカーやソフトハウスでもそうなのだろうと思う。何かの打ち合わせばかりが続いていると開発がストップしていたりするのはそうした事の裏返しだったりもする。まあQuad社にしても、そうした傾向が出てしまうケースがあるだろう。お客様のサポートとして米国にお連れして特急処置をしたりすることもあるのだけれども、その裏返しとして開発運行計画に支障が出たりしてしまうことになる。余裕が持たれて吸収できる場合もあるだろうし、個人毎の休暇スケジュールなどから折り合いが付かない場合も出てくる。無論休暇をとり家族との暮らしのために会社で仕事をしているというスタンスのメンタリティがメジャーなので、休暇をとるために自分の責任を果たそうと追い込み仕事を完成させていくという風潮もある。こうした感覚は日本の長屋的な雰囲気のメーカーには見られないと私は感じる。そうした感覚の技術者がいると浮いてしまいがちになるのだと思う。サービス残業でずるずると出来る人ばかりが仕事が集中してしまうというのはおかしいし、出来ない人が帰っていくのもおかしなものだし、中々日本の就業環境はぬるまったい感じがする。

突発事故が続き、まともな運行がままならないように見える湘南新宿ラインにも拘らず東急東横線の特急と勝負するかの如き広告を打っているのは可笑しなものである。まあ、お客様からそうした声がQuad社にも投げかけられているかも知れないので、地道に処理対応力を増やそうと画策しているのではあるが、なかなか必要なまともな即戦力の人材に遭遇しないのは何故なのだろうか。我々の要求が高いというのだと人事担当は言うのだが、果たして、ごく真っ当なエンジニアであれば採用出来るのにギャップがそこにはあるようで、このギャップを通り越すトンネル効果を期待するのにはエネルギーが必要だということになる。匠の技を伝承構築していく上に必要なのは匠の技を理解する素養のある人が一つの条件でもあるし、そのために必要なコミュニケーション能力である。最近の主体性のない若者のような感性では、いくら英会話能力に長けていたり、技術素養を示す一級無線技術士の資格などを保有していても仕事にならないという事態も目にしている。同様な世代の若者が、戦場に旅行してしまう時代なので致し方ないことなのかも知れない。今までの感性で人を判断してはいけないようだ。

開発メーカーの現場に居る方だとしても、開発から遠ざかり現場仕事としてのソースやビルドあるいはデバッグといった類から、システム仕様としての理解に必要な各種通信技術の規格の理解を時系列として理解できるような人ということを要求すると中々両立するような人に出会うことは殆どない。そうした方を擁しているのは、規模の小さな会社で取り組んでいた場合には見受けることがあり、発展を遂げていくと、そうした感性は失われて管理主体になってしまうのは、日本のソフト開発の実状なのだろうか。不幸にして、開発が取りやめられたりした会社で、閉塞感にさいなまれた人たちにめぐり合うと弊社としては有用な人材として活躍する場所が与えられるのだが・・・。お客様の会社の規模や会社のカラーなどにより中々、Quad社のようなベンチャー気質の会社との付き合い方に嵌らずに成果が出せないケースもあるのだが、そうした中でこちらから見て活躍しているように映る人材が必ずしも、その会社からの評価が高いとは言えないのも不思議なものである。会社の人事評価制度などについては、暴露本が出て叩かれている電機メーカーもあるようなのでうまく機能しているとはいえないのだろうか。

会社成績も好調な中で、まともな社員であれば皆昇給するのが当たり前というのは日本のメーカーの事例なのだろうけれども、そんな中でも成果を生み出さない社員に対しては、評価に応じて減俸にそうとうする昇給・ボーナスのゼロ査定という現実が外資としての姿としては見えてくる。まともな仕事をするという経験を持たずに、会社経験が過ごせてきた人にとってはQuad社は合わない環境なのだといえる。ゼロ査定が出た場合の意味には、次の半年で評価改善が見込めないときには好調な状況であったとしてもファイヤーということになる。退職金もないのが会社の仕組みでもあり、そうした自身の現実を対象となる人物が技術者としての期待値として何をするべきかが判らないのだとすれば、そもそもボタンの掛け違いの根は深いということになる。会社としては、求人も大変な中で優秀な人材として雇用した人物が機能しない場合には、なんとか使えるように努力するということも続けてはいるのだが、戦場に旅行してしまいかねない感性の世代には通用しないのだろうか。

人間的な素養という点の目安として、以前に既婚歴があるかどうかという点を考慮に入れようと考えていたのだが、そうした問題のある人物には共通してその点は合致しているようだ。とはいえ、まだサンプル数も少ないので基準化するのには早いものの、最近のレジメでは気になって見る点となっている。結婚などは、ある意味で勝負を打つという感性が必要な一大事業の一つだと思えるからだ。前向きに仕事をしていけるという点には、どこが前なのかは理解しているということが一つにはある。若すぎた人材の場合には彼が仕事をしているということが前向きと誤解している節がある。お客様にとっての成果を、会社としてのビジネスモデルの中で出していくように進めることが、前向きなのであって、進めた成果がなくては進んだということにはならないのである。年俸制の会社の中で残業時間あるいは規定時間分席にいたからという感性の人では困るのである。有用な人材であっても、採用条件としての適正に合わない人物の場合には悩ましい、まだ陣容が少ないなかでは中々研修時間もとれずに自立してキャッチアップしていける人を探しているのが実状でもある。

システムエンジニアという呼称がよいのか、コンサルタントという呼称が良いのか中々説明が付かない現在の仕事において、昔の職場の知り合いであっても中々伝えきれないものである。やはり、要望するスキルセットを持つ人物がいるのはベンチャー的な気風を持ちプレイングマネージャー的な仕事をこなされている方でないと難しいようだ。伝家の宝刀を何時でも抜けるように鍛錬を怠らないという気風の人などとの採用を今では次のステージに進めようとしているのだが、UMTSのリーダーとなりうる人材については溌剌とした感性でやっていきたいという強い希望を持たれる人を探している。日本の多くの端末機開発メーカーは匠の技を忘れて管理のみに走り、いつしか匠の技を理解できない状況にまで陥っているというのが現状であるように見える。端末開発に夢を語るでもなく、仕事として行なっているという姿が多いようだ。マルチメディア機能の実現などを果たしていく上でリアルタイムシステムのシステムエンジニアとしての感性や、プロトコルの理解などを合わせて活用できる仕事場と思うのだが、そうした仕事を封印してきた付けで人材の育成志向がそこから外れてしまっているようだ。

無体な要求をしてくる、お客様の姿をみていると匠の技の理解が不十分ゆえに出てくるのが背景だと思われる。どのようにチューニングしていくと達成出来そうなのかどうかということが理解できないのではないかと思うような実情に出くわし、東奔西走しつつ教育をしているような気にさえなってくる。これもお客様のサポートの範疇なのだが、そうして教育する対象の方々は何故か正社員ではない方々ばかりの様な気がする。20年近く、そうした仕事を前の会社で出来てきたこと自体が異様なことらしく、組み込みソフトという仕事をメーカーという立場で出来たのは幸せなことだったと思い返すべきなのだろうか。管理のみで実務をしないという選択に何故なってしまったのかという点については元々匠の技を理解できない人たちが決めてきたことゆえの必然の結末だったのかも知れない。今からでも遅くはないので、是非若い方達が管理に手を染めるにしても実務を離れることはないようにしていただきたいというのが経験値からの提言なのだが、匠の技にも限度があるということ位を理解できる程度には、感性を維持していただきたいものである。そんな感性をもつ私の敬愛する女性エンジニアが体制に反攻してベンチャー的な職場に転出していったのだが、彼女にはエールを送りたいのである。

業界独り言 VOL285 明るい日差しの中で

まぶしいばかりの日差しの中で、サンディエゴの港に面したホテルの庭でのランチを摂っている。年度末の会議・研修でのランチの風景であり、各国のセールス・サポート・マーケティングが一同に会する重要なイベントである。世界各地から呼び寄せられた100名以上のメンバーの渡航費用もともかくイベントしてホテルの会議室を四日間も借り切るという費用なども考えると大変な金額となるのだろう。普段は、電話会議や電子メールでやりとりしつつ機能しているビジネスもフェイストゥフェイスで関連者を集めるというスタイルで実施することの意義は大きい。こんな費用を掛けられる会社のビジネスモデルは、どこか普通とは違うのかも知れないが、実際問題としてチップセットの売り上げ・利益をアジアから大きく享受している事実は確かなものであり、そうしたメンバーを呼び寄せるのは一面当然かも知れない。

世界中の嫌われ者といった雰囲気だったQuad社を取り巻く環境も変わりつつある、提唱するライセンスビジネスモデルが認知されてきたというべきなのか。バベルの塔を推進していると思しき、国内トップの通信事業者との協業がアナウンスされてしまった現在としては、挙国一致といった雰囲気などが掻き消えてしまった現実を映し出している。そうした流れに戸惑っているのはQuad社自身にもあるのだろう、3G推進という切り口で第三号選択までも口にした後に、遭遇したこの奇妙なる展開を予測できていた人も少ないだろう。アンバランスを生み出したのは、五年前の手打ち以来ということになるのだろうが、最先端の中でのドラマティックな様々な展開で歴史を刻んでもきた。蓄積した知財によるライセンス費用などを技術投資に回しつつ展開してきた流れは、一面シアトルのコンピュータメーカーと同様に見られてしまうのかもしれない。

萎縮する国内キャリア向けの通信機メーカーとは異なり、拡大しつつある状況に向けて兵力増強として「自衛隊に入ろう」的なメッセージを発信しても平和安住志向の社会ゆえか反応はいまいちである。そうは言いつつもそれなりに拡張したメンバーの中には、国家資格ホルダーで高いTOEICの得点を持つ若いエンジニアもいる。しかし必ずしもそうした人材が、人財なのかどうかは別問題でもある。Quad社というタイトルのみに大会社的な印象を持たれて入ってきたという印象もあり、そのタイトルにマッチする人材になるべく努力するということが見えずに単にお客様との通訳サポートに終始していたりもする。お客様さまの言葉をそのまま仲間達に向けた言葉として伝えてしまったりしていることから、メンバーの一員であると認められないばかりか孤立してしまっていたりする。こうなると私も手出しが出来ない、成果が出ないとお客様からも見切りをつけられてしまう。幅広い技術で支えられている中でのサポートという業務のチームワークを活かすことが出来なければ、致し方ない。

要望されている質問の背景や、次の展開などを気配りして先手をうった対応をしていくというのが期待される姿なのだが、こうした気配りするという言葉の意味を、30にならんとしているこのエンジニアに教えなければならないのだろうか。新卒の学生を雇ったわけでもないのだが、彼の経歴からそうしたことを感じ取れなかった私達の人材分析力の欠如がこうした事態を招いている。この現実を前にして私達が学んだ大きな採用への条件とは結婚経験者でなければ雇わないという意見が出始めている。彼女あるいは彼氏を説得できないような人材がお客様の満足するサポートとしての気配りなど出来よう筈も無いのである。我々が少しずつ学んできた失敗の事例のなかで実は一番大きく見落としていたのは、こうした厳しい環境のなかでモチベーションを高く維持しつつ自分でキャッチアップしていける人材なのである。

そんな状況の中で、新たな人材発掘に向けて、門戸を開いてみると、逆に英語が大きな壁となってしまうようだ。英語が出来てもコミュニケーションの成立できない人材もいれば、TOEICの点のみにこだわりを見せるような気持ちに落ち込んでしまうエンジニアも居るのである。少しずつそうした候補者の人たちの気持ちを解きほぐしているというのが現状なのだが、熱き血潮の人材は日本にはいなくなってしまい、かぁっとなる韓国の人たちが伸びていくのは仕方の無い現実なのだろうか。解きほぐした成果かどうかは別にしても、経営トップに噛み付いて自己改革を始めようとしている人たちの気持ちに火をつけたりした成果も出ている。候補者を失ったという近視眼的な考え方ではなくて、端末メーカーとしての発奮につながり元気の良い開発を始めていただければ私達のビジネスにも繋がるはずなので、こうしたことはずっと続けていくべきだと考えている。

長い人生の瞬間の事象であり、航海を続けていく技術者にとって加速度を感じつつの生活を是非志向してもらいたいと思うのである。加速度を感じなくなれば惰性の人生となってしまい、少なくともエンジニアの姿とはいえなくなってしまうと思うのである。大企業に在籍しているからといってベンチャー的な仕事が出来ない訳では決して無いのである。失敗したあとに失敗しないために仕事に取り組まないというような閉塞した流れになってしまっている現代の状況を打破するのは、そうした事態のなかでの中間管理職の人たちが後進たちを認識して正しくナビゲートしていく心のゆとりを提示することでもあるはずだ。加速度を感じなくなった人生に見切りをつけて、新たな職場に転籍していく人もいるだろう、そのまま惰性で優秀な人材を活用できないでいることのほうが重大な損失である。活用できないが確保しておきたいというような気持ちでは会社は決して成功しないと思うのである。

明るい日差しの中で過ごした一週間の期末のイベントの締めくくりは、奥様あるいはご主人を招いての大パーティである。5000人を呼びホテルを借り切って行った夢幻のひと時は夜中の二時に幕をとじた。一年間の忙しい仕事を互いに支えた配偶者の方に仲間を紹介しつつ互いの仕事を讃えている時間は、この時間のために一年間働いているという気がしているほどだ。モチベーションを高めて最大の効率を出していくためには安い費用だともいえるだろう、こんな風景は、少し前の日本の企業でもあったはずなのだが切り捨ててしまってきたのは本当に無駄だったからなのだろうか。仲間との結束、モチベーションといった得がたいものを亡くしてしまい、仲間が転職して移っていくことで心を更になくして行ったりしているようにも見える。生まれ変わるために必要なことは、実は過去に学ぶと良い素材や方法があったのではないのかとつくづく思うのである。

果たして、来年のこのイベントの際に拡大していく情況の続報をお届けできるのかどうかは、まだ未知数なのかも知れない。Quad社のチップ供給能力が世の中の状況を左右したりするような状況が良いのかどうかは別にしても、必要なのであれば必要なだけ対応していくだろうということは今までの右肩上がりのQuad社の状況が示しているといえるだろう。忙しいだろうの一年の成果を、また暑い眩しい日差しの中でランチを摂りながら反省しあうということが続くように今年も一年頑張ろうと思うのである。パーティに出ずに帰国した仲間は台風の渦中に出会い、飛行機が成田に着かなかったり大変だったようである。パーティを楽しんだ人たちは、台風一過の青空から舞い降りてきたかというと台風で機体が米国に回らずに今日はロサンゼルスで足止めを食っていたりもするようだ。幸い選んだノースウェストは遅延のみで夜の内には帰国出来そうな状況である。来年も楽しみにしていきたい。

業界独り言 VOL284 次代に必要な支援技術者のDNAとは

なかなか、ビジネスが好調すぎる状況が続き、サポートの内情からいえば大変なままである。不幸なことにお客様のプロジェクトが順延したりしたのだが、サポートにとっては幸いだったので、この間に一気呵成に体制強化を果たそうとしているのだが、中々やはり決まらない。こちらから持ちかけるようなスタンスでは、私たちの要望する携帯開発支援というテーマを正しく理解してモチベーション高く嵌る人がいないようなのである。最初に掛け違ったボタンは互いに不幸の始まりとなるし、初恋は悲恋に終わるのも常なるかもしれないので致し方ない。最近のカスタマー増加は、国内ユーザーをほぼカバーするにいたりこれ以上の増加よりも、充実したサポートで応えられるようにするためにも適切な人材登用は最重要な仕事となっている。

人材登用も大会社であれば定期採用といった流れで様々な人材を採用していき、その先輩の目利きの利くうちに後輩や研究室からの推薦を受けた人物をとっていくということになるのだろう。私には分からないのだが、大学卒の方々にはそうした学校風土も含めたDNAがあるらしい。3σの範囲の人材を探していくということであれば、こうした手続きでの確率は高く、それゆえに確立してきたものでもあろう。大学経験のない私にとっては、ある意味で実務と基本しか知らないが好奇心は旺盛で、ともかく仕事を通じて学んで行きたいといった高専のDNAしか持ちえていない。とくにこれが得意といったこともないが、このことには興味が旺盛であるといったことでしかなかった。この技術が出来るとどんな風に世の中が変わっていくのだろうかといった視点は常に意識していたようにも思う。

自身の経験から言えば、景気の悪いオイルショックのどん底に遭遇して、流石の高専でも就職出来ないものかと考えた時期もあった。確かに大手電機メーカーからの求人は悉く、否定的なものばかりとなり自分たちの就職というスタンスから進学というスタンスに切り替えた仲間も多かった。大学で新たに学ぶというものはなく、もう少し追求したいということについての単位しかないのも事実だったのだが時代背景に後押しされてという姿だったと思う。つい最近送られてきた同窓会の報告に掲載されていた進路情報の構成をみて、大学進学率が高いことをまざまざと知り、もしかすると高専の存在意義がなくなってきているのかも知れないと感じた。効率を重んじて適時な教育を目指して実践的な技術者を送り出していくという教育方針と現実の社会風土がミスマッチしているのかもしれない。

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